第15話本格始動でアフレコで

 放送日まであまり日がないため、アフレコはワンクール分全11話を三日に分けて一気に行うことになった。

 そのうち真恋が参加するのは中日の二日目、如月リュージは初日の午後から夕方までだ。

 たった数時間それだけで終わる話、大丈夫大丈夫、棒読みのとら丸相手ではあったけどちゃんと練習はきっちりやったし。

 当日はしっかりと共演シーンを演じ切ろう。

 そう決めてベッドに入ったら、気疲れしていたせいもあるかもしれないけれど以外にもあっさりと眠りにつけた。

 それは深い深い眠りで、夢も見ないくらいだった。


「それでは主演の月浦うさぴょ子さんと柴咲にゃみ美さん入りまーす」


 以前ガヤで来たあのスタジオに主演として入るのは、何度も想像していたのよりずっとずっとうれしくて足が少しだけカタカタと震えた。


「ちょっとうさぴょ子、そこ引き笑いじゃだめだよ。声が裏返ってる、ハイもう一回」

「おいおいにゃにゃみ美、いちいちうさぴょ子にタッチしない。声で演技しないよーやる気あんのかぁ?」


 めちゃくちゃ練習したはずなのに、二人っきりでのいつもの収録とは全然違う。

 ウチらは音響監督の向原さんにめっちゃ厳しく怒られまくって、昼休憩になるまで何度もやり直しをすることになってしまった。

 でも、その現場の熱気は私たちのやる気をそぐものではなく、もっともっと今度は完璧にと胸を奮い立たせるような熱さだったんだ。


「はーい、じゃあ休憩室で昼食ってきてくださーい。お喋りはいいけど馬鹿笑いして喉をつぶすなよー」

「はいっ!」


 テーブルの上に用意されていたちょっと冷めたチキン南蛮弁当とハーブティーを食べ終えたウチらは、特に会話もせずでも熱気のこもった瞳同士でうんうんとアイコンタクトをした。

「すごいよね! プロの現場って」声に出さなくても、それだけでお互いの想いが通じ合うようだった。

 七海の体がもぞもぞと細かく揺れているのも、内にこもった熱を発散しようとしてるんだろう。

 日差しも暖房もない休憩室で本当なら秋の肌寒さを感じるはずなのに、私もなんか体の芯にカッカと熱が灯っているようだし。


「あっ、みな葉ボクちょっとおトイレに」


 七海のこの言葉を聞くまでは、少なくとも私はそう思っていたんだよね。

 そっかー、もぞもぞしていたのはトイレ行きたかっただけだったか、アイコンタクトって何よ私ったら、ふふっと笑いを零していると、七海の背中が遠ざかるのと入れ替わるようにして休憩室に細く長い影が入って来た。


 あの黒いスカル柄のキャップ、見覚えがある。

 あれは洋二だ。


 会釈と同時にキャップを脱ぎ、一つ開けた席に座った洋二は「久しぶりだな」と一言だけ告げた。

 くぐもったようなこの声、久しぶりに直に聞いた。

 モニター越しのあのときは、びっくりし過ぎて何かうわんうわんエコーかかってるように聞こえてきちゃってたし。


 でも、洋二は私を見てもちっとも驚かないんだ?

 配られた資料にはキャラ名だけで、ウチらの名前や写真は載っていないはずなのに。

 どうしてだろう? 別の仕事で来たと思われてるのかな?


