第九話 列車の中のお話
グラン・クロス駅発レインフォビア行運行列車に使われる車両は、アニマベルク王国でよく使用されている車両とは違う変わった特徴がある。
それは動力が魔力を元にした水蒸気であるということだ。水蒸気の技術は百年以上前にすで普及していたが魔力という新しい動力の発見と発展によって徐々に衰退し、今ではよほどの理由がない限り使わない技術となっていた。
しかしレインフォビア行列車だけは、いまだに蒸気機関車が使われている。それはなぜか。
「それは水蒸気に欠かせない水の補給について考える必要がないからです。レインフォビアの気候帯に入れば無尽蔵の雨によって水が供給されるから」
「さっすが優等生、博識だねえ」
「やめてください、それ」
一般的な蒸気機関車のような貯水タンクを備えたり、給水設備を整備するコストも掛からないため結果的に魔導式よりも安く運用することができるため、使われ続けているのだ。
そのため車内は最新とは程遠い、どこか懐かしさを感じさせる装飾だった。木枠で囲まれたボックス席の座席に青い布で包まれたクッションに腰を降ろしながらイヨは持参した除霊術に関する書籍を読み込んでいた。
ボックス席の斜め向かいに座っているキッドの言葉に視線を向けずに答えながら、後ろ向きに進んでいく景色に目を向ける。
景色は王都の建物が密集している都会的な喧騒から、手前には農地が広がり遠くを見れば雄大な山脈が連ねる自然的な景色が広がっていた。
イヨは王都生まれではなく、辺境の村出身だったのでどこか懐かしい気持ちを覚えながら景色を見ていた。
「まあ優秀なのは事実だろ? だって学園主席なんだから」
「……」
「それは確かに同意だね。君の才能は至高の輝きを放っている。それに磨き上げる努力も怠っていない」
いつの間にか、イヨの向かい側に見知った青年が座っていた。そしてイヨの手を取り瞳を輝かせている。突然視界に青年が現れ身体を触っていることよりも、目の前に座っている男の正体を知ってイヨは言葉に詰まっていた。
「うそ、そんな、でも、え……」
「……ッ!」
青年に対する反応はキッドとイヨで二分していた。キッドは反応できずに懐に入られたことへの驚きと、そんなことを行った相手への警戒心をもって立ち上がり腰の柄に手をかけていた。
対してイヨは、頬を紅潮させながら瞳を開き驚きと喜びを併せ持ったような表情をしていた。
「あ、貴方はリチェロ・ゼンバスター様……」
「……まさか、『白夜』? コイツが……本物か?」
「そうだ、自己紹介がまだだったね。『
目の前に現れたのは世界最強の除霊師だった。
◆◆◆◆
「レクエルム除霊事務所のキッド氏とクライス嬢か、よろしく頼むよ」
「はわわわ……り、リチェロ・ゼンバスターが目の前に……」
「……」
イヨは普段の冷静さを感じさせないほどに舞い上がっており、まともな会話もできないような状態だった。対してキッドはまるで戦闘時かのように冷静を保っており、目の前の『最強』相手に一部の油断も見せていなかった。
「そう警戒しないでほしいな。そもそも僕たちは同業者、戦う理由がないだろう?」
除霊師同士で戦う理由はない、それはお互いが普通の人間ならばという前提があってこそ成り立つものだ。全身が血液のみで構成されている幽血種のキッドの人間擬態はおよそ完璧と言ってもいい。ほんとうに血で出来ているのかと疑いたくなるほど肌の質感や毛先一本までを血液の水分量の調節や色素を上手く弄ることで本物と同じ見た目、感触を再現している。
イヨがくまなくキッドの肌にあたる部分を触ってみてもまったく気付けなかった。
しかしそれが、人類史上最高峰の除霊師ならば話が変わる。いつ、ほんのささいな違いなどで看破されてもおかしくないし、何より人間に擬態することに全振りしているため、擬態状態のキッドは戦闘力が低い。リチェロほどの除霊師ならば一瞬で滅ぼされる可能性がある。
そのためキッドは内心でかなり冷や汗を搔きながら、リチェロの隣に座っていた。
「そうだな、だけど突然隣に知らない人間が座ってきたら誰だって驚くだろ」
「あー……それはすまない、つい無意識のうちに消えちゃうんだ」
なんだそりゃ、と呟きながらキッドは少しずつリチェロに対する警戒を薄れさせていた。ほんの少し会話をしてわかったことだが、彼は根からの善人属性だ。言葉の節々に自分とは違う優しさがにじみ出ている。
「それで一体何しにきたんだ。俺の助手のファンってこともないだろうに」
「おっとそうだった。こほん、僕はね君たちに挨拶をしにきたんだよ」
「挨拶?」
イヨの手を離して、キッドに向き直ったリチェロはその真っすぐすぎる純真な瞳でキッドを見つめた。まるで水晶のようにキラキラと輝く虹彩に見つめられキッドはほんの少し気おくれしながら問いかけた。
「そう、
「お前……めちゃくちゃいい奴だなあ」
心の底からの感想だ。除霊師というのは位階が上がるにつれて、傲慢な気質になりがちだ。それは依頼人に対してだけでなく同業の位階の低い除霊師に対してもそうだ。ましてや相手は除霊師の頂点、『九枚級』であり『
