第15話 余裕の有無
「僕は、国王陛下に報告してくる。本当にありがとう、メリル」
部屋まで送ってくれたギルベルトが、そう述べた。それから彼は、部屋の前で待機していたキースを見る。
「メリルの事を頼んだ」
「任せろ」
そう言ってニッとキースが笑ったのを見ると、ギルベルトもまた力強い笑みを返した。
こうして部屋に入ったメリルは、深々と吐息する。
キースが冷たい紅茶を淹れてくれたのだが、一気に飲み干してしまった。
「緊張したか?」
「そりゃあ、するよ!」
メリルはそう返して笑ってから、何気なく窓を見た。そうだ、今日は特別な夜空なんだと思い出す。失恋だと確信した衝撃もあり、胸が痛い。正直、魔法陣の起動の成功は本当に喜ばしいと思うが、叶わぬ恋だと気づいてしまったゆえの胸の痛みの方が、メリルの中では大きな問題だった。気持ちを整理しないと、泣きそうだ。それでも必死で笑いながら、しばらくはキースとの雑談に興じていた。しかしすぐに、限界が来た。
「ねぇ? キース。私、ちょっと外の空気が吸いたいの」
「もう夜だぞ?」
「それだけ緊張していたって事! ちょっと庭園に出てもいい? そこから見えるでしょう?」
「まぁ、それは問題ないな。王宮の敷地には結界が張ってあるからな」
キースが頷いたのを見て、メリルは立ち上がる。
「一人になりたいから、一人で行ってもいい?」
「ん。じゃあ、玄関まで送る」
「ありがとう」
こうしてキースと二人で、メリルは部屋を出た。この客間で過ごすのもあと少しだと考える。その少しが、明日なのか、明後日なのかは、まだ分からないが、漠然とそう思った。
宣言通りキースが玄関で立ち止まり、笑顔で見送ってくれたので、メリルはそこからも見える王宮の庭園へと向かう。暫く歩いて行き、薔薇のアーチをくぐると、周囲には夜でも淡く光って見える、光青百合が咲き誇っていた。青く淡い光が、白い百合から漏れている。幻想的な花々に向かって微笑してから、メリルは星空を見上げた。
「ほんとだ。六芒星に見える。綺麗……」
大きな星が六芒星を描き、その近くに星の川が見える。
眺めていると、胸がじくじくと痛み始めた。身分が分かったとは言え、すぐに恋心が消えてしまうはずはなかった。ギルベルトの事が大好きでたまらない。ギルベルトが好きだ。せめて、この気持ちを――……
「……伝えるだけ、伝えようかな? うん。そうしよう。ダメでも、告白だけでも。うん、うん! それがいいよね。だって、大好きなんだもの」
気を取り直して、メリルが両頬を持ち上げた――その時だった。
ざわりと暗い茂みが揺れ、重々しい空気がいきなりメリルに吹き付けた。その衝撃に、腕で顔を庇いながら、メリルは正面を見る。すると暗がりから、揺れる黒い人影のようなものが現れた。だが、よく見ればそれは人ではなく、影そのものだった。真っ黒い影が、人の形をして、そこに在った。禍々しく、邪悪な気配がすると、一目で分かる。全身が総毛立った。
「精……霊……?」
ぽつりとメリルは呟き、目を見開きながら後ずさる。結界があるから王宮に出るはずがないと、聞かされていたし、先程キースも口にしていた。
「っ」
影が巨大化し、メリルの方へと伸びてきた。
襲われかかった時、メリルは精霊を睨めつけて、必死でローベル師に教わった、回避のための呪文を唱える。すると精霊が一瞬だけ、怯んで動きを止めた。
その隙に、メリルは踵を返して、走り出す。
だがすぐに精霊は影を地に這わせ、メリルの足首に絡みついた。強く引かれて、メリルは後ろに倒れそうになる。そこには大きな影が迫っていた。口が出現しており、巨大な犬歯を持つ上下の歯列と、その間に引いた唾液の線、真っ赤な舌が目に入る。
「いや……っ」
精霊の巨大な唇が笑うように弧を描いている。舌が口から出てきて、メリルに迫る。
ギュッとメリルは目を閉じる。
――もうダメだ。喰べられる。
精霊の中でも邪悪なものは、人間を喰べるという話は、ローベル師から聞いていた。
メリルは、震えながらその衝撃を覚悟した。
そして、最後にギルベルトに会いたかったと思った。会いたいと願った。脳裏にギルベルトの笑顔が浮かんできた。
「ギルベルト……」
思わず名前を呟く。目を伏せたまま、睫毛を震わせて。
――ダンっと、音がしたのはその瞬間だった。ハッとして目を開けたメリルは、後ろから誰かに抱き寄せられた事に気づいた。同時に、正面にいた邪悪な精霊が、真っ二つに裂けているのを見た。黒い影が二つになり、メリルが見ている前で霞みのように、闇夜に溶けていく。驚いて横を見上げると、険しい眼差しで正面を見たまま、右手で剣を振って、精霊の残滓を振り落としているギルベルトの横顔があった。左手では、強くメリルを抱き寄せている。
「ギルベルト!」
「メリル、大丈夫か!?」
「う、うん」
思わず両腕で、メリルはギルベルトに抱きついた。まだ恐怖で体が震えている。
「もう大丈夫だ。僕がついている」
「うん、うん……っ」
ギルベルトは優しくメリルを抱きしめ返すと、その背中をポンポンと叩く。
