第31話お返しってメンドいね

 知らず知らずのうちに七海からチョコを受け取ってしまってから、私の脳裏では新たな悩みがぐるぐると渦巻いていた。

 あの日以来、何度も顔を合わせてはいるけど、お互いにチョコの話題は一度も出していない。

 魔法瓶を洗って返そうとしたときも「それはプレゼントなのだよ、保温力に優れているからぜひ使ってくれたまえ、もちろん新品なのだよ」と、まるで魔法瓶をプレゼントされたみたいになってしまったし。

 あの七海があんな風に遠回りにチョコを渡してくるなんて想像もつかなかったし、堂々と渡してきた後はすぐにお返しの要求すらしそうなものなのに。

 あれなぁ、その場でちょこっと飲んでみたら今まで口にしたこともないような高級な味がしたんだよなぁ。

 濃厚でありながらしつこくはなくて、上品な甘さで、喉を通して体中がじんわりぽかぽか温まるような気もして、もったいなくて家でちびちび何日もかけて飲んでしまった。

 最後はさすがにすっかり冷めていたけど、それでも楽しめるような素敵な味だったんだよね。

 一体どんな材料を使ってあんなホットチョコを作ったのか知りたい気もするけど、そのためにはチョコをもらったという既成事実を私の方から認めてしまうことになるしなぁ。

 七海が話題にしてないのにそれをやったら、何か私の負けっぽいしなぁ。


 別に勝ち負けの問題でもないような気もするけど、こっちが七海より先にチョコやバレンタインの話をするのは何だか癪に思ってしまうのだからしょうがないのだ。

 真恋があの後とら丸にチョコをちゃんと渡せたのかとかもめっちゃ気になってるんだけど、こんな事情のため七海には聞けないし。

 本人たちには、めっちゃ聞きづらい。

 あー、もう七海の方から全部ぶっちゃけてくれればいいのに。

 こうなったら、やっぱホワイトデーにサプライズでお返ししちゃおうかな。

 そうしたらアイツもなんか反応すんだろ。


 久しぶりに養成所のあるターミナル駅に向かい、駅に隣接したデパ地下に一歩足を踏み入れると、色とりどりのクッキーやマカロンが両目いっぱいに飛び込んでくる。


「何か、チョコの時より派手っぽいかも」


 色の洪水に面食らい、義理チョコのお返しに迷っているような中年のサラリーマン、旦那さんに頼まれたっぽい奥様方の横をすり抜け目の前のエスカレーターにとっさに乗り込んでしまった。


