第21話再びの約束とマリーゴールドの水中花

「じゃあ、そろそろ私帰るね」


 私たちが長い話を終えてもとら丸は眠りから覚めず、結局収録は翌々日に繰り越しになった。

 泣いていた上に興奮してずっと話し続けていた七海の声も、語尾が少し枯れているようで耳に引っかかりを感じたし。


「しかし、明後日は暮れも暮れ、大みそかではないか! 兄者やボクの不手際のせいでそんな折に来てもらっても良いのかい?」

「あー、私地元に帰る予定とか全くないし、どうせ暇だったから別にいつでもいいよ」


 申し訳なさそうにきゅっとすくめている肩をポンと叩くと、七海は表情を一変させギラギラした目つきで鼻息をふんふん出しながら私の手首をぐいっと掴んだ。


「えっ、みな葉年末年始の予定がないのかい! それはちょうどいい、実は一緒に初詣に行きたいとかねがね思い描いていたのだけれど、君は帰省の予定なぞあるんじゃないかと遠慮していたんだよ! でも暇ならそんな必要なかったね! 収録終わりが楽しみだなぁ」


 えー!?

 こう来るか、こんなことなら田舎に旅行に行くとか適当に言っておけばよかった。

 しかも、誘ってるわけでもなく決定事項にされちゃってるし!


「じゃあ、明後日は少し遅めに午後の三時に集合ということにしよう! 十分な睡眠をとっておくのだよ!」


 今更実は忙しいとか言っても説得力ないし、ぐいぐい来る七海を納得させられるような何か適当な言い訳の予定を考え付くこともできず、私は無言のままこっくりこっくりうなずいて、足取りもやや重く駅までの道のりをとぼとぼと歩いたのだった。


 人通りの少ない暮れの下町、夕暮れが足元の影を長く伸ばし電信柱のムクドリがまるで肩に留まっているようなだまし絵のような錯覚を巻き起こす。


 私の努力は本物だ。そう信じたいし、認めてくれた人が一人でもいたのは本当にうれしい。

 ただそれが、私のことが好きだということから感じている思い込みだったらと思うと、少し気が重い。

 パチンと目の前で手を叩かれたら、催眠が解けるように何もかもがクリアになって、キラキラに見えていたものが路傍の石ころだと気づいてしまうのかもしれない。


 電車に揺られる数十分、明日のこと、今後のことについていろいろ考えまくって、うっかり乗り過ごしそうになってしまい、慌ててホームに降り立つと冷たい風がスーッと頬をかすめていった。


 空を見上げると、一番星が茜色の向こうにピカピカと光っている。

 帰宅したら、まずゆっくりとお茶を飲もう。

 そして、ごちゃごちゃになってしまった頭をすっきりと整理するんだ。


 アニメのW主演の話が来た日、頭のてっぺんからつま先まで高揚感でいっぱいになってしまって、意味もなく電車でうろうろし見ず知らずの駅でふらりと降りてみた。

 そして、吸い込まれるようにして入ったいい香りのお店で、手に取った黄色い花のちりばめられたチョコレート色の包み。

 値札も見ずにレジに持っていき、その値段にびっくりしたほどの高級な工芸茶。

 上京してから、こんな高い買い物をしたのは初めてだった。


 特別なときに飲もうとしていたとっておきのその工芸茶をセットで買ったガラスのティーポットに入れてお湯を注ぐ。

 ゆらゆらと透明なポットの中で鮮やかに優雅に黄金色のマリーゴールドが花開く。


 ジャスミンとマリーゴールドの香りが合わさった独特だけど穏やかな香りに包まれた緑茶をゆっくりと飲めば、気持ちはきっと落ち着くだろうと思った。

 でも、私の気持ちはふわふわと頼りないような、どっしりと重いような、あやふやな様子のままで、どうにも定まらない。


 七海がこんなに私に執心するのは、恋の魔法にかかっているから。

 なら私はどうすればいいのか?

 その恋心が冷めないように、女子力を磨く?

 違う、ナイナイそれはない!

 そもそも私は、女性として七海にずっと見てほしいわけではない。

 その恋心には、きっと今後も応えられない。

 でも、それでも、自分を初めてこんなに認めてくれた人に、努力を見守ってくれていた人に、魔法が解けた後でがっかりされたくはない。


 それなら、どうすればいいのか?

