第四話 札の除霊師
私はきっと夢を見ている。
そうでなければ私の後ろ姿を眺めていることに説明がつかない。
私が学園の廊下を歩いていた。その足取りは速く、力強い。
――あぁ、これはつい最近の記憶だ。それもたぶん今まで生きてきた中で一番辛かった記憶。どうして今この記憶が掘り起こされたのか分からないし、ようやく前を向きかけていたのに。
そんな私の思いは虚しく、記憶の映像は続いていく。
『……ねえ聞いた? 学園きっての秀才イヨ・クライスの研修先』
『え、明るい夜じゃないの?』
『そ れ が、落ちたんだって!!』
廊下を歩いているイヨの耳にも聞こえていたし、それを俯瞰して眺めているイヨの耳にも届いていた。
他人から言われることで、信じたくない現実を突きつけられているようで、逃げるように足は速くなった。それでもどこまでいっても声が途絶えることは無くて――
『じゃああいつはどこにいくの?』
『噂じゃ無名の小さな事務所らしいよ』
『マジか……人生終わったな』
『彼女のこと気に入らない先生も多かったからな』
直接本人に言ってるわけではないからと、みんな好き好きに言いたいことを言い合っていた。このときのイヨは徐々に心の余裕が失われていって、会話の内容は耳に入っていなかったが、後ろから眺めているイヨにはきちんと聞いていた。
そして夢の中のイヨはついに目的の場所までたどり着いた。扉のプレートには『学園長室』と書かれている。
イヨは扉の前に立つと、一呼吸も開けぬまま、苛立ちをぶつけるように扉を荒くたたいた。
『――どうぞ』
『……』
扉の向こうから重く、静かな声が返ってきたがそれを聞いたイヨは無造作に扉をあけ放ち中へ入る。普段超がつくほどの優等生で通しているイヨがここまで感情をむき出しにしていることは珍しい。
室内に入ったイヨはそのままずかずかと突き進み、奥の執務机までやって開口一番不満を述べた。
『学長っ! これはどういうことですか!?』
机を叩きながら声を荒げた。怒りのあまりその拳には魔力が込められていたせいで机が凹んでいる。
『おやおやクライス嬢、そんなに感情を乱して君らしくない。魔術の基本は感情の制御だろう?』
イヨが向かい合っているのがアニマベルク魔術学園学長、マスター・ゼンノ。胸まで伸びている顎鬚が目立つ柔和な老人である。しかしその魔術の腕は老いを感じさせるどころか、年々冴えわたっている。また温厚で人当たりのいい人格者としても有名で生徒だけでなく多くの魔術師たちから慕われている。
そんな生ける伝説ともいえる高名な魔術師にたいしてイヨは、感情をぶつけていた。見る人が見たら卒倒するような光景である。
『とぼけないでくださいっ! 研修先の最終決定は学長にあるはずです! どうして私を『明るい夜』に推薦しなかったんですか!?』
『う~む……そのことなんじゃがなあ……』
ゼンノは自身のお気に入りでもある顎鬚を触りながら渋面を作った。
『こんなことを言っても、今の君には効果はないと思うが……ワシは最後まで反対したんじゃよ』
『――っ!? だったら……っ』
『じゃが、決まってしまったものは覆すことはできん。君の自由意思が曲げられているという点には反対したが、この決定自体には賛成なんじゃ』
『そんな……』
この時、ゼンノと向かい合っているイヨは、最後の頼りの綱が無残にも切れてしまい、絶望の余り俯いていたから気付けなかった。二人のやりとりをやや上から眺めていたイヨだからこそ気付く。ゼンノの視線が、夢を見ているイヨを見つめているということに。
その瞬間イヨは背筋が震える感覚に陥った。今のイヨには身体はなく、意識だけが浮かんでいるような状態にもかかわらず、身体が震えている。
今のイヨは過去に体験した記憶を眺めているに過ぎない。それなのに目線を合わせてくるというのは偶然なのか。
『確かに君の才覚、そして努力を積み重ねるできる君は間違いなく研修希望は通る。君という人材を得ようと、君が思いつく限りの事務所から交渉が来ているほどじゃ、勿論『明るい夜』からも』
『だったらどうして……』
『理由は複雑じゃ、ワシがここで語るにはいささか時間が足りないじゃろう……じゃがこれだけは言える』
『……』
