第16話いよいよ登場真恋です
二日目、いよいよ満を持して真恋の出番がやってきた。
「さぁ、サクサク進めるわよぉー!」
その言葉通り自他ともに認める天下の柊真恋は、当日急に変わったセリフにも柔軟に対応し一つもNGを出すことなく予定時間よりも一時間も早くその日の収録は終わった。
厳しいはずの向原さんが、「真恋くん、えーくせぇ~れんとぉぉっ!」と拍手までする出来栄えだった。
「真恋、素晴らしかったよ。ぎゃふんって本当に言いそうになっちゃった」
私の心からの誉め言葉に、真恋は一瞬だけ照れくさそうにして直ぐにきゅっと顔を引き締め、腰に手を当てて高笑いした。
「おーほっほっ、そりゃそうよ、私を誰だと思ってるの柊真恋よ。少しは私の技を盗んであんたたちも精進なさい」
以前だったらむかっときていたはずのそんな言葉も、その実力をまざまざと見せつけられた今となっては納得するほかない。
へへーっとひれ伏して拝みたいくらいだ。
「うん、柊を見習って僕らも頑張ってゆこうと思うよ。勉強させていただいた、ありがとうね」
七海にも感謝の声をかけられ、真恋はちょっとだけ頬を赤らめながらしゃなりしゃなりとモデルウォークで次の現場へと向かっていった。
そして、また二人っきりに戻った三日目の最終日。
「ちょっとー昨日の勢いはどこへ行ったの? もっと元気よくぱっぱっと流れるようにやりとりしなさい!」
「はいっ!」
またしても向原さんにがみがみ叱られながら、ウチらは必死で演じ、演じ、演じ切り、【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】全11話のアフレコはオールアップのときを迎えた。
「はーい、お疲れさん、お二人さんよく頑張った頑張った。2クール目でまた会おうな!」
「は、はびぃぃぃ……」
さっきまで目をつり上げて怒っていた向原さんにあたたかなねぎらいの言葉をかけられて、私は涙が止まらなくなってしまった。
誤魔化すように目の端をこすっている七海も、鼻をずびずびすすっている。
「ありがとぉございましたぁ」
声をそろえてお辞儀して、ミキサーの白石さんからガーベラの花束をもらうという思いがけないうれしい出来事もあって、ウチらは二人そろって真っ赤っかの泣きはらした顔でスタジオを出ることになった。
ウチらの初めての大きな挑戦は、こうして一応の幕を閉じたのだった。
そして、それから二日後。
久しぶりの連続オフをもらったという真恋に呼び出され、ウチらはとら丸スタジオに集結した。
アフレコオールアップ慰労女子会という名目だ。
とら丸のいないこの場所に、真恋が足を踏み入れるのは初めてのことだ。
そう、アフレコは終わったけれど、監督であるとら丸にはまだまだ大きな仕事が残っている。
このアニメ製作期間中の配信動画を一気に作り上げ、それからの監督業。
いかに魔法の指を持つ早業とら丸でもへとへとのようで、「最近は見かけても炬燵に入ったまま亀みたいになって泥のように眠っているのだよー手に食べかけのまんじゅう持ってさ」と七海が教えてくれた。
北風が吹くのと同時にいそいそと用意したお気に入りの炬燵でゆっくりくつろぐこともできず、大好物の和菓子すら食べ終えるまで我慢しきれず寝てしまうなんて、相当な消耗なんだろう。
でも、真恋ならそんな状態のとら丸にでも一目でも会いたいはずだ。
折角のオフに、キャッスルケープアニメーションにいるとら丸に差し入れするだとかもなく、ウチらと慰労女子会なんてしてていいのだろうか。
「ねぇ真恋、とら丸に会いに行かなくていいの? 珍しい和菓子とか持っていったら喜ぶかもよ」
真恋がバラエティ番組の景品でもらったフグちり鍋を炬燵で三人でつつき合いつつそう問いかけると、真恋はブンブンブンブン髪を振り乱しながら激しく首を振ってすっくと立ちあがり、箸を天井に突き刺すように高々と突き上げた。
「とら丸兄さまはねぇ、今、たった今このときですらも、一世一代の男の大勝負をなさっているのよ! そんなところに真恋がのこのこ出かけて行って、気を散らすなんてできようはずもないわ! 真恋はね、大仕事を終えて疲れ果てたとら丸兄さまを優しく迎え入れる港になりたいの! とら丸兄さまが帰ってくる、安らげる場所は真恋のこの胸しかないのよ!」
下手な舞台役者のような仰々しいその言い回しは、あの芸達者な柊真恋と同一人物にはとても思えなかったけど、これが真恋の本質なのかもしれない。
はげしくまっすぐで、でもときどき健気な恋に生きる女。
そうは思いつつも、その大げさな身振り手振りが面白過ぎて、七海と目を合わせてぷぷぷぷっと吹き出してしまったけど。
「よーし! 締めはうどんにするからね! 君たちまだお腹に余裕はあるかい!」
「あいあいさー! 食べる食べる」
料理上手の七海が、うっすらとフグや具の残った鍋で特製のフグ汁かきたまワカメうどんを作ってくれると提案したとき、鍋をつつきつつひれ酒片手にとら丸への愛を語り、呑み、あそこがいいここがいいと繰り返しながらくだを巻いていた真恋はすっかりへべれけになっていた。
「ちょっと真恋、あんた今月二十歳になったばかりでしょ。呑み過ぎだよ」
養成所に行く資金を貯めるために、カラオケや河原で個人練習をしつつ二年間バイト生活をしていた私と違い、高卒後にすぐに入所した真恋と七海は今年やっと成人を迎えた。
普段はあまり感じていないけど、飲酒ということになれば二年の差は大きい。
まぁ私も飲み会とか全く行かないしめったに吞む機会なんてないから、とうてい酒豪とか言えるような代物ではないんだけど、ここはひとつお姉さんとして成人ルーキーの面倒を見なくては!
うんうん、大人の貫禄というものを見せつけてあげましょう!
アニメ放送の直前、三月末で二十二歳になるこの私の大人の落ち着きにひれ伏すがいいわ!
あっ、これちょっと真恋っぽいな。
「うつっちゃったみたい、ふふっ」
知らず知らず毒されちゃってたのかも、最近一緒に過ごすこと多かったもんなぁ。
うーんでも、ちびちび呑みの真恋よりぐいっと一気に三杯呑んじゃった七海の方が量的にはイッてそうなのに全然平気そうだよね。
呑みながら「フグ煮えたよ。紅葉ポン酢につけて、白菜もちょうどいい頃合いだ」って鍋奉行的なことしてたし。
「うーん、ボク酔っちゃったみたいだよ。みな葉ぁ、手取り足取り介抱しておくれよう」ってしなだれかかって腕をさすさすしてきた直後に、うどん作るってシャキッと立ち上がってもいたし。
茹で上がったタコのような真恋と違って顔も全然赤くないし、将来結構な酒豪になりそう。
まぁそれはさておき、酔いどれ真恋の面倒を見てあげますか。
普段あんなに生意気なのに、こうしてごろごろしてると意外とかわいいもんだなぁ。
化粧っ気ないと、幼くてつるんとしててちょっと赤ちゃんみたい。
酒臭い真恋赤ちゃん。
「うーん、とりゃみゃるしゃまぁどこぉ、おちゃけもどこぉ、まりぇんまだ呑み足りないよぉう」
「はいはい、仕事が終わったらもうすぐ会えるからね。でもお酒はもうダメだよ! 呂律も回ってないじゃない、折角のオフに一日中二日酔いで頭痛いの嫌でしょ、お水飲んでソファーで横になろうね」
ソファーまでなんとかずるずる引っ張って上に毛布を掛けると、真恋は毛布の端をもぎゅもぎゅ噛み締めながら、うなされるように苦しそうな息を漏らし始めた。
「ゔゔゔ、やだやだ」
「ちょっと真恋どうしたの? 苦しいの? 吐きそう」
「やだぁやだぁ、じょうがしゃきみゃりろーぜにゃにゃみぃ、きらいきらぃぃ、ばかぁ」
真恋は、何度も何度もその言葉を繰り返した。
そういえばなんとなく有耶無耶になってしまっていたけど、再会直後の真恋は七海に対して敵意むき出しだった。
最近はそんな様子もなかったし、過去に何らかの誤解があったとしても親しくなるうちにそれが解けてすっかり打ち解け合ったとばかり思っていた。
真恋と七海、養成所時代の二人に一体何があったんだろう?
疑問に思いつつも酔っ払いには真相を聞きようがないし、七海は前に心当たりがないって言ってたし。
「きらい、きらいだぁ」と繰り返しながらまどろみ始めた真恋の頬を撫でていると、そこにあたたかな雫がぽとりとしたたり落ちてきた。
それと同時に、真恋は急にぱちりと目を開けた。
「私は運だけのラッキーマスカットガールなんかじゃない! 城ケ崎が捨てた役のおこぼれをもらったわけじゃない! 実力で勝ち取ったんだ!」
さっきまでとは違うはっきりとした口調で言い終えると、真恋は再び目を閉じてすーすーと寝息を立て深い眠りに落ちていった。
ずっと喉につかえていたイガイガをやっと吐きだせて、安心したかのような安らかなその寝顔。
けれど、それは少し酔いが回っていたのか火照っていた私の頬を一瞬にして凍りつかせてしまうような衝撃的な告白だったんだ。
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