第二話 研修生の実力
イヨは恐る恐る屋敷の中に踏み込んだ。中は光がなく、入り口から差し込んだ光だけが視界の頼りになっている。かろうじて室内の輪郭が捉えられる程度しかない明るさで目を凝らすと、目の前には大きな階段、数十段上がると踊り場があり、左右に分かれている形式だ。そして階段の脇には通路がありそれぞれ闇に覆われている通路が伸びている。
天井には蜘蛛の巣の化粧を施されたシャンデリアが、長い間役目を果たしてないためか冷たく寂しさを感じさせる。
ふざけ半分で肝試しに来るような若者なら、今すぐにでも踵を返して逃げ去るような不気味。お化け屋敷のお手本として教科書に載っていてもおかしくない光景に、自分が今本物のお化け屋敷に無防備に入ってしまったという事実に気付かされた。
「そうだ、先輩──」
ギィィイイ、バタンっ!
軋みをあげながらイヨの背後、入口の扉が独りでに閉まり始めた。その音と狭められていく光の筋に気付き振り返るが、既に手遅れ。人が通れる隙間はなく、ほぼ閉まりかけている扉に駆け寄るも、扉は完全に閉じられてしまった。
外との繋がりが完全に遮断され、完全に光を失った室内は一気に暗闇が支配した。
「そんな、先輩が外に……」
イヨは口に出して気づいた。自分はまだ、待ち合わせをしていた除霊師との面識がないことを。後ろから声をかけられただけ、姿を見ることなく言われるがまま屋敷に踏み込んでしまった。
さっき声をかけてきたのは本当に除霊師だったのか、それとも別の――
「例えそうでも、今私がするべきなのはここから逃げることじゃない。助けてって声がしたんだ、確かめにいかなくちゃ」
「『──
ぽうっと、イヨの指先に白い光が灯る。学園の低学年で学ぶ基礎魔術の一つで、光源を作る魔術だ。そこに学院一の秀才が使えば基礎におさまることはない。
軽く指先を振るう。すると、指先から離れた光が、ふわふわとイヨの頭の高さで浮かび上がった。これでもう暗闇に惑わされることはない。
いざ屋敷の奥へ、と動こうとするが自分の足がまるで床に張り付いているかのようにピクリ動かなかった。
「ふぅ……。何よ、ビビってるのアタシ? こういう時誰かを助けるために除霊師になろうって決めたのよ……怖がってる暇なんてないっ」
固まった足を無理やり叩いて動かした。震えは残っているが、なんとか動ける程度には回復し、その足でまず一階から調べていくことにした。
歩くたびに軋む廊下を進んでいく。等間隔に配置してある窓のサッシには埃が溜まり、小さな虫の死骸が転がっている。窓に近づいて覗き込むと向こう側には、長いこと人の手が入らず好き放題に伸びた草木が生い茂り、庭園だったものの面影が見えた。さらに目を遠くに凝らすと、開けた場所に無造作に石柱が立てられている場所を見つけた。その場所に、何か動く影のようなものが見えた。
「あれ、なんだろう」
しかし丁度、窓の端の部分になっていてうまく見ることができない。体の位置をずらしてみてもなぜかハッキリとみることができなかった。
「……気のせいかな。って今はこっちに集中しないと!」
窓を割って身を乗り出せば正体を確認できたかもしれないが、優等生のイヨには廃墟とはいえ勝手に窓を割るなどという発想はないのであった。
通りかかる扉を一つ一つ開けて、中を確認していくがどの部屋も特に怪しいものはなかった。だが次に開けた扉は、他の部屋とは一風違っていた。
「……浴室か」