ゼンノは再び顎鬚を触った後、あろうことかニヤリ、と口角を上げて言った。
『間違いなく、君の目的の為になる、と』
今度は間違いなく、こちらのイヨを見て言っている。目を見て笑いかけているのだ。
『「……」』
両者ともに言葉を失う。
一人は最後だと信じていた微かな希望すら打ち捨てられ失意の底へ突き落されて。
もう一人は目の前で起きたありえない現象に驚きと畏怖で。
『……』
『……』
夢を見ているイヨが呆然としていると突然景色が遠のき、ゼンノとイヨが交わしている言葉が聞き取れないまま場面は変わる。この時学長と何を話していたのかなぜか思い出すことができないが、そんなことを考えているうちに次の場面に移った。
『……』
場面が変わったと言っても、これは時間的にはあまり進んではいない。『このあと面会の予定がある』、とやんわりと退出を促され部屋を出たところだ。学長室へ入る前と比べてその足取りはひどく遅いものになっていた。
俯きながら歩いており、その可憐な美貌も前髪に隠れてしまっている。そのせいで、前から向かってくる人の顔も見えなかった。
「この人……」
後ろからついて行っているイヨにはその人物が分かった。というのもつい最近知ったという方が正しいか。この時のイヨにはたとえすれ違ってもまだ他人のままだったから。
『こんにちは』
『……』
すれ違う時、向かいから来た女性。このあとイヨがお世話になるレクエルム除霊師事務所の所長があいさつをしてくれたが、この時のイヨは周囲に構う余裕はなく、イヨの耳には届かなかった。
まさか無視されるとは思わなかったのか、所長はすこし悲しそうな顔をしていたが、すぐに気を取り直し学長室へ歩いていった。あとで誠心誠意謝っておこう。
とぼとぼと、おぼつかない足取りで歩いている、この時何を思っていたのか今でも思い出せない。気持ちの整理がついた今なら多少落ち着いているが、当時はまさに世界が終わりを迎えたかのような絶望感を味わっていたのだ。
どこを歩いているかもわからないまま、気が付くとイヨが在籍しているクラスの前まできていた。
『ォーホッホッホッホッホ!! 聞きましたわイヨ・クライス! 貴女、『明るい夜』への研修落ちたんですって!?』
『……』
俯きながら歩いているイヨの目の前に、誰かが立ちはだかった。学長室から教室まで歩いてきた道筋、すれ違った人の顔など一切視界に入らなかったイヨだが、流石に目の前に立たれると意識せざるを得ない。床だけを見つめていた目線がゆっくりと前を向いた。
『……っ! その顔、やはり噂はほんとうだったようですわね!』
金髪の縦ロールをかわいらしい顔の横に垂らしながら、こちらを得意げに見つめてくる少女の名は、クレア・ラ・ベルマーレ。魔術の名門ベルマーレ家の息女であり、入学初日からイヨのライバルを自称している才女であった。
事実、学園きっての天才イヨ・クライスに座学や実技、魔力適正、霊受能力諸々含めて、イヨに並び立つ人物は彼女の他にいなかった。
クレアは、俯いていたイヨの悲しげな顔を見て、一瞬声を詰まらせたが、すぐにいつもの調子を取り戻して満面の笑みを浮かべながら言った。
「ワタクシですか? ワタクシはとぉーっぜん! 受かりましたわ!!」
「……」
普段からめんどくさいうえに今のイヨには、クレアのやけに甲高い声と自信気な笑みが不快でたまらなかった。関わるつもりはないと、イヨは無視して歩き出したが、万年二位のクレアが初めてイヨを上回った絶好の機会をそうそう見逃すはずはなく、歩くイヨの後ろをつけながらさらに言葉を発した。
『イヨさん、貴女の研修先の事務所の名前教えてくださる? ええもちろん聡明な貴女が行くような事務所ですものさぞ、名高いところなんでしょうね』
『……』
畳みかけるようにイヨに言葉をぶつけるクレア。彼女は初めて勝ったという優越感と高揚感から、前を歩くイヨの背中が微かに震えていることに気付かない。
『もしよろしければ、ワタクシが『明るい夜』の方にお願いして貴女もこちらに来れるようお願いしてもよろしくて――』
『……っ』
グルリ、とイヨの前に回り込んで渾身の煽りを決めた、とクレアは思っていたが、ツゥーっと流れて落ちた雫をみて途端に気持ちが冷めていった。
