第30話恋愛イベに突入しちゃう?

 主題歌のレコーディングが無事? 終了し、アニメ【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】のウチらの担当部分はすべて終わり、以前の日常へと戻った。

 戻ったんだけど、二月初めの世間は恐ろしいイベントに向けて盛り上がっていた。

 そう、いよいよバレンタインデーがひたひたと私の後ろから差し迫ってきていたのだ。

 本来なら彼氏もいないし、好きな人もいない今年の私にとっては無縁のイベントのはず、そうそのはずなのに!


「ねー、みな葉ぁ来週の収録なんだけれどもね、いつもの水曜日じゃなくて月曜日に変更出来たらいいと思っているのだけれどね、君の都合はどうかなぁ?」


 ほら来た! 来週の月曜日は2/14、バレンタインデーの大本番だ。

 ヤダヤダヤダ、コイツ相手に友チョコ交換なんて女子同士のきゃっきゃうふふなライトで楽しいほんわかイベントなんて期待できるはずがない!


「あー、月曜ね、どうかなー何かあったかも、うーん、ないかも」


 用事があると言ってきっぱり断りたいところだけれど、うろうろ近所を出歩いてても、自宅にずっとこもっていたとしても、何故かバレそうでハラハラしてしまう。

 うーん、むしろ用事を今から作ってしまうか。


「あー! 観たい映画があったんだった! 【ムーンライトディスティネーション】古い映画だから今度いつ観れるかわかんないしさぁ。ほらほんのり百合テイストもあって勉強になるかもだし」

「みな葉、それってステラホールのレイトショーで上映してたものだよね。先週で上映終了しているよ」


 しまった! ついぼんやりとした情報でしゃべってしまった。


「でも安心して! その映画ならパパ上がブルーレイを持っているから借りておくのだよ。みな葉の観たがっていた当日の2/14に共に観ようではないか!」


 どっひゃー! 墓穴掘った!

 2/14に二人で並んでほんのり百合映画を鑑賞とかありえんよ!


「あー、うん、でもやっぱり劇場で観たいから次の機会を待つよ」

「そうかぁ、それなら君の意見を尊重させていただくよ」


 ふー、良かった。

 何とかしっぽり二人で映画鑑賞という地獄の時間は回避できたぞ!

 意外とすんなり引き下がってくれたけど、七海しょぼしょぼしちゃうかな。

 あれっ、何故かニヤニヤしてるんだけど……


「映画が観れなかったのは残念だけれど、これでみな葉の月曜の予定はなくなったのだね! じゃあ月曜の収録を楽しみにしているよ! 秘密のお楽しみがあるから君の楽しみにしておいておくれよ。あっ秘密なのに口がすべってしまったよ! ぶうぇっへっへ」


 シクった! シクった! シクった!

 何か他に用事は……って映画観に行こうとしてたってこれは他に予定がなかったと言ってるようなものじゃん。

 うー、お楽しみってさ、どうせアレでしょ、アレくれるんでしょ。

 くぅぅ、あのしてやったりみたいなにやけ顔が何か悔しいけど、もう来るしかないよね。

 うーん、私も一応何か用意しておいた方がいいのだろうか?

 誤解を受けないような、素っ気ない感じのやつとかさ。


 自宅への道すがら、半額のお惣菜目当てにときどき行く駅裏のスーパーに寄ってみる。

 レジの真ん前の特設コーナーはやっぱりチョコチョコチョコ、バレンタイン一色だ。

 ふうっとため息をつきながらそこを通りすぎ普段用のお菓子コーナーに向かうと、いつものシンプルな板チョコですらバレンタイン仕様のハートの包装紙に変わっている。


「うわー、こんなのあげたら勘違いされて大変なことになりそうじゃん。駄菓子、駄菓子はどうだろう」


 大人になった今でも時々食べている三十円チョコを手に取ってみたけど、これすらもバレンタイン限定用のピンクパッケージのイチゴ味にすり替わっている。


 げに恐ろしきバレンタインなるイベントよ!


 混乱してしまった私は、とっさに男児向けの二十円のサッカーボールチョコをいくつか掴んでレジに持っていこうとしてふと我に返った。


 これをあげたときの七海の反応が、ありありと想像できてしまったんだ。

『わー、みな葉、わざわざありがとうね、このサッカーボールに君のあふれ出す愛を感じるよ! 君の愛のシュートはボクがしかとこの胸で受け止めるからね!』

 あー、言いそう、言いそう。

 何をあげたとしてもこんな反応が返ってくるよな、多分。

 下手したらおつまみ用のお徳用のするめだろうと、納豆だろうと、梅干しだろうと、2/14にアイツに物をあげたら適当にこじつけられてこうなっちゃいそいうだ。

 うん! よし! ここは華麗にスルーしよう。

 2/14は、バレンタインデーなるものではないのだ。

 イマジネーションの猛獣に餌禁止の日ということで。


 私はその日が過ぎ去ってしまうまで、バレンタインデーを忘れることに努めようと心に決めたのだった。


「みな葉ぁ、いらっしゃいー」


 いつもより少し身構えてとら丸スタジオに入った私を七海ははち切れそうな笑顔で出迎えたのだけれど、その手には何も持ってはいなかった。


 あれっ、ドアを開けたとたんにいきなりチョコ貰うのかと思ってたのに。


 ひょっぴり拍子抜けしまったけれど、チョコをもらうのを楽しみにしていたわけではないから、断じてそうではない!