あやすように触れられる内、メリルは次第に落ち着きを取り戻した。なので、ギルベルトの胸板に押しつけていた額を離し、顔を上げる。
「ギルベルト、どうしてここに?」
「――大切な話をしようと思って、探していたんだ」
するとギルベルトの両腕に力がこもった。今度は後頭部に触れられて、ギルベルトの胸板に彼の意思で頭を押しつけられる。左腕では、相変わらずメリルは背中を抱きしめられている。抱きしめられている事を、漸く意識したメリルの心臓は、ドクンドクンと煩くなった。ギルベルトの胸に額を押しつけているせいで、聞こえてしまったらどうしようかと怖くなる。
「心配した。本当に無事で良かった」
「どんなお話? その……私も話したいことがあって」
メリルは、今こそ告白する最後のチャンスだと思った。結果が失恋確定だとしても、やはりこの想いを大切にしたいから。
「実はな、僕は――もうずっとメリルを前にすると、余裕が無くなっていたんだ。だから、酷い態度をとってしまったりした。まずはそれを謝りたい」
それを聞いて、メリルは苦笑した。己には、最初からギルベルトに対する余裕なんて、欠片も無かったからだ。一目惚れしてからずっと、大好きなギルベルトを前にすると、余裕は常に消失していた。ギルベルトが自分に対して余裕が消失したのは、星叡の日が迫っていて、焦っていたから、秘宝の持ち主の自分を見ると余裕が消えたのだろうかと考える。
「悪い、遅くなった! それに本当に悪かった! 結界が破られていることも、邪悪な妖精が入り込んでいることも、俺は聞いていなかったんだ。護衛として、合わせる顔も無い。ギル様、いいや、なによりメリル、本当にすまな――」
走ってきたキースが、そこまで言いかけて立ち止まった。
抱き合ったままで二人が顔を向けると、キースが顔を背ける。
「悪い、悪いの連続で、本当に悪い。邪魔をしたな。庭園の入り口で待ってる」
「そうしてくれ」
ギルベルトの声に何度も頷き、キースが踵を返した。メリルが目を丸くしていると、ギルベルトが苦笑した。そして己の額を、メリルの額にこつんと当てる。
「話を戻したい。聞いて欲しいことがある」
「うん。私もなの」
「――そうか。ああ、先に聞かせてくれ」
「あのね、私……」
メリルはそう言うと、一度言葉を区切って、唾液を嚥下する。
そしてじっと、金色に変わったギルベルトの目を見た。
告白する時は、笑顔と決めていた。少しでも、ギルベルトにとって、明るい思い出になって欲しいからだ。
「ギルベルトの事が好きなの。知ってると思うけど、大好きなんだよ!」
メリルが大きな声で述べると、ギルベルトが息を呑んだ。
そしてすぐに破顔すると、強く強くメリルを抱きしめる。
「そうか。メリルの気持ちが変わっていなくて良かった」
「え?」
「僕の話も、同じ内容だ。僕は、メリルが好きだ。愛してる」
「えっ……?」
まさかの返答に、メリルは唖然とした。
「だ、だって! そんな様子、全くなかったよ? え!?」
「気づいたのが最近なんだ。でも、今は断言できる。メリルが好きなんだ。僕と結婚して欲しい」
ギュッとギルベルトの腕に力がこもる。メリルは、ギルベルトが思いを返してくれたのだから、即ち両思いになったのだから、余計な事を考えるのは止めにした。身分だとか、村に帰るだとか、なにもかも取り置くことに決める。ただ今は、幸せを噛みしめたい。
「本当!? 絶対!? 私のこと、好き?」
「ああ。大好きだ」
「どのくらい!?」
「……どのくらいとは?」
ギルベルトが、少し困ったように、腕はそのままに体を離してメリルを覗きこむ。
「私は、世界で一番、ギルベルトが好きだよ!」
「ああ、なるほどな。僕は、他の誰とも比較できないほど、順番などつけられないほどメリルが好きだ。僕の方が、メリルを好きだと言うことだな」
「え? え……? それはないよ。私ほどギルベルトを好きな人はいないもの!」
メリルの言葉に、ギルベルトの口元が綻ぶ。それから声を出して笑ったギルベルトは、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「ずっと、そばにいて欲しい。だから、これからも、王宮にいてくれ」
「うん! 私もギルベルトのそばにいたい」
見つめ合って、二人は頷き合った。
こうして気持ちを確認し合った二人は、手を繋いで夜の庭園を出る。
すると薔薇のアーチの外に、キースが立っていた。そして恋人繋ぎをしている二人の手を見てから、冗談めかした空気で溜め息をつく。
「やれやれ、俺は失恋かぁ」
「悪いな、キース。メリルは渡せない」
「はいはい。見ていれば分かりますって。脈も全然無かったから、俺も途中から諦めてましたし――しっかし、余裕の無いギル様なんて、俺は初めて見ましたよ。嫉妬したり、今も誰よりも早く駆けつけたり」
キースの言葉に、フッと笑ってから、ギルベルトは頷いた。
「それだけメリルへの愛が深いということだ」
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