第十一話 バトル!
『終点~レインフィリア~レインフィリア~』
車内放送と共に列車はゆっくりと駅舎の中に入っていく。レインフォビア駅は王都のグラン・クロス駅とまではいかないが、複数階層構造になっていて一階に列車ホームがあり二階に駅舎がある構造になっていた。今のレインフォビアの人口に比べると豪華なものになっている。ホームは完全に屋根に覆われているため雨が入ってくることはない。
列車から降りるとまず、真っ先に耳に飛び込んでくるのは雨が駅舎の屋根を、地面を打ち付ける轟音だった。ザァーっという擬音では表しきれない。もはや大声で耳元で話さないとまともに会話できないレベルだ。
「これが話には聞いてましたが! レインフォビアの雨!」
「ああ! 相変わらずすごい音だ!」
イヨはすぐに駅舎に上がるための階段に向かって歩き出した。列車から降りたクレアと会いたくなかったからである。また会ったらどんなめんどくさいことが起こるか想像したくなかったため、キャリーケースを引きずりながらサクサク歩いて行った。
階段を上るために無詠唱の身体強化魔術を掛けて、荷物を小脇に抱えて階段を走り抜ける。途中、階段の壁に貼ってあるポスターが目に入る。そこにあるのはイベントの開催日時や、旅行を提案するような、駅によくあるものだがそのどれも日付がおよそ二十年前で止まっている。経年劣化も目立つものも多い。
階段を登り切ると、開けた空間があったがそこには誰一人いなかった。雨音だけ聞こえてくる中で、『レインフォビアへようこそ!』の文字が痛々しい。それによく見るとフォビアの文字は他の文字を黒塗りして上から書かれたものだった。
誰も灯りだけが煌々と照らしているのに、誰もいない空間がイヨはほんの少しだけ怖くなってしまった。
「どうしたこんなところで止まって。早く行くぞ! 俺もアイツらに会いたくねえ」
遅れてやってきたキッドに自分の心を見透かされたことによる恥と自分と同じ仲間がいたことによる安堵という複雑な感情を抱えながらキッドのの後を追った。
「こっちに着いてからどうするか、私なんにも聞いてないんですけど」
「そうだな。まずはこっちの除霊協会支部に顔出して……今日の宿か。一応目星は付けてんだが、この有様だしまだやってるかどうか」
「あの、ずっと聞こうと思ってたんですが、前に来たことありますよね?」
「あー……まあ、そうね」
「前っていつですか」
二階の駅舎は壁が厚いのか、一階ほどではないが声を張らなくても声が届くため、イヨの低い声もよく通った。何か背筋を凍らせるようなイヨの気配に押されてキッドもつい答えてしまう。
「前って言っても、ついこないだだよ。二十年くらい前?」
「全然ちょっとじゃないでしょ……」
寿命を超越した幽血種ともなれば、人間とは違う時間間隔で生きているんだろうか。しかし、イヨの中で二十年前という年月になにか引っかかりのようなものがあった。レインフォビアでおよそ二十年前、何か重大な出来事があったということをどこかの資料で見たような……
「ならすぐに行きましょう。ここで止まってたらクレアたちが来ちゃいます」
急かすように先導するイヨを追うように、キッドもついて行く。二人は駅舎の中を歩いて行く。イヨは初めてくるはずだが、出口の標識を頼りに次々に進んでいく。
「……」
やがて改札に着いた二人は、やけに手入れだけはされている無人改札機を通りレインフォビアの街に繰り出す。すると室内から屋外に出ると抑えられていた雨音が耳に突き刺さるように響く。
「なにこの雨……」
「これが常雨の街レインフォビアだ」
今まで経験した豪雨がすべて小雨に感じられるような、経験が塗り替えられるような感覚。大粒の雨がまるで弾丸のように絶えまなく降り注ぐ。試しに手を屋根の外に出してみると、高圧の水を常に浴びているような圧迫感が肌全体を叩いてくる。
