第12話 術師の末裔
数日、メリルは朱くなったり青くなったり過ごしたのだが、その間ギルベルトは来なかった。嬉しいような、寂しいような、会いたいけれど、遭ったらどんな顔をしたらいいのか。一人で考えたかったから、キースには申し訳ないが、廊下にいてもらった。複雑そうな顔をして、キースは同意し、食事を運んでくる時以外は入ってこなかった。
だがある日、ギルベルトがとうとう訪れた。
「メリル」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
思いっきり舌を噛みながらメリルが返事をする。本日のギルベルトは真剣な顔をしていた。自分の気持ちへの返事が放たれるのだろうかと、メリルの心拍数は極限まで上昇する。
「実は、何故メリルの一族が、番人だったのか判明したんだ」
「――へ?」
全然想像と違った、想定外の言葉に、メリルはきょとんとしてから、何度か瞬きをした。長い睫毛が揺れる。
「創造神と共に精霊王を封印した術師の末裔が、メリルの一族だったんだ」
真剣な声音で、ギルベルトが続けた。
唾液を嚥下し、メリルは必死で平静を保つ。
「古文書から分かったこととして、メリルにもまた、術師の血が流れていると判明したんだ。秘宝を持てるのがその証拠だと書かれていた。だから、メリルにも術師の力が受け継がれているか、調べたい」
「どうやって調べるの?」
メリルが問いかける、ギルベルトが持参した箱から、小さな台座を取り出して、テーブルの上に載せた。そこには、丸い宝玉が載っており、中では虹色の粉のような物が煌めいている。
「これに手で触れると、術師の力があるか否か判別できるそうだ。王宮の宝物庫にあった。触ってみてくれないか?」
「わ、わかった!」
大きく頷き、落ち着こうと一人頷いてから、メリルは右手を伸ばした。
華奢な白い手が宝玉に触れると、その瞬間、球体から光が溢れた。その光はどこか柔らかく見え、とても暖かい。
「やはり、メリルにも術師の素質がある」
ギルベルトが怜悧な目をし、静かに続けた。そちらを一瞥したメリルが手を離すと、光は収束して消えた。
「メリル、術師は複数いて、この王宮にも、幾人かの術師の末裔が仕えているんだ。闇青の森でのように精霊に襲われた時、メリルが一人だったら――そう考えると、精霊に襲われた場合に備えて、メリルにも術師としての訓練を受けて欲しい。身を守るために。キースや僕が、必ず守るつもりだ。だが、万が一のこともある」
真剣なギルベルトの声音を耳にし、メリルはこくこくと頷く。
――確かに、守られるだけでは駄目だもの。そう、じっくりと考えた結果だ。
「私、頑張るよ」
「ありがとう、メリル」
「ううん。自分のためだから、お礼はいらないよ」
「そうか」
メリルの声に、ギルベルトが優しい顔で笑った。最近は、旅路の頃よりも、ずっと暖かい笑みが増えたように、メリルは感じている。その表情が、メリルは好きだ。
「早速術師の元に案内する」
そう述べて、ギルベルトが立ち上がる。指にきちんとレッドベリルの指輪がある事を確認して嬉しくなりながら、メリルもまた立ち上がった。
その後案内されたのは、王宮の二階にある騎士団の鍛錬場の一つだった。
主に精霊を倒すのが専門の術師が、ここで訓練を、先達の術師から受けるのだという。
魔法とも錬金術とも異なる、対精霊術を学ぶ者、それが術師と呼ばれるそうだった。
「こちらが講師のローベル師だ」
ギルベルトが紹介してくれたのは、白い顎髭を持つ老人だった。
長身で威圧感があり、叡智を湛えた眼光は鋭い。
だが、口元には笑みを浮かべていた。
「きみがメリルちゃんだな?」
「は、い!」
「鍛錬は厳しいものだが、頑張れるかね?」
「はい!」
ギルベルトに勧められたのだから、絶対に頑張り抜きたいとメリルは考えている。
「では僕は行く。メリルを宜しくお願いします」
