その十四  それぞれの結婚観

 翌日。

 朝からマチルド様と侍女のエバ様が休憩室に来て、みんなに緊張が走った。

 全員が席を立つ。


「廊下の窓は綺麗になりましたか?」

「ご指摘のあった廊下の窓は綺麗になりました」


 ジゼル様が落ち着いて答えた。

 私が朝一でジゼル様へ完了報告をすませていたのだ。

 それを聞いたマチルド様はひどく驚いている。


「すべて……ですか?」


 マチルド様に確認されて、不安になったのかジゼル様が私を見てくる。

 私は黙ってうなずき、すべてだと無言で伝えた。


「……す、すべてです」


 ジゼル様が答えて、これで一件落着と安心する。

 ところがだ。

 スザンヌ様が耳を疑うような発言をしだす。


「前日に新人がひとりで掃除しました。人も時間も足らなかったので不安です。マチルド様、仕事の出来を見ていただけますか?」

「そうですね。綺麗になっていなければ意味がありません。現場へ直接見に行きましょう」


 なんとマチルド様が、現場を確認すると言いだしたではないか。

 スザンヌ様のこの発言には、さすがのジゼル様も二度見していた。


 何もわざわざ、粗探しさせるようなことを言わなくてもいいのに。

 違和感しかない。


 結局、マチルド様と侍女のエバ様、ジゼル様とスザンヌ様に私を加えた五人で、あの廊下まで行くことになった。

 現場に着いたマチルド様は脚立を上がるのを嫌がると、侍女のエバ様ではなくてなぜかスザンヌ様を上がらせた。


 なので、いま窓の確認をしているのはスザンヌ様だ。

 私が一番後ろで様子を見ていると、アルノー様が近づいて話しかけてきた。


「マリーさん、今日も忙しそうだね」

「アルノー様も毎日お疲れ様です」


 昨日初めて彼と会話をしたが、気さくな人柄で話しやすい。

 この職場では気楽に話せる相手が少ないだけに、貴重な存在だ。

 ただ女性同士に必要な気遣いが、衛兵として過ごす彼に分かるはずもない。

 いまは私がほかの同僚といるのに、何も気にせず話しかけてくる。


「昨日した窓掃除の続き?」

「ごめんなさい。ちょっと取り込み中なんです」


「そうか。じゃあ、また後でね」

「はい、またのちほど」


 やんわりと会話を終わらせて、彼女たちのやり取りに戻った。

 脚立の上ではスザンヌ様が首をかしげている。


「お、おかしいですね。こんなはずでは……」

「スザンヌ、どうなのです? 少しは汚れが残っているのでしょう?」


 マチルド様が返事をせかすと、スザンヌ様が脚立の上で首をかしげている。


「そ、それが……綺麗なんです……」

「……そうですか」


 自分で現場を見ると言ったマチルド様は、当然のように脚立を上がらなかった。

 侍女のエバ様は、どうも我々より身分の高い貴族のようで動きもしなかった。


 代わりに汚れを確認するのは「仕事の出来が不安で確認して欲しい」と頼んだスザンヌ様本人である。

 自分で頼んで自分で確認していれば世話がない。


 何とも馬鹿馬鹿しい人たちだと、私は笑いをこらえるのが大変だった。

 週末にウィルと話すネタができたので、心の中で彼女たちに感謝しておく。


 マチルド様は閉じた扇子を強く握りしめている。


「まったく。何のために朝早くに来たのでしょうね」

「す、すみません」


 不機嫌そうな彼女のつぶやきに、なぜかスザンヌ様が謝った。


「エバ。帰るわよ」

「はい。お嬢様」


 マチルド様は窓の汚れに興味を失ったようで、立ち去ってしまった。

 三人で休憩室へ戻ると、ジゼル様が私に微笑む。


「マリーのお陰で、マチルド様からのお咎めがなくてすみました」

「良かったですね、ジゼル様」


 私もホッとして返事をする。

 後ろから遅れて部屋へ入ったスザンヌ様は、なぜか悲壮感でいっぱいだった。

