第7話 ロイドの見ている世界②

 以後、騎士団の任務の帰りに、俺は気まぐれにその公園に立ち寄るようになった。

 白い猫の姿がちらつくからだ。

 そして見つける度に、まだ生きていたのかと、気づくと安堵するように変わっていた。


 夏には、大規模な討伐があり、泊まり込みの日々が続いた。

 背中に激しい裂傷を負った俺は、夏の終わりに、暫く休養するようにと命じられた。少し、不思議だった。どこかで、死ぬまで戦わせられると思っていたから、休めと言われても、逆にどうしていいのか分からなくなった。


 ふと思い出したのは、猫のことだった。逆に、それ以外何も思い出さなかった。


 ぼんやりと、騎士の装束から、久方ぶりに学院の制服へと着替えて、俺は公園へと向かった。すると、少し大きくなった白い猫の姿があった。茂みの中に仔猫が三匹、親猫がちょうど出てきたところだった。それを見ていたら無性に安堵してしまい、俺は気づくと笑っていた。少し休んでいこうかと考えて、四阿のベンチに腰を下ろす。


「……まさかテストまで欠席することになるとはな」


 呟いて俺は、騎士団に届いていた試験問題を、鞄から取り出して、テーブルの上に載せた。なにげなく解いてみれば、いずれも簡単すぎて苦笑した。まじまじとそれを見ていると、人の気配がした。こちらへ走り寄ってくる気配だが、不審者ではなさそうだった。迂闊に取り押さえるわけにもいかないと判断し、何気ない素振りで顔を上げて見せた時だった。


「もしかしてルードフェルド魔法学院の学生なの!?」


 唐突に声をかけてきたのは、銀色の巻き毛をした、白磁の肌の少女だった。愛くるしい瞳の色はサファイアのように濃い青だ。桃色の唇をわずかに開けている。少し年下だろうかと考えながら、身なりを一瞥した。タグ付きの服を着ている。まだ買ったばかりなのは明らかだ。靴も真新しい。どれもそこそこ裕福な平民が好む品だ。いかにも貴族のご令嬢が変装しましたと言った出で立ちとしか評しがたい。


「だったらなんだ?」

「お話を聞きたいと思いまして」

「どんな?」

「ええと、学院の中はどのような感じですの?」

「普通の魔法煉瓦で出来ている。では」


 俺はそう言って立ち上がり、その場を立ち去った。「あっ、待っ――」という声が聞こえたようにも思ったが、知らんぷりを決め込んだ。


 さて――俺の休暇は、名ばかりで、すぐにまた呼び出された。


「悪いな、ロイド。どうしてもお前の力が必要なんだ」


 頭を下げた騎士団長を見て、この人もまた俺に対して死ねと思っているのだろうかと考えながら、俺は無表情で首を振った。


「任務ですので」


 そうしてこの日も、俺は魔獣を屠った。

 すると帰り際に、騎士団長に呼び止められた。


「怪我の方は本当に大丈夫なのか?」

「はい」

「そうか。それはよかった。ところで、王太子殿下の護衛の件なのだが、様子はどうだ?」

「俺が学内にいておそばにいる場合は、特に問題は生じておりません」


 俺はそう答えた。

 ちなみに俺は、ルイス王太子殿下の靴箱に二種類の空間魔法をかけている。一つは、嫌がらせで生ゴミや生卵が投げ入れられた際に、勝手に消滅させる魔法だ。王族をやっかむ者は多い。もう一つの魔法は、手紙の検知・分類をするものだ。内容物にカミソリやカッターの刃といったものが入っていた場合、自動的に消滅させる。これは上履き自体に画鋲などが入れられた時にも効果を発する。結果として、ルイス殿下の視界に入るのは、恋文のみとなっている。同様の魔法は、殿下の机や棚にもかけている。ちなみに俺が護衛に加わるまでは、騎士団所属の先輩達は手作業で処理していたのだという。


 さて、この日も俺は、ふらりと公園を通りかかった。

 すると、先日声をかけてきた少女が唸っていた。その様子に、首を捻りつつ、僅かな好奇心から俺は歩みよる。ノートを開いている彼女は、そこにデカデカと『合格するぞ!』『ルードフェルド魔法学院に行くぞ!』と、書いていた。そこで俺は納得し、一度自分の制服を見てから、改めて彼女を見て声をかけた。


「ルードフェルド魔法学院を受験するのか?」


 ただ、正直驚いていた。貴族のご令嬢は、一般的に、王立女学院へと進学するからだ。


「!」


 彼女は顔を上げて息を呑むと、満面の笑みで大きく頷いた。


「そうなのよ。私はメリッサ。貴方は?」

「ロイドだ。受かるといいな」


 まぁ無理だろうと思いながら、俺は踵を返した。

 それから三度目は再びたまたま、四度目はもしかしたらいるかもしれないなと、そして五回目はきっといると考えて、俺は公園へと、任務の帰りに立ち寄った。メリッサの姿を見て、やっぱりいたかと考えて、努力している彼女を眺めるようになった。


 本気だと理解し、その内に、気づいたら俺は応援していた。


「頑張らなきゃ。あの人に会うために!」


 いつも彼女は、口癖のようにそう言っていた。愛していると繰り返す、『あの人』とは、一体誰なのだろうか。その気になれば、彼女の身元を探って特定し、関係者を学内で見つけ出すことも、俺には不可能ではない。騎士団では魔獣の討伐だけを学ぶわけではないからだ。要人警護や情報収集、様々な事を既に俺は学んでいる。だが、不思議とそうしようという気にはならなかった。自分を先生と慕う彼女を見ていると、俺の事を何も知らないメリッサを見ていると、不思議と心が安まったから、今の状態を壊したくなかった。彼女の身分を知ったならば、恐らく相応の態度を取らなければならなくなる。伯爵家か、いいや、侯爵家か。不敬だとして、糾弾されかねない。そうであるのだから、本来ならばこの場に足を運ばなければいいはずなのに、気づけば彼女に会いたくなっていた。


 頑張る姿も、自分に向けられる笑顔も、眩しくてたまらなかった。

 ――あの人が、羨ましいな、と。

 時折は俺は、そんな風に感じるようになった。


 だが俺の道は決まっている。富豪の平民と結婚する。それが家族のためだ。

 けれど……万が一、彼女が手の届く存在だったならば?

 ある日、スープを二人で飲んでいた時、美味しいと言ってくれた彼女を見て、俺はそんな風に考えた。


 しかしながら、現実とはいつだって残酷だ。

 入学式のその日、俺は交流会の場で、果たしてメリッサは無事にあの人と再会できたのだろうかと、彼女の姿を視線で探していた。同時に、多くの学生に囲まれている王太子殿下の護衛もしていた。その時だ。


「ルイスお兄様!」


 もう聞き慣れてしまった、かろやかな声が響き渡った。

 俺は驚愕し、ルイス殿下に駆け寄るメリッサを見た。

 メリッサ……そこでハッとした。王女殿下の名前もまた、メリッサだ。背筋が冷えきった。不敬どころではない。本当に不敬罪を適用されかねない。直後目が合った時、俺は視線を逸らした。けれどそれは、処罰が怖かったからではない。メリッサが、絶対的に手の届かない相手だと知り、心が砕け散っていて、辛かったからである。


「ロイド、騎士団から連絡が。すぐに来て欲しいそうだよ」


 そこへ教員が伝言をもってきたので、それを幸いにと、俺は学院を後にした。



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