その五   第一王子の婚約者候補

「スザンヌ、ちょっと聞いてくださる? さっき第一王子のウィリアム様に、声をかけられましたわよ!」

「まあ! それは羨ましいです! ジゼル様」


 私は休憩室で、ジゼル様とスザンヌ様の雑談を聞いていた。

 またコレットがいびられていないかと、宮殿横の掃き掃除を途中にして休憩室に戻ったけど、心配は杞憂だった。

 当のコレットはいつものように部屋の隅に立っていて、誰にも酷いことはされていない。


 ジゼル様はテーブルに両肘をついて、組んだ手にあごをのせる。


「第一王子ってお立場はこの上なく素敵ですけど、ウィリアム様は背が高くて美しいのも魅力ですわ」

「はい。ジゼル様。綺麗な金髪に青い目。婚約者がいる私もうっとりします」


 私がここへ配置換えになってまだ二週間。

 仕事は掃除ばかりだ。


 王族が部屋を出入りする時間帯は、宮殿外周の掃き掃除をして、王族が部屋を出入りしない時間帯は、廊下やロビーの掃除をしている。

 これは王族の前で掃除をしないようにとの配慮だ。

 なので私は王族なんて見たこともないが、別に興味がないので構わない。


 王子様がどれだけ素敵か知らないけど、私には週末に会えるウィルが一番だから。

 ウィルに勝る男性がいるとは思えない。

 冷めた私とは違ってジゼル様は楽しそうだ。


「もしも王子様に見初められたら、物凄い玉の輿ですわ。スザンヌもそう思いません?」

「でも氷の王子様だと噂が。未だに婚約者をお決めになっていませんし。クールなあの方の攻略は難しそうですよ?」


「あの雰囲気が素敵なのではありませんか。それにクールな男性ほど、愛した女性だけにはとびきり優しくなると聞きますわ。さあ、スザンヌ。そろそろ――」

「ジゼル様。ウィリアム様は剣の腕も立つそうです。幼いころから剣術の修練を欠かさないとか」


 ジゼル様は席を立とうとしたが、スザンヌ様が何やら入り口の方をしきりに気にして、引き留めるように話を続けた。

 結局、ジゼル様も王子様の話題が楽しいようで、それに応じる。


「ええ。見目麗しくて剣技にも優れたお方。殿方の理想ですわ」

「ジゼル様の理想ということは、もし王子様の方からプロポーズがあったら……」


 プロポーズと聞いてジゼル様の顔が赤くなった。

 動揺した彼女は頬に手を当てると、高い声を出しながらもじもじする。


「こ、婚約はもちろんお受けしますわ。ウィリアム様とならすぐにでも結婚したいですもの」


 ジゼル様が言い終わるや、休憩室の扉が開いた。


 顔を見せたのは、綺麗な赤いドレスに身を包んだ長い黒髪の女性だ。

 そのすぐ後に、黒いドレスに黒髪をアップにした眼鏡の女性が立つ。


 赤いドレスの女性は気品のある端正な顔立ちで、ひと目で貴族令嬢だと分かる。ただ、その整った顔は醜く歪んでいた。


「ウィリアム様に対して結婚したいなど、身分をわきまえない不敬者はどなたです⁉」


 扇子を閉じた状態で握りしめている。

 彼女の綺麗な立ち姿は気品を感じさせ、高い教育を受けた育ちの良さが伝わる。

 胸を張る姿は自信に満ち溢れて、この場で自分こそが一番であると、疑ってもいないのが分かった。


 それだけに彼女の鋭い目つきと眉間のしわが、よりいっそうの不機嫌さを感じさせる。


「いまのお声、どなたでしたか?」


 休憩室に響く冷たい声。

 彼女の登場で、座っていたジゼル様とスザンヌ様が席を立つ。

 私も慌てて立ち上がった。


 さっきまで照れて赤かったジゼル様の顔がみるみる青くなる。


「いまのお声は、一体どなたでしたか!」

「マ、マチルド様! い、いまのはその、こ、言葉のあやと申しますか……」


 必死に取り繕うジゼル様に一瞥をくれたマチルド様という令嬢は、目を細めてから彼女へつぶやく。


「身の程をわきまえてください」

「す、すみません、マチルド様」


 ジゼル様がすぐに謝罪する。

 しかしマチルド様の表情がさらに険しくなると、許さないとばかりに閉じた扇子を突き付けた。


「すみません? まさかそれが謝罪ですか? ジゼル、身の程をわきまえなさいッ!」

「も、申し訳ありません。どうか、お許しください」


 この国において貴族階級は絶対だ。

 それは越えられない高い壁であり、上位貴族に無礼を働いて糾弾されれば懲罰もありえる。


 ジゼル様のこの態度から、マチルド様が遥かに格上の貴族令嬢と分かる。

 そしてジゼル様の言動を無礼と断じた。


 王子様との結婚を話題にしてそれをマチルド様に対する無礼だと叱責するなら、彼女の立場は明らか。

