第32話いよいよアニメが始まるよ

 バレンタインデーとホワイトデーという本来なら自分には全く関係なかったはずのラブい感じの二大イベントを何とか乗り切ってへとへとのよれよれになっていたら、いつの間にかアニメ放送日の 4/10まで一週間を切っていた。

 番宣番組出演等の活動は、全く以てない。何もない。

 元々虹テレにとっては、ただの穴埋め企画。

 対外的に下手に宣伝なんかして元々予定していた不祥事タレントの番組のことを蒸し返されるのも嫌だったようだし、ド深夜もド深夜、明け方に近いような二時台のアニメに顔出しのできないウチらをわざわざAR出演させて番宣番組を作るような手間をかけたり予算を立ててくれるはずもないんだ。

 そんなわけで近づく放送日を実感するような出来事もなく、ただただ座して待つのみで当日を迎えることとなった。


「ねー、みな葉当日は全員でここで放送を観ようではないか!」

「うん、いいねー」


 一も二もなく返事をしたのには理由がある。

 とてもじゃないけど、一人でアニメ初仕事を観る気になれなかったからだ。

 完成後にとら丸がダビングしてくれた完成品はもらっていたけれど、ベッドの下の引き出しにしまったままでケースを開けてもいない。

 放送地域ではない実家のばあちゃんに送ろうかとも思ったけど、感想が怖くてそれもできなかった。


「あっ、全員って言ってもボクと君と兄者と柊だけなのだよ……」

「へっ、そのつもりだけど」

「隣のお兄さんは呼ばないのだよ。連絡先も知らないのだしね」

「ははっ、私も知らないよー」

「それは事実なのだろうね!」


 引きつった七海の顔に、ちょっと笑いが漏れてくる。

 元カレというのをバラして以来、ひっそりと洋二を意識してたようだ。

 もう過去のことだし、そもそも七海と私が元カレのことで揉めるような間柄でも何でもないわけだけど、どうやら今はご近所さんらしいということはメンドいから黙っておこう。


「あっ、夕ごはんもみんなで一緒に食したいのだけれど何かリクエストはあるかい?」

「うーん、じゃあハンバーグ!」


 ついつい遠慮なく食べたいものを口にしてしまった。

 近頃の私といえば、七海に食べ物のことを言われるとパブロフの犬のように口に唾液が湧いてくる。

 食べる食べるとすぐに食いつき、遠慮も恥じらいも何もなくなってしまうようになってしまったんだ。


「ぐうぇっへっへ、そう返事が来ると思って既にいいひき肉をお肉屋さんで手配済みなのだよー。君は大きなイベントの前には肉、特にチーズハンバーグを食べたくなると調査済みだったのだ!」

「ははは、またばあちゃんだね……」


 ばあちゃんと七海は相変わらず仲が良く、頻繁にメールのやり取りをしているらしい。

 下手したら孫の私より頻度が高いかもしれない。


「ビンゴ! もちろんチーズもみな葉の大好きなとろけるミルクチーズをネット通販してあるからね! お楽しみあれ」


 地元の牧場の直売所でしか売ってないチーズだ。通販始めたんだな……

 何か、七海って私より地元のことに詳しくなってるような気がするんだけど……


 そのリサーチ力に呆れつつも、最近はあまりイラっとこなくなってしまった。

「ストーカーかよ!」ってデコピンしても、「ぐうぇっへっへ、みな葉の小さな爪がボクの額に軽快に当たる! あぁいい心地」とか喜ばせるだけだし。

 ただ平然とその言葉を聞いている自分が怖い。

 あぁ、慣れっておそろしい。


 そして、オンエアのどきどきとチーズハンバーグのワクワクを交互に感じながら数日を過ごし、いよいよ放送日がやって来た。


 夜の上り列車はガラガラで、吊り広告は今日始まる新作アニメ【夜更けのメリー】一色になっている。

 週刊少年ミラクルで一番人気の美少女格闘漫画、満を持してのアニメ化で世のちびっ子とヲタの話題はこの電車の中のようにメリー一色だ。

 同日の深夜にウチらのアニメが開始されることなんて、けもみみラバーズのチャンネル登録者の人ですら知らない人もいるかもしれない。

 「笑止千万!」ってとら丸の助言? もあって、動画では一切アニメに触れてない。

 とら丸の公式サイトでは発表したけど、あれって検索しても出てこないしめっちゃ探すの難しいんだよね……

 ベスト百合ップルをもらったアニオタファンファンは取り上げてくれたけど、メリー特集が数十ページ続いた後に訂正記事張りにちっさく数行紹介されただけだし、気付いた人がいるかどうか。


