第二章 雲の切れ目に差し込むのは

第七話 レインフォビアへ

 『そうして私はレインフォビアを去った。きっと私は最後までこの出来事を忘れないでしょう』


 私は最後にこう綴って本を閉じた。ペンを机に置き、窓の外を見るとどんよりとした雲に覆われた空からは生暖かい雨が降り注いでいた。


「……はぁ」


 ため息がこぼれてしまう。ふとした時にあの街での七日間の出来事が思い出されてしまう。


 でれだけ自分が世間を知らず甘い温室で育ってきたか。除霊師になるということがどういうことか。その片鱗を叩きつけられた気分だった。


 あの女も少しは現実を知って大人しくなってくれているといいのだが……、まあないだろうな。

 この研修が終わって学園に戻ったらやかましい声が聞こえてくると思う。


 そんなことを思いながら書き連ねた報告書レポートに目を通していると、階下から大きな声が聞こえてきた。


「おーい助手! 次の仕事に行くぞ降りてこい!」

「だから助手じゃないってば……」


 イヨは深いため息をつきながら、部屋を出て階下に降りて行った。


 外には今朝から降り続けた雨がまだ降り続いていた。


 ◆◆◆◆


「そこでだ。君たちには二人で長期旅行にでかけてもらう」

「「ハァっ!?」」


 二人から頓狂な声が漏れた。一人は困惑、一人は嫌悪の声だ。


「勿論、ただの旅行ではない。イヨの除霊師としての修行旅行だ。今のイヨの実力ではウチでやっていくのはとてもかなり力不足だからね」

「おい、それはあまりにも……」


 たまらずキッドからも非難の声を上げるが、エルムはそれを一蹴する。取りつく暇もないエルムは淡々と述べる。


「さっそく準備に取り掛かってくれ。君たちにはこれからレインフォビアに向かってもらう」

「待て所長、あまりにも危険すぎる。ただでさえ幽血種の核を人間に移植するなんて前代未聞の施術を行ったんだ。今はまだ無事かもしれないが他にどんな後遺症や副作用が起きるかわからない。経過観察のためにも今は事務所で静観していたほうがいい」

「珍しく常識的なことを言うんだね、キッド」


 所長のエルムはトーストをほおばりながら、何気なしに言い放った。だがその眼は本気である。直前まで呑気にトーストを頬張っていた呑気な少女とは似つかない。


「協会がなんでこのタイミングで『雨降りレイニー』除霊に動いたのかは知らねえ。だが、俺らである必要はねーだろ。そこの暇そうにしてる女にでもやらせろよ」


 キッドは同じテーブルにつき、コーヒー片手に新聞を読んでいる女性。レティ・ナッツを指さしながらいった。声を掛けられたレティは新聞から目を離さずに不機嫌そうな表情を隠さず言った。


「あのね、私だって暇じゃないのよ。これから二週間は国外で任務があるの」


 まるで酸素を沢山含んだ新鮮な血液のような深紅の長髪を揺らしながら、急いでコーヒーを飲み干した彼女は、せわしなさそうに二階の自室に上がってしまった。


「この通りだ。レティもアランもそれぞれ仕事が入っている」

「別にアイツに頼ろうとは思ってねえよ」


 アランの名を出されて苦々しそうな表情を浮かべたキッドは、他に方法はないものかと押し黙ってしまう。しかし考えれば考えるほどに、今動けるのが自分たちしかいないということに行き当たってしまう。


「(ノアの連中は……ないな)」

「それにもとより君たちは離れられない体質になってしまったんだ。経過観察のためにも君たちが離れるという選択肢はない。そしてこの任務を今頼めるのはキッドしかいない。となれば答えは自ずと一つだろう?」


 エルムはコーヒーを啜りながら、キッドとイヨの二人を見る。キッドはすでに頭の中でレインフォビアについてからどう動くか考えているのだろう。対してイヨはかなり不安な表情を浮かべている。無理もない、目が覚めると人外のバケモノの核を埋め込まれて、すぐに他所の街で除霊任務を受けてこいと言われているのだ。


