第34話とら丸さんマジパネェっす!
イレギュラーな日々が終わりを告げて、すっかり以前の日常にそれぞれが戻った。
そう思っていたのだけれど、とら丸にだけは大きな変化がいくつかあった。
真恋との恋についに進展が? ついに三次元に目覚める! などというラブい感じの衝撃的展開とかではない。
いや、衝撃的であるっちゃーあるんだけど。
まずは、アニメで監督をしている最中に今までイベントの度にとら丸の送迎をしてくれていた榊さんが、送迎の人からマネージャーにいつの間にか昇進していたということ。
私も七海も車に乗っている銀縁メガネがきらりと光る横顔か猫足柄フードのパーカーの後ろ姿しか見たことがなくて、「銀縁パーカー」あるいは「送迎の人」と勝手に呼んでいたのだけれど、とある 出来事をきっかけにその名前を知ることになったんだ。
そう、ここからが衝撃の事実発覚について。
それは、けもみみラバーズのキャラにいろどりを加えようと動物の生態に関する資料を探しに七海と図書館に行った時のことだった。
雑誌コーナーの新刊スペースに置かれたいつもなら手にも取らない美術雑誌の表紙に、ふと目が留まってしまった。
そこには、見慣れた名前があったんだ。
【イラスト界の鬼才北条院とら丸、現代アート界へ殴り込み】見出しに書かれているのは、これは確かにとら丸の名だ。
こんな厨二テイスト全開の変わった芸名じゃなくてサムライネームでもなくて、異名? でいいやもう、とにかく自分からわざわざこんなの名乗る人なんか他にいるはずもないし。
「へっ、兄者いつのまにこんなことを!」
妹の七海ですら知らなかったとら丸の秘められた行動、それはあるものの製作。
巻頭カラーグラビアに載っていたそれは、けもみみラバーズのにゃみ美とうさぴょ子の等身大のブロンズ像だったんだ。
「えー、とら丸いつの間にこんなの作ってたの!」
「アニメの仕事が終わっていつもへとへとになってとら丸スタジオに帰って、自宅の方にも全く寄り付いていなかったのに謎なのだよ!」
とら丸が生み出したキャラとはいえ、今やウチらの分身ともいえるけもみみラバーズのことなのに、私はともかく七海にも一言もないとは! さすがとら丸侮れない!
まぁそれは置いといても、どこにそんな時間があったのかが謎過ぎる。
ウチらは資料探しもそっちのけでとら丸スタジオに直行し、二人でとら丸をサンドイッチして問い詰めた。
「兄者! いつの間にブロンズ像なんて作っていたのだい!」
「どこにそんな時間があったの? ここではずっと炬燵でごろごろしてると思ってたのに、びっくりなんだけど」
すると、とら丸はにゅるりとウチらの間をすり抜けてから面倒くさそうに欠伸をして、電源を切ってある常温の炬燵に潜り込んでぼそぼそと口を開いた。
「ぬしらに断りもなく作ったことで喧々囂々としておるなら拙者に非はないぞ。作者の拙者が息抜きで遊びをするのは自由ぞ、雑誌のことなら榊に言え、あやつが勝手にキャッスルアニメのロビーに展示したものが彼奴等に嗅ぎつけられたんだからな」
何ととら丸は、仕事の片手間に等身大ブロンズ像を作り上げてしまったらしい。
自宅から一番近い徒歩圏内の大学の工学部卒で美術の専門的な教育を受けていたわけでもないらしいのに、この人って一体何者……
ぽかーんとするウチらを気にも留めず亀のように首をすくめてグーグー眠り込んでしまったとら丸の頭部から相変わらずぴょこぴょこ飛び跳ねているアホ毛を眺めて、私は何度無首をひねった。
そして、話はこれだけでは終わらなかったんだ。
例の美術雑誌を見たアメリカの一流キュレーターであるロバート・ジリアムさんがとら丸のブロンズ像に惚れ込んで実物を見るためだけに来日までし、何と自身の勤務するNYの近代アート博物館に収蔵させるというとんでも展開が待っていた。
それに合わせて、他に作っていた細々した木彫りと粘土の彫刻も一緒にとら丸の個展が開催されることになってしまった。
どちらも日本人初のことだ。
けもラバの等身大ブロンズフィギュアばかりか、リビングの戸棚でゆず胡椒の横に並んでたあのよくわからないお化けのような動物のような植物との融合UMAぽいような、よく見ると薄ら笑いを浮かべたきのこのようでもある怪しいやつまで仰々しく展示されるらしい。
現代アートって、イミフ過ぎるんですけど……
うーん、ひょっとしたらキモかわいい展とかそっち系統なんだろうか。
