その四 週末の癒し
「ウィル、剣の修練お疲れ様!」
「ああ、悪いな。ありがとう、マリー」
ウィルと会いたくて待ちきれなかった私は、自宅に隣接する修練場まで行って、彼に冷えたタオルを渡す。
(早くウィルを補充したい。それで今日は彼に手を握ってもらうんだから……)
私のおじい様、べラルド・シュバリエは、若いころに王国騎士団で剣技を極めたそうで、剣聖として名高い。
すでに王国騎士団は引退したが、いまも日々の訓練を続けている。
そんなおじい様の元へは、たびたび人が訪ねてくる。
かつての騎士団員や貴族の子息など、剣技の教えを請う者が後を絶たない。
けれどおじい様は生来の人嫌いで教えたがらず、私に自衛の剣を教えた以外だと指導をしているのはウィルだけだ。
(この人は、どうして幼いころから毎週欠かさず剣の修練を続けるのだろう)
ずっと不思議だったので、私の部屋へ向かいながらウィルにたずねる。
「ねぇ、ウィル。幼いころは剣の修練を手習いだと言っていたけど、なぜ強くなったいまもわざわざウチへ来て剣の修練を続けているの?」
「え⁉ あ、えーと。も、もちろん王国を脅威から守るために鍛えている。帝国との戦争が終結して二十年が過ぎた。和平を結んでいまは平和だが備えは必要だろ? それに大昔だが、魔物の大群が王都に押し寄せたこともあるらしいから」
「そんな殊勝な理由だったの! てっきり剣術が趣味なのかと思っていたわ」
「まあ、好きだから通っているのは間違いではないかな」
会話をしながら私の部屋へ招き入れた。
修練のあとをふたりで過ごすのは、幼少のころからの習慣になっている。
幼いころは仲の良い友達で遊び相手だったけど、いまは気を置かずに話ができる大切な存在だ。
「それで新しい職場には慣れたのか?」
「うん。まあ、なんとか頑張っているけど、さすがにちょっと疲れてしまって」
甘えを口に出すと、ウィルは心配そうにじっと私を見つめた。
彼の思いやりが私を包んでいく。
いつも通りなウィルの優しさが心地よい。
「ずいぶん仕事が大変そうだな」
「違うの。仕事は楽じゃないけど頑張れるわ。原因はどちらかというと人間関係なのよ。女性ばかりの職場って、気を遣うことが多くて大変で……」
「女性同士にもいろいろある訳か。男の俺にも話を聞くくらいならできるけど?」
「ありがとう! 実はね、同僚たちがメイド寮の私室まで、私に掃除しろというのよ」
「それは納得できないだろ。部屋の掃除が必要なら、人を雇うべきだ」
「……雇うって? ていうか、自分の部屋は自分で掃除して欲しいのよ」
よく、彼の発想と私の考えにズレを感じる。
生活レベルの違いというか。
メイド寮の自分の部屋を掃除するのに、人なんて雇う訳がない。
「そ、そうか。人は雇わずに自分で掃除すべき、か。なるほど、マリーは悪くない」
「そうよね? 私は悪くないよね?」
「ああ、マリーは少しも悪くない」
お母様は、私とウィルが遠い親戚だと言っていた。
なんでも薄い血のつながりがあるらしい。だから、ウチでおじい様から剣を学んでいるのだと。
子供のころはそうなのか、と素直に受け入れたがいまは違う。
貴族なんて先祖のどっかでつながりがあって、薄い血のつながりがあるのは普通だ。
それこそ王様とだってはるか昔までさかのぼれば、もの凄く薄い血のつながりがあるかもしれない。
つまりお母様は、ありきたりなことを言ってウィルの素性をごまかしたのだ。
彼は一体、何者なのか。
「マリーの頑張りを俺は知っている」
「ウィル……」
彼はねぎらいの言葉をかけると立ち上がった。
そして私の席のすぐ横に立つと、頭を優しく撫でてくれる。
貴族令嬢の頭を撫でるなんて普通なら失礼だ。
でも彼と私の関係は、幼いころからの特別なもの。
剣士特有の大きくてゴツゴツした手で、優しく私の心を癒やしてくれた。
(ああ、この手……)
この手で触られてから、ウィルを異性として意識するようになった。
だから彼の硬い手の平が私は好きだ。
「頑張る君を見て、俺も頑張ろうって思える」
「それはお互い様よ」