「私を見ても驚かないんだ?」


 つい、声に出してしまった。


「あー、動画観たことあっし、声で分かった」

「えっ、でも、地声と全然違うのに」

「お前高音で叫ぶときさ、上でちょっと引っかかりがあるだろ、きゅぃぃんってさ」


 その癖のことちゃんと気を付けてたのに、初期のころはとっさにくすぐられたときについ出てしまったのかもしれない。

 シクった、聞き落としてた。


「でも、そんなことまでよく覚えてたねー」

「あーお前、っていうのももうあれだな、うさぴょ子さんか?」

「ちょっとぉー、それは勘弁して、こんなところでさすがにハズい」

「じゃ、園原さん、ちっ呼びずれぇ、はさー、俺のこと大して好きでもなかったんだろうし興味もそれほどねーんだろうけどさ、俺は結構好きだったんだぜ。ずっと見てたから」

「またまたー」

「ははっ、やっぱはぐらかされるか、まぁ遠い過去のことですから、よろしく頼むぜ共演者さん」


 テーブル越しに伸ばされた変わらず冷たい手を握ったとき、筋張った無骨な指の感触を感じたとき、私の胸にはかつての自分たちの姿が蘇ってきた。


 ポテトをあーんなんて食べさせ合って、ふざけてありがちないちゃつく若いカップルっぽいことをしたこともあるにはあった。

 でも話すのはお互いの夢、それぞれ違った未来予想図で、自分たち二人そろってのこれからなんて語り合うどころか、唇の端にすら一切のぼったことはなかった。

 同じ道を並んで歩いてゆく絵は、少なくとも私には見えなかった。


 でも、それでも、私はこの人のことがちゃんと好きだったんだ。

 低くくぐもった声で、いつか自分が脚本も演出も手掛けて劇場をお客さんの笑顔でいっぱいにしたい。そう夢を語るこの人のことを。


 私はやっとそのことに気付けた。

 そして、ようやく、この恋を終わらせることができたんだ。

 始まっていたことすら、自分でちゃんとわかっていなかったこの恋を。


「うんよろしく、洋二、じゃなくて如月リュージさん、良い作品にしましょうね!」

「おうっ」


 私と洋二は握り合った手にもう一度きゅっと力をこめ、それから同時にパッと離した。

 その瞬間、背後からは一瞬だけ悲鳴のような声が聞こえ、すぐに消えた。


「ひゃ、あっダメダメ、えっとそこにいらっしゃるのは、近所のお兄さん役の……」

「あっ、如月リュージです。本日はよろしくお願いいたします」

「あっ、はい、ご丁寧に、ボク、いえ私は柴咲にゃみ美です」

「じゃあ、私はトイレ行ってからスタジオに戻るね。にゃみ美と如月さんまた後でー」


 メンドいことになりそうな空気を察知した私は、七海と入れ替わりにすたこらさっさと休憩室を出てしまった。


「あれっ、あれっ、ひょっとして君たち二人はお知り合いなのかい?」


 背後からかすかに七海のまごまごした声が追いかけてきたけど、その疑問については洋二が適当に説明してくれるだろう。


「さー、共演者として親睦を深めてもらいましょうか」


 独り言ちながら、私はふふっと笑みを漏らした。


 その後のアフレコは、午前中のことが嘘のようにサクサクと進んだ。

 洋二は普段のくぐもった声とは一変した舞台仕込みのハリがある、でも大げさすぎない声で自然に近所のお兄さんを演じ、ウチらは自然体でいつものようにうさぴょ子とにゃにゃみ美になりきることができた。


「うさぴょ子さーん、あなた宛ての宅配便預かってますよー」

「ぴょぴょっ、キャロットエキストラバージンオイル! 今晩の野菜鍋に必須な調味料だったのぴょん! 受け取れなかったら大惨事になるところだったぴょん! お兄さんどうもありがとうぴょん」

「いえいえー、お互い様ですしー、ではではー」

「はーい、また今度ぴょーん」

「またー」


「はーい、OK、これで如月リュージさんアップでーす、お疲れー」


 出番が終わるころにはまるで本当のご近所さん同士のような空気が、ウチらと洋二の三人の間には出来上がっていたんだ。

 洋二は、如月リュージは声の演技でもしっかりとしたプロの先輩だった。


 小さくウチらに手を振ってスタジオから出ていく洋二の後姿を見送りながら、私はオーディションのあのとき、真恋と違ってずば抜けてない、他の劇団員の人と大差ないとか気まずいからさっさと落ちろとか思ってごめんなさい。って胸の中で何度も謝った。

 ツンツンと脇を小突いてきた七海が「ねー、君たち養成所時代のただの知り合いでうどん屋の店員と客程度の関係って本当なのかいーボク心配で如月さんに何度も確かめてしまったよー」ジト目で告げたトイレ後のことに対しても。

 メンドいの押し付けてごめん、ってちゃんとね。

 まぁこっちについては、また仕事で会えたときにでもしっかり自分の口で謝るとしますか。


 ごめんね、洋二、また今度ね。

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