 考えてみれば、田舎の庶民の私と違って七海は小さいときから様々な高級スイーツを口にしているに違いない。

 そんな舌の肥えた七海を満足させられるスイーツを選ぶ自身が全くない。

 ふらりと二階で降りると、婦人服飾雑貨売り場でもホワイトデー特集が催されていた。

 パッと目についた三日月を見つめる黒猫柄のハンカチを手に取ってレジに行く。

 もうこんな面倒なこと、さっさと済ませるに限る。

 わざわざこんなところまで来たんだし、今日は奮発して地下でお惣菜でも買おうっと。


「ギフト用でございますか?」


 レジのお姉さんの言葉にぎくりとして、ブンブン頭を振る。


「いえいえ、違います」


 ホワイトデーのお返しじゃないですから! そんな言葉が喉の途中まで湧き上がって、思わずごくんと唾をのんだ。

 そんなこと店員のお姉さんが、いちいち気にしているわけがないのに。


「880円です、ありがとうございました」


 ひったくるようにしてハンカチ入りの紙袋とお釣りを手にして、早足で駅の構内へと向かう。

 お惣菜のことなど、頭からすっかり吹き飛んでしまっていた。

 当たり前のように曜日がずらされ収録日となった3/14、とら丸スタジオに向かうと先月のバレンタインデーとは違って、今度は玄関から出てくる真恋と鉢合わせた。

 大事そうに胸に抱えているのは……小さな紙袋だ。

 ひまわり柄のあの紙袋、大きさといい厚さといい私のトートバッグの中に放り込まれているのと同じホワイトデーフェアのハンカチだ。


 真恋は私の視線に気づくと、紙袋をトレンチコートの胸ポケットにスッとしまい両手でサムズアップをしながら待たせていたタクシーに乗り込んだ。


 あの様子だと、あの後チョコをちゃんと渡せて、とら丸からお返しももらったんだなぁ。

 とら丸もデパートに行って選んだのかなぁ、それとも真名である桃太郎を命名したママ上にでも頼んで買ってきてもらったんだろうか。

 本人が選んでたら、和菓子とかになりそうだもんなぁ。

 まぁとにかく、むくわれて良かったね真恋。

 去り行くタクシーの後姿にサムズアップのお返しをしながらドアを開けようとすると、ノブに手を掛けようとするより先にバーンと目の前にドアが迫って来た。


「ちょ、ぶつかるかと思った」


 慌てて後ろにぴょんと飛んで逃げると、開いたドアの隙間から七海がこちらをうかがうようにまん丸の目を覗かせている。


「ホラーかい!」


 こっちが反応しても、おずおずとした様子で何も言葉を発さない。


 もうっ! メンドいなぁ!


「七海、ほら、これあげるから、魔法瓶のお返し」


 隙間に紙袋を突っ込むと、むしり取るように受け取った七海がどーんと玄関先に飛び出してきた。


「良かったぁ、良かったのだよぉみな葉、ボクのホットチョコレートにちゃんと気づいてくれていたのだねぇ、何も言われないからただココアをお土産に渡しただけだと思われているんじゃないかと不安だったのだよぉ」


 巻きつけられた腕が、首にぎゅうぎゅう食い込んでくる。


「じょっとぉ、苦しいからぁ、かはぁ」

「うわっ、ごめんよ、ごめん、あまりに感謝感激で」


 腕を離されてもまだちょっと苦しくて、私は七海をぎろりと睨みつけた。


「あのさぁ、ウチら喉が商売道具なんだよ二度とこんなのしないでね! それに私ココアとホットチョコの違いぐらいわかるから! そんなバカ舌じゃないし!」


 うっそでーす。

 怒りに任せてまくし立ててしまったけど、私そんなシャレオツな飲み物が出てくるカフェとか行かないし、あのとき初めて飲みましたー。

 バレンタインだからチョコだなって思っただけでーす。

 まぁそんなことはさておき、七海またしょぼくれてるよ。


「あー、もういいよ、中入れて」

「あー、ボクったら本当に気が利かなくって」


 しょぼくれながら紙袋に頬ずりしてるわ。

 こんなに喜ぶなら買ってよかったかも、変な誤解もされていないようだし。


「ねぇ、みな葉開けてもいいのかい」

「どうぞどうぞ、そんな高級品じゃないけど」

「うわー、これは実に素敵なハンカチだねぇ。にゃみ美だけに猫、こんなに気を使っていただいて」


 いや、最初に目についただけなんだけどね。


「それに880円もボクに使ってくれるなんて」


 うわっ! ギフト用って言わなかったから、値札シールそのままだった!


「あー、何かごめん」

「何がだよ! 880円なんて倹約家の君からしたら身を切られるほどの金額だろうに。あの日のクリームソーダとそう変わらない金額ではないか、君の愛を全身で感じるよ、あぁボクは満たされている!」


 うわー、あのときのクリームソーダ事変のことを今になって持ち出されるとは……

 コイツの中で私どんだけケチっ子キャラなの、まぁ間違ってないところがまたモニョるんだけど……


「あの時の私とはもう違うから! 今の私にとって1000円以下なんてそんな大金じゃないんだからねっ!」


 一応必死で否定してみたけど、七海の口元はだらしなくにやにやしっぱなしだ。


「あぁ、あぁ、勇気を出して今日を収録日にして良かったのだよ、君に華麗にスルーされてしまっていたら今日の収録でボクはNG連発していたかもしれない。けれどわざわざ大金を出して猫柄というボクにピッタリのプレゼントを贈ってくれた君の愛で今日は一晩中でもしゃべり続けていられそうだよ!」

「だかーらー、ただのお返しで愛とかじゃないから! 一晩ぶっ続けとかお断りですから!」

「もー、みな葉のて・れ・や・さんっ!」


 おいおいおい、何そのおでここつん。

 うわー、私またシクったっぽい。

 バレンタインからの一連の出来事は、コイツの巧妙に張られた罠だったんだー!!

 チョコあげる気マンマンっぽい態度からの肩透かし、ホットチョコからのチョコの話題封印、その上での今日……


 目に見えない蜘蛛の糸が自分の体に絡まっているような感覚を覚えて、私はそっとため息を吐きながら腕や足を手のひらでサッと払った。

 この見えない糸は払っても払っても、次から次へと巻きつけられそうだけど……



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