第19話冷たいメッセージ

 どうしようもないやるせなさを当たり散らすようにしてぶつけてしまった気まずさもあり、自分から連絡することもできないままただ待ち続けるまま日々は過ぎ、七海からの連絡がやっと来たのは二週間後のことだった。


『園原様いかがお過ごしでしょうか、北条院とら丸の仕事のめどが立ちました。来週には音声収録と動画制作を再開できると思います。ご足労おかけいたしますが、またこちらのとら丸スタジオまで出向いていただきたく存じます。日にちが決定したらまた連絡いたします。』


 今まであんなにバカバカしく、でも気持ちがこもった熱いメッセージを、ハートが舞い散るスタンプ付きで送って来ていた七海の冷たく突き放すような素っ気ない業務用のメッセージ。

 園原様だなんて、今まで一度も言われたことがなかったのに。

 このメッセージに対して、関係のない内容を踏み込んであれこれ訊く返信なんてとてもできるわけがない。

 訊いたところで、回答が来るとはとても思えない。


『城ケ崎様、お忙しい中わざわざご連絡ありがとうございます。兄上のとら丸さんにお疲れさまでしたとお伝えください。こちらの方はいつでも都合がつきますので、日程が決まったらお知らせください。お邪魔させていただきます。』


 どうしたらいいのか悩みに悩んで、結局こんな当たり障りのない内容しか書けなかった。


 私と七海の間には、もう深い深い溝ができてしまったのかもしれない。

 それを埋めることも、もうできないのかもしれない。

 そう思うと胸の奥がギリギリと締め付けられるように痛んできて、七海からの日程の連絡が来ることが、再び顔を合わせる日が無性に怖くなってきた。

 でも、「もういいよ、来なくてもいい、今までお疲れさまでした」そう言われてしまったらとか、二度と会わない、言葉を交わすこともできなくなるって想像すると、息ができなくなるような激しい胸の苦しさも感じた。


 会うのも怖い、でも会えないのも怖い。

 気持ちがどんどんどんどんこんがらがって、それにがんじがらめになってしまってほどきたくてもほどけない。

 私は自分がどうしたいのか、何が本当の望みなのか、さっぱりわからなくなってしまっていたんだ。


 数日後に『暮れも差し迫る中で申し訳ないのですが、来週の水曜日の午前十一時の御来訪でお願いいたします。』と日程決定のメッセージが来たときも、スマホの画面を見つめたままなかなか返事を返せず、既読スルーのまま半日以上が過ぎ、寝る直前に『承知しました。』とだけ返信した。


 怖い、怖い、怖い。

 水曜日の私の足取りは、いつになく重かった。

 遅刻してはいけないといつもより三時間も早い夜の八時にはベッドに入り、早朝に起きてしまって でも気持ちがやけにそわそわして二度寝することも部屋でじっとしていることもできず、マフラーにニット帽、カイロを背中にべたべた張った厳重装備でまだ薄暗い近所の公園をぐるぐる歩き回り、電車に乗っては上りと下りを繰り返し、いつもの最寄り駅のホームに降りたときはもう十時四十五分になっていた。