「いたっ!?」
「レインフォビア名物、弾丸雨。生半可な傘は一瞬で貫かれる。ここで差すなら金属製の傘じゃないとダメなんだ」
「なんですか金属製の傘って」
「たぶん売店に置いてると思うんだけど……ないな」
記憶通りなら観光客用に、金属製傘を置いている売店があるはずなのだが、駅構内を軽く見渡してもそれらしきものはなく、かつて店があったと思われる場所にもシャッターが閉められていた。
『――!』
「「この声は!」」
イヨとキッドが歩いて来た方向から、やけにテンションが高い甲高い声が聞こえてきている、もしかしなくともクレアがイヨを探している声だろう。
「ちょ、早くいきましょうよ!」
「待て待て、ちゃんとローブを着とけ。そんな傘は役に立たないって言ったろ」
キャリーケースから持ち込んだ折り畳み傘を広げようとするイヨを制止するキッド。いつの間にかキッドは大きなフードを頭まですっぽりかぶっていた。
「はぁ? あんなボロ布がなんの役に立つんですか……」
「ボロ布ってお前一回も袖を通してないな? ったく……予備を貸してやるからあとで返せよ」
そう言うや否やキッドは、どこからか取り出した銀色のバッジをイヨの首元に押し当てた。それは頭文字エルをアレンジしたレクエルム除霊事務所の紋章を象ったバッジだった。
「ちょ、どこ触って――」
言い終わらないうちに、自身の身に起きた変化にイヨは言葉を詰まらせてしまった。首元に付けられたバッジを中心にローブが展開し、あっという間にイヨの身体をボロボロのローブが包んでしまった。
『起動完了……非登録者臨時使用状態に移行。生体魔力認証……登録。機能解除段階は低級を設定』
「だ、誰!?」
突如聞きなれない女性の声が聞こえて、イヨの身体は跳ね起きた。しかし周りを見てもイヨとキッドしかいない。すると全てこのローブの仕業ということになる。
「お前の頭に直接語り掛けてるから、他の人には聞こえねえよ。それは俺の予備用だから機能は制限されるけど今は十分だ。とにかくフードを頭まで被れ、行くぞ」
「え、ちょ、待って」
言われた通りに頭が三つは余裕で入るほど大きいフードをすっぽりかぶる。こんなものを被っていては視界の邪魔になるじゃないか……と思った矢先。フードの内側が完全に透けて通明になりまるで被っていないのと同じ状態になった。それどころか視界前方に光の画面が映し出されて本来視えるはずのない真後ろの景色や、現在自分がいると思わしき場所の地図が表示される。
現在フードを被っているかどうか判別できるように、フードの輪郭だけ光で表現されているが、ほとんど透けて透明になっているため視界の妨げにはならない。
「よし、最初はその映像に戸惑うかもしれないけど慣れれば便利だから。そのまま行くぞ」
「あ、待って!」
傘もささずに躊躇なく外に踏み出したキッドを、ほんの少し抵抗を感じながらも外に踏み出す。
『気象状態を感知、体温維持と防水を実行』
「わっ! 急に喋るとびっくりするって」
視界に移された情報に、体温維持と防水機能を実行するという文字が映し出されて、残魔力量という数字が少しずつ減っていき、およそ何分後に魔力が尽きるかという時間まで表示されている。
「あったかい……」
レインフォビアは王都よりも肌寒い気温となっており、外に出た瞬間、上着をさらに着るか迷っていたところだった。しかしこのローブはそんな状態でも活動に支障をきたさないためにローブ内を自動で適切な温度に保つために加熱冷却する魔術が施されている。
さらにこの街で過ごすためには欠かせない防水機能だが、はっきり言ってイヨはその防水性能の高さに驚いていた。まずあれだけ肌に突き刺すように降っていた雨の間隔がほとんどなくなっている。水がローブを浸透して中の服まで濡れないのは当然で、ローブも穴やツギハギがあるのに中は全く濡れていない。
