その十五  互いの好きな人

「ねえ、ウィル。この前、王城の廊下で窓の掃除をしたときに、衛兵のアルノー様と知り合いになったの」

「アルノー様? 誰だ、それは?」


 待ちに待った週末になり、私の部屋へウィルがやって来た。

 そこでわざとアルノー様の話をしてみる。

 私にも貴族男性との接点があると知れば、少しは彼の気持ちが変化するかもしれない。


「凄く気さくで、話しやすい方よ」

「また新しい男の話か……?」


「またって何よ、またって」

「もしかして、好きなのか?」


(あれ? アルノー様に興味があると誤解された? それは困るわ! アルノー様に興味がある訳じゃない。ただ、私を意識して欲しかっただけなのに……)


「す、好きになんて、ならない!」

「じゃあ、なんで慌てるんだ?」


(え、困るよ! これって余計に誤解されているよね? ちゃんと違うって伝えなきゃ! だって私、ずっとウィルだけを見ているんだから)


 訂正しなきゃと焦ったせいで、思った言葉がそのまま出てしまう。


「ふたり同時に好きになるなんて、そんなの無理! 私、そんなに器用じゃないもの!」

「な、なに⁉」


 言ってから気がついた。

 これじゃ、私に好きな人がいると言っているようなものだ。

 実際にウィルを好きだから間違いじゃないけど、彼が聞いたらたぶん誤解してしまう。


 彼でもアルノー様でもない、別の人が好きだと。

 私はまだウィルを諦めたくない。

 彼が婚約するまでの短い間でもいい、少しだけでも私に恋愛感情を抱いて欲しい。


 私はパニックになり、どうしたらいいか分からなくなった。

 ただひと言「あなたが好き」と、そう言えれば誤解は解ける。


 でも正直その勇気は出ない。

 もし冷静に「君のことは幼馴染みとしか見られない」と突き放されたら、きっと立ち直れない。


 困って口を結んだままウィルを見ていると、さっきからずっと表情の硬い彼が口を開いた。


「その好きな人と結婚したいのか?」

「結婚したい。でも、たぶん私の想いは叶わない」


 ウィルに問われて本心を答えた。

 彼に別の人を好きと誤解されるのは嫌だけど、嘘を言うのはもっと嫌。

 でも、これできっと彼を誤解させた。

 もう彼を振り向かせるチャンスはなくなったかもしれない。


「マリーに結婚したい人がいるなんて、まったく分からなかった……」


 ウィルがぼそりとつぶやく。


(分からないよね。だって私が好きなのは、あなただもの。言いたい、言いたいよっ。あなたを好きだと言いたい!)


 だけどウィルには婚約者候補がいて、さらに別に好きな人がいる。

 私の想いを打ち明けても、彼を困らせて迷惑をかけるだけ。


「相手は誰なんだ?」

「……その人に迷惑がかかるから言えない。私はウィルの好きな人を聞かないから、私の好きな人も聞かないで欲しいの」

「お互いに好きな人は言えない……か」


 沈黙のあと彼は私から目を逸らす。妙に気まずい空気が流れた。


 どちらが悪いわけでもない。

 だからお互いにどうしていいか分からないのだ。

 そんな中、部屋の外で待機する執事のロラン様がウィルに急ぎの用を知らせた。

 すると彼はそそくさと帰り支度を始める。

 いつもは用事なんて気にしないのに。


「すまないが、今日はもう帰るから」


 そんなウィルを引き留めることはできなかった。

 あなたが好きだとも打ち明けられず、引き留め方が分からなかったから。


(楽しい週末を過ごせるはずだったのに……)


 彼が帰ったあとの部屋で後悔ばかりの悲しい時間をすごした。


 ◇


 週明け。

 寂しそうに帰っていく彼の姿が思い出されて、仕事に身が入らない。


(アルノー様の話なんてしなければよかったな……)


 ホウキで王城の壁際に溜まった砂を集めながらため息を吐く。

 少しもアルノー様は悪くないのに、彼と出会ったのを後悔したりした。


(大丈夫。ウィルとは長い付き合いだもの。今度会ったらいつも通りに話せば平気よ)


 ウィルは幼いころから欠かさず訪ねて来る。

 それに、目的がおじい様との剣の修練なのだからまた週末に会える、そう気楽に考えていた。


 ところが週末、いつもの時間を過ぎても彼は来ない。たまに遅れるのできっと来るはずと待っていたが、昼前にウィルの使用人が来て修練を休むと連絡を受けた。


 多忙が理由だけど、貴族がよく使う無難な建前にも聞こえる。

 もしかして私のせいで、もう来るのが嫌になったのかもしれない。


 本当のところは分からない。

 だけど毎週末に必ず来た彼が、今週末は来なかった。


 ◇


 コレットに呼ばれている気がする。


「マリー様、マリー様、しっかりしてください」

 でもウィルじゃないならどうでもいいかな。

「マリー、どうしたんです? 具合が悪いのかしら?」


 ジゼル様は何で私を覗き込んでいるのだろう。


「昨晩、寮へ戻られてずっとこんな感じなんです。今日も朝からぼーっとされています」

「熱はないようですけど、こんなに無気力なマリーは初めて見ますわ」


「どうすればよいでしょうか」

「目覚めさせるいい方法があるとスザンヌが言ってましたけど。あ、来ましたね」


 スザンヌ様が何やら重そうに運んできたけど、とても手伝う気力が湧いてこない。


「ふう。ジゼル様、持ってきました。さあ、これで目が覚めると思います」

「ちょっとスザンヌ、それはやりすぎですよ」


「これくらい平気です。ぜひ私にやらせてください」

「でもスザンヌ様。そんなバケツいっぱいの水じゃ、マリー様がずぶ濡れになってしまいます」


「それが狙いだからいいんです」

「効果はあるでしょうけど、下着が透けて可哀そうだわ」


「あの、床が水浸しなってしまいますよ?」

「あなたが掃除するんだから私は別にかまいません。よいしょっと」


「しゃんとなさい!」


 何かで視界が遮られて、ザーッと凄い音とともに衝撃が体に走る。


(な、なに⁉ なに⁉ 何が起こったの⁉)


 びっくりして意識が覚醒した。

 体にぺったりまとわりつく感覚がして、びちゃびちゃと床を鳴らす音が聞こえる。

 遅れて肌を刺すような冷気が襲ってきた。


「つ、つ、冷たっ!」

「マリー! あなたは何時間休憩しているんですか!」


 どうやらスザンヌ様に水をかけられたようだ。

 ジゼル様が手を取って椅子から立たせてくれる。


「目が覚めました? 風邪を引くから早く着替えていらっしゃい」


 コレットがスザンヌ様を気にしながらタオルを渡してくれる。


「急いで床を掃除しなきゃいけないんです。寮までおひとりで大丈夫です?」


 心配そうに覗き込まれたけど「大丈夫」と返事をして休憩室をでた。


(もしこのまま、彼が修練をやめて私の家へ来なくなったらどうしよう)


 たった一回、ウィルと会えなかっただけで何も手につかない。

 職場のみんなに迷惑をかけてしまった。


 水をかけられたのは仕方ない。

 私は何時間もぼーっとしていたみたいだから。


 ウィルに何も悪いことをしていないと思う。

 でも、彼との関係が元に戻るなら先に謝ってしまいたい。

 だけど彼の素性を知らないから、会いに行くこともできない。


 今週末は会いたい。

 ずぶ濡れで寮へ戻る間も、私はそればかり思った。



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