第十話 常雨の街レインフォビア

 リチェロのとの衝撃的な対面を済ませたあと、疲弊したキッドは少し休むといって、座席と壁の間に寄りかかり、フードを口元まで深くかぶって就寝の姿勢を取っていた。


「レインフォビアまでは、約一日かかるんだからお前も適度に休んでおけよ」


 というのはキッドの言葉だ。


 イヨも持ち込んでいた本は読み終えてしまう。その頃には窓の外は真っ暗になっており、車内は魔力灯がぼんやりと淡い光で照らしていた。


 時計を見ると、二十三時頃。予定では明日の八時頃にはレインフォビアに到着することになっている。あと九時間は列車の中に拘束されるということだ。


 チラリと対面に移動していたキッドに視線を移す。彼はフードを深くかぶり完全に顔を覆い隠して、頭を壁にもたれかけて完全に外界を遮断していた。


 寝ているのかどうかはわからない。そもそも幽血種に睡眠を必要とするのか、そんな情報はどの歴史書や資料にも記載されていなかった。どれも幽血種の脅威や能力やどんな悪事を働いたかというものばかりで、詳細な生態などは記載されていなかった。


 元より学園では一日程度睡眠をとらないことなんて日常的に行っていた。イヨは他の学生たちと違いゼロから魔術を学び始めたのだ。睡眠の時間を削ってでも学ばなければ他に追いつくことはできなかったのだ。


 身体強化やら睡眠圧縮やら集中強化の魔術を覚えてからは不眠癖がさらに悪化して、一時期学園側が本気でイヨを睡眠させるための大事件が起きたのも記憶に新しい。


 そんなわけで、イヨは九時間程度なら別に睡眠をとらなくても活動に支障はないが。かといってこれから初めての除霊任務に出かけるわけで、わざわざ体調不良の元になるような行動をするのもどうかと思う。


 ただ問題は……


「寝れるわけないでしょ……」


 この男の前で無防備な睡眠をさらしてもいいのだろうか、という不安。少しだが一緒に過ごしてみて、キッドが悪性な人物ではないというのはなんとなく分かる。だが、どうしてもリチェロと握手した時、手が溶け落ちて床に血だまりを作った光景が忘れられない。


 彼はどこまで人のように見えてもその正体は幽血種。人ならざる災厄の生物と呼ばれた伝説の種族だ。そんな相手を前にして落ち着いて眠れるか?

 

 それに彼だけでなくとも、この列車の中で眠って本当にいいのだろうか。キッドもイヨも眠ってしまえば、万が一霊が出てきて対応できるのだろうか? 


 そんなことを考えていると車内アナウンスが響いた。


『間もなく当列車は気候帯域に入ります。窓をお開けになっているお客様はお手数ですが、窓を閉めていただきますようご協力お願いします。間もなく当列車は――』

「窓……」


 サッと周りを見渡してみてもイヨたちが乗っている車両には他に人は居なかった。開いている窓もない。ならばそのままで大丈夫だと思いながら、寝るべきか悩んでいると……列車が徐々に速度を落としていることに気が付いた。


『次は~フィノストンネル前~フィノストンネル前~。なおこの駅をすぎますと終点レインフィリアまで列車は停止いたしません。燃料の補給を行うため三十分ほど停車いたします。お買い物やお手洗いはその間にお済ませください。この駅をすぎますと終点――」


 車内放送の言う通り少しずつ速度を落とした列車は、駅構内で完全に停車した。イヨは気分転換に外に出ようと思い席を立った。それから乗降用のボタンを押して外にでると、数時間閉所に詰め込まれ籠った空気から解放され、清々しい冷たい空気が肺に潜り込んできた。


「ほうっ……」


 つい声が漏れる。長らく同じところにいると気付けないものだが、やはり外に出たとき特有の解放感というものはいいものだ。ホームに出て、キョロキョロと見回すと自分と同じように車外に出ている者もちらほらいたが、時間も時間だったため数える程度しかいなかった。


