第14話 星叡の日と魔法陣
特別な星が六芒星を描いたその日。
いつか散らばる星の川をギルベルトと一緒に見上げた事を思い出しながら、この日メリルは客間で待っていた。本日の修行は無い。何故ならば、今日こそが魔法陣を起動する、星叡の日だからだ。三十年に一度と言われる、神聖な星の配置の日だと、メリルに教えてくれたのは、ローベル師だ。本来であれば、術師の祝祭だったらしい。生涯で二度参列できれば非常に幸運だとされる特別な夜が来るのだと、メリルは聞いた。しかしメリルはお祭りに参加するわけではない。秘宝を運ぶという重要な役割があるからだ。
コンコンとノックの音がしたのは、その時のことだ。
「はい」
メリルが声をかけると、静かにギルベルトが扉を開けた。
その眼差しは真剣だが、最後に顔を合わせた時の事を思い出してメリルは肩に力を入れた。そんな事を考え、それこそうつつを抜かしていたら、さらにギルベルトに呆れられてしまうと考えて、メリルは表情を引き締める。
「行くぞ」
ギルベルトの声に頷き、メリルは立ち上がった。そして気合いを入れるように息を吐くと、力強い足取りで、扉の所にいるギルベルトの元へと向かう。ちらりとギルベルトを見ると、眼差しは真剣だが、口元に苦笑するような、小さな笑みが浮かんでいた。
「メリル、僕がついている。緊張しなくていい」
「っえ、あ……私なら大丈夫!」
以前の通り、優しい声音だったギルベルトに、逆に驚いて、メリルはビクリとしてしまった。ギルベルトは、単純に修行をサボっていると思って怒ったのかもしれないと、メリルは考える。それとも、秘宝を持っていけるのは自分だけだから、優しいのだろうかとも考える。そしてギルベルトに気づかれないくらい小さく
そう考えて、ふと思った。秘宝を魔法陣に設置したら、自分はどうなるのだろうか……? もう王宮に滞在する必要は無い。帰らなければならないのだろうか? それが、普通だ。己のような一般市民が、王宮に入れてもらえる事の方が、本来は変なのだから。
「どうかしたか?」
扉に手をかけていたギルベルトが振り返る。慌てて笑みを取り繕い、メリルは扉から外へと出た。そして歩幅を合わせてくれるギルベルトの隣を歩きながら、長い廊下を進み、階段で地下まで降りる。
魔法陣がある星叡の間は、四方上下が全て真っ白の大きな部屋で、ただ床に刻まれた金色の巨大な魔法陣だけが色を持っていた。六芒星に線が走っていて、五つの場所には、メリルが持つ秘宝そっくりのものが台座の上に置かれていた。一カ所だけ、それがない。
「メリル、あの頂点に、秘宝を置いてくれ」
「分かった!」
すぐに位置を理解し、メリルはそちらへと向かう。そして紺色の台座の前に立つと、ゆっくりと首から鎖を外し、右手の上に秘宝を載せた。中ではやはり虹色にも見える赤い炎が揺らめいている。他の位置の秘宝は、緑や青、黄色や紫、黒色に見えた。
両手で赤い焔の秘宝を持ち直し、ゆっくりとメリルは台座の上に載せる。
「壁際に下がってくれ」
「はい!」
大きく頷き、メリルは広い床を歩いて、壁にたどり着くと、背を預けて魔法陣を見た。そして首を傾げた。確か、王族が始祖王の力を宿すと聞いたのだが、ここにはギルベルトしかいない。
「ねぇ、ギルベルト」
「なんだ?」
「王様も王子様も誰もいないよ? これから来るの?」
メリルが首を傾げたのを見て、ギルベルトが驚いた顔をした。
「そうか……伝えるのを忘れていたな」
「なにを?」
「僕は、ギルベルト・プログレッソと言う。このプログレッソ王国の王太子だ」
「――えっ!?」
耳を疑ったメリルは、ギルベルトを凝視した。
「え? え? ギルベルトは、じゃ、じゃあ、王子様なの? 本物の王子様だったって事?」
「ああ。僕は第一王子だ」
メリルは唖然とし、気が遠くなりそうになった。
この国は、貴族と平民に垣根はほとんどない。だが、王族となれば、さすがに別だ。
国を治める元首である。