『あのっ、ワタクシそんなつもりじゃ――』
『……ッ!!』
イヨはたまらなくなって駆けだした。その脚は魔力で強化されており、一陣の風のように走り去る。疾風が去った後に、床に剥がれ落ちた張り紙などをクレアがいそいそと張りなおしている様子が移って、時間はまた進む――
『あとでクレアに謝っとかないとね。すっごく癪だけど』
◆◆◆◆
空の色が黒から徐々に青がかかってくるような時間に、イヨ・クライスは一つの手提げカバンを持って歩いていた。
肌寒い空気が心地よく、日中の喧騒から解き放たれて同じ景色でも別世界のように思える。イヨはこの時間が存外気に入っていた。
こんな時間に外を歩いているにも理由がある。今日が学園の事務所研修の日なのであった。
『この道を曲がって、……こっち?』
研修先であるレクエルム除霊師事務所という事務所は、王都の中に位置しているというのに名前を一度も聞いたことがなかった。毎年欠かさずに読んでいる『この除霊師事務所がすごい!』にランキング入りどころか巻末の除霊師事務所一覧にすら記載がなかった。
しかし、先方から渡された地図によれば間違いなくこの王都の中に存在しているらしい。半信半疑になりながらも、地図を頼りにここまで来たが……
『ほんとにこんなところにあるの……?』
地図を片手にイヨが来ているのは、王都の外れ、通称『影の街』。高くそびえる王城と中心街の影になって一日中陽が当たることのない地区。
イヨはここに来るのは初めてだった。貧困層が住む場所だと、小さいころから聞かされ近づいてはいけない場所だという認識だった。
建物の老朽化が激しく、道も特に舗装されているわけでもない。言われなければここが王都の中だということを忘れてしまいそうな場所だ。
『え、行き止まり? この先にあるはずなのに……』
『あら? 魔術学園の生徒さん?』
地図に示された場所によれば、事務所は目の前にあるはずだが、現実には建物が建てられ向こう側へ行くことができずにいた。そんなイヨに後ろから声が掛けらはれ振り返ると、そこには荘厳美麗と呼ぶにふさわしいシスターが立っていた。
美しい、と率直に思った。
『あの、私イヨ・クライスと言いますっ。この辺りにあるレク――除霊師事務所に研修に来てて』
『ご丁寧にどうも。私はこの近くの教会に努めているソフィアと言います。よろしくね。レクエルム除霊師事務所なら一度戻って、違う道じゃないといけなくなっちゃたのよ』
『そうなんですね、わかりましたありがとうございます』
なぜか事務所の名前を口に出すことをためらってしまった。ふんぎりをつけたつもりだったがまだ自分のなかで認めたくない部分があったのだ。
――我ながら往生際が悪いな、と過去を見下ろすイヨは思った。
その後親切に道を教えてくれたソフィアさんのおかげで無事事務所? と呼んでいいのか分からないような建物の前まで来ていた。
『ほんとにここでいいんだよね? 看板あるし』
イヨの目の前にある建物は、お世辞にも綺麗とは言えない。一言で言えばボロ屋であった。壁には亀裂が入り、扉は歪みノブが取れかけている。窓ガラスの奥には薄汚れたカーテンが掛けられ中の様子を伺うことができないが、中に明かりが灯っているため人はいるようだ。
決定的なのは建物全体の壁一面に蔦植物がまとわりつき、蔦のおかげで崩れずに済んでいるのではないかと思えるほど、見ていて不安になる造りになっている。
幸い、扉の横に『レクエルム除霊師事務所~除霊から側溝掃除までなんでもやります貴方の為に~』と書かれた金の看板が掲げられていることだ。よくみるとこの看板だけは、まるで新品のように磨かれ光沢がある。周りがボロ小屋だけに看板だけが浮いて見えた。
『……』
イヨは扉の前に立ちすくみ、動けないでいた。いますぐにでも扉を叩いて中へ入らないといけないのに、除霊師研修を始めなければいけないのに、その手が動かない。
『……いいわ、私はこんな弱小オンボロ事務所でも必ず成り上がってやるわ!! 必ずっ』
『……中々見上げた心意気だが、弱小オンボロで悪かったね』
『ひゃぅッ!?』
振り返ると、イヨよりも少し幼い少女が片眉を吊り上げぎこちない笑みを浮かべながら立っていた。
