第26話朝の散歩と意外な再会

「あぁ、届かない、マイクに首が全然届かないよぉ」


 ぴょーぴょぴょ、ぴょろっぴょ、ぴょっぴょっぴょろっぴょ♪


「はっ、夢か!」


 首の短いキリンになって木の上にわさわさと実ったマイクに全く届かない夢の中でうなされいた私を現実に引き戻したのは、七海専用の間抜けな着信音だった。


「も、もしもしぃ、何こんな朝早くに」

「いやー、今日はレコーディングで君に久々に会えると思ったら気持ちがはやってしまってね、君とボクの声が混じり合う! なんて素晴らしいことなんだろう! 異物の柊が余計だがね、ちっ」


 弾んだ声と舌打ちが、寝起きの頭にガンガン響く。


「はー、四日前に会ったばっかでしょー、まだ眠いんだけど、あれっまだ六時五十分じゃん、集合は十一時半でしょ、私もうひと眠りするわ」

「あっ、そんなみな葉―、ボクが君に電話をしたのは初めてなんだよー、初モーニングコールの余韻をもうちょ」


 七海が言い終わらないうちに電話を切って、毛布にくるまってうーんと伸びをする。

 あぁは言ったけれど、もう一度寝るには中途半端な時間だ。

 カーテンの隙間からは昇りきる寸前の朝日が、うっすらと差し込んでくる。


「久しぶりに散歩でもしますか!」


 簡単な身支度を整えてドアの外に出ると、キーンと澄んだ新年の空気がむき出しの頬をスッと撫でた。


「はぁ息白っ、あー、めっちゃ寒いなぁ、目出し帽でも被りたいくらいだよ、お店で売ってるの見たことないけど」


 マフラーで覆った口元でクスクス一人笑いをしながらアパートの裏の河原の土手をのろのろ歩いていると、早起きのお爺さんが小さなチワワを散歩させていた。


「おはよぉございまーす!」

「はい、おはよぉさん、あれっチロー早い早いよー」


 挨拶を交わし中にお爺さんは土手に散らばっていた枯れ葉を巻き上げながら弾丸のようにぴゅーっと勢いよく飛び出したチロに引っ張られるようにして、曲がった腰をちょっと伸ばして見る見るうちに遠ざかっていった。


「わー、チロちゃん元気だわぁ、子供と犬は風の子だねぇ」


 うんうんうなずきながらまた歩を歩めていく。

 こんなにのんびりとしたお正月は、上京してから初めてだ。

 去年もおととしもその前も、大みそかはうどん屋でキリキリキリキリ働いて、夜明けにコロッケうどんを食べてから帰宅してベッドによろよろと倒れ込んでそのまま泥のように眠り、二日からはまたバイトだった。

 ずっと住んでいるこの町なのに、正月の風景なんて全く記憶にない。


「あー、そろそろ子どもたちも出てくるかなぁ」


 そう思って河原を眺めてみるけど、地元にいたときと違って正月の河原には凧揚げをしている子供なんて一人たりとも見当たらない。


「地元では子供らが駄菓子食べ食べスポーツカイト揚げてきゃっきゃと楽しそうに遊んでたのになぁ、都会の子はやらないのかぁ、あー、でもまだ朝早すぎるのかな」


 独り言ちながら土手に腰を下ろしてぼーっと河原を眺めていたら、急に目の前が真っ暗になってしまった。

 ゴツゴツとした感触がまぶたに直に伝わってくる。

 誰かに目隠しされている! へ、変質者!

 どうしよう、これからレコーディングなのに……ニュースに出る羽目になんかなりたくないよ!

 悲鳴を上げたいのに声が出なくて、カタカタと歯を鳴らしていると、目の前は急に開け、今度は耳元に何かが近づいてきた。


「ビックリした? 俺だよ、俺」


 この声! 


「ちょっと! 洋二いきなり何してくれてんの、通りすがりの変質者かと思ったじゃない! それに俺、俺って詐欺師かよ!」

「おー、相変わらずキレのあるツッコミだな、おい、でも気付くまでけっこ時間かかったな、俺の手の感触忘れちまってたんか?」


 するりと横に回り込んでさり気なく横に座って来た洋二は、去年アフレコで会った時とは違って長い前髪もろとも切って、スッキリとした短髪姿になっていた。

 釣り上がった目元も、今日は三日月のように柔らかに微笑んでいる。


「はー、目隠しとかさ、そんなラブラブなことやったことなかったじゃん」

「えー、そうだっけ、俺の記憶違いかな」

「そうだよ、今カノとでも勘違いしてるんじゃない」

「あー、それはないわ、俺お前と会わなくなった後、彼女いないし」


 洋二はくしゃくしゃと短い髪を掻きまわした後、照れくさそうに鼻をこすった。

 記憶の奥にしまい込んでいた元カレと思いもよらず再会し、今は何のわだかまりもなくこうして並んでしゃべっている。

 何だかとても不思議だった。

 そして、何故こんな場所でまた会うことになったのかも。


「ねー、洋二のうちって三駅先だったじゃん、何でこんなところにいきなり出現したの? 神出鬼没の敵キャラかよ!」

「はー、ずいぶんな言い草だなー、人をゲームのモンスターみたいによぉ」

「えー、そこまでは言ってないよ、うーん、不審者ではあったけどさ」

「ますます失礼な!」


 洋二は横の私に腕を伸ばして、くすぐろうとした矢先に気まずそうな顔をしてすっと腕をひっこめた。

 そう、私たちはもうそんなことをする関係じゃないんだ。


「あー、あのアフレコのすぐ後にアパートの更新があってさ、俺らが付き合ってた頃にそっちの近所にアジフライのうまい定食屋があったの思い出してよ。ちょうど空いてたこの近くのマンションに越してきたんだよな、そっちももう引っ越したかと思ってたしさ、じゃあ俺そろそろ仕事だわ、じゃな!」