そんな相手が、無名でしかも『三枚級』の除霊師であるキッドたちに親し気に、礼節を持って接してくれるなんて除霊師の常識では考えられない対応だ。リチェロと同じように敬意をもって接してくれる除霊師がどれだけいるだろうか。本当に数える程度しかいないのではないか。
「僕は相手が誰であれ、親切にするべきだと思っているからね。よく珍しいとは言われるけれど」
苦笑しながらもリチェロはキッドに対して手を差し伸べた。そこには一切の悪意も含意もない、純粋に仲良くなりたいという善意。久しく忘れかけていたその感情に触れたキッドもイヨも、何の抵抗もなく彼の言葉を受け入れて。
キッドは差し出された手を握った瞬間、手が溶け落ちて、床に血が広がった。
「!?」
「――やっぱり」
そこからは行動が早かった。キッドはすぐさま、離脱し車内真ん中の通路に出て距離を取る。今更遅いとは思うが、溶け落ちた手を背後に回して隠してから血で形を作り再生した。
「お前……」
「すまない。どうしても気になってね、調べさせてもらったよ」
握手をしたときと姿勢を変えぬまま、床に広がった血だまりを見て彼はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「レイニー除霊に対して、協会と事務所は『
リチェロは手についた分と床に広がった分の血を除霊術を発動させて綺麗にした。その魔力につぎ込まれた魔力の密度でキッドは冷や汗を掻きながら、彼の次の行動を待つ。
「分かるかい? 僕はただ、除霊術を発動させただけ、ただの人間の血ならばこんな反応は示さない。つまりこれが意味するということは……」
キッドは腰に佩いた柄に手を伸ばす。まさかこんなところで世界一位の除霊師を相手に戦闘となるか。おそらく勝てるだろうが辛勝だ。キッドもイヨも無事では済まない深い傷を負う。こんな狭い車内など一瞬で吹き飛ぶし、地形も地図を書き直さなければいけないほど壊滅的な被害を受けるだろう。
――いっそのこと身分を明かすか。それともここで雌雄を決するか――
車内に緊迫した空気が流れる。イヨも長年憧れていた人物が突然目の前に現れたと思えば、絶対絶命の危機に陥っている状況に困惑を隠せない。キッドが幽血種とバレてしまえば、連鎖的に自分も正体を知っていたかどうかなど捜査がはいることになる。その過程で間違いなく自分の心臓が幽血種の核であることも露呈してしまうだろう。
もしそうなれば、幽血種の存在を秘匿した罪だけでなく、その恩恵にあずかっている者として共犯として極刑を受けることになる。そんな最悪な結末まで、優秀な頭脳故に鮮烈なイメージを抱いてしまった。
「(あんっのバカ所長! なんちゅーめんどくさい相手を連れてきてんだよ! 適当なその辺の除霊師ピックしときゃいいだろうが!)」
戦闘が避けられない。そう感じたキッドは、せめて運悪く乗り合わせてしまった少ない乗客を巻き込まない為に列車から降りる提案をして――
「せめて、列車から降りて――」
「すっごい、面白いじゃないか!!」
「「へ?」」
リチェロの口から出た言葉は、キッドとイヨの予想を突く意外なものだった。
「だって、幽血種が除霊師をやってるなんて! それも君、すごく強いよね! 僕でも楽に勝てるかわからないぐらいに!」
「は? ちょ、なんだお前……」
またいつの間にかリチェロはキッドの元に移動していて、その手を握っていた。今度は手を触れても血が溶けだすことはなかった。それにしても、またしてもキッドはリチェロの移動に気付けず、万が一その移動法で攻撃されたら……と恐怖を覚えながらも困惑していた。
「
「どっから漏れたんだよそんな話、あとで所長に言っとかないと……」
「どういう訳で、これからもよろしく頼むよキッドくん。勿論このことは口外しない。なんなら誓約を結んでもいいけど?」
「いや、いい。アンタほどの者なら下手に言いふらしたりはしないだろう」
それから少しだけ言葉を交わしてから、リチェロは元居た車両に戻っていいた。その帰り際、思い出したかのようにイヨに話しかけていた。
「そういえば、ウチに研修に来た学園生の中でも今日同行している子のことは知り合いかい? クレア、というんだが……」
「え、は、え……? クレア?」
「イヨ・クライス!!」
その時、隣の車両から甲高く響く。リチェロ、キッドが二人そろって声がした方を覗くが、イヨだけは俯いて頭を抱えていた。
「まさか、ほんとうに……」
クレア、その名前を聞いただけで舞い上がっていたイヨのテンションは、地の底まで深く沈みこんでしまった。声を聞いただけで特徴的な金髪縦ロールのお嬢様の顔が浮かんだと同時に列車の扉が開いて、一人の少女が入ってきた。
「イヨ・クライス! やはり貴女も来ていると思っていましたわ!」
「ほんとに来た……」
突然乱入してきた少女はズカズカと車両中央の通路を自信気に歩いて、すぐにキッドたちの元へ歩いてきた。
