第29話レコーディングやっちゃいました!

「皆様大変お待たせしてしまいましたー! 柊真恋ただいま参上いたしました! さぁさぁさぁ七海もみな葉も準備はいい? いっくわよー!」


 喉ミストをシュッと吹き付けた真恋の元気な声を合図に、レコーディングは始まった。


 けど、ヘッドフォンをつけてエンジニアさんがガラスの向こうにいるようなミュージシャンのミュージックビデオによくあるような情景を想像していた私は、ちょっと拍子抜けした。

 スタジオのど真ん中にどーんと黒光りするグランドピアノが鎮座していて、その前に波原さんが座っていたからだ。

 主題歌のレコーディング風景というより、これでは音楽室での授業のようだ。

 ぽかーんとしている私をよそに、波原さんはぽろんぽろんとピアノを弾き始めた。


 この前奏聞き覚えがある……あっ、【はぐれたことり】じゃん!

 ヤダ、もう始まっちゃってるの?


 私は慌てて目の前の譜面台を見て、七海と真恋にサンドイッチされた状態で一つのマイクにほほ寄せ合って歌い始めた。


 羽を休めたことりがぁー♪ 青空にむかいー、小さな翼をはばたかせー♪


 いきなり過ぎて必死で必死で、不安に思う暇は一ミクロンもなかった。

 何とか歌い終えると、波原さんはにっこり笑って私の肩にポンと手を置いた。


「良かったよーうさぴょ子! 真恋ちゃんとにゃみ美はちょっとこなれすぎてたかなーもっとつたなくたどたどしく、うさぴょ子みたいに素人っぽく歌ってくれたら良かったんだけどねぇ、まぁOKでいいでしょ!」


 何か今、私褒められた? 褒められたんだよね……多分、でも全然嬉しくないよー!

 しかも、一発撮りってマジで? これでいいの?


 ふとレコーディングエンジニアさんのいるガラスの向こうを見つめてみると、アニメプロデュサーの鮫川さんが腕で大きな輪っかを作ってOKサインを出していた。


 うわっ、いつの間に来てたんだろう! あー、今日は真恋がいるからか、うんめっちゃ笑顔。鮫川Pってほんっと真恋好きだよなぁ。

 奥にもう一人いるなぁ、誰だろ、あっ! とら丸だ。

 これは真恋大変だよ! 今年初めて会うんだもん。


 左隣をチラ見してみると、既にとら丸の存在に気付いていたらしい真恋は顔どころか首まで真っ赤にして、カタカタカタカタ足が震えている。


 あー、流石にウチら以外の仕事関係の人がいるときは「とら丸兄さまー」って飛びつくわけにも行かないもんね。

 とら丸がもうちょっと早く来てくれたら、波原さんの希望通りに真恋もちょっとはたどたどしい歌い方になったのかなぁ。


「ねぇ、真恋とら丸に声かけなくていいの? もうリュックしょって帰り支度始めちゃってるよ」


 まだ真っ赤なままの耳にそっと耳打ちしてみるけど、真恋は首をぷるぷる振ってじっと地面を見つめている。


「ダメダメ、この歌の動画づくりがまだあるでしょう、邪魔したくないもの」


 いつもの張りのある声からは想像もつかないほどのか細い声。


 あー、真恋って本当に仕事にもとら丸にも、両方に真っすぐなんだよなぁ。

 とら丸に関しては真っすぐ過ぎるその態度が、ちっとも通用せずに連戦で撃沈撃沈だけど。

 見ていないところでとら丸の仕事に対して、こんなにも誠実にきちんと向き合おうとしている健気で可愛い姿をとら丸自身にも知ってもらいたいなぁ。とら丸だって鬼じゃないんだし、ちょっとはほだされてくれるかも。