ちょっとした空間の奥には、垂れ幕で仕切られており浴槽があるのだろう。念のために奥の浴槽も確認しようと近づくと、とあるものを感じ取る。
「ひどい臭い……」
思わず顔をしかめながら、慎重に近づいていく。だが近づけば近づくほど悪臭は強烈なものへとなっていく。口呼吸をしていても臭いを感じているかのようで、若干涙目になりながらも、勢いよく垂れ幕を跳ねのけた。
「!!」
相当な覚悟をもって幕をあけたつもりだったが、そこには何もない。ただ空の浴槽があるだけだった。しかし、まるでついさっきまで熱い湯が張られていたかのような白い靄が充満していた。臭いの元はこの白い靄のようだ。
「これ霊霧? 嗅がせてもらったやつとは大違い……」
学園の先生が生徒たちに体験させようと、管に入った霊霧を教室内で放ったときのことを思い出した。その後教室は大惨事になり、授業が終わった後恐ろしい顔をした学年主任が先生を連行していったのは別のお話。
ともあれ、あの時嗅いだものよりも何倍も濃い。臭いのキツさというよりも、肌で触れて感じる寒気が比べ物にならなかった。
少しでも臭いをなくそうと、浴室の窓を開けてからイヨは出た。吹き込む風は異様に冷たかった。
「今の浴室に漂ってた霊霧の量……やっぱりこの屋敷には霊が住み着いている。誰かいるなら急がないと」
こ
イヨは探索の足を速め、ついに一階の部屋は全て見終わった。次は後回しにしていた二階だが……
「……」
二階へ続く階段に足をかけるが、一歩が中々進まない。無意識のうちにわかっていたのだ、本当に恐ろしいのは二階だと。二階に漂う霊素の量が一階の比ではない、いやそもそもこの屋敷に漂う霊素は二階から流れてきているのだ。二階の奥から吹いた生暖かい風がイヨの頬を撫でる。
「行くわよ」
頭上を浮かぶ光の玉を、やや前方。二階の奥を照らすように飛ばし、恐る恐る階段を上っていった。
「――っ!?」
まず目に飛び込んでくるのは、惨状ともいうべき二階の荒れ具合だった。壁や天井は剥がれ落ち、ところどころ穴が開いている。また床には家具や花瓶などの破片が散らばっておりまともに歩くことが困難になっている。そして目を引くのは、赤。いたるところに時間経過によって錆びれた色に変わった血の跡が、こびりついている。
「『――
心理的影響を軽減する魔術を自身にかけて進む。心の中で恐怖が必要以上に膨らんだり、冷静な思考を保つことができる便利な魔術だ。今までは使わずに我慢してきたが、一目見ただけで迷わず行使を選択した。この魔術に頼るのは半人前だと揶揄されることも多いが、使わないで後悔するぐらいなら予め使ったほうがマシだ。
床に散らばる破片を避けながら、手始めに一番近くにあった扉へたどり着いた。ドアノブに手をかけ手前に引くが、上手く開かない。立て付けが悪いのかとドアに注目すると、その答えはすぐにみつかった。
「もう……瓦礫が邪魔」
足元に転がった瓦礫が邪魔をして扉を塞いでいたようだ。イヨはしゃがんで瓦礫を拾った、無意識のうちに拾ってしまった。
「なんか微妙に柔らか――ヒィ!?」
それは人の腕だった。それも大分年齢が幼い幼児の腕だ。腕だと認識した瞬間放り投げ、宙を舞った腕は肉々しい嫌な音をたて瓦礫に隠れてしまった。
「なんで腕がこんなところにっ? うぅ……触っちゃったし」
呪術的なものが付与されているかもしれないと、念入りに浄化魔術を掛け気を取り直し扉を開けた。中は廊下と同じくらいに散らかっていたが、他には一階同様不自然なことはない。怪しいものがない以上、部屋に入るつもりはなく、そのまま次の部屋に入ろうとしたが――
