第17話七海の真実
すやすやと眠る真恋の横で、私は七海にその告白の真相を問いただした。
「ねぇ七海、あんたも聞いてたでしょ? おこぼれってどういうことなの? 七海もオーディション受けてたの? マスカットって言ってたし、サンダーガールズのことだよね? 私、全然知らないんだけど」
「うーん、真恋ねぼけてたし」
「はぐらかさないでよ! ウチら相棒でしょ!」
誰も手を付けないままぐつぐつと煮えたぎってゆくうどんの向こうに見える七海の顔、湯気でにごってよく見えない。
カタカタとふるえる拳をぎゅっとにぎりしめ、なんとか表情を読み取ろうとするのに目を凝らせば凝らすほど、湯気が目に染みて視界がぼやける。
「ボクさ、幼少のころに子役をちょっとばかりやっていたのだよね、父親の仕事関連でさ声のお仕事もやっていたのだよ。そのときのお知り合いがサンダーガールズの放送局の人でさ、ボクが養成所にいるって知ってオファーをくれたんだ」
「オファーって、お父さんの仕事って……」
訊きたいことはあふれ出しそうなくらい、山のようにあるっていうのに、声がかすれてきちんと言葉が出てこない。
「ボクのパパ上、あ、父親はさ、実はロゼプロの社長をやっているのだよ」
ロゼプロ、売れっ子声優を多く抱える大手プロダクション、うちらが通っていた養成所の母体でもある……
社長の名前は、確か城ケ崎大政。
その娘が、湯気の向こうにいる城ケ崎マリローゼ七海、以前はロゼというニックネームで私に呼ばせようとしていた。
何で今の今まで何も気付かなかったんだろう。
私は自分に無性に腹が立った。
そのいら立ちをぶつけるように、私は見えない七海をきっと睨みつけ大声を張り上げた。
「何で断ったの、大チャンスじゃない!」
「だって、話を受けたら半年間はあれに専念しないといけない契約だったんだ、ボクには君とvtuberをやるという約束が」
「そんなのこっちを断ればよかったでしょう! あぁ、でもロゼプロのお嬢さんには関係ないか! キャッスルケープのアニメだって結局取締役の姪っ子のあんたがいたから」
「それは……」
七海の声はどんどん遠くなっていって、もう私の目にも耳にも何も入ってこなくなった。
それからどうやって家に帰ったのかは、全く覚えていない。
気が付くと自宅アパートの小さな湯船に、膝を抱えて縮こまって浸かっていた。
汗なのか涙なのか、ぽたぽたと顔いっぱいにこびりついたあたたかい水滴で顔を濡らしながら、私は声を殺して嗚咽した。
悔しい、悔しい、悔しい。
私が焦がれて焦がれてでもどんなに努力しても指の先すらかからなかった場所を、喉から手が出るほど欲しかった仕事を、七海はあっさりと捨てたんだ。
いとも簡単に、それもこんな私とvtuberをやると約束していたから。
そんなくだらない理由で。
ひとしきり水分をしぼり出してからベッドの上に大の字に転がった私は、ふらりと立ち上がり冷蔵庫の上の棚から常温のレモネードを取り出して喉を潤した。
うつろにふらつきながらお風呂から上がっても、そのまま横にはならずに風邪をひかないようにしっかり髪も乾かしてしまう。
こんなときだって、やっぱり喉のことを気にしてしまうんだ。
真恋のような売れっ子の声優でもないくせに。
自嘲するような薄ら笑いを浮かべ、再びベッドに横たわる。
確かにお父さんもおじさんも業界の大物、けれど七海に大きな仕事のオファーがきたのは、強力なコネ、ただそれだけのことではないと思う。
悔しくて本人に直接告げたことはないけれど、七海は上手い。
一緒に組むようになって感じたことだけど、キャラの掴み方が実に見事だ。
水のように自然に自分のキャラに溶け込む。
それに声も一度聴いたら忘れられないぐらいに個性的、七色の声を持ちまるで別人のように演じ分ける声優さんもすごいけれど、やはりその人にしかない声を持っている人はこの世界では強力な武器だ。
その上、はっきりとした発音で聞き取りやすい。
天性の声を持つ上に、しっかりしたスキルもあるのだ。
私は何でこんなすごい人を、自分と同じ底辺でくすぶっている仲間だなんて信じ込んでいたんだろう。
地元での少女時代、私には将来声優になれるという確固たる自信があった。
黒髪ストレートのロングヘアに細く薄い体アーモンドのような猫目、町にいたら雑踏の中に埋もれてしまうようなありふれた容姿はよく言っても中の上といったところで、特別美人でも個性的でもない。
けれど、声や自己流の技術はなかなかのものだと思っていた。
小さいときから長寿アニメの【ぷにぷにワンダーズ】の主人公であるワンコロウ太の声真似が大得意で、友達にも「みなちゃんワンコロウ太そっくりー」「大きくなったら声優になっちゃいなよー」なんて言われてた。
