レクエルム除霊事務所

JULY

第一章 相性最悪なコンビ

第一話  走る男

「やばいやばいやばいっ!!」


 月明かりが寝静まる城下町を照らす。王都アニマベルクの北区。住宅や宿泊施設が立ち並ぶ中流階級の人々が住む地区の上。

  人々の民家の屋根を疾走する黒い影があった。


 影の正体は一人の男。影のように見えたのは、男が羽織っているローブがまるで夜の闇に溶け込むような漆黒だったから。


 男は上半身を地面と水平になるまで倒し、極限まで風の抵抗を受けずに済むように走っている。それはまるで地を這うように吹く風、見た目からは影に見えるかもしれない。人々が空を見上げるころには既に遠ざかるかすかな足音だけを残して過ぎ去っていく。


 男は影となって疾走するが、一人ではなかった。影に話しかける者がいる。


「急ぐニャ! もう一時間の遅刻ニャ!」

「わかってるって! そう急かすなよ」


 男が羽織るローブについたフードの中、男の纏うローブと同じ、真黒な毛並みの猫が振り落とされないよう、男の頭に爪を立てながら抗議の声を上げる。


「時間を指定しておいて遅れるニャンて……先輩として恥ずかしくニャイの?」


 ――影のごとく駆ける男の名はキッド。ここ、王都アニマベルクに居を構える除霊師事務所に所属する除霊師である。そして飼い主の頭に黒猫の名はタマ。とある事情で知性と霊力を持った化猫である。


 タマは器用に頭の上で頬杖をつき、髭を風になびかせ、物凄いスピードで背後に流れていく王都の風景を横目に見ながら。絶賛遅刻真っ最中の飼い主を問い詰めた。


「仕方ないだろっ! そもそも俺はついさっきまで王都の外……、でっ!――っと、『例の組織』の幹部と死闘をしてたんだ! 魔力も霊力も食人衝動も割と限界だったんだぞ!?」


 ちょうど話している途中で道を挟み屋根が途切れたため、踏ん張って飛んだところだ。


「でも取り逃したニャ」

「あっちも相当な深手を負ってる、だから別にいいんだよ」

「ちっともよくないニャ。そんなんだからいつまで経っても上級に上がれニャいニャ」

「おまっ……それは言わない約束だろ!? そもそも上級に上がるには本部で直接試験を受けなきゃいけないからでっ、本気どころか正体すら明かせない俺は試験を受けられないだけで――」



  あーだこーだと言い争いをする一人と一匹。せっかくキッドが足音を消して、寝ている方々に配慮したところで、ここまで言い争いをしていればあまり意味がなかった。そんな言い争いをしているうちに、キッドが待ち合わせに指定した屋敷が見えてきた。


「話はあとだ。ってか遅刻遅刻って言うけど、あいつもまだ来てないかもしれないぜ?」

「いーや、噂曰く学院史上最優の秀才、らしいニャ。そんニャの絶対ありえないニャ」


 最後に力強く踏み込んで跳躍。宙でくるりと身を翻し着地した。王都の中心から離れたこの場所は北区七番通り、通称”幽霊通り”。そう呼ばれる由来は、目の前に建つ荘厳な屋敷であるが……


「……で、研修生はどこだ」


 アニマベルク国立魔術学院から研修生がくる。今朝所長に言われたキッドは、初の研修場所としてこの屋敷を選んだ。待ち合わせ時間は午前零時、今は諸事情により一時間のほど過ぎてはいるが。


「ほんとに来てニャイニャ!?」


 屋敷の門をくぐり、玄関前まで足を運ぶが人影らしきものは一つもない。それをみたキッドは心の底から安堵したようすで、玄関前の階段にどさっと腰を下ろした。


「ほらみろタマ、急ぐ必要なかったろ? にしても研修の身分で遅刻とはけしからん。ここは先輩としてビシッと教育をだな――なんだこれ」


 腰を下ろし、手を床に広げようとした時、手に何か固く四角いものが触れた。


「『除霊学Ⅲ』……なんだ学院の教科書か……」

「なんだ、教科書ニャ。まったく置き忘れには気を付けて欲しいニャ……」

「「――教科書!?」」


 霊が住み着いている屋敷を前にして、教科書を開くようなことをする人物は一人しか思い浮かばない。しかしその人物がこの場にいないということが導き出す答えは一つ――


 二人の視線が自然と玄関へと吸い寄せられる。


「まさか……もう中に?」

「さっさと行くニャ!!」


 キッドが玄関の扉を開けようとするが、扉は貼り付けられたかのようにビクともしない。


「これは霊錠!? しかもこのレベルを張れる奴がいるとするとマズいな……研修生には荷が重すぎるぞ」


 霊錠とは、霊が獲物と見定めた人間を自らの領域から逃がさないため、超常の力で扉が施錠されていることである。よくお化け屋敷に迷い込んでしまった人々の背後で扉が勝手に閉じてしまい、開かなくなる現象はこの霊錠が原因である。