「え?」
とんっ、と背中を押される。バランスを崩し倒れるように室内へ。慌てて振り返るとそこには一本の幼く小さな腕が扉の向こうに落ちていて。ゆっくりと扉がしまる。窓から差し込む月明りだけが頼りとなった。慌ててイヨは明かりの魔術を構築し、小さな太陽を生み出し部屋は煌々と照らされる。
明るく視界が確保できたところで、扉に駆けよりドアノブをひねり押すがビクとも動かない。体重をかけ全身で押し込むが結果は変わらない。イヨの額に冷や汗が流れる。この現象をイヨは知っている。ついさっき屋敷に入った時も経験したばかりだ。
「……霊錠、閉じ込められた」
霊だけが使える異能力、霊能の一種でこれを破るには除霊術を用いるしかないのだが――
「除霊術『扉開き』、上手くいくかな……」
イヨはこの除霊術が苦手であった。というのも、この霊錠という現象は霊だけにしか行使できず、この術を練習することがそもそも難しいのだ。故人権法によりたとえどんな悪霊であっても使役や飼うことは禁止されている。そのため実際の霊錠を体験はおろかそれを破る『扉開き』の術を練習するのは困難を極める。そういったことも含めて学ぶのがこの研修の目的でもあるのだ。
他に出口はないかと部屋を見渡すと、窓の存在に遅れて気付いた。外壁を伝って窓から入れば、いいのではないか。そう思い立ったイヨはすぐさま窓に駆け寄り、開けようとするが扉と同じように窓はビクともしない。ならば、と倒れている椅子を思い切り窓に叩きつけるが、壊れたのは椅子のほうだった。次は窓から距離を取り、腕を突き出す。流れる魔力に働きかけ、一転に集め放つ。
弾丸状に放たれた魔力は、窓に直撃したものの無傷のままだった。古ぼけてヒビは入っているが、それはイヨの攻撃で入ったものではない。
「やるしかないか……」
扉に近づき、心を落ち着かせる。こんなところで終わるわけにはいかない、人を助けるだけでなくイヨにはこの研修で成果をあげなければいけない理由があった。その覚悟が精神を研ぎ澄ませ学園一の優等生、イヨ・クライスの実力が遺憾なく発揮される。
「除霊術……、『扉開き』」
ぼうっ、と青い光が身体から浮かびあがったと思えば、徐々にイヨの腕に集約される。時間をかけ腕全体を覆いつくしたあと、玉のような汗を浮かべたイヨはつい顔がほころぶ。
「――やった!」
構築に成功して気を緩めたため、集まった光が少し逃げ、ところどころ地肌が見えてしまった。
「ちょ、落ち着けー私ー」
深呼吸で気を整え、再び光に包まれた腕をゆっくり扉に近づける。扉に触れた瞬間、そのまま扉に吸い込まれるように腕が沈んだ。
「ッ!?」
その途端、頭の中に見たこともない景色が広がる。目の前に巨大な球体だ出現する。そしてその球体には無数の手が生えており複雑に絡みあい蠢いている。霊錠を実際に解くのはこれが初めてだが直観する。この手をほどけば扉は開くと
「――やってやろうじゃない」
◆◆◆◆
それからどれくらいの時間がたっただろうか。精神世界のイヨは一日以上解錠に難航していた。絡み合う手は、力づくで剥がそうにも他の腕同士がまとわりついて剥がれない。やはり正しい手順で一つ一つ剥がしていくしかない。
