その三十一 プロポーズ

「だ、ダメかな? 僕と結婚」


 これは確実にプロポーズの動作ね。

 ひざまずくなんて、ずいぶん手の込んだ冗談だわ。


 でもまあ一応確認しよう。

 もしかしたら本気かもしれないし。


「……まさか、本気じゃないですよね?」

「……いや、本気なんだ!」


「え……」

「え? マリーさん?」

「ええッッ~~~~!」


 思わず貴族子女にあるまじき大声が出てしまった。

 まさか掃除に来た王城の廊下で、プロポーズされるとは思いもしなかったから。


「いやいや、驚きすぎだよ」

「驚きますよ! でもその、ごめんなさい。私、好きな人がいるのよ」


「そ、そうか。じゃあ、その人と結婚するの?」

「いやちょっとそれは……」


 ちゃんと答えるのはやめた。

 複雑な状況を説明できないし、しても意味がない。

 どう答えようが、アルノー様の気持ちに応えることはできないのだから。


「ちょっと! あなたたちっ!」


 強い口調で呼び止められた。

 振り返ると、綺麗なドレスに身を包んだ女性が立っている。


 伸びた背筋、整った顔立ち、険しい表情。先週末に私へ「絶対許さないっ!」と言い放ったあのマチルド様だ。

 後ろには侍女のエバ様が控えている。


「スザンヌから聞いて来てみれば、本当に仕事をサボっているなんて!」

「す、すみません」


「マリー・シュバリエ! 税金で雇われる身でありながら、仕事中に王城の男を引っ掛けるなんて!」

「引っ掛けていません! 話をしていただけです」


「男漁りで仕事をサボるなんてありえないわ。この件はジゼルへ報告します。あなたはクビにすべきだわ」

「い、いまから掃除をしますので、どうかご容赦を」


「ダメね。絶対クビにさせるわ」


 マチルド様が嬉しそうに笑う。


 失敗した。

 先週あんなに彼女と揉めておきながら、自分で隙を作ってしまった。彼女に攻めさせる口実を作ってしまった。


 私は一体何をやっているのか。

 下働きを辞めさせられたら困る。

 お母様もおじい様も私の給金で暮らしているのに。

 これからどうやって生きていけばいいのか。


 私が絶望して顔面蒼白になったときだった。


「あの、あなた誰です? 急に来て何ですか?」


 アルノー様が怪訝な顔をしてマチルド様へ聞いた。


「衛兵ごときが、黙っていなさい!」

「僕は確かに衛兵だけど、あなたは何でそんなに偉そうなの?」


「私はマチルド・デハンジェ。上位貴族の娘よ」

「だから何ですか? ただの娘だよね。爵位もない」


「それに第一王子ウィリアム様の婚約者候補よ」

「まだ候補だよね?」


 すると彼女の後ろにいるエバ様が、マチルド様に近寄って小声で話す。


「マチルド様。この件は終わりにされた方が……」

「だめよ。私はこの男を許すつもりはないわ!」


 進言を聞かない彼女に対して、エバ様は無表情でさっさと引き下がる。

 私には、その無表情が本当に興味なさそうに見えた。


「あなた、婚約者候補の意味を理解できないの? 私は未来の王妃なのよ?」

「でも実際は、王子様に婚約を遅らされてるただの候補でしょ?」


 何を言われても意に返さず、マチルド様を軽くあしらうアルノー様に、彼女は顔を赤くして憤慨する。


「ふ、ふ、ふ、不敬なッ! 帝国の姫である母上の血を引き、この国の上位貴族の娘である私に向かって、下位貴族の息子ごときが!」


 マチルド様が手に持った扇子を閉じて、アルノー様へ突きつける。


「これは明らかに当デハンジェ家への侮辱! 侮辱罪で処罰すべきですわ!」


 興奮したマチルド様は私をも睨む。


「あなたも同罪です! 処罰を覚悟しなさい!」


(こ、困ったことになった。急いで彼に謝罪させてマチルド様の怒りを鎮めないと!)


「ちょっとアルノー様っ! 謝らないと! 私たちクビどころか罰を受けることに……」

「マリーさん、落ち着いて。平気だから、まあ見ててよ」


 アルノー様はなぜかまったく慌てていない。

 ポンポンと私の肩を叩いて落ち着けとうながすと、マチルド様の方を向く。

 次の瞬間、いつになく彼の表情が真面目になった。


「マチルド・デハンジェ様。あなたは勘違いしてる」

「何を言おうと、私を怒らせたことは取り返しがつかないわよ」


「そもそもだけど。あなたはデハンジェ家の子女、上位貴族の令嬢だよね?」

「バカなの? さっきからそう言っているでしょ!」


「僕はさ、下位だけど貴族なんだよ」

「何を言っているの? 衛兵をやっている時点で下位貴族の息子なのはすぐ分かるわよ」


「いや違くてさ、あなたは上位貴族の令嬢だけど、僕は下位貴族なんだよ」

「意味が分かりません。あなた、何が言いたいの?」


「僕は当主なんだよ」

「…………え?」


「あなたは貴族の娘だけど、僕は当主なの」

「……当主……様?」


 驚いた!

 私と同じで明らかに十代だから、てっきり当主は彼のお父様だと思っていた。

 この歳で爵位を承継しているなんて。


 マチルド様は私と同じで爵位のない令嬢。

 第一王子様の婚約者候補でも、まだただの候補。


 先を見据える官僚やメイドたちは、未来の王妃になるからと横暴な振る舞いに従っているけど、現時点での彼女の立場はぜんぜん大したことないのよね。

 あくまで上位貴族のデハンジェ卿に敬意を表して、娘のマチルド様にも丁寧に接しているだけ。


「仕事中のマリーさんを呼び止めて、僕がプロポーズしたんだ。それで見事にフラれたって訳。ね、マリーさん?」

「ご、ごめんなさい!」


「デハンジェ様。フラれた僕の恥を広めるのは、どうか勘弁してもらえないかな?」

「そ、そういう事情がおありだとは存じませんでした。こ、これにて失礼しますわ」


 マチルド様はバツが悪そうにアルノー様へ会釈をすると、そそくさと歩き出した。

 私とすれ違うときに足を止める。


 ダンッッ!


 ヒールをきつく鳴らして、床が大きな音を立てた。


「計画にあなたが邪魔。絶対に排除してやるから」


 私の耳元でささやくと、キツイ表情のまま階段を降りていった。

 後に続いて階段を降りるエバ様が、マチルド様を見て舌打ちしたのが聞こえた。

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