 駅舎は簡素なものだったが、ホームの少し先に売店が見える。こんな遅い時間でもやっているようだ。特段買いたいものもないが、ご当地特有の商品が売っているかもしれないと冷やかし気分で近づこうとすると……


「「あ」」


 ちょうど近くの列車から降りてきた客と目が合った。


「イヨ・クライス!」

「うるさ……」


 もう遅い時間だというのに、クレアの大声はほとんど誰もいないホームにキンキンと響いていた。


「こんな時間にどうしたのですか!?」

「それはアナタも同じでしょ。私はただ夜風に当たりたくなっただけで」

「――眠れない、のですわね」


 内心を見事に言い当てられてしまってイヨはほんのわずかに驚いた。


「わたくし、少しだけ安心しましたわ」

「え?」

「イヨ・クライスでも不安に思うことがあるんですのね」

「……どういうこと」

「だって学園での貴女、いつも無機質で目が死んでて、感情なんてありませんーって表情してますわよ?」


 それはほとんど睡眠時間を削ったことによる健康被害で顔が死んでいるだけだ。


「イヨ・クライスは人間ではなく、魔導人形オートマタである、なんて噂も流れるくらいですのよ?」


 それは初耳だった。


「そんな貴女でも初めての除霊依頼を前にすれば不安を感じる……わたくしだけじゃなくてよかったですわ」

「アナタも……、いっつも学園では自信満々なアナタも、そうなんだ」

「えぇ、わたくしたちは研修生。実際に除霊行為を行うのはリチェロ様。あの御方が負けるはずなどありません。それはわかっているのですが……」


 クレアが羽織っているのは暗い闇も弾く光のローブ。選ばれし除霊師のみが身につけることが許される『明るい夜』のローブだ。イヨが死ぬ気で努力して、そのローブに袖を通すことだけを目標としてきたローブを、自分をライバル視してきた彼女が着ている。


 除霊師研修先の発表時、私が『明るい夜』に配属されなかったことを知ったとき、彼女はどう思っただろうか。

 

 私はまだ、レクエルムのローブを身につけることに踏ん切りがついていなかった。正直見た目からして受け付けなかった。キッドが身にまとっているヨレてツギハギだらけの茶色いローブ。裾は擦り切れてしまい、あまりにみすぼらしいローブだ。


『新品ボロローブだ。こう見えて……』


 出発前にキッドから渡されたローブはまだ着れていない。貰ってそのままカバンにしまわれている。さすがに王都に置いてくるということはなかったが。


「それでもやはり。初めての任務というものは不安に思ってしまうものですわ。実習ではもう数えきれないほど対処したというのに……」

「クレア……」

「しかしっ! いくら不安に思っても仕方のないこと!」

「そうだね……、もうこうなったらやるしかないよね」

「というわけでイヨ・クライス! そこの売店でスイーツ大食い競争ですわ!」

「こんな時間に食べたら太るよ。それにそんなお金ない――」

「お金ならわたくしが払いますわ! なんならこの店ごと買占めますわ!」

「嫌な金持ちだな……」


 しかしお金を払ってくれるというのなら断る理由も特にない。辺境の村出身のイヨは所謂貧乏学生で、贅沢な食事や軽食を買う余裕はない金銭事情だった。


「では、勝負ですわイヨ・クライス! こんなことでも私は貴女には負けません!」



 ◆◆◆◆

 


「うぅ……うっぷ……」


 食べ過ぎた。完全にやりすぎてしまった。スイーツを食べ尽くし、他の軽食にまで手を出し始めた時点で適当に離脱しておくべきだった。しかし勝負という形で仕掛けられた以上、なんとなく彼女に敗けることが嫌になった自分も所詮彼女と同レベルということだろうか。


 イヨのお腹は、うら若き乙女がするには恥ずかしいぐらいにぽっこりと膨らんでしまっていた。今は少し歩いただけでも苦しくなる。列車の出発を知らせる放送が流れなければ、どちらかがその場で吐くまで勝負は続いていただろう。