一体どれからやればいいのか――。球体から離れて全体を眺めていると一つだけ他の腕と違うものがある、気がした。近づいてみてもその腕が他と外見的に違っているわけではない。だが、妙にその腕だけ他とは違って見える。近づくとハッキリ感じるようになった。試しにその腕を持ち上げてみると、驚くほどあっさりと引き抜けた。抜いた腕は、イヨの手の中でウヨウヨと動いたあと霧散した。すると今度は少し離れた場所、数メートル先に新たな違和感の腕が生まれた。
また引き抜くと、次が生まれて、引き抜いて、次を引き抜いて――
ついに最後の腕を掴む。引き抜かれたくないのかやたら暴れていたが、しっかりと根本を掴み引き抜く。その瞬間、球体から眩い光が放たれ――
◆◆◆◆
「――はあッ!」
意識が現実へ引き戻された。息をするのも忘れるほど精神世界に入り込んでいたため、深い呼吸を繰り返す。汗のしずくが床に零れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
手をついて呼吸を繰り返しているうちに、先ほどまで固く閉ざされていた扉がギィーっとゆっくり開いた。
「やった……はぁ……」
よろよろと立ち上がり、部屋を後にする。イヨを閉じ込めた手どころか、床に散らばっていた瓦礫や壁の血の跡が綺麗さっぱりなくなっていた。それどころか壁や天井の傷すら跡形もなく修繕されている。
「うそ……」
「――ァ」
「……?」
どこからか声が聞こえてきたような。耳を澄ます。
「――ァァ」
やはり聞き間違いではない。何かの音が確実に聞こえている。全身の魔力を励起状態から活性化状態へ一気に覚醒する。まるで全身から火を噴いているかのように魔力が輝く。
「――ハ」
音の主は確実に近づいてきている。イヨの身体が強張り、冷や汗が背筋を伝う。
「――ハハ」
笑い声、聞こえていた音は誰かの笑い声だった。こんな廃墟で笑う者などロクな奴ではない。だが、声は大きくなっているのにその姿が一向に見えない。廊下の奥まで照らすが、見えるのは行き止まりだけ。前も後ろも何度も見渡すが、なにも見えない。しかし声は確実に大きくなっていく。
「――アハハハハっ」
「誰なの!? いい加減姿を見せなさいッ」
声がすると思った方向に魔力弾を撃ち込むが、壁を少々破壊しただけだった。声は一向に止む気配がない。
「アハハハハハハッ!!!」
キョロキョロと辺りを見渡すイヨをあざ笑うかのように、声はどんどん大きくなる。それもどの方向を向いても、向いた先から声が聞こえてくるのだ。その不自然な現象に違和感を覚えたその時。
ふと、魔力弾を撃つために突き出した腕に目線が移った。それも、着ている学園の制服の袖に。あるはずのない口に。
「――アハッ」
「――!?」
服の袖に口が生えている。そう表現するほかない現象に、心臓が止まるかのような恐怖を感じた。急いで制服を脱ぐと、制服は床に落ちたあと一人で二浮かびあがり、ケタケタと小刻みに揺れなが笑い始めた。
「アハハハハハッ!!」
「物体寄生型の浮遊霊? 驚きはしたけど、このレベルなら倒せるッ!」
制服に浮かび上がった笑う口をキッとにらみながら、魔力を練り始めた。制服が、イヨに襲い掛かってきた。速度は速いが、躱せない速さではない。イヨは難なく躱して魔力弾を放った。
「私の制服、返しなさいッ!!」
放たれた魔力弾は、制服に命中する。霊が取り憑いて耐久力が上がったのか、制服自体に穴が空いたりなどはなかったが、霊本体にはきちんとダメージが通ったようで、苦悶の声をあげた。
「――アアア……ッハハハハハハハハ!!」
「なっ」
