その二十八 マチルドの嫉妬
マチルド様はいつものように侍女のエバ様を従えて、こちらを睨んでいる。
修羅場が予感されて、ウィルと顔を見合わせた。
「マリー、ここは俺に任せて戻った方がいい」
「ダメよ。ちゃんと説明しなきゃ」
私の主張にウィルの表情が曇る。
彼はついてくるなとジェスチャーして歩きだすが、私も彼の後についてマチルド様の方へ向かった。
マチルド様はウィルの婚約者候補。
だけどウィルは彼女と婚約せずにいる。好きな人が諦めきれないからだと言っていた。
廊下の先にたたずむマチルド様は上位貴族の生まれで身分は申し分なく、高い教育を受けて身のこなしも洗練されている。
およそ王族の婚姻相手としてふさわしいと思う。
そんなマチルド様との婚約を遅らせてまで、ウィルが好きで諦めたくない女性。
一体どんな女性なのだろう。
敵いもしない恋敵に張り合う気なんてない。
でもせめて、ひとことだけ彼に好きと言わせたい。
たとえ結婚が叶わなくても……。
ウィルはマチルド様のそばまで行くと、彼女が私へ向ける視線を体で遮ってくれる。
「デハンジェ様、今日はなぜこちらに?」
「ちょっと人事部署長に用があって……」
ウィルの質問にマチルド様が口ごもった。
彼女の反応を見た彼は、さらに核心へ踏み込む。
「人事部署長があなたに脅されたと言っていた。司書官たちの仕事を評価しないように要請したのは本当ですか?」
「な⁉ わ、私は何も、し、知りませんわ。そ、それよりもです、ウィリアム様!」
マチルド様はウィルの質問に答えず、もっと大事なことがあるとばかりに声を張る。
「なぜ、こんな下位貴族の娘を名前でお呼びになるのです⁉ 私のことは、いまだに家名でお呼びになるのに!」
確かにそうだ。
マチルド様は何年も前から婚約者候補らしいので、ウィルとはそれなりに会話もしているはず。
それなのに彼はマチルド様と名前で呼ばず、デハンジェ様と呼んでいた。
「いやそれは……婚約前の女性にあまり馴れ馴れしくすべきではないと……」
「じゃあ、なぜそこのメイドごときには馴れ馴れしくするのです⁉ まさか私との婚約前から、その女を愛人にすると決めていらっしゃるのですか⁉」
きつい口調で訴えたマチルド様は、体で視線を遮るウィルの横へ顔を出すと、ギロリと私を睨んできた。
ウィルに愛人とかマチルド様も冗談がきつい。
(彼には大好きな人がいるのよ? その人を諦めきれずにマチルド様との婚約を遅らせているのに、そんな一途なウィルが婚約前に愛人なんて決める訳ないでしょう!)
……あ、でもちょっと待って。
(結婚は無理でも、愛人なら下位貴族の令嬢にもありえると、彼女はそう思ったのよね⁉ 私の身分でも愛人なら可能性があるの⁉ も、も、もし愛人なら、第一王子様のウィルとずっと一緒にいられるの?)
彼と一緒にいるための淡い希望にも思えた。
だけど、いくら好きな人が相手でも、やっぱり私はそんな形でウィルとはいたくない。
なりたい関係は愛人ではないとすぐに思い直す。
「誤解しないで欲しい。私は愛人などつくる気はない。愛する妻、その人だけがいてくれればいい」
ウィルは少し大きい声でマチルド様へ答えると、なぜか私を横目で見た。
「分かりましたわ。するとこの女を愛人にする気はないと?」
「彼女を愛人になどする訳がない!」
そう……なのね。もしかしたら愛人にしたいくらいには、私を好いてくれているのだと、そう期待してしまった。
でも彼はとても誠実な人。
好きなった人を思い続け、大切にする人。
そんな人が同時に別の女性も好きにはならない。
なんて悲しい期待をしてしまったんだろう。
私って愚かだ。
自己嫌悪していると、マチルド様の声が私に届く。
「それではなぜ、その女を家名ではなく名前でお呼びになるのです? 彼女と何かあるのですか?」
「そ、それは……」
ウィルは答えづらそうに、私の目をみつめた。
「私は彼女を……マリーを……」
彼は大切な告白と分かるように低くゆっくりと話し始めたけど、結局、その後は声を出さずにまた口を閉ざしてしまった。
「ウィリアム様! この女とやましいことがあるから、言えないのではなくて?」
違う。
彼とやましいことなんてない。
でも長い付き合いの私には分かる。思慮深い彼が口を閉ざすのは、決まって相手を思いやるとき。たぶん私に迷惑がかかるからと考えて、言うのをやめたんだろう。
(彼がどこまで考えて、私の説明をやめたのか分からないけど、このままではウィルにやましいことがあると誤解されてしまう! 彼にやましいことなんてないのに!)