ちょっとしたハスキーボイスは、少年役にピッタリだと思った。
自分もワンコロウ太役の真古瀬はる子さんのように、ずっと愛される子供の心に残り続ける当たり役を掴むんだって意気揚々としてた。
地元の国立大学に行って卒業後は役所を受けなさいと説得してきた両親と大喧嘩して半ば家出するように地元を飛び出して、うどん屋とパチ屋の掛け持ちのバイト生活をしながら爪に火を点すようにしてお金を貯めている間も、その気持ちは消えなかった。
けれど、やっと養成所に通い始めて初めて参加したオーディションで、私は徹底的に打ちのめされた。
「ふーむ、容姿も声も平均以上ではあるんだけどさー、何かピカッと光るものというかパッとするものがないねぇ。はーいご苦労さん、どもどもーじゃあ元気でねーさよならー」
審査員がひらひらと手を振りながら軽い口調で放った感想は、自分でもごもっともと思わざるを得ないものだった。
容姿も声もほんのちょっとだけ普通よりいい、そんな程度の人間は掃いて捨てるほどこの世の中に転がっているんだ。
くすぶっている声優の卵の中では、いや全国の声優を夢見るだけの人間を含めてもその他大勢でしかない。
それからの私は、脇目もふらず一心不乱にレッスンに打ち込んだ。
他人のことを気にして見ている余裕なんか、ほんのちょっともなかった。
個性的な声と容姿で目につくはずの七海のことも、抜きんでたスター的存在だった真恋のことですら、養成所での様子は全く覚えていない。
グループレッスンだって、何度もあったはずなのに。
そんな努力の甲斐があったと言ってもいいのだろうか、七海の誘いを受ける少し前に一度だけオーディションで拾われ、セリフ付きの役をもらったことがあった。
人気の乙女ゲーの第三弾で、イケメンキャラに紛れた平凡少年の佐藤君役。
でも、これをきっかけに次回はイケメンキャラに昇格して出番も多くとか少し甘い妄想が脳裏に広がった。
けど、たった数時間のアフレコだけで私の出番はすべて終わり、爪跡を残そうとする機会すらなかった。
オールアップの打ち上げにも当然のごとく呼ばれず、アニメ化決定の情報も共演者のSNSで知っただけ。
どうせモブキャラに数本の毛が生えたような脇役だし、アニメ化で出番があるわけないよねって自分で何とか納得していたのに、下の名前すら出てこない佐藤君は、ヒロインやイケメン同級生になんだかんだ毎回絡む役としてゲームとは違う存在感を示していた。
配役は、もちろん私……ではなく、若手イケメン枠の新人男性声優にチェンジ。
ゲームのときは何度エゴサーチしても一人の感想すら見つからなかった佐藤君は、イケメンキャラに囲まれて主題歌を歌うグループにまで抜擢され、すっかり人気キャラに変貌していた。
そんな結果では、次の仕事にもつながるわけもなく、その後の仕事は養成所で紹介されたガヤだけ。
七海に誘われてVTuberになってからは、受ける時間がないとか、もし合格しても急にけもみみラバーズの収録日が変わって行けなくなるかもとか自分に適当な言い訳をしてオーディションにすら行かなくなっていた。
週一回の収録とうどん屋一本に絞ったバイトだけで、別にとりたてて忙しくもなかったくせに。
同期の子たちがチャンスを掴んだという情報を得るたびに、自分も受ければよかったとかじゃなくて、その場にいなくて良かったという想いが胸をよぎった。
新人発掘オーディション応募者二千人以上の中から選ばれた逸材などという文字を見るたびに、合格した人の価値を上げるためだけのにぎやかし、二千人以上の中の一人に入りたくないだとか卑屈な感情が沸き起こっていた。
こんな何の特徴もない、挑戦することにすらビクビクして何もしようとしない私のことを、何故七海は誘ったんだろう。
何で魅力のかけらもない私のことを、好きになんかなったんだろう。
ずっと、底の見えないほど暗い水の奥深くに沈んでいるような気分だった。
湖面に映る光は遠く、もがいてももがいても浮上できず、その振動で光は砕け粉々になってしまう。
そのかけらですら、私にはつかみ取ることができない。
それでも幻の光に手を伸ばし、あがかずにはいられなかったんだ。
そのせいで、より深く沈むことになったとしても。
七海は、両手いっぱいに持ったギフトをぽいっと投げ捨てて暗く深いところまですいすい泳いでやってきて、私の腕を掴むといとも簡単に引き上げた。
それはとてもうれしくて、それ以上に痛かった。
その日の夜、ひっきりなしにくるのではないかと危惧していた七海からの連絡は来ず、私のスマホは一度もその音を鳴らさなかった。
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