 同性で、いつもの女王様気質の本性を知っている私が見ても、愛くるしいなぁってちょっときゅんとくるような可憐な感じだもんなぁ。


 真っ赤なぷるぷる真恋の横でうんうんうなずいていると、七海がイライラしたように私と真恋の間に割って入って来た。


「ちょいとお二人さん、何をひそひそ話をしているのだい! ボクも混ぜておくれよ! もちろん柊は抜きでね!」

「何を言ってんのよ! それは混ぜてとは言わないでしょう!」

「じゃあ、せめて内容を教えておくれよ!」

「イヤよ! 企業秘密よ!」

「ケチ―!」


 赤くて可愛いかった真恋は、やきもち焼きの七海に問い詰められているうちにすっかりいつもの調子に戻ってしまったんだ。

 うーん、残念。


「全く、そんなけちんぼの柊のことはこの後のすき焼きナイトには招待してあげませんから! 兄者も久しぶりにスタジオで夕ご飯を食べるというのにねー!」

「えっ、えっ、とら丸兄さまが! まだキャッスルケープでのお仕事が残ってるんじゃ!」

「ふーんだ、今日の音源をもらって帰って自分の仕事部屋で作るって言っていたのだよー」

「あーもー、お願いしますー真恋も混ぜてくださーいー」

「じゃあ、さっきのお話の内容をボクにも開示するかい?」

「もちろんですー」


 真恋にさっきの私との会話を事細かく説明された七海は、全てがとら丸のことで退屈したのか大あくびをして、話が終わらないうちにそっぽを向いて私の腕に手をまわしてきた。


「ねー、みな葉―、君はすき焼きの味のしみた焼き豆腐としらたきを半熟卵にからめて白ご飯に乗せて食べるのが好きなのだろう」


 ばあちゃんから入手したらしき私の好みを、耳元でうっすらとあたたかい吐息交じりの声で吹きかけてくる。


「もー、くすぐったいからやめてよっ! 確かに好きは好きだけど!」

「うわー、みな葉の好きをいただきました!」


 周りにまだスタッフさんがぞろぞろいるのに、七海は全く気にせずにべたべたしてくるんだ。


「ははは、けもみみラバーズは普段から仲好しこよしなんだねぇ」


 うわー、レコーディングのエンジニアの音木さんの笑顔がやたらと生あたたかい!

 ハズい、ハズイ、ハズいからぁー!!


「違います!」ってキッパリ言いたいところだけど、それじゃあ仲悪いみたいだし、別にリアル百合ップルだと疑われるようなことを言われたわけでもないから、どう返したら正解なのかさっぱりわからん! 実に微妙だぁ!


「あ、ハハハ、私たちね養成所の同期なんですよ。同期で、ハハハハ……」


 結局乾いた笑い交じりの微妙な返答で、適当にお茶を濁してしまった。


 真恋が遅れた時間を足しても思ったよりかなり早く終わったレコーディングの後、ウチら二人と真恋はとら丸スタジオに直行することになった。

 実は私は七海から事前にすき焼きの誘いを受けたわけでもないのだけれど、何故か当たり前のように頭数に入ってたんだ。

 まぁ食費も浮くし、七海のすき焼きは美味しいに違いないから特に文句はない、ないんだけどさ。

 なし崩し的に七海の日常の風景の一員にされているようで、ちょっともにょる気がしないでもないんだよね。

 あー、でもすき焼きの締めのしみしみ焼き豆腐としらたきの半熟卵和え丼の魔力は何事にも代えられん!


 私の口の中には生唾がどんどん湧いてきてしまった。

 それをごくんごくんと飲み込みながら、一抹の不安が頭をよぎる。


 もしかしたら私って、コイツに餌付けされてるんじゃ。

 動物、ひょっとして野良猫とか、まさかの野生動物扱い?


 とら丸スタジオに向かうバスにガタガタ揺られながら、差し込んだ夕陽に染まった七海のにやけ顔を盗み見ると、その唇はもごもごと何かを口走っているようだ。

 耳をそばだてると、前に座っている女子高生の会話の隙間から七海の声がすり抜けてくる。


「あぁー、今日は昼ごはんも夕ご飯もみな葉がボクの手料理を食べてくれる……このままずっと食べさせ続ければ、後六、七年でみな葉の体はほぼボクの料理による栄養から生まれた細胞で埋め尽くされるんだ……あぁ、どうせなら朝食も食べさせてあげたかった。できれば毎日、毎日、ボクの料理で埋めて……」


 途中まで聞いて、思わず自分の耳に指を突っ込んで塞いでしまった。

 もう、こんなん餌付けどころの話じゃないじゃん!

 細胞の生まれ変わりがなんちゃらって何よ、どんな独り言よ!

 怖いから!


 でも、ここできっぱり帰りますって言えないんだよね、冷蔵庫に牛乳とピーナッツバターとバナナしかないしさ。

 一人だけの分の自炊って、わりと不経済だからさぁ……

 棚に食パンがあるからピーナッツバターサンドでもいいっちゃいいんだけど、お腹はいっぱいになるし、なかなか美味しいし。

 でも、すき焼きがぁ、締めのご飯がぁ。

 もう舌が、お腹がすき焼きの受け入れ態勢整っちゃってるんだよぉ!


 あ~私ったら、いつの間にこんな食いしん坊キャラになっちゃったんだろう。


 目の前にあるバスの停車ボタンを押せない自分のケチさと食い意地を呪いながら、私は耳をふさいだままぼんやりと窓越しの暮れ終わる夕焼けを見つめ続けた。

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