第五話 血の怪物
それから私はレティさんに除霊師としてのイロハをみっちり教わった。レティさんの教えはとても分かりやすくて、特に私を惹きつけたのが、学園では教わることのないプロの除霊師の実践で培われた経験談を聞くことだった。
後半はレティさんの武勇伝を聞かされているほうがメインになっていたが、私にしてみればそれもかなり為になった。陽が暮れるころには私たちはすっかり打ち解けることができて、他愛もない雑談や愚痴などの世間話にも花を咲かせるようになっていた。
『だからあたしは言ってやったの。アンタみたいな家柄だけの男に靡くことは絶対にない――あら、そろそろ時間みたいね』
昔レティさんにプロポーズしてきた男の話の途中で、約束の時間が近づいてきて、話は打ち切られた。もう少し聞いていたかったけど、なんのためにこの事務所に来ているのか思い出し気を引き締めた。
『あの……やっぱりレティさんは』
『ごめんなさいね。あたしも今夜は仕事があっていけないのよ』
『わかりました、では行ってきます』
『……あ、そうそうクライス嬢。これを持っていくといい』
リビングの扉を開けて、部屋をでようとした私を所長が呼び止めた。所長は執務机の引き出しを開き中から小瓶を取り出し私に差し出した。
『これは?』
『もっていくといい。おまもりみたいなものだ』
渡された小瓶には二種類の液体が入っていた。瓶全体を満たす透明な液体と、その中でうにょうにょと動き回っている赤色の液体。さらに赤色の液体はなにか小さなアクセサリーのようなものの周りを守るかのように蠢いていて、見ていてかなり気持ち悪かった。
『まあ、見てる分には害はないからだいじょうぶ。君の命に関わるときはその瓶を割るといい。必ず(…)君を助ける』
最後の所長の言葉には不思議な強さが感じられた。不気味で本当は持ちたくなかったが、半ば押し切られる形で持たされたので渋々制服のポケットに押し込んだ。きっと閉じ込められてるのは災厄の邪神かなにかに違いない、万が一にも解放することのないようにと念入りにポケットにいれた。
それから、私は夜の街を歩いて待ち合わせ場所の北区七番通りにあるお化け屋敷に着いて、十分ほど待っても先輩が来なくてイライラし始めたところで屋敷の中に飛び込んでいってそれで――それで――
◆◆◆◆
「うぅ……?」
ゆっくりと意識が覚醒することを感じる。鼻にとびこんできたのは研究室を思わせる薬品の匂いだ。目を開けば暗闇にぼんやりと浮かび上がる机と作業台のようなもの、そして一際目を引くのは部屋の中央にそびえたつ大きなパイプのような管。その中は薄く発光している緑色の液体で満たされており、その液体の中にうずくまるナニカ。
徐々に慣れてきた目を凝らしてみると、うずくまるナニカと目が合った。
「ヒッ……」
背筋が凍るような視線とつい最近霊の視線に軽くトラウマになったイヨは、後ずさりしようとしてここで初めて自分が縛られていることに気付いた。
「どうです? 美しいでしょう、彼女は?」
「あ……」
縄に縛られうまく動けず、横たわるイヨに声をかけた人物が現れた。イヨは必死に記憶を辿る。思い出せる最後の記憶は、屋敷に住み着く悪霊を除霊しようとしてその後現れた不気味な男に気絶させられて――
「くっ……? 魔力が動かせない!?」
「ああ、その縄は『
聴く者を不思議と落ち着かせる声だった。穏やかで優しい声質なのか、すっと心に入り込んでくる。まるでこの声に従っていれば万事うまくいくかのように――
「あなたは一体……」
「あぁ、自己紹介が遅れましたね。私は『節足』の『四本足』、ノヴァ・クリシアルと申します」
「せ、『節足』!? それにクリシアル家って……」
イヨは今聞いたことが信じられないといった様子だ。意味は分かるが理解ができない。『節足』と呼ばれる組織のことは知っている、知ってはいるがまさかこんなところに現れるとは思ってもみなかった。
「信じていませんか? ではこれでどうでしょう」