 忘れようと思いつつも、七海がくれるんだからきっと美味しいチョコなんだろうなとか、手作りなんだろうかとか、半身浴をしながらついつい思いめぐらせてしまいよだれをちょっと垂らしてしまったのは末代までの秘密だ……

 あーでもうっかり駄菓子の友チョコなんか持ってこなくてよかったわ。

 七海が何も用意してないのに私があげてたらヤバいもん。


 ぐるぐる考えながらとら丸が久しぶりにネット通販で購入した芋栗羊羹を食べていると、チョコの糖分が来ると思い込んでいた体が「あれっ、違う甘いものが来たぞ! うまいはうまいけど、カカオはどこじゃー」と少しびっくりしているという変な想像をしてしまった。

 人のことイマジネーションの猛獣とか言ってる場合じゃないね、ふぅ。


 とら丸の短い年始休みのあの時にもうバレンタイン企画用の動画は作ってしまっていたので、当日の今日はバレンタインがらみの収録は一切なかった。

 女の子の日スペシャルと題して、二人でおひな様のコスプレをして甘酒で酔っぱらう回はあったけど。


「あふう、うさぴょ子ぉ、私甘酒で少し酔ったみたいだにゃん、こちょこちょーにゃー」

「ぴょぴょっ、にゃみ美ぃ、肉球ではやめてぴょーんー」


 あれっ、私前にもこの言葉言ったような? デジャブ?


 それはさておき、他の日の分はいつもと変わらないいちゃこらうさみみラバーズで、七海のにゃみ美も平常運転のセクハラぶり、結局2/14を変に意識していたのは私だけのようだった。


 あれー、でも何かくれるとは言ってたよね? あれって何だったんだろう。

 あー、こんなこと考えちゃって私めっちゃチョコ欲しがりさんみたいじゃん。


 一人で葛藤しつつリビングで帰り支度をしていると、七海がキッチンの棚から魔法瓶を出してサッと私の肩にかけた。


「それね、特製ドリンクが入っているのでね、家に帰ったら飲んでおくれね」

「あ、ありがとう」


 七海の言っていたのはこのことだったのだ。

 中には栄養ドリンクでも入っているのかも、今日は久しぶりの撮り溜めだったし喉に気遣ってくれたんだろうなぁ。

 何で私、すっかりチョコだと思い込んでしまってたんだろうなぁ、水曜日も七海かとら丸の都合が悪かっただけかもなのに、私のバカッ、しっかりしろっ!


 すっかりモテ女気取りになっていた自分の思想に喝を入れつつ玄関に向かうと、入れ違うように来客があった。

 レコーディングの日ぶりの真恋だった。


「あっ、真恋じゃあねー」


 帰ろうとする私のダッフルコートのフードを、真恋はいきなりぐいっと引っ張って引き留めた。


「うわっ、なにすんの真恋! 首がしまるかと思ったじゃん!」

「あ、あの、これ、とら丸兄さまに渡してくれないかしら」


 フードのことには一切触れず、真恋はサッと小さな紙袋を差し出してきた。

 うーん、これはさすがにチョコだろう。


「とら丸なら、いつものようにリビングにいるけど」


 そう伝えているのに、真恋はもじもじしたままで玄関の中に足を踏み入れようとはしない。

 あのすきやきナイトの日から、真恋はすこしおかしいんだ。

 グイグイいかない。

 あの日、炬燵で四人ですき焼きを囲んでいた時、ちょうど良く煮えた肉を箸で摘まんだ真恋はふーふー息を吹きかけてから、とら丸の口元に差し出した。

 「あーん」いつものとら丸なら「いらん」と素っ気なく拒否しそうなものなのにぱくっと受け入れてすんなり食べた。

 疲れでぼーっとしていたせいなのか、はたまたただの気まぐれなのか、とら丸はいつもの無表情でよくわからなかった。


「うーん、やっぱり自分で渡した方がいいと思うよ」


 ポーンと肩を叩いてその場を離れると、真恋は「はぁーっ」と大きなため息をついてからぎゅっと両手を握り締めてドアの向こうへとゆっくりと踏み出した。


「うーん、ここにはあったね、胸キュンのバレンタインイベが」

 独り言ちながらいつもと違う細い横道を通ると、誰もいない小さくさびれた公園を見つけた。

 ペンキが剥げ落ち錆びてきしむブランコをぎぃぎぃ揺らしながら、七海にもらった魔法瓶の蓋を開けてみる。

 そこからふんわりと漂ってきたのは、高級そうな洋酒の香りと……それを包み込むような濃厚で芳醇な甘い甘いチョコレートの香りだった。

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