「まぁ、それくらいのがかえって気楽でいいよね」


 金色のマシンガンを構えたメリーにウインクし、電車を降りる。

 四月の夜風はまだ冷たくて、ちょっと首をすくめた。


「いつもご馳走になってばかりで悪いよね」


 途中のコンビニで春限定のスプリング桜ソーダを四本買いとら丸スタジオのドアをくぐると、私以外の三人は未だにリビングの中央にどーんとある炬燵の中でくつろいでいた。


「やーやー、みな葉いらっしゃい。すぐにチーズハンバーグを用意するからね」


 いそいそと席を立った七海の後には、ちょっと微妙な距離を置きつつ隣に座ったとら丸と真恋が残されている。

 とら丸はいつもの調子で座椅子にぐっともたれながらアニメ雑誌をぺらぺらめくり、真恋はその様子をチラッと見ては顔を伏せを繰り返している。

 以前のように「とら丸兄さま~」と甘える様子は一向にない。


 うーん、お返しのハンカチ貰っていつもの真恋に戻ったかと思いきや、まだこれかー。

 とら丸は平然としてるから、真恋にほだされて「あーん」を受け入れたわけでもなさそうだしやっぱただの気まぐれかぁ。罪な男よのぉ。

 自分には一切関係ない恋模様を心の中でにまにましながら安全圏で見守っていると、とら丸が急に 炬燵の中からごそごそと紙袋を取り出した。

 そこからにょきっと顔を出したのは焼き芋!


 うわー、いやそれっぽい香ばしい匂いがするなとは思ってたんだけどさ、まさか炬燵の中にインされてたとは……


 ぽかーんとする私の前で、とら丸はうつむいた真恋の口先に芋をにゅっと突き出した。


「ほれ、あーんするがよい」


 ぽかーん。

 真恋もぽかーん、からの真っ赤っか。

 ぷしゅー、ぷしゅしゅー。

 吹き出す湯気の音が、今にも聞こえてきそうだ。


「あ、あーん」


 それでも戸惑いながらも、真恋はとら丸の手から突き出した焼き芋の先端をぱくっと口に入れた。


「と、とら丸兄さま、とても甘いです……」

「そうであろう、残りも喰らうがよい」

「ふ、ふぁい」


 もそもそと子リスのように焼き芋を頬張る真恋の両目はぐるぐるとまわっていそうに見える。一方のとら丸は無表情、分厚いレンズの奥の瞳は冷静沈着といった風情で少しの揺らぎも感じられない。


 うわー、ホントとら丸の行動ってイミフ!

 何故今焼き芋? 何故あーん?

 表情も全く変わってないし、照れた様子も全然全くないし、いやー天下の柊真恋が振り回されちゃってますよ、奥さん!


 心の実況を続けていると、周囲に漂う焼き芋の香りを打ち消すようなジューシーな香りがダイレクトに鼻を直撃してきた。


「みな葉お待たせしましたー! じゃーん、お待ちかねの例のものなのだよ」


 ハンバーグ! ハンバーグ! チーズっ! チーズっ!

 これにて私の【とらまれん、どうする? どうなる! 恋の道行】実況は中断されたのだった。


「わー鉄板じゅーじゅーいってるね! お店のハンバーグみたい」

「ぶうぇっへっへ、この日のためにママ上の秘蔵の鉄板を拝借してきたのだよ、新品より使い込まれた方が味も使い勝手もいいからね」

 じゅわじゅわと肉汁が染み出るハンバーグにナイフを入れると、中からはとろっとろのチーズがあふれ出してくる。


「おいしぃぃー! 刻み玉ねぎニンニクソースも久しぶりに食べたぁ!」

「ぶふぇっ、君の好きな街道沿いのじゅじゅじゅ亭の味だろう! レシピを入手するのに少々時間がかかったけれども間に合ってよかったのだよ」


 吹き出し方ニューバージョンだ。

 ソースのレシピのことは……いいいい、もう突っ込まない。

 美味しいは正義! チーズハンバーグには刻み玉ねぎニンニクソースが真理なのだ!


 素晴らしきめくるめくハンバーグタイムの後は、一休みしてからリビングのテレビでアニメ初回を鑑賞、ではなくとら丸のAVルームに移動した。

 いつもの収録室の奥にある開かずの間のようになっている飲食厳禁のその和室で座布団に座り全員で開始を待つ。


 オープニングは波原さんのピアノ演奏に乗ってにゃにゃ美とうさぴょ子によるタイトルコール。

「【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】はっじまるよー!」


 なんてことないゆるゆるのウチらの会話劇が繰り広げられた二十五分間、でも私の胸にはじわじわと熱いものがこみあげてきて、エンディングの【はぐれたことり】が流れるころには、ほっぺたが涙でぐしょぐしょのべちゃべちゃになっていた。


 うさぴょ子が、にゃみ美が画面の中で動いている。

 枠の中から飛び出すようにして、自由に元気にくるくると動いてしゃべって笑って踊ってもいる。

 あぁ、この気持ちはエモいを遥かに突き抜けちゃってる。

 とても言葉で言い表せない、アニメってこんなに胸がうち震えるものだったんだなぁ。


「良かったね、みな葉、よがったねぇ。うさぴょ子もにゃみ美も生ぎてるねぇ、ぐしゅうう」


 私につられたのか、自分の演じたキャラをこうして観るのは初めてじゃないはずの七海までべそべそ泣いている。

 ついでに手まで握られちゃったけど、その力なく震える手を振りほどく気にはどうにもなれなかったんだ。

 さすがに握り返しまではしてあげなかったけどね。

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