幼馴染みの私と話す彼はかなり砕けた口調で、会話だけなら同じ下位貴族同士のように見えると思う。
でも私は、ウィルの出自がとても高貴であると確信していた。
なぜなら、彼は品のある所作と余裕のある口調、仕立ての良い服を着て、常に護衛とともに豪華な馬車でウチに来ていたから。
しかしおじい様もお母様も、そしてウィル自身も決して出自を語らなかった。
私も気になりはするけど、あえて詳しく聞こうとはしない。
だってそれを知ってしまうと、週末だけ訪れるウィルとの幸せなひとときが、なぜか失われてしまう気がしたから。
黙っていれば、次の週末もきっと最高に幸せな時間を過ごせる。
仕事と人間関係で疲弊して実家に帰った私は、剣の修練で訪れたウィルに甘やかされて、本来の自分に戻れるのだから。
彼のあの手を横目で見ながら、今日はどうしても手を繋ぎたくて覚悟を決める。
「あ、あのね、ウィル。ちょっとお願いが……」
「どうした?」
「えっと、その、手をね、その……手を」
「手? 手がどうかしたって?」
恥ずかしくてお願いをやめようかと迷ったが、どうしてもウィルの手を諦めきれない。
「お、お願いウィル。仕事がちょっと大変で元気が足りないの。あなたの元気をくれない?」
「俺の元気? いいよ、分けるから手をだして」
ウィルはさっと私の両手を取る。
ただ手を握って欲しくて回りくどいことを言ったのに、彼は詳しく聞かずにすぐ動いてくれた。
そのさりげなさ、スマートさがあまりにカッコよくてキュンとくる。
ウィルは私の横に立ったまま、重ねた私の両手を彼の両手で上下から挟んで包んでくれた。
(ああっ、彼の手に包まれている。優しい印象とは違う荒々しい手。まるで男らしい彼に体を包まれているよう……。いまの私、すっごく幸せだ)
みんなの知らないところで、自分をとろとろに甘やかしてくれる、そんなウィルの存在が私の中でたとえようもなく大きくなっていた。
だから、大切な時間を失うなんて絶対に嫌で、彼の出自を追求しないようにしていた。ウィルはきっと身分が高い貴族だから。
(この気持ちって、幼馴染みとしての好きを超えているわよね)
最近になって、彼から婚約者候補がいると聞かされた。
ウィルは家の方針で、成人する十八歳までに婚約者を持たなければならないそうだ。
彼も貴族の子息。
責任を放棄し、生き方を変えることはできない。
でも彼には好きな人がいるそうで、その恋をずっと捨てられずにいるらしい。
だから十八歳の誕生日ぎりぎりまで、婚約する気はないと教えてくれた。
「ねえ、ウィル。十八歳の誕生日まであとどれくらい?」
「……三か月だ」
「そう。じゃあ、もうすぐ婚約するのね」
「ああ。このままだと候補の人と婚約するしかない。正直悔しい」
「悔しいって、前に話していた好きな人のこと?」
以前、世間話から意中の人はいないのかという話になって、ウィルに好きな人がいると知った。
「ああ。彼女とは一緒にいて割といい雰囲気だと思う」
「ふ、ふうん……。そう……なのね」
「向こうも俺と話すのが楽しそうに見えるし」
「なら、どうしてその女性と婚約しないの?」
「……」
私も彼も、手を繋いだまま視線を合わせて沈黙した。
彼に想われている人は、なんて幸せなんだろう。
下位貴族の孫娘である自分と、きっと高い身分であろうウィルでは釣り合わないと分かっている。
だからいままでは、幼馴染みとして一線を越えないように接してきた。
それでも、幼いころから育んだ彼との関係は特別なもの。
彼が誰かと結婚するとか考えたくはない。
でもウィルには婚約者候補の人がいて、さらに別に好きな人もいるらしい。
ただの幼馴染みの私がこれ以上を望むのは無理なのだ。
それでも自分だけを見て欲しいという気持ちは変えられなかった。
(気づいてしまった。私はこの人を……ウィルを好きなんだ)
いつか奇跡が起こって一緒に暮らす夢が叶って欲しい。
彼に優しく手を握られながら、そう願わざるにはいられなかった。
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