さらにローブの範囲外にある足まで、完全に水たまりの中に突っ込んでも中まで水が浸水することはなかった。
防水や撥水に関する魔道具は一般品として流通しているが、ここまで質の高い防水を発揮するものはほとんどないか、あったとしても庶民では手が届かない高級品でもない限りお目にかかることはできないだろう。
「凄すぎでしょ……」
『言ったろ? あまりにも高性能すぎて見た目ボロくしとかないと窃盗とかに逢うからな』
「ひゃっ!?」
ローブの音声と同じようにキッドの声が頭の中に直接鳴り響く。
「急に話しかけてこないで! というか私の頭の中に入ってこないで!」
『うるさいな、その辺の設定は自分のローブでやれ。それより急ぐぞ、のんびり観光してる理由もないし』
そう言うや否や一方的に通話を切られ、前方を歩くキッドが突然走りだす。まるで矢の如くすっ飛んでいくキッド。その急加速によってみるみる姿が小さくなっていく。しかし、視界の端に映し出されている周辺地図に光る点としてキッドが映っているため見失うことはなかった。
「ちょっと待って……私も……あれ」
いつものように身体強化魔術を掛けようとするが、掛からない。魔術の起動が遅い。思いかえせば列車のときから感じていた魔術の違和感がどんどん強くなっている。
「(なんなの……魔力炉の不調? 魔術回路に不具合が起きている? 深層域に問題が? 原因は何)」
『移動補助、脚力補強、起動』
「うわ!?」
まともに身体強化魔術を掛けられないイヨを見かねたのか、ローブ側が自動で魔術を発動する。一歩踏み込むだけで、移動する距離が伸びる身体強化魔術特有の現象が起きて、景色がどんどん後ろに流れていく。
「なんなのよこれ……」
自分は一切の魔力消費無しで、魔術を行使できる。確かにこれだけ高性能な機能が詰め込まれた魔術師ローブならば盗難被害を受けた際のダメージが大きいだろう。できるだけ見た目をボロくして盗まれにくくしているという気持ちも分かるものだ。
なんてことを考えながら走って追いかけていると、突然キッドが立ち止まっていた。危うくぶつかりかけたところで、なんとか止まり文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけた瞬間、キッドが纏っている雰囲気がいつもと変わっていることに気が付いた。
「……助手、ローブをしっかり着こんで俺から離れるなよ」
「え、何が……」
言い終わらないうちにイヨも気付いてしまった。キッドが見ている方向に視線を向けると、道の先の一角だけ異様に雨の密度が濃い場所があった。その場所だけ、向こう側が見通せないほど雨が降っているせいで、さながら雨のカーテンが差しているようだった。
「あ……」
そのカーテンの中にポツリ、と浮かんでいる人影があった。それは大人の男性ほどの大きさで、その姿は雨で隠れているため見れないがその正体を探るまでもなく、直感で分かってしまった。
その高すぎる霊感受能力によって、否応なく理解させられる。目の前に浮かんでいる人影が人間ではないこと、直視するのも憚られるような膨大な霊素を持った凶悪な霊であるということを。
それと同時に、町中にサイレンが鳴り響く。空を見上げると至るところに伸びた棒に発音機が取り付けられており、けたたましくなるサイレン。それはレインフォビア全域に届いている。
「これは……」
「どういう意味かは知らねえが、緊急事態ってことは確かなようだな」
キッドはすでに光剣の柄を握っていた。まだ起動装置は押していないため、ただの棒だがいつでも剣を出せる状況にしていた。
「あ、あれが『雨降りレイニー』……」
イヨは完全に戦意を折られている。無理はない、学生の身分ということを加味してもほぼ初戦であれが相手は、相手が悪すぎる。あの影が現れた瞬間から、周辺の雨に多量の霊素が含まれ始めている。そのせいで霊素を探知する系統の魔術などが封じられる。