ノヴァは腕をまくり、肌を露出させた。そこにはしっかりと最悪の紋章が刻まれていた。蟲の脚を想起させる関節肢となった右脚の紋章。世界最悪のテロ組織集団『節足』の印が。
「……」
「そもそも貴女は先ほどザックさんに連れてこられてますから。彼も同じ『節足』の構成員ですよ? そして本来はもう一人いるんですが……今は出払っているようですね」
呼吸が荒くなっていく。喉が渇いて体の震えが止まらない。目の前にいるのは世界中を震撼させるテロリスト、先ほどこの男の言葉に従いそうになった自分に恐怖を覚えた。
「まあ自己紹介はこの辺にして、貴女を捕らえた理由ですが……これから貴女には死んでもらいます」
「へ?」
「彼女が見えますか? あの装置の中にいる娘です。彼女は私の研究の集大成なのですが……あと一歩で完成なのですよ」
ノヴァはつらつらと研究内容を話し始めるが、イヨにはその中身がまるで理解できなかった。いや理解したくもなかった。
「ここは素晴らしい研究場所でした。霊が住み着いているとうわさが広がってしまえば、度胸試しにとバカな材料が自分からやってくる。行方不明者が出れば除霊師がやってきて魔力の高い材料も手に入ります。なので研究ははかどりましたが、どうしてもあるパーツだけはどんな材料を使ってもうまくいかなかったッ!!」
「……」
ノヴァはついに虚空に向かって喋りだし、完全に自分の世界に入っていた。その姿はまさに狂気そのもの。醜悪な研究内容もあわさってイヨは完全に委縮してしまっていた。
「どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもうまくいかなかったところにッ!! ……貴女が現れた。イヨ・クライス、アニマベルク魔術学園きって天才。優秀な魔力量と魔力適正、霊感能力も非常に高基準値を出している……! もはや貴女は私と出会うためだけに生まれてきたのです!!」
あまりにも自分勝手すぎる理由を一方的に述べられ、イヨは心の底から悍ましいと思った。しかし、魔力と恐怖で縛られてしまったイヨは一歩も動くことができなかった。
「しかし『明るい夜』なら容易かったが苦労しましたよ、貴女をここに来させるのは」
「へ?」
今ノヴァは聞き捨てならないことを言った気がした。
「レクエルムとかいう無名の弱小事務所などにせいでか行ったせいで、かえって手間がかかりました」
「そんな……」
ふいに学長の言葉が浮かび上がった。”間違いなく、君の目的の為になる”と――
その言葉の意味は、私が狙われることが知っていたから? だとしても世界最高峰の事務所に庇護されたほうが安全だったのでは? 様々な思考がイヨの頭の中を駆け巡る。
「ですが、ようやく手に入った……貴女という至高の材料が」
自分の世界にはいっていたノヴァが、イヨの方を振り向いて言った。その瞳には常人ならざる狂気が宿り、この男が外道集団の一員であるといやおうなく理解させられる。
「長話もこの辺で……さっそく取り掛かりましょうか」
ノヴァはうずくまるイヨにゆっくりと近づいてきた。その手には鈍く光を反射する凶器が握られており――
「い、いやッ! こないで!!」
「怖がることはありません、貴女も彼女の一部となって新たに生まれ変わるのですから、何も怖くありません」
恐怖と縄で上手く動けないイヨを安心させようとゆっくりと歩いてきたノヴァ。両者の距離が詰まるのはあっという間だった。
床にうずくまるイヨに、ノヴァの手が伸びる。身体をよじって抵抗するが、それも虚しく胸倉をつかまれてしまう。
「いや、離しなさ――」
スッと、それはいとも簡単にイヨの胸に突き刺さった
ノヴァは躊躇することなく、握った凶器をイヨの胸に突き刺した。
普通に生きていればまず目にすることのない光景にイヨは理解が追い付かない。その認識に遅れて、熱と痛みが脳に叩きつけられる。
「ァガッッ!?」
「……」