『渡した地図が古いものだったから迷ってないかと迎えに行ったんだが、その心配はなかったようだね』
『……えと、貴女は?』
イヨは少しずつ背筋が震えてきているのを感じた。それでも事実を確認しなければならないと言葉を紡いだ。
『レクエルム除霊師事務所所長、エルム・ハーミルトンだ』
『ほんっとぅに申し訳ありませんでしたぁああああああ!!!』
目にもとまらぬ早業で、少女に土下座を決める学園の天才。そのみじめすぎる姿を笑うかのように遠くの空には赤みが差し込み。
――私の人生終わったな、なんてことを思ったイヨであった。
◆◆◆◆
その後、幼女に誠心誠意平謝りすると、オンボロ弱小なのは事実だからね、なんて言いながら許してもらえた。
『じゃ、中へどうぞ』
中へ通されたイヨは、不躾だとわかっていながらキョロキョロと中を見渡した。念願の除霊師事務所に行くことは叶わなかったが、そうはいっても本物の除霊師事務所に入ることができたのだ。さらにどの記事や本にも記載がない謎の事務所、除霊師オタクのイヨにとって高揚が抑えきれなかった。
『まあ座ってまっていてくれ』
通されたのは談話室権応接間のような場所。室内は外から見えた通り豪華といえず、いたるところの壁に亀裂や欠けがあり、暗い雰囲気がただよっている。朝日が昇り始めたといえどもここは影の街。陽が当たることはないため明かりが必要になるが、この事務所の魔力灯は旧式なのか光量が弱く点滅を繰り返している。
イヨが座ったソファは、特におかしなところはなく小ぎれいなものだが、対面に置かれているソファはツギハギで修繕されていたり、動物の爪のような傷跡がついていた。
あまり経営が上手くいってないことを改めて悟り、失礼なことを言ってしまったと後悔していると、所長が部屋に入ってきてドカッと対面のソファに座った。床まで足が届かずプラプラしているのがかわいらしい。
『さて、改めて。ようこそレクエルム除霊事務所へ……と歓迎したいんだが、君を受け持つ予定の除霊師が今不在でね。それで彼から伝言を預かっているんだが……』
そういって渡された紙には――
『午前零時に北区七番通りのお化け屋敷に集合。それまで自由、以上』
乱雑に走り書きされた伝言のようなもの。これを渡されたイヨはあまりにも適当な予定表に呆然としていた。なにより今の時刻は午前六時過ぎ、伝言によるとあと十八時間以上暇になるということである。
『……』
『あー、時間まで他の除霊師をつけよう。入ってきてくれ』
流石に貴重な時間を浪費させまいと、見かねた所長が代わりの除霊師をつけてくれるといった。イヨにとってはあんな適当な指示を出すような除霊師なら担当を変えて欲しいと思った。
そういって所長は扉をみると、扉を開けて赤髪の女性がバサバサの髪と寝間着姿でいかにも寝起きですと言っている格好で入ってきた。
『ふぁ~……なんなの……、遅くまで仕事だったから寝てたいんだけど』
『彼女はレティ・ナッツ。ウチの事務所のエースの一人だ』
『ん……? だれ……、ッ!? ちょ、お客がきてるなら言いなさいよッ!?』
しぱしぱと半開きの目を数度開きながら、状況を把握すると自身の髪色と同じくらい顔を赤面させ急いで奥へ戻っていった。
『あ、部屋にいくならクライス嬢を案内してあげて――ってもういっちゃったか。やれやれすまないね』
『はは……に、にぎやかでいいと思います』
私を待たせて無理やり起こしてきたのだろうか。この幼女所長見た目によらず意外と容赦ない性格をしているのかもしれない……なんて考えているうちに身だしなみを整えてきたレティが再び部屋に入ってきた。
『レティよ。先に言っとくけどウチに弱いのはいらないから。貴女が学園でどれだけ優秀だろうと実戦で使い物にならなきゃ意味ないんだし』
レティは腕を組みながら開口一番にそう言い放った。その言葉の重みは実際にプロとして除霊を行ってきた除霊師としての重みがあった。
『こらレティ、あんまり新人をいじめないでくれ。悪いねクライス嬢、これでも歓迎してるんだよ彼女は』
『なっ――!? 歓迎なんて……まあ所長がいうから認めてるだけであって別に私自身が歓迎してるわけじゃ』
『かわいい後輩の育成を別な人に取られて昨日から気が立っているんだよ。実際研修生を受け入れると知った日は終始ご機嫌だったからね』