そう言って、ローベル師に一礼してから、ギルベルトは歩き去った。
「ギルベルトも、儂の弟子だったんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。先輩に負けぬようにな」
「はい!」
威勢良く、メリルは返事をした。
この日から、メリルの術師としての訓練が始まった。
初日は呼吸法を習い、迎えに来たキースと共にあてがわれている客間に戻ってからは、村で購入したガラスのペンで、覚えたことをノートにメモした。翌日からは、ノートとペンを持参し、その場で必要事項は書き取った。メリルの真面目な姿勢と、実技への真剣な態度に、何度も笑顔でローベル師は優しく褒め、そして次の課題を与えていく。徐々にそれは厳しいものへと変わっていった。だがメリルはめげずに頑張る。次第に上手く出来なくなり、泣きそうになりながらも、諦めることだけはしなかった。
するとある日、ギルベルトが訪れた。
それを見ると、ローベル師が休憩だと声をかけて、ギルベルトに微笑してから、鍛錬場から出て行った。汗をだくだくにかいていたメリルは、ぐったりとしながら、床にへたり込む。そして歩みよってきたギルベルトに、やっと気づいて、慌てて顔を上げた。
「メリル。ほら」
ギルベルトは冷たいタオルを、メリルに渡した。受け取り、ほっと息をつき、メリルは首の汗を拭う。髪が乱れて、肌に張り付いている。次第に呼吸が落ち着いてきた頃、屈んだギルベルトが、微苦笑した。
「頑張っていると聞いている」
「うん」
なにせギルベルトに勧められたのである。頑張らないわけにはいかない。
ギルベルトがいてくれると思うと、頑張る事が苦にはならない。
ギルベルトがいるから、メリルは、自分が頑張れるのだと感じている。
「メリルは偉いな。本当に凄い。君にこんなに根気があるとは――知ってはいた。旅路でも決して弱音を吐かなかったからな。メリルは頑張り屋だと僕は思う。本当に、メリルは凄い」
その言葉を聞いて、メリルは目をまん丸にした。
褒められた。ギルベルトに褒められた。その事実に動悸が始まる。胸がドクンドクンと鳴り響き、疲れなんて吹き飛んだ。
――メリルは考える。まだ、告白こそしていないが、自分の気持ちをギルベルトは知っている。ギルベルトは、何も答えてくれないし、あの日の言葉に触れる事もしない。けれど、だ。メリルが、ギルベルトを好きだと知っていて、このように優しくしてくれるわけで……もしかしたら、これは、脈があるのでは無いだろうか? と、どうしても考えてしまう。
ギルベルトは元々優しい。けれど、メリルの気持ちを知った今も優しい。
思わずメリルは、前向きに考えてしまう。ギルベルトも、自分の事を好きなのでは無いかと。そうすると思わず照れて、実技での体の熱とは異なる、羞恥からの熱で、頬が熱くなってきた。
「メリル? どうかしたのか?」
「う、ううん。なんでもないよ」
メリルは慌てて笑顔を浮かべて誤魔化した。
「そうか。悪い、もう行かなければならないんだ。また来る」
こうしてこの日は、短時間だったがギルベルトは会いに来てくれたのだった。
以後も毎日、メリルは修行を続けた。
少しずつ、一歩ずつ、術を覚えていく。まだまだ初歩の初歩の段階だそうで、精霊を倒すのは困難だと言うが、逃げる事はもしかしたら出来るかもしれないと、ローベル師が言っていた。本来であれば、この段階になるまで半年はかかるところを、メリルは短期間に学び終えている。メリル本人には自覚が無いが、才能があるのは間違いなかった。あとは、やる気がずば抜けていた。ただしその動機は不純で、ただ一心に、もっとギルベルトに褒められたいだけだった。
それを、護衛のキースは、壁際に立って眺めている。
「メリルはすごいなぁ。よくそんなに頑張るな。俺には無理だわ」
キースもまた褒めてくれるのだが、メリルはそれには反応しない。だが笑顔で会話はするし、それは弾む。