もこもこもこもこっと、口の数が増えていく。すでに制服全体に口が生えていない箇所はないほど埋め尽くされている。その口一つ一つが不気味な笑い声をあげているため、深いな騒音へと変わる。
「「「「「アハハハハハハハ」」」」」」
「くぅ……っ」
重なり合った声は反響し共鳴し増幅する。結果その声自体が攻撃へと昇華される。頭を叩き割るような超高音。さらにその声には霊素が付与されており、聞いたものに心理的なダメージを与える。さきほど精神防御の魔術を行使していなければ、あっという間に発狂していただろう。
しかし顔をしかめる程度で済んでいるのもそう長くはない。ジリジリと心に張った防御膜が削られていく。もって数秒、それまでにイヨは次作をうった。
「『――
唱えたとたん、耳をつんざくような不快な響声は止んだ。正確にはイヨの元へは届かなくなった。彼女が使った魔術は遮断せよ、本来は身体の表面に空気の断層を作り、厳しい外気温から守る魔術だ。イヨはそれを応用し、魔術を強めに発動することで音の影響すら遮断する断層を作り出したのだ。
「もう一発っ!」
その隙に魔力弾をもう一度発射。歪んだ笑みを浮かべている口に見事に直撃し、ぼとりと制服が床に落ち、声もピタリと止んだ。
「やった……?」
ゆっくりと制服に近づく。見たところどこにも口は見当たらない。除霊に成功したと確信をもって制服に手を伸ばした瞬間、
「――あ」
その時、霊とイヨの間の空間が大きく捻じ曲がった。
空間が強引に捻じ曲げられたとき、空間が元に戻ろうとする衝撃は凄まじい。爆発じみた音と共に巨大な衝撃の嵐が廊下中を駆け巡る。それはイヨも例外ではない。
「あぐっ!?」
奔流に呑まれ、壁に叩きつけられる。背中に強烈な衝撃が奔り肺が圧迫され全身の空気が抜けるような感覚を覚えた。重力にひかれぐしゃりと床に崩れ落ちる。たった一回の攻撃だけでイヨの身体には申告なダメージが入っていた。
もし、魔力で強化していなければ今頃全身の骨は砕かれ、廃墟のブキミなオブジェとして床を飾っていた。
壁に叩きつけられた衝撃からか、イヨのポケットに入っていた小瓶が床に転がる。
起き上がれないままのイヨへ霊が追撃する。
口の代わりにびっしりと目が生えた制服は、ふわりと浮かび上がりその一つ一つの目がイヨを凝視していた。
「うぅ……」
見えない力によってイヨの身体が持ち上げられた。無理やり身体を動かされ、四肢が痛む。それはまるで透明な糸に操られている人形のように床から少し浮いた高さで固定された。
ミシリ……
「うぅっ……、あ……」
声にならない悲鳴が上がる。
頭が万力で絞められているような圧力を感じる、首が一周させられそうになる、腕が関節と逆方向に曲げられる、腹が捩れ、脚は捻りつぶされそうになる。
「……か、は……」
肺が締め付けられ声もだすことができない。辛うじてまだ生きているのは魔力が尽きていないから。しかしそれももう時間の問題だ。
「……」
ミシリ、ミシリッ
「くぅ……」
このままでは殺される。そんな未来をみたイヨの頭の中に一つの除霊術が浮かび上がる。これを使えば助かるかもしれない。
しかし、度重なる魔術行使と除霊術『扉開き』の使用。身体を強化する魔力と多くの魔力を使っている。残りの魔力量でその除霊術が使えるかギリギリのところだ。
締め上げる力が一層強くなる。骨が軋みを上げている。口の中から血の味がし始めた。
迷っているヒマはない、使わなければ死ぬんだから――!!