非常に偉い事は、メリルにだって分かる。なんたって祖父も、いつも、『王家の皆様は良きお方だ』『敬わなければならない』『お困り事があったならば、誰だってお助けせねばならない』『尊い存在だ』『我ら平民は、決して王族を蔑ろにしてはならない』『高貴な方々だ』『自分達とは身分が違う』『生まれが違う』と、繰り返し述べていたのだから。同じくらい騎士団も立派だと褒め称えていたから、メリルは騎士も偉いのだと思っている。
――つまり、圧倒的に立場も身分も違う。
ギルベルトは、はなから己には、手が届かない存在だったと突きつけられたように思い、思わずメリルは震えてしまった。悲しみが溢れてくる。平民の自分が、王妃様になんてなれないからだ。驚きの直後、ショックで俯いたメリルは、それから気を取り直して顔を上げた。ならば、ギルベルトがしっかりと魔法陣を起動するところを見守るのが、扉の番人の末裔として出来る、ギルベルトに対して自分が唯一出来ることだと考えたからである。想いが叶わないとしても、ギルベルトのために出来ることをしたい。そう決意が固まった。
「はじめる」
そう宣言すると、ギルベルトが魔法陣の中央に立った。
そして剣を抜く。それを床に突き立てた。
その瞬間、魔法陣から眩い光が溢れ、思わずメリルは瞼を閉じて、その上から腕で目を庇う。どのくらいの間、光が溢れていたのかは分からない。長い間だったようにも、短い間だったようにも感じられた。それが収束し、今度は暗くなった気配がしたので、メリルは恐る恐る目を開ける。すると、まるで星空の中に浮かんでいるかのような錯覚に陥った。背後を振り返ると、そこには確かに壁があったはずなのに、それも消失していた。
前方も後方も、左右も上下も、全て星空だ。なのに、立っている。いいや、浮かんでいるのかもしれない。ただ、魔法陣の線は黄金に輝いており、その中央にギルベルトがいる。
彼の正面の剣は、刀身が銀色に輝いており、元々嵌まっていた赤い宝石が、今はサファイアのような青に変わっていて、よく見ると中には星が散らばって見える。その時、ギルベルトが強く、剣の柄を掴んだ。そして引き抜く。瞬間、また目映い光が溢れた。
再びメリルは目をきつく閉じる。今度は一瞬で、光が消えた。
目を開くと、部屋は白く戻っていた。
だが、ギルベルトの手には、青く輝く宝玉が嵌まった剣がある。そしてギルベルトの横顔を窺えば、緑色だった彼の瞳が、金色に変化していた。驚いてメリルは、片手で口元を覆う。
「ギルベルト……?」
恐る恐る、メリルは声をかけた。すると正面を見ていたギルベルトが、メリルに向き直った。そしてメリルの大好きな、優しい優しい笑みを浮かべて、小さく頷く。
「ありがとう、メリル。成功だ」
それを聞き、メリルは安堵した。肩から力を抜き、大きく息を吐く。
即ちこれで、己の任務は終了で、ギルベルトのために出来ることを全うできたということだ。そう考えたメリルは、笑顔を返した。つまり――ここまでに至る道中で考えたように、もう己は王宮にいる必要が無い。術師として、残ってもいいのかもしれないが……自分には手の届かない、愛するギルベルトを見ながら、いつか彼が結婚したり、子供が出来たりする姿を見ながら過ごすのは、さすがに心が痛いだろうから、帰ろうと決意する。
「よかったね」
「ああ。メリルのおかげだ」
「ううん。私はできることをしただけで、私にできることを教えてくれたのはギルベルトだよ。つまり、ギルベルトが、自分でやったんだから、貴方のおかげってことだよ、全部」
「いいや、僕には秘宝が運べない――からではない。メリルがいてくれたから、頑張る事が出来た。考えてみると、そうなんだ。本当に、ありがとう」
笑みを深くし、ギルベルトが言った。
ああ……自分もいつか、ギルベルトがいるから頑張れると思ったのだと、メリルは思い出す。自分達が、同じ気持ちである事が、無性に嬉しくてたまらなかった。だからメリルは、満面の笑みを浮かべた。
「……本当に、よかったね」
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