 ぬるくなったお茶をぐびりと飲むと、スーッともやもやしていた頭の霧が晴れていくような気がした。


 私にできることは、やっぱり努力だ。

 それしかない! 努力して精進して、魔法が覚めた七海の目にもその姿を刻みつければいいんだ。

 もし、恋心が見せた幻のようなまばゆさだとしても、それを本物にしてしまえばいいんだ。

 そんなこと簡単なことじゃない。

 でも、今の私にはやっぱりそれだけだ。


「できる、できる、私ならきっとできるよ」


 呪文のように呟いてちびりちびりと飲むすっかり冷めてしまったお茶は、とても穏やかで優しくてでもどことなく強さを感じる味がしたんだ。


 この強さを忘れないようにと、お店の上品なお姉さんに教えられた通りポットに残ったマリーゴールドは水中花にしてみた。

 でも、質素な我が家に適当なガラス瓶などあろうはずもなく、使用済みペットボトルの水中花というちょっとしみったれた感じになってしまったけれど、たとえペットボトルの中でも黄金色の花は 堂々と艶やかに大輪の花を咲かせていた。


「行ってきます! がんばってくるね!」


 大みそかの朝、ベッドのヘッドボード棚に置いたマリーゴールドの水中花にスチャっと敬礼してから家を出る。


 はぐらかして、逃げてばっかりだったけど、これから私は七海と自分なりに向き合っていこうと思う。

 あくまでも自分なりに、だから七海の気に入る方向性ではないかもしれないけれど。

 けれど、あんなにも真っすぐに自分を見てくれている人に、真っ向からぶつからないのはやっぱり卑怯だ。

 ぶつかって、ぶつかり合って、新たな関係性が見えてきたら、それはきっとけもみみラバーズの今後にとってもより良いものになるに違いない。


 ワクワクしながらとら丸スタジオに向かうと、たった数十分のいつもの道のりがひどく長く感じられてしまった。

 早くあの場所に着きたい、七海に今すぐ会いたい、はやる気持ちが余計にそう感じさせたのかもしれない。


「みな葉―! 久しいねぇ、二日ぶりだねぇ、会いたかったぁ、会いたかったのだよぉ、ボクとってもとってもさびしかったのだよぉ」

「こら、やめなさいって!」


 ドアを開けるなり飛びついて頬をすりすりしてきた七海のことは、つい条件反射でバーンと突き飛ばしてしまったのだけれどね。


「痛いじゃないかぁ……ボクの愛情表現を無視しないでおくれよ」


 でも、大げさによろめいてへたり込んだ七海のことは、ちゃんと手を伸ばして引き上げたんだよ。

 うん、偉いね私、ちゃんと成長してるじゃん。


「ぬしら、また痴話げんかか、拙者がいる前での刃傷沙汰はやめるのだぞ……せめて留守のときにしてくれよ」


 あきれたような顔でため息をつきつつのそのそと登場したとら丸の言葉を聞いて、思わず手を離してはしまったけど。


「痴話げんかってなに! ウチらそんなんじゃないよ!」


 尻もちをついた七海の横で慌てて弁明するけど、こめかみから次から次へと汗が噴き出してくる。

 まさか七海ったら、私のことが本気で好きだとか、とら丸に言ってないでしょうね。

 横目でちらりと見ると、口を開けてぽかーんっとしている。

 どうやら七海にも意外な言葉だったらしい、だったら否定してもらいたいところだけど……それも難しいだろうし。

 面倒なことになるの嫌だから、しっかり否定しておかなきゃ!


「とにかく! それはとら丸の誤解だからね! ウチらは百合ップルをキャラで演じるだけで、さっきのも七海が急に抱きついてきたからびっくりして突き飛ばしただけで」

「ぞんざい千万! ぬしらがおとついもごもごとやりおうていたとき、拙者はずっと狸寝入りをしておったのだぞ、拙者はぬしらの道行きになぞとんと興味はないのだが頭を蹴られるのは二度とごめんだ! とっとと埒を開けろ!」

「わかったよ、兄者、ボクたちこれからしっかり仲良くしまーす!」


 あまりの誤解にパクパクと口を開けて反論もできなくなった隙に、七海がちゃっかりと返事をしてしまった。

 勝手に組まれた肩もそのままに、私は呆然としてとら丸の去っていく背中がどんどん小さくなるのを見ていることしかできなかった。


 もうっ、何でこうなっちゃうの!

 あーもう七海、ニヤニヤしてんじゃねーよっ!


「いやー、兄者にはボクたちが恋仲であるとすっかり誤解されてしまったようだねぇ。まぁ、当たらずといえども遠からずではあるのだがね、てへっ」


 テヘペロでもねーよっ!


 心の中で地団駄を踏みながら、肩に回った七海の腕をやっと振りほどく。

 結局振り回されっぱなしで、今年最後である収録日の幕が上がったのだった

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