 昨日はマチルド様に汚れを指摘されてどうなるかと焦ったが、上手く収まったようだ。


 私は安心して宮殿まわりの掃き掃除に向かった。


 午後になり、コレットが心配で休憩室へ戻る。

 すると、ジゼル様とスザンヌ様がほかのメイドと一緒にお菓子をつまんでいた。青年コックのマルクが「マリー様によろしく」という伝言とともに、今日もくれたお菓子だ。


 心配だったコレットは、いつもの様に部屋の隅にいて無事だった。

 椅子に座ると、ジゼル様が前のめりで私に問いかける。


「スザンヌに聞きました! マリーは王城の衛兵といい関係なのですか⁉」

「確かに脚立の上から見ました。今朝、ふたりが仲良く話しているところを。まあ、マリーには衛兵くらいがちょうどいいかもしれませんね。釣り合い的に」


 今朝、アルノー様と話していたのを脚立の上のスザンヌ様に見られたようで、早速会話のネタにされた。


「いいえ、ただ世間話をしただけですから」


 私にはその気がないので、すぐに否定する。

 こういう話題はすぐに対処しないと、ろくなことにならないから。


 客観的にみれば、私もアルノー様も下位貴族出身なので、確かに貴族階級の釣り合いはとれている。

 婿としてシュバリエ家に入ってもらえるなら、できた子供に爵位を承継させることができそうだ。


 でも、当の私にはまるでそんな気がない。

 せめてウィルに婚約者ができるまでは、この焦がれる感情を消す方法はないだろう。


 ウィルの婚約まで、あとわずかの時間しかない。


 さすがに彼が婚約すれば、これまでのように私の部屋で幼馴染み同士の語らいなどできなくなる。

 残されたあと何回かの週末を、彼との特別な時間を、何より大切にしたい想いでいっぱいなのだ。


 そんな想いなど知らないジゼル様は、姿勢を正して私を見つめてくる。

 この人が真剣になるのは、たいてい結婚の話だ。


「あなたはよい人を探していないのですか?」

「探さなければいけませんが……いまはいいんです」


「まだ若いつもりかもしれませんが、月日は過ぎるものです。私などは早くしないと、両親の縁談に従うことになりそうですわ」

「そうですね。私も、もう少ししたら……」


 彼女は両親の選んだ婚約者候補が嫌で、自分で婚約相手を探している。

 ジゼル様が休憩室で話す話題も、あの人はどうとか、この人はどうかなどが多い。

 それに対してスザンヌ様は、親の選んだ婚約者候補がそこまで悪くないらしく、余裕しゃくしゃくだ。


「ジゼル様もいざとなったら両親の勧めに従えば気楽ですよ。私なんて最初から何も望んでいませんので」

「私の両親が勧める人は年配過ぎてちょっと……。お腹も樽のように出ていますし。できれば年齢の近い人と、燃えるような恋がしたいのです!」


「またジゼル様は……。貴族令嬢は政略婚が定め。諦めが肝心です。恋愛なんて幻想ですから」

「いいじゃないのよ、夢を見るくらい。それにしても、マチルド様が羨ましい」


 第一王子様を見たことはないが、噂では見目麗しいらしい。

 そしてマチルド様はその婚約者候補。

 お相手が王子様の彼女には不満などないだろう。


 それに王子様のお相手は家柄第一である。

 高貴な家柄のマチルド様であれば婚約はほぼ確実。

 それだけに、ここで働くメイドたちにとって、マチルド様は羨望の的であり勝ち組の象徴なのだ。


 でも、私はちっとも羨ましくない。

 別に強がっている訳じゃなく、好きでもない人と一緒になるのは、たとえ相手が王子様でも嫌なのだ。


 私をこんな風にしたのはウィル。

 彼のことは大好きだけど、私ばかりが想いをつのらせているのが少し悔しい。


 せめて今週末は、幼馴染みの関係を超えるために自分から仕掛けてみよう。

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