ノヴァは刺しただけでは止まらず、刃を下げ傷口を広げたのち、さらにそれを両手で広げた。
「……ァ」
噴き出す鮮血を顔に被りながらも気にする様子もなく淡々と作業を続けていく。すでにイヨの視界は閉ざされ、音も何も聞こえない。もう間もなくその命は絶えるだろう。
――私、何のために生きてきたんだろう。
それがイヨ・クライスの最期の感想だった。
「……」
すでに物言わぬ肉塊と化したイヨの身体を弄ぶノヴァ、まだ温かい身体と血を触りながら、目的のものを手に入れる。
「ついに、イヨ・クライスの心臓を手に入れた……ッ! これで私の研究は完成するッ!!」
むき出しになった心臓を鷲掴みにしてノヴァは笑った。全身に返り血がべっとりとついてまさに狂気に歪んだ男は、心臓を取り出して作業台へと心臓を持っていく。
――そのときイヨの身体のそばに転がっていた小瓶が割れ、中身が飛び出した。
心臓に夢中で、すでにイヨの亡骸に興味のかけらもなくなったノヴァは気づかない。瓶から飛び出した赤い液体とアクセサリーは、イヨだったモノに近づくとその肌を愛おしそうに撫でた後、まだ温もりが残る傷跡の中に入り込んだ。
「ハハハっ、ついについについについにッ!! 動く彼女に会える! この心臓を装置に入れれば――」
取り出した心臓を装置の中へ入れるために、心臓を近づけた。あと少しで透明な膜を突き抜けて、緑の液体の中に入ろうとしたところでノヴァの手が止まる。
「?」
あとほんの数センチのところで、心臓を近づけても進まない。まるで紐がなにかに引っかかっているかのように、何かに邪魔されて心臓が動かなかった。不審に思い、ここで初めてイヨの身体をみると、取り出した傷口から心臓に向かって、血濡れた血管のようなものが伸びていた。邪魔していたのはこれだった。
「……」
確実に切り取ったはずだと思ったが、改めて切ってしまえば問題ないと。ハサミで血管を切った、今度は確実に、念入りに心臓になにもついていないことを確認してからこんどこそ装置に近づくと、また止まる――
「もう、一体何なんですか――ぁ?」
また、心臓とイヨの身体に血管のようなものが繋がっていた。それも先ほどよりも太く、本数も増えていた。見間違えなどではない明らかに切ったはずなのに……
今度はしっかり用意した特性のナイフで切断した。そして入念に心臓に何もくっついていないことを確認してから、心臓を装置にもっていこうとすると――
「……またですか。なんなんですか往生際の悪い、貴女はもう死んだのです、さっさとその心臓を渡しによこしな……さいッ!」
心臓を渡さないと言っているかのように取り巻く血の管はどんどん増えて太くなってく。今では親指ほどの太さになり頑丈になっていてナイフでキルにも一苦労だ。四六時中研究ばかりのノヴァにはそれだけで一年以上の労働をしている。普段奴霊に物事をやらせていたツケが跳ね返ってきている。
「今度こそ……、もう目を離しませんからね」
切り離した心臓を凝視し、一瞬たりとも目を離すまいと装置にもっていく。だが、これが大きな過ちだった。心臓を凝視するということはそのほかを見ないということだ。だから、彼は気づかない――。
心臓を抜き取られているはずのイヨの身体が、ゆっくりと立ち上がっていることに。
「ふふふ……この手の霊は目を離さなければ問題は……」
ノヴァの肩を誰かが掴んだ。
「誰ですか? グラハム嬢、ここには誰も入れるなと――」
「ぁ……」
「ヒィ!?」
顔はうつろで、口端から血を流し何よりさらけ出された胸部はぽっかりと穴が空き、心臓だけでなく臓器がこぼれ落ちかけている。何より血が凄まじく。全身血みどろとはまさにこのことだ。学園の制服は見る影もなく赤く染まり、その奥ではまだ乾き切っていない血がテカテカと光を反射している。
あまりにも衝撃映像だ。一般人なら悲鳴を上げて気を失うか、一目散に飛び出している。ノヴァが喉を引きつらせるだけで済んだのは、こういった光景は
