その二十九 彼へのひざまくら
「マチルド様に余計なことを言ってしまったわ」
「あまり気にするなよ。本当のことだ」
週末、剣の修練を終えたウィルは、いつものように私の部屋でお茶をして過ごす。
今週はいろいろなことがありすぎたけど、やはり私はマチルド様の怒りを買ったのが引っかかっていた。
「でも、ウィルが彼女とあまり話さないのは、私のせいじゃ無い気がするんだけど……」
「単純に彼女との婚約に気が進まないからだけど……。回り回って最終的な原因はマリーかもしれない」
「えー? どうしてよ! 私はただの幼馴染みでしょ? 婚約を遅らせているのは、ウィルに好きな女性がいて諦められないからじゃないの!」
「うーん。まあ……それもその通りだな」
私が憤慨して訴えると、彼は素直に肯定して受け入れてしまった。
ウィルの好きな女性が私じゃないことへの苛立ちをぶつけても、彼はそれすら受け止めようとする。
「もう。別にウィルが悪い訳じゃないから謝らないで。それよりも、マチルド様がどんな人か教えて欲しいの。なんだか休み明けは大変な気がするから」
高貴な身分の彼女の機嫌をあんなにも損ねた。
これまでの行動力を考えたら、何もない方が不思議だ。
「マチルド・デハンジェ様は、我が国で帝国の血が唯一入った上位貴族の令嬢だ」
「帝国とは昔、戦争をしていたのよね」
「二十年前に帝国と和平を結んだ。その証明として、王族皇族の直系で下位の姫を人質として、互いの国へ嫁入りさせた」
「人質……」
政略婚の中で最も過酷なのが人質婚だと思う。
良好な関係が長ければ、相手国の王妃として嫁ぐ場合もあるだろう。
けど和平を結んですぐでは、裏切りの可能性を視野に入れるので、本当に人質としての嫁入りだ。
だから互いの国は上位の姫様を選ばず、また嫁ぎ先も王族や皇族の直系ではなく、その血筋の上位貴族になったそうだ。
「その姫の娘がマチルド・デハンジェ様だ。母親である姫は現在、病気で療養している」
「それでマチルド様は上位貴族の令嬢でも、扱いが同じ身分の令嬢より上なのね」
「姫の体調がすぐれないこともあって、娘の彼女を未来の王妃にと配慮され、俺の婚約者候補になった」
「理由はもちろん帝国との関係維持よね」
ウィルは私と違って普段仕事の愚痴も言わないし、もちろん人のことも悪く言わない。
だからか、彼女の説明をとてもしにくそうにする。
「デハンジェ様はまだ婚約者候補でしかない。しかし、すでに俺と結婚して王族になったかのように振る舞っている」
「メイドの私たちに、かなり強く主張されるのよね」
「言いにくい話だが、ワガママ放題で周囲を困らす女性だ。俺が関与する相手には、裏で接触して影響を及ぼそうとする。だから、官僚や執事たちからの苦言が多い」
マチルド様の説明をするウィルがつらそうだ。
ただでさえ、王族は公務だ何だで日々のストレスが多いはず。
それに加え、未来の妻がワガママ勝手に振る舞って周囲から苦言を聞かされるのでは、心労も相当なものだろう。
悔しいけど、ウィルを癒せるのは彼が想いを寄せる女性しかいない。
私じゃないのは残念だけど、こんなにつらそうな彼をこれ以上見ていたくない。
「ねえ。ウィルの好きな人が、あなたを癒やしてくれると思うの。だから、好きな気持ちを打ち明けてみたら? その人が支えてくれるかもしれないわ」
「……気持ちを打ち明けてもし相愛になれても、一緒になれなくて迷惑をかけるだけだ。王国の利益を考えるなら、デハンジェ様と結婚するしかないのだから……」
がんじがらめの人生。
好きな気持ちを打ち明けることもできないなんて。
王族の彼がこんなに苦悩していたなんて。
「ウィルも大変な苦労をしているのね……」
「だから悩みを忘れて剣を振り、マリーと気のおけない会話で笑いあえるこの時間は、俺の人生で一番大切な時間なんだ」
「人生で一番⁉ そんな風に思ってくれていたんだ。嬉しいな……」
「何物にも代えがたい大切な時間。奇跡が起こってこの時が永遠になればと、いまこの瞬間も思っている」
彼はそう言うと、なんとも言えない憂いの表情を浮かべた。
いつもはたくましくて優しくて、頼りがいのある彼が見せた顔。
普段は隠された本音の部分が垣間見え、金色の前髪からのぞく青い目には、なぜか儚げな、いまにも壊れてしまいそうなあやうさが感じられた。
いつも私を癒やしてくれるウィル。
あなたは未来の王として日々教育され、ふさわしい振る舞いを求められ、結婚する相手まで決められている。
その彼がこの時間を大切に思ってくれていた。
私と一緒にいる時間を大切に思ってくれていた。
ならせめて、いまだけは私が彼を支えてあげたい。
なぜ好きな女性との時間より、私との時間を一番大切と言ってくれるのか、それは分からない。
でも私は、大好きな彼を癒やしてあげたい。
私は横長のソファへ移動する。
「きっとウィルは疲れているの。さあ、となりに座って」
「いや、頑張っているマリーほどじゃないさ」
そう言いながらも、ウィルが私のとなりに座る。
横長のソファにふたりで並んだ。
「またそうやって私のことばかり。ウィルは頑張っているわ。誰よりも。だからたまには私に甘えてもいいと思うの」
「甘える?」
私は座り直して綺麗に脚を揃える。
はしたなくないようにスカートを整えた。
「ひ、ひざまくらをしてあげようかなと……」
「ん? いまなんて言った?」
「だから、ひざまくらよ。頑張っているウィルにしてあげる」
「ひ、ひざまくら?」
「あ、王子様だもんね。さすがに幼馴染みのひざまくらなんて嫌か……」
「マリーがしてくれて嫌なことなどあるものか! た、ただ、どうすればいいのか……」
私はひざまくらがどういうものか知っている。
ロマンス小説で読んだことがあるからだ。
でも、したことはないけど……。
「そのままこちらに体を倒すの。それで、私のひざに頭をのせてみて」
「こ、こうか?」
彼がソファに体を倒し、私のひざに頭をのせる。
ウィルは仰向けになると、ひざの上から私を見つめた。
「どう? ひざまくら」
「素敵だ。想像以上に」
そのまま、彼の頭を撫でてあげた。優しく、いたわるように、愛情を込めて。
第一王子様の頭を撫でるなんて、普通じゃ処罰ものの行為だ。
でも私たちふたりにとっては問題なし。
いつもは私が撫でられているけど、たまには私がしてあげてもいいでしょう。
「ど、どう? 私でも癒やしになるかしら?」
「ああ。こんなに癒やされるのは初めてだ……」
ウィルは気持ちよさそうに目をつむる。
金色に輝く髪を優しく撫でると、彼はリラックスしたように軽く息を吐く。
「すまない。しばらくこのままでもいいか?」
ウィルが珍しく甘えたので、私は嬉しくなってその姿をじっとみつめた。
自分のひざの上で目をつむる彼の姿が美しい。
激昂したマチルド様のことは気になるけど、いま、この時間だけはその心配が薄れる。
ひざに伝わる彼の体温が、私に幸せを感じさせる。
ウィルを癒やすつもりで、私の方がとろけるほどの癒やしを受けたのだった。
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