しかし見染めた当の本人はめっちゃマジっぽいんだよね! 七海情報でロバートさんがキャスアニのロビーでとら丸ブロンズを前にして感動のあまり泣き崩れてたってのを知ったときは、びっくり仰天どころの話じゃなかったよ。
アレのどこにそこまでの涙腺崩壊ポイントが……ロバートさんは、もちろんけもみみラバーズのことなんかこれっぽっちも知らないだろうし。
演じているウチらですら、生で見たときは聖母のようなポーズをさせられているケモラバペアのまさかの仰々しさに失笑気味だったってのにさ。
まぁ、そんなこんなで個展に合わせてとら丸にも是非ともNYに来てほしいというロバートさん直々の熱い依頼があったそうなんだけど、本人の耳に届く前に榊さんが二つ返事でOKを出してしまったようなんだ。
「榊、このたわけ者が! 拙者は欧米渡航なぞせぬぞ!」
とら丸は断固拒否したんだけど、既に帰国していたロバートさんが大々的にウェブで北条院とら丸も来訪! って発表してしまったので、榊さんも後に引けなくなっちゃったんだよね。
「げせぬげせぬ、何ゆえ拙者が飛行機になぞ乗らねばならんのだー! せめて客船にせよー!」
ぐっすり寝ているところを榊さんに車で輸送されてしまったとら丸は、空港のロビーについてもジタバタと暴れまくった。
「船なんて今更無理ですよ、とら丸さんがごねるから出発がギリギリになってしまったんですからね、ロバートさんの手配してくれたチャーター機ですから機内でものんびりゆっくりできますよ! ひと眠りしたらすぐ着きますから」
「嫌だ―嫌だー」
チャーター機専用のがらんとしたロビーで幼稚園児のように転がって手足をバタバタさせている兄を前に、七海ははぁーっとため息をついた。
「兄者は三歳の時から飛行機にトラウマを抱えているのだよ。パパ上に聞いた話によるとおばあちゃまの祖国からの帰国の際、子供用の機内食のコーヒーミルクを飲んでいた時に飛行機が乱気流に巻き込まれてびっくりしてむせてしまい鼻からコーヒーミルクをぴゅーと噴射してしまったそうなのだ。その苦しさと前方の席の女の子に指をさされて笑われたことでね……」
苦しさと女の子に笑われるダブルパンチであんなことに、三次元女子を受け付けなくなったのってそのせいもあるのかもなぁ。
気の毒に思いつつも、目の前の幼児退行した一応イケメンの成人男性の暴れっぷりの強烈さと鼻からコーヒー牛乳というインパクトでつい吹き出しそうになってしまった私は、その笑いをどうにか飲み込もうとして自分も息が苦しくなってしまった。
「ぷはぁぁ」
やっと落ち着いて呼吸できるようになると、背後からパタパタごろごろと物音が聞こえた。
真恋が搭乗時間ギリギリに駆け付けて来たんだ。
見送りだけのはずなのに何故か、小型のキャリーバッグを引いているけど。
「とら丸兄さま! 真恋睡眠も削り馬車馬のように働いて三連続オフ+半休をゲットいたしましたの。弾丸ツアーでとら丸兄さまの晴れ舞台にせめて初日だけでもご同行させていただきますわ!」
あっ、この人NYにまでついて行く気なんだ!
いつの間にかぐいぐい方面に戻って来てたなぁ、照れ照れ真恋はちょっと可愛かったけど、やっぱ真恋はこうじゃないとね!
うんうんうなずく私の前を、ハリウッド女優のような深紅のチューリップ型ドレス姿の真恋とピシッとした黒のスール姿の榊さんにがっちり脇をホールドされた初夏仕様の袖なし半纏姿のとら丸が、ずるずると引き摺られてゆく。
「あー、もうとら丸さんったら、個展のイベントのテープカットにもそのくしゃくしゃ頭と半纏で出席ですかー、オシャレすれば外国人にも引けを取らないスタイルでイケてるってのに」
「笑止、拙者はオサレなぞせん! いいか、完成したものに魅力はない! 何も手をかけないことにより拙者の可能性は無限大となるのだ」
あー、捕らえられた宇宙人みたいな状況でイミフな屁理屈こねてもっともらしいこといってるわー。
「さすがだわ、含蓄がある、とら丸兄さまって本当にす・て・き」
うーん、真恋だけは目がハートマークだね。
「兄者、行ってらっしゃーい、お土産はポケットのメモに入っている通りNYチーズケーキを頼むのだよ、みな葉はチーズが好きなのだからね」
七海の見送り兼おねだりの声は、搭乗口で唯一自由になる足を左右に張って踏ん張り最後の一暴れをしているとら丸の大声でかき消された。
「いーやーだー、飛行機はいやだー! 船に乗る― デッキでかもめに餌をあげるんだー!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます