第23話月が明るい夜でした

 とら丸のまさかの電撃発表で気落ちしたまま初詣に出発するのかと思いきや、私にはもう一つ大仕事が待っていた。


「さぁみな葉、着付けするからちょっと行こうではないか」


 晴れ着の着付けだ。


「えっ、私着物なんて持ってきてないよ。そもそも持ってないから」

「心配ご無用だよ、ママ上から二人分貰ってきているからね」

「でもでも、こんな時間もう美容院やってないし」

「それも問題ないのだよ、ボクが二階で着付けするからね。安心しておくれ」


 有無を言わさず二階へと手を引いて連れていかれ、七海による着付けショーが始まった。

 薄桃色の地に牡丹と白鳥の描かれたシックだけど華やかでモダンな着物は普段だったらうっとりと眺めてしまいそうだったけど、今はそれどころじゃない。


 帯が帯が、ぎゅうぎゅうお腹に食い込んで、苦しいぃぃー!


 ぎゅ、ぐぐぐー。


「みな葉―、もうすぐ終わるからねー」


 ううう、終わる前にもう脱ぎたいよ、お蕎麦リバースしちゃいそうだよぉ。

 調子に乗ってお代わりなんかするんじゃなかった。


「にゃにゃみぃ、くるひいい、帯」


 やっとのことで出た掠れ声に七海はサッと反応し、帯はすぐさま緩められた。


「ごめんよみな葉、途中で着崩れしないように少しばかりきつく締めてしまった、緩めにするから出先でもしものときはボクにすぐ言うのだよ」

「あーうん、お蕎麦を食べすぎちゃったみたいで」

「そうかー、ボクの愛が君を苦しめてしまっていたのだね」


 七海はおでこに指先を当て、苦悩するようなポーズをとってまたその身をくねくねよじらせた。

 もうっ! そういうのいらないから!


「違う、このお腹の中にあるのはお蕎麦だけですっ!」


 きっぱりと断然した私にやれやれとばかりに首を振った七海は、そのままサクッと自分の着付けを済ませてしまった。

 淡い藤色地に辻が花、いつもの七海とは打って変わった渋い晴れ着だけど意外にもよく似合っていて、幼く見えていたその姿がぐっと大人びて見えて、私は思わず一瞬だけ見とれてしまったんだ。

 悔しいから、絶対アイツ本人には教えてなんかやらないけど。

 でもホント、もう、ほんの一瞬だけのことだけだったんだけどね。

 だって、すぐにアイツの鈍く光る眼がやっぱりいつも通りに、私を怪しく見つめているのに気づいちゃったから!


「あぁ、みな葉、君は本当に薄桃色がよく似合うねぇ……その晴れ着姿、魔幻少女ミリーナの新年おめでとうエンドカードイラストに生き写しだよぉ、ふぉぉっ」


 吐息交じりに何を言う!

 だから、夢幻少女は観たことないっちゅーに!


「はいはいはい、あぁもう十時半だね。私夜中に初詣に出かけたことないんだけどさ、結構並ぶの?」

「うーん、この近所のお寺はそんな人気初詣スポットというわけではないけれども除夜の鐘つきの予約を取ってあるからそろそろ行かねばならんね」

「えっ、除夜の鐘がつけるの!」


 ちょっと興奮して食い気味にしゃべってしまった。

 だって、地元ではいつも家族で炬燵に入ってお蕎麦を食べた後ごろごろとテレビの歌合戦を観て遠くから聞こえる鐘の音を聞きながらうとうとするだけだったから。

 両親が小さなスーパーをやっていて、二キロ先の国道沿いにできた大手チェーンのコンビニに対抗して元旦早々から営業していたから、家族で晴れ着を着て初詣とかそういうのもなかったんだよね。

 中学からは、バックヤードで手伝いもやらされてたし。

 まぁ、その分お年玉を奮発してくれてたから上京資金に役立ってくれたけど。


「もしかしてみな葉、除夜の鐘をつくのはこれが初めてなのかい?」

「うんうん、テレビで観たことしかないよー! わー、ありがとぉ」

「いやいや、こちらこそありがとうなのだよ! みな葉の初めていただいちゃいます! でへっふぇっへっ!」


 出た! またも笑い新パターン!

 つーか、何そのエロいおっさんみたいな感じ!


「ちょっとぉ、七海ったらなんか笑い方がお下品だよ! 神聖な鐘付きでその煩悩をしっかり払ってもらいなさいっ!」

「ボクの煩悩は百八程度ではとても収まらないのだよ、ぶうぇっへっへ」

「もうっ!」


 あー、口元はだらしなく緩んでるけど、笑い声はいつものブサ笑いのぶうぇっへっへに戻ってる。  ってこんなのイチイチ気づきたくねー!