 洋二は立ち上がるとスッと右手を上げて、振り返らずにそのまま走り去っていった。


 スマホを見ると、時計はもう九時半になっていた。


「うわっ、ヤバッどんだけのんびりしてたの私!」


 慌てて自宅に戻り、体に楽な着心地のいいゆったりとしたワンピースに着替える。

 無駄かもしれないけど、リラックスできて少しでも声がよく出そうな服を昨日から準備しておいたんだ。

 うっすらとメイクをして、バナナとレモネードの朝食を終えて家を出たのは十時十五分、レコーディングスタジオまでは電車で三十分、徒歩も入れるとちょうど三十分前に到着できるだろう。


「あー、もうちょっとゆったり出発するはずだったんだけどなぁ」


 七海のモーニングコールから、ここまでいきなり時間が飛んだ気がする。

 うじうじくよくよ悩んでいる暇もなかった。

 これはお爺さんとチロちゃんのおかげなのか、はたまた……


「あー、みな葉、三十分も前に到着とは、やっぱり君はきちんとしているねぇ」


 そういいつつも私より先、誰よりも早く待ち合わせ場所であるスタジオのロビーにいて、明るい声で出迎えてきたのは案の定七海だった。


「もー、自分が一番早く来たくせに何言ってんの? 自画自賛?」

「えー、そんな御無体なことを、ボクは君に会いたくて会いたくて、家まで迎えに行きたい気持ちを抑えてここでじっと待っていたというのに」


 うわー、家に出迎え! それは嫌だ!


「はいはい、よくぞ来ないでくれました」

「そんな言い方ぁ、でも君のそんなちょっとひんやりとした声もやっぱり耳に心地いい」


 くねくねくねくね、アンタは軟体動物かい!

 あー、ホント気が抜けるわ。


「ところでみな葉ぁ、今日は早朝に起こしてしまってごめんね、ボク反省しているのだよ。あの後はゆっくり眠れたかい」

「あー、気分転換に散歩に行ったから気にしないでもいいよ」

「へー、散歩とは爽やかなみな葉らしいね! いいねぇボクもご一緒したかったなぁ、いい気分転換になったかい?」

「うん、気分がほぐれたよ、意外な人とも会ってね、あっ」


 口がすべった。

 元カレとバラしたばかりなのに、洋二と会ったなんて言ったら面倒くさいことになるに決まってるのに!


「あっ、って何だい? 誰だい! 意外な人物とは一体誰なんだい!」


 あー、食いついちゃった。

 あっとかも思わず出ちゃったけど、飲み込むべきだったわ。


「うん、近所のお爺さんとワンコ、チワワのチロちゃんだよ」

「その方々が、何故どうして意外なのだい!」

「あー、お正月の河原で人とワンコと会うのが意外だなぁと思ったけど、途中でそうでもないかなってね、いやーしかしこのスタジオのロビーゴージャスだねぇ、このソファーなんかほらふっかふか」


 やっぱめんどくせぇ!


 話をはぐらかしても食い下がる七海を宥めながらわちゃわちゃやっていると、いつの間にか私たちの周りには人だかりができていた。


「やぁやぁ、けもみみラバーズのお二人さん、動画と同じで元気いっぱいのはつらつガールズだねぇ。どもっ! 今回のレコーディングのエンジニアを務める音木です」

「私は一応今回のアニメ主題歌の音楽プロデューサーということになっている波原です。本職はキャッスルケープで動画をやってるんだけどね、元音楽教師ってことでアニメプロデュサーに急に言われて、至らないとは思うけどよろしくね」

「えーと、僕はー」


 うわー、スタッフさん集結してるじゃん! ハズいったらないよ。


「ほらほら七海、もうスタッフさん来てるよ。どうでもいい話はもうやめてレコーディングに行かなきゃ」

「どうでもよくなんか!」

「それ以上言うとコレだよ、ほらご挨拶っ」

 やっぱり食い下がる七海に向けて指先で鬼のポーズをすると、七海はやっとおとなしくなってくれた。


「よろしくお願いしまーす! けもみみラバーズの月浦うさぴょ子です」

「柴咲にゃみ美です……」


 順番に握手をしてから、スタッフさんと一緒にエレベーターに乗る。

 すごすごと後をついてきた七海は、しょぼくれた顔のままだ。


 うーん、こんなサガった感じじゃマズいよね。

 あっ、七海、いつものピンクのお弁当かご持ってるじゃん。


「ねぇ、七海もしかして今日もお弁当作って来てくれた? いいにおいするー楽しみー」


 私のその一言を聞いて、七海はぱぁっと顔を明るくし、うんうん何度もうなずいた。


「今日も朝から張り切って作ったのだよ! ぜひ君と今年初のランチを共に食べたくてね」


 ホント七海ってチョロいなぁ、チョロ海だよ。

 あっ、そういえばプロデューサーさんが一緒にいるのに、楽曲のこと何も聞いてない。

 あんなに心配してたのに、すっかり忘れてた。

 七海にかかると、いっつもこうなんだよねぇ。

 本人は全く意図してないんだろうけど。


 うーん、私もチョロいのかも。





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