 マチルド様は王子様の婚約者候補なのだ。


「次は、ないですからね?」

「は、はい。マチルド様」


 マチルド様は顔を横に向けて、同い年くらいの黒いドレスの女性に声をかける。


「エバ。平民の話を」

「承知しました」


 指示を受けた女性は侍女のようで、アップヘアに眼鏡姿だけどなんとなくマチルド様に似ている気がする。


「このところ、王城内を平民がうろつくのが目につきます。平民がマチルド様の視界に入らないよう注意してください」

「わ、分かりました」


 ジゼル様が返事をすると、マチルド様は満足そうに口元をあげて、スザンヌ様に視線を送ってから立ち去って行った。


 室内の張りつめた空気が緩み、居合わせた全員の緊張が解けて肩の力が抜けるのが分かる。

 みんなで顔を見合わせたあと、私はため息をつきながら仕事へ向かった。


 なぜかスザンヌ様だけは少し楽しそうに見えた。


 ◇


「お、お許しください」

「あなたの! あなたのせいで私が叱られたのよ!」


 私が仕事を終えて休憩室へ帰ると、なんと、部屋の隅でコレットが頭を抱えてしゃがみ込み、それをジゼル様がホウキで叩いていた。


「ちょっとジゼル様! 何をされているんですか!」

「マリーは黙ってなさい! スザンヌが教えてくれました。この娘が私の言いつけを破って王城をうろつくから、マチルド様が指摘のためにこの休憩室に来たんだと! それで偶然、私の冗談を聞かれたんだから、この平民のせいじゃありませんか!」


「おやめください。コレットは言いつけを守って、仕事以外は休憩室から出ていません」

「では、なぜマチルド様が王城で彼女を見かけたのでしょう。コレットが王城の灯りを点けてまわるのは夕暮れどき。王族の方々は宮殿に戻られ、官僚たちはとっくに退場しています。彼女が私の言いつけを破って日中に王城内をうろついたから、登城したマチルド様が見かけたのでしょう!」


 早口でまくし立てたジゼル様は、再びコレットをホウキで叩きはじめた。

 休憩室にいるほかのメイドたちは、いつものように遠巻きで見ている。


 私はホウキを振りまわす彼女の手を止めようとするが、ジゼル様が興奮して大暴れするので止めることができない。


「なんで、なんで私が言われなきゃならないのよ!」

「ごめんなさい、ジゼル様」


 小さくなって必死に謝るコレットに、ジゼル様がさっきの恨みをぶつける。


「ひゃぁっっ! うう……」


 コレットが痛みで声をあげた。それでもジゼル様はやめない。

 目を吊り上げ、一際大きくホウキを振りかぶった。


(いけない! コレットを守らないと!)


 無意識で自分の体が動いた。コレットの前に覆いかぶさるように彼女をかばう。


「だめッ!」

「! ちょっ⁉」


 間に入った私に驚いたジゼル様は小さな声をあげたが、振り下ろすホウキは止まらない。

 私はコレットをかばいつつ片腕で自分の身を守ったが、その手首をホウキで強く叩かれる。


「痛っ!」


 私の悲鳴とともに、バシンと引っ叩いた音が室内に響く。

 ようやく動きを止めたジゼル様が震え出し、手に持ったホウキが床に落ちて音をたてた。


「い、いまのはあなたが悪いんですからね! わ、私はあなたを叩く気なんてなかったんです!」

「……分かって……いますから」


 いくら貴族階級の違いがあるとはいえ、貴族令嬢が貴族令嬢を棒で叩く、これは貴族の当主同士の問題になりかねない。

 この状況なのに落ち着いたスザンヌ様が、ジゼル様の手を握る。


「ジゼル様、マリーも手違いだって分かっているようですし、問題ないでしょう。ね、マリー?」

「……はい」


 あくまで自分の非を認めないまま、でもバツが悪そうにジゼル様が寮へ帰る。

 スザンヌ様はなぜか楽しそうに笑みを浮かべると、ジゼル様のあとを追って行った。


「うぅぅ、申し訳ありません。マリー様!」

「痛たたっ。いまのはさすがにちょっと痛かったわね」


 彼女たちが去ってからコレットが大泣きして、私に抱きついてきた。


 彼女のメイド服は汚れているが、大した怪我はしていないようだ。

 一方の私は、ジゼル様が力を込めて振ったホウキの柄を手首で受けてしまった。

 おかげで柄の当たったところが、赤くミミズ腫れになっている。


 その傷を見たコレットが、また大泣きを始めた。

 私は彼女を抱き寄せると「大したことはないから」と頭を撫でて優しく慰めたのだった。

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