これが雨降りレイニーが除霊困難と言われる理由の一つである。
「(確かに二十五年前に感じた霊素と一致するが……あんな見た目ではなかった。もっと――)」
以前闘った時に感じた気配を思い出す。
血に刻まれた雨降りレイニーの記憶を探ろうとしていた瞬間、前方から殺気が膨れ上がったのを感じた。
「……よっと」
「キャア!?」
ぼさっとしているイヨのローブの首元を掴んで思い切り後ろに跳躍する。すると、直前までキッドとイヨが立っていた場所に雨が降る。
いや雨自体は元から降っているが、雨の強度が違う。強い衝撃が地面にぶつかった音と共に、地面には無数の穴が開けられていた。ほんの一瞬だが、強力な霊素が含まれていた雨が数滴混じっていたのを感じた。
「何今の……?」
「集中しろ、通常の雨に紛れて強い霊素を含んだ雨が混じってる」
「えっ?」
イヨは今の回避行動に気を散らしただけで、攻撃には気づかなかったようだ。しかし額面上のイヨの素質ならば確実に感知できるはず。キッドはこれはいい機会だと踏んで実践的教育をつづけた。
「大抵のやつは周りの雨に気が散って、本命の当たってはいけない雨に気がつけない」
「こ、この雨の中から触れちゃいけない雨粒を選別しろってことですか!?」
「そうだ。それができない奴から死んでいく」
イヨは絶句していた。雨降りレイニーという霊の規格外さに。そりゃあ何十年も誰も除霊できないわけである。降る雨から触れてはいけない雨を瞬時に判断しながら戦えなんて人間業ではないだろう。
「(そもそもやろうと思えば全面触れてはいけない雨で埋め尽くすことができる以上本気ですらないんだけどな、コイツ)」
なんてことを思いながら、頭上から降ってくる触れてはいけない雨を素早く選別して躱していく。その動きにイヨは完全についていけず、ただ首根っこを抱えられて運ばれているだけだった。
「ちょ、ちょっと! 離してください!」
「いいよ、やってみ。ただし魔術は使わずにな」
ひょい、と彼女を地面に放りだす。仮に避けられなくとも三発ぐらいはローブの機能で耐えられるだろう。そう思って彼女の実力を試してみることにした。
「コツは霊素探知の精度をあえて――」
「うるさい!」
「あ、そう」
コツは霊素探知の精度をあえて落とすこと。相手は雨を避けるために視覚ではなく、霊素探知の能力を使うということを知っている。それを前提として頭に入れた上で行動しなければならない。
「私だってそれくらいできます!」
イヨは放りだされてすぐに、霊素探知の精度を高めた。雨を攻撃媒体としている以上、雨に含まれる含有霊素の量を把握すれば攻撃を避けることができる。
最高峰の霊感受能力と、最高の頭脳を持った彼女はすぐに流れ込んでくる膨大な霊素の情報を処理していく。
「(私の周囲に浮かぶ雨粒は765個、それがおよそ秒速15メートルで落下している。その中に含まれる霊素の量から危険なものだけを選別していけば――)避けられるっ」
雨の中、体を前後左右に動かしながら、雨を躱し続ける。こうやって霊素探知を続けて雨を選別していけば――
「ぐえっ!?」
背中に強い衝撃がぶつかる。ローブのおかげで傷害はないが、身体を貫く衝撃は消せない。肺の空気が全て押し出される感覚で一瞬だけ呼吸が止まる。
「なん、で……」
視界に映し出されている情報には、背中の右上部に攻撃を受けたことが人体模型を使って示されており、保有魔力が防御と修復に使われているのがわかる。その残量からするとおよそあと二回攻撃をくらえば、ローブの魔力が付きイヨの身体は雨の攻撃によって破壊されるだろう。
「はぁ……はぁ……っ、なん、で……?」