『ちょ、さっきから適当なこと言って――』
これいじょうは先輩の名誉にかかわってきそうなのでイヨは強引に話をすすめることにした。
『それで、レティ先輩が時間まで担当してくれるんですか?』
『ああそうだ。君の担当、キッド・ブラドニアというんだが彼は急遽別件の任務で今王都の郊外の方にいるはずだ』
『ふんっ、あんなやつに教わるなんて貴女も可哀そうね。なんなら正式に私が代わってやっても――』
『レティ、その件はもう決着がついただろう。君はキッドに敗北した。それも十回も』
『きゅ、九回は勝ったから!』
『負け越しは負け越しだ』
イヨは急にこの事務所に対しての不安が湧いてきた。
『しかし、約束の時間までは君が担当だ。ぜひ有意義な時間を過ごさせてくれたまえ』
◆◆◆◆
ついてきなさい、といわれレティの後を追うと事務所の奥にある階段、それも上ではなく下へ続くものを降りるとそこには、信じられないほど広大な空間が広がっていた。
『空間拡張魔術……!? しかもこの規模を安定させているなんて』
つい感嘆の声が漏れてしまった。端が見えないほどの超巨大空間、漏れた声は遥か彼方まで進み反響して戻ってくることはなかった。
『これ、どれくらい広いんですか?』
『さあ? あんまり遠くにいくと帰ってこれなくなるから、気をつけなさい。……じゃ、早速始めるわよ』
『え?』
『言ったわよね、弱いやつはいらないって。まずは貴女の腕がどれだけのものか確かめるわ』
レティはいつのまにか指に挟んだ札から一枚宙に投げた。札はひらひらと宙を舞いながら勢いよく燃え尽きた。
『私を霊だと思って本気でかかってきなさい』
それから小一時間ほどたっただろうか。魔術で作られた巨大空間には、玉のような汗を垂らしながら床に這いつくばるイヨと、そのすぐそばで息一つ乱すことなく、札を団扇代わりに扇ぐレティの姿があった。
『貴女、全然ダメダメね』
『そんな……』
ありえない、そんな表情を張り付けていた。この様子を改めてみているイヨも何度みても全く勝てるビジョンが浮かばなかった。
『そもそもなんで除霊術を使わないわけ? もしかして除霊術は人に使っちゃいけないなんて生真面目なルールを守ってるの? そんなんじゃ貴女、死ぬわよ?』
『くっ……』
言葉がでない。本職の除霊師の口からでた”死”という単語。実際に生死をかけた戦いを日々繰り返しているからこその重み。学園の授業では習わない、本物の重みがイヨの心に圧し掛かる。
『アイツがどんなカリキュラムで貴女を育てようとしてたのかは知らないけど、私じゃなくてよかったわ。時間の無駄だったもの』
そういってレティは、いまだに立ち上がれずにいるイヨに背を向け地下室から出ようとした。
『そんな腕じゃ『
『……ッ!?』
今日一番イヨの心に突き刺さった言葉が投げられた。
『ちょっと……待って、くださいっ』
『何? 私結構忙しいんですけど。こう見えて所長に無理やり起こされて気分良くないの』
それは見ていれば分かるわと思いながら、イヨは立ち上がった。ふらつく脚を叱咤しながらなんとか立ち上がる。
『私は、絶対に『明るい夜』に入ってみせるっ。その夢は誰にも否定させないッ!!』
『……ふーん、ならどうするわけ』
『もう一度、私と戦ってください』
『――これが最後よ、構えなさい』
レティの手にはいつのまにか札が握られていた。
札式除霊術、魔術式が書き込まれた札を使って除霊を行う古くからある魔術形態だ。その力は単純ながら強力で、札魔術最大の特徴が魔術、除霊術の保存(ストック)。魔術が込められた札を好きなタイミングで起動するだけで、魔術を行使できる点。
『弾印――『伍連』』
『――
パッと宙に放たれた札から、強烈な魔力が込められた弾丸がイヨに向かって放たれる。一枚の札から五発、その札が十枚。計五十発の弾丸の雨がイヨを襲う。
イヨは魔術の盾を出したが、数発受けただけで日々が入り、欠け始めた。その数秒後には盾は完全に割れたが、辛うじてその前に着弾点から脱出していた。
『――
すぐさま反撃だと、イヨは魔力を炎へと変えレティに向かって炎の嵐をお見舞いする。まともに食らえば命を落とす火力だが、レティは慣れていると言わんばかりの顔で対処する。