「また会いましたわね、イヨ・クライス。やはりわたくしたちはこうなる運命なのでしょう!」
「えっと……、君は?」
「……こほん、申し遅れましたわ。わたくし、クレア・ラ・ベルマーレと申します」
クレアは、キッドが身につけているボロボロのローブを見て、一瞬顔をしかめかけたが、気力でそれを出さずに名乗った。
「ベルマーレって……、あの?」
「ええ、わたくし、サイジュン・ラ・ベルマーレの娘ですわ」
「マジか、オッチャンの娘――っと、いやあの有名なベルマーレ家のご息女とは、お会いできて光栄です」
ベルマーレ家とは、王国建国の際から続く除霊師の名家、六貴族のうちの一つである。高名な除霊師を数多く輩出してきた六貴族の中でも、ベルマーレ家は代々『固い魔力』を受け継ぎ防御に特化した魔術を得意とする。
今代当主のサイジュン・ラ・ベルマーレとは、キッドが協会直属の除霊師時代に何度か任務で共にしたことがあった。彼が操る堅牢な防御魔術はキッドでさえ破るのが困難だと思うほどに強力なもので、優れた除霊師だと認識していた。
それだけでなく、荒んでいたあの頃のキッドをまるで息子のように気にかけて声を掛けてもらっていた。それから会ったことはなかったが、娘が生まれたとは風の噂で聞いていたが……
「父とお知り合いなんですの? もし良ければお名前を伺っても? 父に伝えておきますわ」
「失礼しました。キッドと申します。しかし御父上には名乗らなかったので……”フードのガキがよろしく言っていた”とお伝えください。おそらくそれで伝わるかと思います」
「? えぇ、わかりましたわ。それと、堅苦しい言葉はおやめになって? わたくし今はベルマーレ家の娘ではなく、除霊師見習いのクレアとしてここに来ていますもの」
父に関わってくる人間の大半は取り入ろうとしたり、名前を覚えてもらおうと必死なもので、父に対して名乗らなかったという人物が少しだけ珍しく見えた。みすぼらしいローブを羽織っている男の素性がほんの少しだけ気になったが、その意識はあっという間に流れて、彼女に向いた。
「それよりも、イヨ・クライス! わたくしたち、ここで会ったが百年目! レインフォビアでは貴女には負けませんわ! かの『雨降りレイニー』を除霊するのはこのわたくし! クレアが華麗に除霊してみせましょう!!」
イヨの方を見て、声高らかに宣言するが当のイヨの温度感は圧倒的に低かった。これは別に学園の試験でもないし、競っているわけでもない。
「別に、競争ってわけでもないでしょ。それに貴女に除霊できるほどレイニーは弱くないと思うけど?」
「なななっ……、なんですって!?」
「うるさ……」
「ははは、仲が良いのは良いことだよ。学生時代の友人とは貴重なものだからね、そう思うだろう? キッドくん」
「キッドくんて……まぁ、そっすね」
急にくん呼びして距離を詰めてきた最強に対して若干引き気味だったが、彼の言う通り学生時代の友人が代えがたい存在だという言葉に生定はない。
キッドも『三枚級』の資格を取るために一時期学園に通っていたことがあったがその時知り合った生徒とはいまだに連絡を取り合う関係性でもある。学生時代の関係性というのは得難いものと言えるだろう。
「というわけで、僕はそろそろ戻るとしようか。君はどうする、クレア嬢」
「わたくしも戻りますわ! それではイヨ・クライス! 覚悟しておくことね!」
そんな勝手なことを言いながら、リチェロとクレアは二人して元居た車両に帰って行った。二人が帰ると途端に走行音だけが残る。
「なんだか、すごい個性的な子だったな……まさかオッチャンの娘があんな感じだったとは……」
「クレアは、学園では何かと私に突っかかってきて迷惑してるんです」
イヨとクレアは学園では不動の一位と二位の席を取り続けている。クレアがどんなに努力してもあと一歩のところでイヨが全てで上回っていく。負けず嫌いのクレアがライバル視するのは当然と言える。
「へぇ……、まあいいじゃん。互いに競い合う仲ってのはいいぞ。独りで高めるよりもよっぽど成長に繋がる」
「そういうものですか……?」
キッドは瞳をつむり、どこか遠い昔を思い出す様な仕草をしていた。
「にしても所長も協会も、リチェロを動かすんなら俺たちをわざわざ動かす必要ねーだろ。全部アイツ一人で済むんだから」
「そう……ですね」
出発前に所長のソフィ―から聞かされたレクエルム除霊事務所の存在理由。誰にも知られず、協会や王国が手を出しにくい繊細な問題を解決するための特殊機関。それがレクエルム除霊事務所なのだという。
レインフォビアで猛威を振るう『雨降りレイニー』の除霊依頼。それに対して過剰戦力とも言える世界最強の除霊師の投入、隠し札的なレクエルム除霊事務所を動かす理由。
今回の依頼はただでは済まない事情がある。思惑を乗せた列車は、レインフォビアに向けて走っていくのだった。
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