霊素探知にぬかりはなかった。一粒一粒まで完璧に精査して、ふるいにかけていた。情報処理速度も完全に雨の落下速度を上回っており、攻撃をくらう理由はなかった。
「(あと二回、ってとこか)」
イヨのローブは緊急用にキッドが貸したもの。所有者であるキッドにはイヨのローブの状態が随時共有されている。それによってイヨがあと何回攻撃を受けられるのかを把握することができるのだ。
何が起きているのかよくわかっていないイヨ。背中を襲った激しい痛みの次に訪れるのは、未知の攻撃に対する恐怖だった。自分の判断や技量では敵の攻撃を知覚できないのなら、対処はできない。無防備をさらしていることになって――。
「ぐぅ……!?」
ただ突っ立っているだけでは攻撃を食らうだけだと判断して、とにかく体を動かす。脚に力を込めて、走る。追いかけるように重い雨が地面を削ってくる。このまま動き続けていれば当たらないのでは――
なんて甘い考えが通用するはずもなく。
「ウ”ッ!?」
ガン、と強い衝撃が頭部に直撃する。ローブで守り切れない衝撃が頭の先から全身に突き抜ける。視界が一瞬白飛びし、感覚がなくなる。気が付けば地面が目の前に迫っていた。
ローブの含有魔力が一気に減り、残り一割ほどまで持っていかれてしまった。ローブがなければ完全に肉体を破壊されている一撃だった。見た目はおろか、雨に含まれた霊素の量を見ても、触れてもいい雨かどうか判別できない。これではレイニーと相対するに値しない。
「どうすれば……」
――考えろ。考えるんだ。持っている全ての知識と知恵を使って答えを導き出せ。あの人は実際にできているんだ、私に出来ないはずがない、できると思っているから「やってみろ」なんてことを言ったのだから。
イヨは改めて雨降りレイニーと思わしき影と、周囲の状況について整理する。まず影が用いる攻撃手段は今のところ一つ。周囲の雨に混ぜて、まるで弾丸のような衝撃を与える雨を降らせる。その雨は見た目、速度、霊素探知を使っても判別不可能。普通の雨となんら変わらない。
判別する方法がなくとも明確に避ける方法は存在する。現に視界の端で、ボロボロのローブを着た黒髪の男が口笛をして、目をつむりながら踊るように身体を動かして触れてはいけない雨を躱し続けている。私とあの人何が違うのか、何をもって判別しているのか。その答えの糸口は、やはりキッドにあるとみてイヨはキッドのことを注視した。
その瞬間、全身を駆け巡る悪寒が背筋を粟立たせる。その直感に従って身体を思い切り前方に投げ出すと、直前まで居た地面が爆発た。固い石でできた地面が、蜂の巣の断面図のように穴だらけになっている。もし自分がその場所に居たらと思うと、冷や汗が止まらない。
「でも、今確かに避けられた……」
この直感が、雨降りレイニーの影と戦うための鍵になるという確信があった。その直感の正体を見抜かなかければ、戦うという土俵にすら立てずに穴だらけにされて死ぬ。彼女は攻撃によって中断しかけた思考をさらに回していく。
「(どうする、どうする、どうする……霊素探知でもダメだというのならどうすればいいの!? そんな例外、教科書に乗ってないでしょう!?)」
まるで八方ふさがり、今のイヨには打開手段を持ち合わせてはいない。キッドから魔術の使用を禁じられている、ただでさえ最近魔力の調子が良くない。魔力の使用を禁止されようがされまいが、もとより魔術を使う気はなかった。
では、魔術無しでどうやって渡り合えというのか。まさか気配を察知しろなんて、常軌を逸した能力を開花させろ、なんて無茶ぶりを言いたいわけでもない……と思いたい。
「今の私の手持ちだけで確実に、判別できる方法がきっとある……」
「(そうだ。あとはお前が気付けるかどうか、だ)」
魔術を除いたイヨの探知手段を改めておさらいする。