「バカな……このナイフで死んだ者は霊化しないはずです……! いや仮にしたとしても霊化の速度が速すぎるッ!?」
イヨの開いた傷口から、さらに数本の血の管が伸びてきた。それはまさに血の触手。触手はゆっくりと確実に伸び、ノヴァが持っている心臓を手ごとぐるぐる巻きに包み込んだ。
「これは私のです! 渡しません……!」
引っ張る力が少しずつ強くなって、ノヴァの身体が持っていかれそうになる。初めは抵抗していたが、次第に勝てなくなり今では身体が持っていかれないようにするのがやっとだ。もはや心臓がつぶれないように気遣って持つ気力もない。
「ちょ、ちょっと待って、手が、私の手が取れる……っ」
するとさらに複数の触手が伸びてきてノヴァの身体に触れる。だがそれは引っ張るためのものではなくその逆。身体を抑えるためのもので――その結果は明白だった。
ぶちっ
「……ぎゃぁあああああああ!?!?」
肉がちぎれる鈍い音と共に、ノヴァの手ごと心臓は持ち主の元に帰った。ノヴァは滴る血を振りまきながら無様に床をのたうち回って、イヨの亡骸の変化を見る余裕すらなかった。
亡骸は慈しむように心臓を取り囲むように、開いた傷口に心臓を戻す。そして血の触手が穴を塞ぐように隙間を埋めていき蠢いていく。そして次にはあり得ないことが起きた。
ドクンっ
それは魂の脈動。生の証。一度完全に止まり体外に摘出された心臓が再び動き始めたのだ。
叫び暴れることで脳内で麻薬のようなものが分泌され僅かに冷静さを取り戻したノヴァが魔術で止血をし、周りを見る余裕が生まれて初めて、目の前で起きている事態のありえなさに言葉を失っていた。
「はは……死んだ人間が自分の心臓を取り戻し、それが再び動いている……? ……つまりそれは死者蘇生、私の研究の結果は間違っていなかった……? はははっ、やはり私の研究は正しかった! ならばなおさら、その心臓を手に入れなくては」
今のノヴァは自分が追い求めていた成果が目の前で実現していることだけに注目して周りが全く見えていなかった。これは死者蘇生などではなくもっと悍ましい別のナニカだ。決して自分が求めていた結果とは比較にならないほどかけ離れているもの。
普段のノヴァならば尻尾を巻いてすぐにでもこの場を去っていた。だが、今の彼は冷静な思考ではない。だから無防備に近づいてしまう。起きたばかりで餌を求めている飢えた怪物に――
「ああ……心臓、その心臓を……」
風切り音が一つ鳴る。
「――えは?」
ノヴァが見下ろすと真っ赤な血の触手が、自分の胸を貫いている。途端に口からこみあげてくる血を吐くと、もう一つ風切り音がした。
この場にはもう一人の餌がいるではないか。
触手はノヴァと同じように装置の中で浮かぶ少女を貫いていた。瞬く間に装置の中、少女が浮いている液体が彼女の血で染まっていく。
「やめ、ろ、む――」
それが彼の最後の言葉だった。
◆◆◆◆
二人の餌を血の一滴まで蝕した怪物は、自分の中にあるたった一つの感情に気付く。それは飢えだ。餌二人分などでは到底足りえない。際限なく湧き上がってくる血肉の渇望。一人でも多くの魂を取り込まねばこの身が狂ってしまう、壊れてしまう。
……
なんだ、この場にはまだ餌がいるではないか。そればかりかもっと遠くでは数えきれないほどの餌の気配が感じとれる――
「ァア……」
それは歓喜。
「ルァアアアアア!!!!」
飽くなき渇望を満たしうる可能性への歓喜だ。その咆哮には怪物が持つ巨大な霊素が乗っていた。もはやそれだけで霊能として成立していた。
では手始めにこの屋敷にいる餌を喰らいに行こうか、と。
イヨの亡骸は傷口から何本もの触手を生み出し、地面に付けると身体を持ち上げた。そして巨大な虫のようにその多脚をもって移動しようとしたとき、研究室の入り口に座っていた一匹の猫の存在に気付いたのだった。
「これは……マズいことになったニャ……」
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