「頑張らないとね。ギルベルトのために!」
「……へぇ。妬けるな」
「どうして?」
「メリル。お前、鈍いって言われないか?」
「あんまり人に会ったことがないから、特に言われたことは無いかな。自分では、どちらかといえば鋭いような気がしてる!」
「その自己認識は、早急に改めた方がいい」
呆れたように、キースが言った。それから気を取り直したようにキースが笑顔を浮かべる。
「今日の昼飯はなんだと思う?」
「なぁに?」
そんなやりとりをしていると、歩いてくる気配がした。何気なく振り返ったメリルは、ぱぁっと表情を明るくした。訪れたのが、ギルベルトだったからだ。
「調子はどうだ?」
微笑してギルベルトが問う。
「うん。すごくいいってローベル先生が言ってくれたの」
「そうか。頑張っているんだな。では僕はもう行く」
「えっ……あ、うん……」
最近のギルベルトは、一言声をかけると、いなくなってしまう。忙しいのだろうかと、メリルはその度にしょんぼりする。
「なぁ、メリル? 俺にしとけよ? な?」
「……」
メリルはキースの言葉が耳にまるで入っていなかった。
それからも、数日おきにギルベルトはやってきた。だが、笑顔で一言ではなく、無表情で一言の日が増え、本日など呆れたような、苛立つような、そんな顔でメリルを見た。直前までキースと笑顔で話していたメリルは、振り返ってギルベルトを見て、泣きそうになった。何故なのか、ギルベルトが怒っているように見えたからだ。
「術師として、やっていけそうなのか?」
「え、っと、ローベル先生は……まだまだ、だって……」
「それなのにお喋りに興じているとは、随分と怠慢な様子だが?」
「そ、その……」
確かに休憩を、長く取りすぎかもしれない。褒められるどころではなく、呆れられているのだと、メリルは感じた。
「それで? 恋だの愛だのとうつつを抜かして? 暇そうでなによりだ」
「!」
「幻滅した」
彼の言葉に、思わず口ごもったメリルを睨むように見てから、その後は何も言わずにギルベルトは帰って行った。
「……」
メリルは沈黙して、俯いた。呆然とする。
ギルベルトに……嫌われたのかもしれない。自分の気持ちを知っているんだから……迷惑に思われているのかもしれない。幻滅したと言うことは……そういう事なのではないのだろうか。そう考えると全身が震え、涙がこみ上げてくる。
すると歩みよってきたキースが、ポンとメリルの肩を叩いた。
「気にすんな。お前が頑張ってるのは、誰よりも近くで見てる俺が知ってる」
その言葉に、何故なのか苦しくなって、いよいよ本格的に涙が溢れてきた。
そのまま静かに泣き出したメリルのそばに、無言で苦笑しながら、ずっとキースが立っていた。キースもまた、ギルベルトとは異なるが、本当に優しい人だと、メリルは考える。でも、本当はギルベルトにそばにいてもらいたかったし、ギルベルトに褒められたかった。ギルベルトに、優しくされたかった。けれど。
「ギルベルトに嫌われちゃった……」
ポロポロと泣きながらメリルがいうと、キースがため息をついた。
「敵に塩を送るという古の言葉の気分だけどな――そんな事は無いと思うぞ?」
「どうして?」
「あれは、嫉妬だ」
「え?」
「俺とお前が楽しく話してるから、ギル様はイラッとしたんだと思うぞ」
「どうして?」
「……だから、嫉妬だ」
「嫉妬って、どんな感じ? 私、周囲に人がいなかったから、嫉妬ってあんまりよく分からなくて」
「んー、自分のものを取られたくないってところか?」
「キースは泥棒だったの?」
「そうじゃないけどな! あー、説明が難しいな。とりあえず、俺が側にいてやるから。落ち着け」
キースはそう言って、メリルをずっと慰めてくれていたのだった。
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