視覚、目で見たところで他の雨と変化はないので却下。それに魔術無しでの動体視力では落ちてくる雨を見極めることはできない。
聴覚、視覚同様無強化の聴覚では雨音の判別不可能、これも却下。
魔力探知、この雨の攻撃には魔力が使われていない。調べたところで何も反応は返ってこないのはすでに実行済だ。
そして、霊素探知。人類最高峰の霊感受能力を持つイヨは、霊素探知能力も最高精度を持っている。霊と交戦するときはこの探知能力を使用するのが不可欠。この感覚を使わずに霊と戦うということは、あ
「(ちょっと待って、今何か気に止めなくちゃいけないものがあった気がする)」
その時、再び危険信号を本能が拾う。イヨは疑うことなく、移動する。間一髪直撃は避けるが、ローブには雨が当たってしまった。修復のための魔力が削られ、ついにほとんどの魔力が底をついてしまった。
『
ローブに搭載されたあらゆる安全機構や便利機能が軒並み停止し、雨から身を守ってくれていた防水機能まで停止する。そのおかげで今まで感じなかった雨が体に当たり、肌を押す感覚を感じる。
そして靴の中まで浸水し、靴下が濡れる。
ついに後がないところまで来ている。魔力もなしで攻撃を受ければ即死。学園では教わらない命のやり取りを体験している。
「そうだ、あのときアイツは――」
『コツは霊素探知の精度をあえて――』
その言葉の続きはイヨ自身が遮ってしまったので、聞くことはできない。今更答えを聞くのもなんだか自分に負けたような気がして咎められる。こんな状況でそんなことを言っている場合でもないかもしれないが、自力で答えにたどり着けなければ次につながらないだろう。
「(コツは霊素探知をあえて、あえてどうするっていうのよ)」
本来あえてというのは前の言葉と逆のような効果を持つときに使う言葉だ。この場合当てはまりそうな言葉は、霊素探知の精度をあえて
なぜなら、過去二回雨を避けることができたのは、全て無意識のうちに何かを判別して、その情報を無関係と決めつけず処理した戦闘勘によるもの。霊素探知に高精度は必要ないということだ。
イヨは少しずつ、霊素探知の精度を落としていく。すると雨粒一つ一つまで精細に感知していた霊素を拾えなくなり、大まかな霊素の流れしか感知できなくなってしまう。
「(こんな状態で何が――)」
精度を落としたことで、強い霊素を含んだ雨だけが存在を感知でき、微量の霊素を含む雨は透明化した。しかし霊素量は相手を惑わす策略で攻撃事態には無関係なのは分かっている。
探知精度を落として、処理する情報量が減った分、他のことに意識を割く余裕ができた。それは、雨に含まれる霊素がどこで込められるのか、ということ。その答えは雨には初めから霊素が付与されているということ。降っている雨は霊素量が変化せず、一定のまま落ちてきていること。
レインフォビアを覆う、分厚い雨雲には雨に含まれている量とは比べ物にならないほど強い霊素が含まれていることがわかった。そしてそこから降ってくる雨には当然霊素が含まれて落ちてくる。地上にいる私たちの元へ――
弾かれたように思考が加速する。今、自分は答えに直結する思考に至っているのだという確信がある。素直にその感覚に従うように、推理を展開していく。
「(雨雲を離れた雨の霊素量が変化していないということは、雨雲の時点で攻撃力を持った雨かどうかを決定している)」
つまり、攻撃力を持った雨を地上の人間に当てるには、上空の段階で相手の動きを予測して落とすしかない。
「(そんな遠回りなことをする意味ある?)」
雨という性質を利用している以上、直接ねらって撃てない事情があるのかもしれない。それはイヨにはわかりかねる事情だ。
「(霊素探知で測位した雨は地上までおよそ五分で落下している。つまり、相手に当てるには五分後の相手の場所を予測する必要があるってこと)」