 当然ながら霊錠の強さは、それを仕掛けた霊の強さに左右されるがこの男の前にはどれも等しく無意味だった。


「除霊術『扉開き』」


 一呼吸のうちにキッドも右手に青い光が集まった。その手を扉に近づけると、まるで水面に手を突っ込んだように、波紋を立てながら扉の中に手が入っていく。複雑に仕掛けられた霊位相を一瞬で見破り、右手を回すと、――カチリ。いとも容易く扉を開けた。


「なかなか頑張って閉めたようだけど、俺には及ばん」


 扉から手を抜き、両手で扉を押し開けた。屋敷の中は不気味なほど静まり返っている。


「よし、待ってろよ研修生。今、助ける」


 キッドとタマは臆することなく屋敷の中へ踏み込んでいった。



 ◆◆◆◆



 時刻はさかのぼること一時間ほど前。ちょうどキッドとタマが郊外でテロリストの幹部と死闘を繰り広げている頃。魔術学院から研修に来たイヨの心中は怒りと不満が渦巻いていた。


「約束の時間なのに誰も来ない……もう十分の遅刻ですっ」


 研修に来て初めての仕事、期待と不安を胸に来てみればそこには自分ただ一人。事前に渡された資料にはもう何十回と目を通しているし、攻略法は何百回も頭の中でシミュレーションしてある。はっきり言ってこのレベルの霊なら自分ひとりで対処できる。


「でも先輩にはここで待ってろって言われたし……」


 玄関前の階段に座り込み、ぼんやりと前を見つめながら考える。思い浮かべるのは今朝の出来事――



『ようこそレクエルム除霊事務所へ……と歓迎したいんだが、君を受け持つ予定の除霊師が今不在でね。それで彼から伝言を預かっているんだが……』


 そういって渡された紙には――


『午前零時に北区七番通りのお化け屋敷に集合。それまで自由、以上』

『……』

『あー、時間まで他の除霊師をつけよう』


 ――親切な所長さんのおかげで約一日分の貴重な時間を浪費せずに済んだ。仕事があって忙しいのは理解しているが、イヨの評価はかなり低いところまで落ちていた。煮えたぎる心をごまかすために学院の教科書を開き、流し読みを始めた。


「……」


 ページをめくる、めくる、めくる。いつもの倍以上の速さでめくられていく。目で文字を追っているのに内容が全く入ってこなかった。


「あーもうっ! 集中できない!!」


 ぱたん、と教科書を閉じて立ち上がった。考えないようにしても頭の中からもやもやが消えてくれない。本物の霊とこれから対峙するという事実に高揚感と不安が募る。故人権法により、教育のために霊を使うことはできない。実践を積むためには本物の除霊師に同行して学ばせてもらうほかない。


 そのためにできることは全てやってきたつもりだ。気づけば最優の秀才だともてはやされていた。それも全てはある夢のため。だからこそこの研修は少しでも実りあるものにしなければいけないというのに……


「もうすぐ三十分……ほんとにここであってるのかな」


 ついには集合時間を間違っているのは自分なのではないかと疑いかけ、今朝渡された紙を見返そうとポケットから紙を取り出しかけたその時――


「だれかぁ!! 助けてぇええッ!!」

「――っ!?」


 屋敷の中から甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。早く助けに行かなければ――


「いや、待って。この屋敷には誰も居ないはず……だったらこれは」


 ”虚の呼び声”。霊が自身の領域に獲物を誘い込むために用いられる常套手段。この古典的かつ単純な手段の厄介なところは。


「でも、もし本当に人がいたら――」


 助けにいかなければならないのではないか。資料の通りならこの霊なら自分一人でも勝てる。もし一人で除霊できれば今後の評価にも大きくかかわるんじゃないか――


「でも、伝言ではここで待てって書いてあるし――、やっぱり一人でいくわけにはいかないわね。ここは大人しく先輩の到着を待たなきゃ――」

「何してるんだ。早く助けにいけ」


 後ろから男性の声が。声の方を振り返ろうとすると――


「何してる、もたもたしてる暇はないぞ。大丈夫、俺が見てるから何も心配ない」

「わ、わかりましたっ!」


 声に急かされるように扉に手をかけ押入る。イヨが屋敷の中へ消え、扉が完全に閉まったとき、そこには人の影はなく、ただ静かな夜の闇が広がっていた。

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