「じょ、れいじゅつ……」
「……」
「『あ、なべすの、くい』……ッ!」
イヨの眼前に光の柱が浮かび上がる。それは形で言うと細長い三角錐。だがそれは完璧とはいえない仕上がりで、輪郭はおぼろげに霞み、触れれば簡単に霧散してしまいそうだった。
しかし、先端は不気味な笑みを浮かべている霊へ向かってしっかりと向けられていて、杭は激しく回転しながら強く、霊に打ち込まれた。
「……!?」
瀕死のイヨの攻撃は無駄だと判断したのか、霊は避けなかった。その選択が過ちだと気づかすに。霊の身体に突き刺さった杭の勢いは衰えず、霊ごと引っ張りそのまま廊下の奥、突き当りの壁に刺さる。
「ア”ァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ”ッ”ッ”!!!!」
「ゲホッ、ゲホッ……」
霊がもがき苦しんでいるさまを見ながら、ゆっくりと立ち上がった。痛む体を抑えるが、回復魔術を使う魔力は残っていなかった。除霊術を構築するのでギリギリだったのだ。
「アッハハハハッ!!」
「……どんなに暴れてもムダよ。一度刺さったら絶対に抜けない、そういう術なんだから」
再び現れた口から、笑い声が漏れているがこちらを嘲るようなものは含まれていないようだった。どちらかと言えばこちらをひどく憎んでいるようなそれに近い。
身体を大きく動かして抜け出そうとしているが、深々と突き刺さる光の杭は一向に揺らぐことはなかった。完璧な構築はまだできないが、効果はきちんと発揮したようでイヨは一息ついた。
「……ふぅ。魔力が回復次第、こいつに止めを刺せばこの仕事は終わりね。――私、ほんとに一人でできちゃった」
湧き上がるのは達成感と高揚感。不安と恐怖を乗り越え、初の実戦で霊を退治できた。この実績は並みの学生では得難いだろう。これまで自信をバカにしてきた生徒や忌み嫌う先生たちを見返すことができる。そう思った矢先に――
「アハハハハッ――」
「え?」
空間が戻った時の衝撃で床に散乱していた瓦礫や破片が持ち上がる。一瞬宙で静止したかと思えば一転、すべての瓦礫がイヨ目掛けて放たれる。
視界を埋め尽くすほどの膨大な数、尽きた魔力、全く回復していない身体。そのすべてが回避は不可能と叫んでいた。
「そんな……」
瓦礫が当たる直前、垣間見えた霊の、目と口は歪に笑っていた。――意趣返しだと。
一際大きな木片がイヨの胸に突き刺さる、その瞬間のできごとだった。
「――何やってンだよてめぇは」
「アハハハハ――ギィ!?」
イヨの目の前に何かが横切り、瓦礫を防ぐ。余りの出来事にイヨは認識が追い付いていなかった。
「ん? あんだこれ、抜けねぇ」
いつの間にか廊下の突き当りに移動していた何者かが霊を磔にしている杭を掴み引き抜こうとしていた。だが人間程度が抜けるものではない。あれは術者のイヨ自身の意志がなければ動かすことさえできない。
「……まいいや」
バキンッ!
「――は?」
粒子を散らしながら、杭が破壊された。遠くてよく見えないが、確かに『アナベスの杭』が破壊された。
信じがたい光景はまだ終わらない。
「ったく、なーにガキにやられてんだ。てめえはっ」
何者かが霊を掴んで床に叩きつける。その衝撃で鈍い音が響き、屋敷全体が揺れた。
「ァア……ァア……」
「てめぇは負けたンだ。ザコは俺の前から消えろよ」
何者かは霊の顔を押さえつけている手に力を込める。それだけで霊の身体は豆腐のように握りつぶされ、何事かを喚きながら霧散した。あれだけイヨを苦しめた霊を素手で倒した人物。ゆっくりとイヨの方へと振り返る。少しずつ、こちらに向かって歩いてくる。
「あー怖がらせちゃったかナ? ごめんねーウチのが迷惑かけたみたいでサ」
近づいてきてようやく顔が見えてきた。
灰色の髪をした男。短く切られた髪は雑に伸びており、身なりに無頓着な様子が伺える。
髪色と同じ灰色のローブを羽織った男は笑顔を浮かべながらイヨに近づいてくる。がイヨはそれから逃げるように後ずさりをしていた。
「……おい、なんで逃げんだよ。ボクはキミの命の恩人なんだよ?」
感情の起伏が激しいのか、話している間にも語尾や口調が変化している。男の不安定さも恐ろしいが、それよりももっと恐ろしいものを男は持っていた。
男が羽織っているローブ、近づいてきたときに分かってしまったのだ。男が纏っているのはローブではなく――
「「「アハハッ」」」
「ひっ……」
男のローブに浮かび上がった複数の顔がイヨに笑いかけていた。
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