魔術の中には、現実のあらゆる変数を情報化して未来を予測するものがある。高度な情報処理能力が必要とされる高等魔術だ。こういった類の魔術に共通するのは、予測した時間を延ばせば伸ばすほど変数が増え、難易度と不確定性が指数関数のように増えていく。イヨも扱えるが実践レベルになるのは三秒先が限界。
そんな世界において五分先の動きを予測して相手に攻撃を当てるというのは人間技ではない。実際人間ではなく霊であるため、霊能という人知を超えた異能を扱える以上不可能ではないのかもしれない。
だが、そんな高度に五分先の未来を予期できるというのなら、キッドが余裕しゃくしゃくで雨を躱し続けられている現実に説明がつかない。避けた先の未来を読んで雨を落とせばいいのだから。
もし、未来を読んで雨を落としていないのであれば、五分先の相手になんて攻撃が当たるわけでもない。かといって無鉄砲に攻撃をはなっているわけではないのは、走っているイヨの後ろを追従するように攻撃性の雨が降ってきたことからも明らかだ。
「だったら……考えられる可能性は一つ」
イヨは確信をもって、身体を横に動かした。すると、避ける前の地面に穴が空き、攻撃を完璧に躱してみせた。
「気づいたか」
「はい、もう当たりません」
「でも、手札の一つを見抜くことに攻撃を三回も受けてたら命はないぞ」
キッドは自分でも言っていて条件が厳しすぎるとも思ったが彼女が目指す除霊師となれば、求める水準は高くなる。
「じゃあ採点してやるから、言ってみな」
「……あの影が雨を攻撃媒体としている以上、雨を当てるには雨が空から降っている間に相手が動くことを念頭に攻撃しなければなりません」
「そうだな」
「ですが、それはあまりにも非効率すぎます」
今体に当たっている雨は五分前に雲から落ちたもの。わざわざ五分先を予知した雨に攻撃能力を付与するのでは、命中率は低いだろう。
「だからあの影は特定の雨を、ターゲットに向けて誘導している。いや、操作していると言いかえてもいい」
霊素探知の精度を落としたことで、雨粒一つ一つよりも、雨粒全体の流れと軌道を読むことができた。その中で、一部の雨が不自然な軌道で降ってきていることに気付いたのだ。
「雨粒ごとの霊素量は、それらを欺く嘘。そらから私たち目掛けて一点に降ってくる雨を避ければいい、こうですよね?」
「……まあ及第点だな」
確かにこの影は、降ってくる雨の軌道を操作して、攻撃能力を付与した雨を対象に当てる。雨の軌道だけ見ていれば攻撃を避けることができる。
しかしそれはこの影が持つ攻撃手段の一つにしかすぎない。影が攻撃手法を変えてしまえば、あっという間に通用しなくなる。相手が繰り出してくる攻撃手段をいち早く見抜き対応する。それをいかに早い
「(……まあ、今回は除霊戦の触りだけでも学べたらいいか)」
「……でっ、次はどうするんですか!」
対処手段がわかったところで、現状のイヨは攻撃能力が付与された雨を避けるしかない。少しで触れれば肉体が破壊される禁忌の雨を避け続けなければならないという状況は、何一つ変わっていないのだ。
一度でも読み違いや身体の動かし方を間違えば終わり。常にその緊張感に晒されながら必死に身体を動かしていた。
「あー……、本来ならもっと授業をしたいんだが。俺たちの出番はこれで終わりだ」
「ど、どういうことですか!?」
「先生交代、向こうさんも教鞭をとりたいんだろ」
どういう意味だと、問いただそうとした瞬間。
街の通路の向こう側から、道を受け尽くすばかりの白光が放たれる。強い光に思わず目を背け、再び目を開いた先には。
闇を弾くような眩い光を纏った男が、雨の向こうに浮かぶ影に対峙していた。王国最強の除霊師リチェロ・ゼンバスターが参戦したのだった。
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