第13話 ギルベルトの苛立ち
執務室に帰ったギルベルトは、左肘を執務机につき、左の掌に顔を預けて、眉間に皺を寄せていた。本当は、あんな事を言うつもりではなかった。メリルが頑張っているのは、ローベル師からの報告で、よく聞いていた。己の修行時より、習得速度だって速いと知っている。だが。
「なんでこんなにイライラしているんだ、僕は……」
過去、このように感情が騒いだ事など、一度も無い。苛立った事が無いとは言わないが、それを感情的に表に出したり、八つ当たりじみた言動をした事は、少なくとも無かった。
瞼を閉じ、大きくため息を吐く。
それでも――今もまだ、苛立ちが収まらない。
脳裏に浮かんでくるのは、キースと楽しそうに話しているメリルの姿だ。
何故? 何故楽しそうにしているんだ? 君は俺のものだろう? と、いうような感覚に苛まれている。だが、ギルベルトはよく知っている。自分に一瞬で惚れた以上、メリルは大変惚れっぽいと考えられる。そして、キースは非常にモテる。容姿もさることながら、気さくな性格と言動で、王宮中の女性が好感を持っていると言える。出自など無関係で、貴族の女性も憧れの騎士として挙げるほどだ。その性格と、やる時はやる実力が好ましくて、ギルベルト本人もいつの間にか、親友と言える仲になっていたのだが――事今回に限っては、キースに対しても苛立ちが止まらない。
キースは非常に面食いだ。そして、メリルは可愛い。少なくともギルベルトはそう思う。メリルのようなふんわりした女性が、キースの好みだと言うことは、友人であるからよく知っている。キースの過去の彼女は、皆メリルのような雰囲気の持ち主だった。
実際、歩みよる時にキースの話が耳に入ると、『可愛いな、メリルは』だの『俺と付き合う気にはまだならないのか?』だの、『俺はメリルが好みだなぁ』だのと、明らかに口説いている様子だ。メリルはそれをニコニコと聞いている。嫌がる素振りも拒絶する素振りも無い。メリルは、とっくに心変わりしている可能性がある。
ダンっと、気づくとギルベルトは、思わず右手で机を激しく叩いていた。
握った拳が、非常に痛みを感じる。すると今度は、怒りの他に、空しさまでこみ上げてきた。そのため、両手で頭を抱えて、目を開ける。
「気づくのが遅すぎたな、僕は」
緩慢に瞬きをしながら、ギルベルトは考える。これだけ激情に駆られているのだから、もう自分の気持ちの名前を、正確に判断している。これは、恋だ。いいや、愛だ。
悔やまれてならない。偽りの、上辺の優しさだったとは言え、メリルは自分を一時は好きになってくれた。どうしてその時に、手を伸ばさなかったのか。手を離してしまったのか。ため息が止まってくれない。
メリルは何も悪くない。なのに、先程の己の言動はなんだ? 幻滅されたのは自分の方ではないのかと、ギルベルトは後悔して唇を噛む。胸があんまりにも苦しくなったから、両腕を組んだ。しかしいくら胸板を圧迫しようとも、心は痛いままだ。
「メリルはもう、僕を好きじゃないだろうな」
左手の指輪を見ながら、ギルベルトは自嘲気味に呟いた。
しかしその、深い赤の宝石の煌めきを眺めていたら、いつも前向きで明るい、向日葵のようなメリルの笑顔が脳裏に浮かんだ。
「――そうだな。メリルは、いつも努力していたな。今度は僕の方こそが、メリルに好きになってもらえるように努力するべきだ」
落ち込んで、そのまま、諦める、なんて――無理だ。
絶対に無理だ。メリルが好きでたまらないのだから、その気持ちに誠実でありたい。
今度は強く真剣な眼差しを指輪に向けて、一人ギルベルトは誓う。
「メリルに伝えたい。俺の愛を」
星叡の日まで、あと三日。
魔法陣の起動に成功したら、その時こそ。
それまでは、やはり精霊対策、精霊王の封印の監視を最優先にしなければならない。だが、それが落ち着いた、その時は。この想いをメリルに伝えようと、ギルベルトは決意した。フラれたって、構わないではないか。諦めない――それを、誰でもなくメリルから、教わったのだから。そう考えると、自然と笑みが浮かんできて、ギルベルトは口元を保殺させた。
そこへ、ノックの音が響いた。
「入れ」
ギルベルトが告げると、騎士団に所属する術師が静かに扉を開けて、入ってきた。
「殿下、精霊王の封印に関して、古文書から分かったことがあり、ご報告に参りました」
「なんだ?」
「王宮地下の魔法陣を起動した段階で、封印は自動的にかけ直されるそうです」
「なに? 事実か?」
「はい。ですが……悪い話として、既に精霊王の配下だった邪悪な力がある精霊が、数体、封印から漏れ出し、外に逃れたようです」
「居場所の特定は?」
鋭い眼差しで、ギルベルトが語調を荒くし言葉を放つ。
「出来ておりません。ただ、王宮の結界の一部が破損しているのが見つかりました」
「なんだと?」
「少なくとも一体は、王宮の敷地内にいる可能性がございます」
「そうか。王宮に配置している全術師に……いいや、扉の番人の末裔以外に通達してくれ」
迂闊にメリルに話して、危険に巻き込みたくはないと、また心を煩わせたくないと、ギルベルトは考えた。私情ではない。彼女は、魔法陣を起動するまでは、絶対的に守らなければならない存在だ。
古文書には、始祖王の末裔と、最も親しかった術師の末裔、それぞれの血を引くものでなければ、魔法陣の起動は不可能だと書いてあった。その二名が、誓いの元、魔法陣を残したのだという。数いる術師の祖先の中で、その者は特別だったそうだ。だからこそ、親愛の証として、秘宝が授けられたのだという。それこそが、メリルの先祖だ。
「畏まりました」
「邪悪な精霊の数の把握と、位置の特定も頼む。討伐には、僕が出る」
「承知しました」
その後、知らせに来た術師は退出した。
――ギルベルトは、誰よりも力のある術師であり、剣士だ。王族たるもの、率先して討伐を行わなければならない。それは父である国王陛下も、若かりし頃に行ってきたことであるし、まだ幼い弟も既に修行を始めている。王宮に嫁いだ王妃である母も、現在は術をある程度習得しているから、万が一の際は、一人でも逃げることが可能だ。
「あと三日……」
たった三日であるのに、それが無性に長く感じる。その間に、精霊王が外へと出てしまったならば、魔法陣を起動する前に、王国だけでなく、大陸全土が闇に飲まれる可能性さえある。
ギルベルトは、祈るような気持ちで両手の指を組み、唇に当てた。
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