「ほんとに……なんでこんなことに……」


 よろよろと車両の座席に手を突きながら中央の通路を歩いて自分の席に戻っていた。下腹部に手を当てて簡易的な身体強化を掛けて胃腸の消化を促進させる。


「?」


 その時、ほんの僅かだが、魔術起動に違和感を覚えた。問題なく魔術は使えるのだが、起動が重いと感じる。


 試しに体内魔力を動かしてみると、今度は明確に魔力操作が普段通りにスムーズにできない。


 本来なら重大な異常だ。魔術師として根幹部分に異常をきたしている。全力で原因を追究しなければならない問題なはずなのだが、この時のイヨはあまりの腹痛によって正常な思考を持つことができなかった。


 魔力を上手く操れないのも、食べ過ぎたことによる腹痛が原因だと決めつけて、一秒でも早く席に座りたいという思考に囚われて、深く考えることができなかった。


 その後、ようやく席までたどり着いたイヨは倒れ込むように座り込み、腹痛に耐えながら気が付くと意識を失うように眠りについていた。



◆◆◆◆



『……車は』

「うん……」


 気が付くと、列車の席で眠りについていたイヨはまずはじめに身体の節々が痛みを感じていた。


 無理な姿勢で席に座りながら寝てしまっていたからだろう。まるで石のように凝り固まった身体をほぐしながら起こしてみた。


 目の前に座っていたはずのキッドの姿はなくなっていた。そして次に目につくのは窓の外。時計を見ると午前六時。夜は終わり朝が訪れているはずなのだが、窓の外は朝とは思えないほどに薄暗い。


 その理由は一目で分かる。目が覚めてからずっと窓を強く叩きつける雨。列車の走行音すら掻き消してしまうほどの大轟音が鳴り響いている。


 眠りに着く前に車内放送でレインフォビアの気候域に入ると言っていた。知識としては知っていても実際に目にするのとでは違う。王都ではこれだけ強い雨が降れば、珍しいと新聞の一面を飾るような豪雨でも、こっちの地域では日常の出来事なのだろう。


「あの人、どこ行ったんだろう」


 口内洗浄する魔術を自分に掛けて(この時も魔術の効き目が悪かった)、寝起きの口内を清潔にしてから、席に座ったまま通路を見渡してみてもキッドの姿は見えなかった。


「なら今のうちにお手洗いに……」

 

 昨日の大食い競争を行ったときの反動が、今になって帰ってきている。なんとなくキッドの前でお手洗いに行くのは憚れるので、これ幸いとイヨは席を立ってお手洗いを探しにいった。


 レインフォビア行きの列車は等間隔で車両内にトイレが設置されている。イヨたちが乗っていた車両にはおいてなかったため、車両間を移動する必要があった。


「はやく、あの人に見つからないように……」


 誰にも見られないよう潜入するかのごとく、イヨは素早く通路を移動して、目的のトイレが設置されている車両に到着した。


「やっとつい――」

「お、なんだ。お前もトイレか?」

「……」


 トイレの扉の取っ手に手を掛けようとした瞬間、中からキッドがやけにスッキリした表情で出てきた。


「どした?」

「ななな……」


 イヨからすれば、最悪のタイミングで最悪な相手と遭遇してしまった。


「なんだよ、俯いちゃって……」


 キッドが顔に疑問を浮かべながら、背後の扉を明け渡すようにイヨの周りを回ろうとしたが――


「さいっっっってーーーーッ!!」

「ゴハぁっ!!?」


 質の高い魔力が篭った拳がキッドの腹部に突き刺さる。物理攻撃を受け流す幽血種でも、魔力が込められていればそのダメージは受け流すことはできない。


 さらに追い打ちをかけるように蹴り飛ばされて、隣の車両まで転がされてしまった。訳も分からないまま、キッドは席に戻り朝食を食べた。



◆◆◆◆



 そんなことをしている間に、列車はレインフォビアへと到着する。街を恐怖に陥れる悪霊『雨降りレイニー』、世界最強の除霊師リチェロ、最強リチェロが動員されているにもかかわらずレクエルム除霊事務所が派遣されている理由。


 あらゆる思惑が複雑に絡み合った除霊合戦が今、常雨の街レインフォビアにて始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る