 私ったら、七海の笑いマイスターかよっつーの。


「じゃ、お姫様そろそろ参りましょうか」


 七海はまるで紳士かのように、私に手をスッと差し出してきた。


「えっ、いいよいいよ! エスコートでもするつもり」

「だってみな葉着物慣れてないだろうし、階段があるから危ないよ!」

「いいっていいって! 子供じゃないんだから、それくらい大丈夫だから!」


 ブンブンと手を振ってエスコートを断ると七海はしゅんとして唇を尖らせたけど、階下にはとら丸がいるのだ。

 七海に手を引かれて階段を下りているところなんかうっかり見られてしまったら、誤解に誤解を上塗りしてとんでもないことになりかねないもの。


 大みえを切ってドーンと胸を叩いた手前、私は意識してしゃなりしゃなりと階段を下りた。

 まさか七五三以来の晴れ着姿だとは七海も思ってもいないだろうし、その時に駅の階段で転んでピンクの着物を汚してしまい「つるさん真っ黒になっちゃったよぉー」と大泣きしたことなんか口が裂けても言えるわけがない。


 けれど、そんな余計なことを思い出したのが悪かったのか、いつもは気にしていなかった階段のカーブに差し掛かったところで私は着物の裾を踏んづけバランスを崩してしまった。


「あ、危ないっ!」


 とっさに声を上げた私を、七海はサッと両手で支えてくれた。

 顔から火の出るような思いだった。

 見栄を張るって、簡単じゃない……


「ごめんなさい」


 自分の声が聞き取れないほど、小さな音しか出てこない。


「あー、裾をちゃんと持って降りた方がいいよって君にちゃんと伝えなかったボクの責任だよ。気にしないでおくれ」


 あー、こうやって優しく受けられると、余計ハズいわ。


「いや、ホントゴメン、私着物着るの七五三以来でさ、成人式も出てないから」

「えー、そうなのかい! じゃあ、成人してからお初の晴れ着姿かい!」

「あぁ、まぁそうなるね」

「うわぁ! みな葉のお初またいただきましたー!」

「だから、どうしてそうなるのぉ!」


 階段下でじゃれ合うようにしゃべっていると、リビングからドタドタと慌てた様子でとら丸が走って来た。

 やばっ、また痴話げんかだと思われちゃったのかも!


「あ、あの、とら丸、これはちがくて……」

「たわけどもがー!! うぬら今、何時だと思っておるのだ!」


 とら丸のこんな張った声初めて聴いた。

 顔もなんかすごい険しくて、角がにょきッと生えてきそう。


「兄者、そんなプンプンしてどうしたんだい、今は十時三十六分だろう」

「そうだー! 後十三分二十五秒でマジカルここも年越しスペシャル放送がCSで始まるのだ。こんな大事な時分にぺちゃくちゃとやかましい! とっとと失せろー!」


 とら丸に追い立てられるように外に出て、いつもとは逆方向に歩みを進める。


「しかし、兄者のあんな必死な顔久々に見たよー」

「うん、びっくりしたねー、とら丸ってマジカルここもホントに大好きだよねー」

「まぁ、初恋の君が主演なのだからね。ボクだって君がカウントダウン番組に出たらそわそわしてたまらないと思うよ」

「いやいやいや、そんなことあるわけないから!」

「いやしかし、【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】がバズったなら来年はそうなるかも知れんのだよ」

「そしたら二人セットでしょー、ウチら二人でけもみみラバーズなんだから」

「それもそうなのだね! ボクらは二人で一人、決して離れられないピッタンコの二人なのだから!」

「だから、そうじゃなくて仕事の相棒ってことだって!」

「ぶうぇっへっへ、みな葉は本当に照れ屋さんだなぁ、君から言った言葉だというのに。あっ、そういえば首元はどうだい? 寒くはないかい」

「あー、このもこもこのえりまき? があったかいから大丈夫だよ、手袋もほかほか」

「そうかー、なら良かった! いや、手つなぎで君の冷えた手をあたためようとも思ったのだけれど、寒い思いをさせたくなかったのでね」


 こういうところ、気遣いがあるから七海に本気で怒れないんだよなぁ。

 ここで手つなぎされてたら、着物とか気にせず蹴っ飛ばしてるところだけど。


「あー、月がまん丸だー!」

「おぉ、本当だ、ぷっくりして明るいお月さんだねぇ、そこに気付くとはさすがみな葉」


 早足ならすぐのお寺への道行を、月明りに照らされながら並んでゆっくり私たちは歩いた。

 いろいろてんこもりだった今年最後の今日もうすぐ終わる、でも新しい明日がすぐそこで待っているんだ。

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