「あのっ、先ほどから聞いていれば私の意志とか考えとか、そういうのはないんですか!?」

「本当に申し訳ないんだが、これも決定なんだ。君の気持ちも分かるが……」

「なら私、この事実を公表します! 災厄の生物幽血種が復活してその核が埋め込まれているって!」

「……」


 イヨは自身の身体を抱きしめるように手を回して立ち上がった。手元には音声を記録する魔道具が握られていた。今の会話を週刊誌にでも売れば、それはもう飛ぶように売れる記事が書けることだろう。そしてそんな事実を抱えてきたレクエルム除霊事務所は当然解体、当のキッドは速やかに除霊され、イヨは核を摘出され治療を受けることができるだろう。


 イヨが提示したのはそんな脅しである。勿論イヨもそんなことをするつもりはない。しかし、このままことが進んでいけば彼女の最終目標である『明るい夜』に入りに会うという最終目標が達成されなくなってしまう。それだけは、何としてでも避けなければならない――


「それをして、君はどうするつもりだい?」

「え?」

「幽血種のことを告発して、自身に埋め込まれいる核を打ち明けて……同情でも買うつもりなのかい?」

「なぁ!?」


 エルムの言葉はイヨの心を的確に貫いた。


「もし君が今言ったことを実行に移したらどうなるか。教えてあげよう。答えは、だ」

「何も変わらないって……どういうことですか」

「簡単なことだよ。幽血種が除霊師をやっているなんて特大な厄ネタを週刊誌が放っておかない。そうだろうね、それが記事にできるなら」


 その言葉の意味をまだ、世間に疎いイヨは想像できなかった。どれだけ学園内で優れていても、外にでれば世間を知らない子供そのものだ。


「簡単なことさ。そもそも幽血種を厄災の生物として処理してしまうよりも、除霊師として飼いならしてしまおうと最初に提案したのは除霊協会なんだよ」

「え、そん、な……嘘」


 イヨは今、自分が信じていたものがガラガラと音を立てて崩れ去っていくような感覚に陥っていた。これまで半ば妄信的に除霊協会について信頼を置いていた。弱気を助け、悪しき霊や邪霊師を滅して王都繁栄の礎となっている除霊協会が全て正しいと思い込んでいた。


 それなのに、幽血種を除霊師として起用するのが協会の思惑だったというのか。


「だから君がそんなことを告発しようものなら全力で揉み消しか否定に走る。どちらにせよ、君の口封じに入るだろうね」

「口、封じ……」

「この世には幽血種の核を埋め込まれた人間なんていう貴重な研究対象を欲しがる組織はごまんとあるだろう。『節足』は勿論、『理魂研究所』『セルビナ王国』『桜円のつどい』……名前を挙げたらキリがないけど君の身は保証できない」


 どれもこれも、聞いたことのある名前だった。史上最悪のテロリスト、存在が噂される闇の研究機関、王国と敵対関係のある隣国、外道研究者たちが集まっているとされる外法組織。その存在理由や理念はバラバラだが一つだけ共通して言えることは、良い噂は何一つ聞かないということ。


 もしそんなところにイヨが売り飛ばされてしまえば、死を希うような恐ろしい目が待っているに違いない。


「ごくり……」

「まあ脅すつもりはないんだがね」


 今のが脅しでないのならば、なんなのだとキッドは内心で突っ込んでしまったがそれは言わないことにした。


「どうか早まらないでほしい、ということだよ。君の身体が世界中から狙われているということは事実だ。私たちもそして協会も君も学園も、君を守りたいと思っている。これは何も私だけの判断というわけではないんだ」


 それからは、エルムの巧みな話術によって言いくるめられてしまったイヨは、出張任務に出かける準備をするということで自室に戻る。そして朝食の席にはキッドと所長のエルムだけが残された。


「おい、ほんとのところはどーなんだよ。アンタ、イヨの身のことなんか少しも気に留めてないんだろ」

「まさか。私が彼女のことを心配しているのは事実だとも。彼女自身を気にしていないのは協会と学園の方さ。彼らは見たいんだろうな、幽血種の核が埋め込まれた人間がどれだけ使えるのか。――まぁ私も興味がないと言ったら嘘になるけどね」


 エルムは悪びれもせず言い切った。その口がほんのわずかに歪んでいたことをキッドは見逃さなかった。

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