たとえウィルが口を閉ざしたとしても、私には誠実な彼が誤解されるのが我慢できなかった。
私にかかる迷惑なんてどうでもよかった。
好きな人を誤解されたくない、その一心だった。
「ウィルは……あっ、ウ、ウィリアム様は私の幼馴染みなのですっ!」
思わず言ってしまった。
しかも馴れ馴れしくも、ウィルと慣れた愛称で呼んだあとに、幼馴染みであると伝えてしまった。
すぐに彼の顔色を伺うが、表情に変化はない。
幼馴染みなのは伝えても良かったみたいだ。
私はホッとしたが、ふと疑問が浮かぶ。
でもそうすると、さっきウィルは何を告白しようとしてやめたのかしら……。
彼が私の幼馴染みだという告白に、マチルド様が過剰な反応をする。
「な、なんですって⁉ ……ふふん、一体何を言うかと思えば。王族であるウィリアム様と下位貴族の娘が、幼馴染みなはずがないでしょう!」
彼女は一瞬驚くが、すぐにある訳ないと否定した。
だめだ、信じてもらわないとウィルにやましいことがあると誤解される。
「マチルド様、実は私の祖父ベラルド・シュバリエは、以前に王国騎士団長を努めていました。ウィリアム様は剣技を極めるために祖父を剣聖と仰ぎ、毎週末私の家へ来て剣の修練をされています!」
「毎週末⁉ 剣の修練であなたの家へですって⁉ ほ、本当なのですか⁉」
驚いた様子のマチルド様が、声を高めて困惑した。
すると、彼女の後ろにいた侍女のエバ様が、マチルド様をアシストするように口をはさむ。
「いえ、それはおかしいです。ありえません」
「え? おかしいでしょうか?」
事実を説明したのに否定されたので、思わず聞き返してしまった。
するとエバ様は、私の説明に矛盾があるとばかりに、強い口調で指摘を始める。
「おかしいです。殿下が剣の修練をされるなら、指南役を登城させればすみますから」
エバ様が至極もっともな意見を言うと、うなずいたマチルド様が問いただすようにウィルの顔を見た。
それは確かにそうだ。彼は近い将来、この国の王になる男性である。
そんな人がなぜ、わざわざ馬車で毎週末に私の家へ来て修練するのか、その理由が分からない。
私もマチルド様と一緒になって彼の顔を見た。
するとウィルがひたいに手を当てる。
「ふう。秘密にしていたが仕方ない」
大きくため息を吐いたウィルは、注目する私たちを見て観念したのか告白を始める。
「幼いころは努力を恥ずかしいことと思っていた。努力する姿を人に見られたくなかったんだ。第一王子なのだから、何でもすぐできて当たり前と言われて育った。でも剣術は苦手で、なかなか上手くならなかった。だから身分を隠して彼女の家へ行き、こっそりベラルド様から剣の指導を受けたんだ。最近はその……ただ習慣で通っているだけだ……」
「まさか本当なのですか⁉ しかも幼いころから⁉ 剣の修練のためだけに?」
マチルド様が驚いてウィルの顔をじっと見てから、疑うように私を睨んできた。
私はウィルの告白を信じてもらうため、家に来たときの彼の様子を説明する。
「そうです! 幼いころから私の家に来ています! 剣の修練を終えられたら、いつも私の部屋へいらっしゃいます。そして毎回、私とふたり切りでお茶をして、たくさんお話をしてくださいます!」
ここまで言えば幼馴染みだと信じてくれるだろう、そう思ったがまずかった。
言い過ぎたのだ。
「な、な、な、なんですってぇぇええ!」
わなわなと震えだしたマチルド様は、眉間にシワを寄せて怒りをあらわにする。
ダンッッ!
足を上げずにヒールだけ上げて勢いよく踏んだようで、床が大きな音を立てた。
「酷いッ! 私とはあまりお話してくださらないのに! スザンヌの情報通り、あなたは排除すべき存在だわ! マリー・シュバリエ! 下位貴族の娘のクセして身分もわきまえない不届き者! 婚約者になる私を差し置いて、ウィリアム様に馴れ馴れしくする女! 絶対に許さないっ! あなた、覚えていなさいよッッ!」
廊下中に響き渡る声で罵られた。
そして刺し殺されると感じるほどに鋭い視線を送ったマチルド様は、ドレスをひるがえして向きを変えると、エバ様を連れて去って行った。
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