『札だから燃えるかと思った? 慣れてるわ『従印――『ヒノトリ』』
一枚の札から、燃え盛る神々しい鳥が放たれた。ヒノトリは一声美しい声で鳴くと、向かってくる炎に正面から突っ込み羽に炎を吸収してしまう。そのままの勢いでイヨに向かい――
『ここッ――除霊術』
『――!』
『『アナベスの杭』ッ!!』
イヨの手のひらからヒノトリに向かって光の杭が放たれる。ヒノトリは交わしきれず杭に撃ち抜かれ、壁に磔にされるため身体ごと引っ張られていく。
レティからすれば、できそこないで不完全な除霊術。『アナベスの杭』を学生のみで単独行使できたことには驚いたが、問題はない。今にも消えそうな『アナベスの杭』など一旦壁に磔にされればすぐにでも外せ――
『しまっ――』
この空間魔術で拡張された地下室には壁がない。どんなにできそこないで不完全でも発動された『アナベスの杭』は確実に対象を一度は磔にする。そういう概念をもった除霊術なのだ。
壁と床の境界線、点になるほど遠くまで引っ張られていくヒノトリ。その様子を見過ごしてしまったことが勝負の決め手となった。
その時、自分でもなぜ足が動いたのかはわからなかったが、考えるより先に最速の踏み込みで間合いを詰めた。その右手には温かい魔力が灯り――
『除霊術――『邪気天晴の拳』』
レティの横顔を撃ち抜かんと狙いを定めたが、ハッと冷静な思考に戻って、狙いを変えた。
その結果、ぷにょんっとレティの豊満な胸にイヨの拳がそっと当たる。それは除霊術の基礎中の基礎の術。悪霊を祓い、生者を助ける正義の拳だった。
『……』
当然、悪霊に対して効果を発揮する術であり、生者のレティには何の効果もない、はずだが――
パァンッ! と激しい音を立ててレティが破裂した。イヨは突然の出来事に困惑するしかない。まさか自分が殺してしまったのか? 人を傷つけるような術ではないはずなのに、とあたふたしているイヨの肩が叩かれ――
『ひゃいっ!?――あ』
叩かれた方を思わず向くと、ぷにっと頬に指が刺さった。いつのまにか後ろに回ったレティがなにか考えているような難しい表情でこちらをみていた。
しばし考えた後、レティはゆっくりと言葉を紡いだ。
『……どうして、最後私に向かってきたの?』
『それが、自分でもよくわからなくて……。でもレティさんが悪霊だって意識したら、一番有効なのはこの除霊術かと思って……』
今見返してみても、この時の自分の判断には驚かされた。格上の除霊師相手に無策に突っ込んでいくなんて、短慮にもほどがある。
『ううん、きっとレティさんに夢を否定されて熱くなっちゃってそれで……』
『一発殴ってやろうって? ふっ……ふふふあははははっ!』
レティは心底おかしいと腹を抱えて笑っていた。本気で戦っていたイヨからすれば笑われるのは不本意だが、そもそもなぜ笑われてるのかが分からなかったので何も言い返すことができなかった。
『ははは……ごめんなさい笑ってしまって。貴女、意外と感情に素直なのね』
『あ』
確かにレティに夢を否定されたとき、頭の中が真っ白になって体が動き出していた。
『ってか最近の除霊師はみんな遠くからチマチマチマチマチマチマチマ魔術だの除霊術だの撃つだけなのがダメなのよ!』
どうやら昨今の除霊師の在り方について並々ならぬ思いがあるらしい。というかついさっきまでのレティも遠くから札魔術を使っているだけな気がするが、それを突っ込むと怖いので何も言えなかった。
『まあ、それはおいといて、刻印――『廻復』』
ぺたり、と一枚の札がイヨのおでこに貼られた。すると札から暖かな魔力が流れ込んできて、レティとの手合わせで傷ついた身体や衣服、枯れかけた魔力がみるみる戦闘前まで戻っていく。
『すご……』
みたこともない魔術に圧倒されていると、レティが踵を返して地下室をあとにしようとした。
『なにぼさっとしてるの。時間までレクチャーしたげるからついてきなさい』
『……! はいっ!』
この人、人を連れまわしてばっかりだなと思いながらも、口角を緩めながらレティの後を追った。
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