 ここからとら丸スタジオへはゆっくり歩いても十分かからない。

 十分間に合う時間ではあるけど、なかなかその一歩が踏み出せなくて、結局駅の改札口の前で五分もぐだぐだしてしまった。


「さすがにこの状況で遅刻はまずいよー」


 小走りで焦って久しぶりの玄関前に辿り着き、目の前のドアを開けようとしてずっと預かっていた合鍵を忘れてしまっていたことに気付いた。

 自宅アパートに忘れてきてしまったわけではない。

 あの日、最後にここに来た日に、そのまま置きっぱなしにしてしまったんだ。

 預かっていただけなのだから、本来の持ち主の身内である七海からそのことについて連絡が来るはずもなく、今の今までさっぱり気づいていなかった。

 もたもたとしている間に、スマホの時計は約束の十一時ピッタリになっている。


 ピーンポォーン……


 力ない指でゆっくりと押したチャイムに反応し、開かれたドアからぬぼーっと顔を出したのはとら丸だった。

 目の下にくっきりと刻まれたクマが、三つの役割を兼任したこれまでの仕事の過酷さを如実に表している。


「あ、とら丸久しぶり……シナリオにキャラデザに監督にと大変だったでしょう。お疲れさまです」

「ゔゔ、シナリオとキャラデザは半日で済み候、なれど仕上げはまだ終えておらん。今はしばしの年始休みだ、ここまで忙しきとは不覚をとった」

「そ、そっか、がんばってね」

「うむ……」


 とら丸はふらふらとおぼつかない足取りでリビングに戻り、這うようにして炬燵にもぐりこんだ。

 そして、すぐさまくーくーと寝息を立て始めたのと時を同じくして、ピンと張りつめたような七海の声が私の耳を突き刺した。


「ごめん! みな葉本当にごめんなさい、ボクが悪かったです」


 ソファーの上でちんまりと正座した七海は、啞然として声も出ない私に向かって、何度も何度も土下座するようにして頭を下げた。


 この日の再会にあたって、冷たくあしらわれるとか、コンビ解消を言い渡されるだとか、いろいろ悪い想像はしていたけど、これは予想外だ。

 関係のない仕事の辞退についてやつ当たりのようにブチギレた私に対して、怒っているのはそっちじゃないの?

 何で私の方が、こんなにも平謝りされてるんだろう。


 リビングに入ってから見たのは振り乱した髪と下げられた頭頂部のうずまきのようなつむじばかりで、まだ一度も七海の顔をちゃんと見ていない。


「な、七海いいよ、いいからもう頭を上げてよ」


 私の声に反応し、やっとそろそろと顔を上げた七海の顔は泣きはらしたようにむくんでいて、その目はうさぎのように真っ赤だった。


 炬燵にいつもの場所をとられて、すっかり隅に追いやられてしまったソファー。

 その上でまだ正座したまま身をすくめている七海が、今まで感じたことのないくらいに小さく、儚く見えて、私は思わずかけよってその横にちょこんと腰掛けた。

 触れ合った肩と肩から伝わってくるのは、小さな振動と不安と緊張。

 肩も、背中も、ぷるぷると頼りなげに小刻みにふるえている。


「ねぇ、どうしたの……私は怒ってなんかいないよ」


 声をかけながら、ゆっくりとその背中をさすると七海はずるずると鼻をすすり嗚咽した。


「ゔゔゔゔ、しかしボクは君に怒られても仕方ないことをしてしまったのだよ。だって、ボクはボクは、今までずっと君に嘘をついていたのだから」

「何で! 大きな仕事のオファーを断ったのを聞いて、怒ったっていうか、八つ当たりしちゃったのはただの私の心の狭さだよ。七海が自分には縁のないビッグチャンスを平気で断れるすごい人だって気づいてなかった自分に腹を立ててたの!」

「いや、そのことを黙っていたのも申し訳ないとは思っているのだけれど……」


 えっ! そっちじゃないの? じゃあ、何?


「ボ、ボクが、けもみみラバーズでコンビを組むようになって一緒に過ごすようになってから君のことを好きになったというのは、実は本当のことではないんだ」


 あー、そっちか、そっちね。

 真に迫ってはいたけれど、七海って天性の演技派だしね。

 動画を盛り上げるための、七海なりの私を本気にさせる芝居だったんだのかな。


「あー、それは別にいいよ! 別に付き合ってるわけでもないんだしさ。元々私はキャラの気持ちと混同した勘違いなんじゃないかなって思ってたし、直接言ったこともあるでしょ、気にしなくていいよ」


 ポンポンとふるえの治まった肩を叩くと、七海はものすごい勢いでぶるぶると頭を振った。

 その振動で、こっちの指まで勝手にふるえてくる。


「違う! 違うよ! ボクのみな葉への好きの気持ちは本物だ! 何度も言ったではないないか!」

「えっ、でもさっき本当じゃないって」


 七海は正座を解き、しびれていそうな足先をぐっと伸ばして寝込んでいるとら丸の横に突っ込んだ。


「嘘をついたのは時期のこと、実は初めてガヤで一緒になる前からみな葉のことは気になっていたのだよ。というか既に好きだったと思う、おそらく」


 うっひゃー、まさかのそっちかい!



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