第14話オーディションがありまして
七海とおじさんの電話でのやり取りがあってから、初夏に初めて話を聞いて以来大して進展もなさそうだったウチらのアニメ話は、秋の始まりと共にいよいよ本格的に動き始めた。
別におじさんが社員を急かしたわけではなく、ちょうどタイミングが合ったらしい。
最初の企画書では【(仮)ゆるーいゆりアニメ】だけだったタイトルも【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】と正式に決定。
放送は半年後の四月、売り出し中の若手タレントが不祥事を起こして決まっていた冠番組を辞退し、急きょ作られた穴埋めアニメ枠ではあったけれど、放送局はなんと地上波キー局の虹テレ。
元々は配信+ケーブルテレビの無料チャンネルに売り込みという地味地味な企画が、一気にステップアップしたんだ。
そして、スタッフは監督、脚本、キャラデザを北条院とら丸が兼任。
知る人ぞ知る人気絵師のデビュー作として話題性があるとはいえ、さすがに監督までやらせるのは身内による経費削減と思わざるをえないけど、そこをカバーするためか総作画監督はベテランの御手洗源蔵さん。
数々の名作アニメを手掛け、とら丸の心の指南書であるマジカルここものキャラデザも担ったキャッスルケープアニメーションが誇るアニメ界の密かな重鎮だ。
それに気をよくしてやる気をみなぎらせたのか、とら丸の筆は乗りに乗って異様な速さで脚本を書き上げてしまうことになる。
どうやらとら丸は、イラストだけでなく以前から別名で深夜ドラマのシナリオまで書いていたらしい。それも趣味で。ホント趣味に関しては鬼だわ、この人。
それからそれから、これを忘れちゃいけない! 主演はそう、けもみみラバーズの月浦うさぴょ子と柴咲にゃみ美(役名同じ)言わずと知れたウチら二人だ。
そして、脚本完成とともに声優オーディションが開かれることになった。
といってもメインはウチらのキャラ二人による半ばフリートークのようなものがメインなので、オーディションで決まるのはにゃにゃ美の姉と近所のお兄さんの二人だけだ。
ウチらは参加者への顔バレ防止のためオーディションには同席しないけれど、当日別室のモニターでその様子を見学するということになった。
「あー、七海ドキドキするねぇ」
「うんうん、いよいよ始まるって感じがするのだよ。そうだみな葉、ボク今日君と見学がてら食べようと思ってスイーツを用意してきたのだよ」
「うわー、料理上手な七海のスイーツ! 美味しいだろうね、楽しみー」
「ぶうぇっへっへっ、お菓子名人のばあちゃま直伝だからね、期待していいよ」
収録日に七海の作ったお昼ご飯を御馳走になることはあったけれど、おやつタイムのお供は毎度毎度とら丸が和菓子を用意するため、お手製のスイーツを食べるのはこれが初めてだったので、お世辞抜きに私はワクワクしていた。
「じゃじゃーん、バニラキッフェルンでーす!」
見覚えのあるピンクの籐かごから登場したのは、太った三日月のような形をしてたっぷりの粉砂糖が降りかけられたクッキーだった。
「手が汚れてしまうから、この紙ナプキンで掴んで食べておくれね」
「うん、ありがとう」
甘いバニラと香ばしいアーモンドの香りが鼻先をくすぐるそれは、サクサクでありながらほろほろと口の中で崩れて、たっぷりの砂糖がまぶされているのに甘すぎず、素朴だけどどこか大人びた味だった。
「うーん、美味しい! いくらでも食べられそう」
「わーよかったのだよ。初スイーツでオーブンから出すとき少し手が震えてしまったけど、みな葉の美味しい顔がいただけて実によかったのだよ」
「またまたー」
やっぱりいつものレモネード片手にぺちゃくちゃ雑談していると、オーディション開始の時間はあっという間にやってきた。
そして、まず始まったにゃみ美の姉、柴咲ミャオ恵の参加者一番手は、まさかのあの人だった。
「一番、青桃プロ所属柊真恋です。よろしくお願いいたします」
「はーい、じゃあ三ページの三行目から読んで」
「はいっ! ねぇ、にゃみ美、そろそろ起きなさいよ、もうお日様はすっかり昇っているのよー。お布団はいじゃうぞ、えいっ、きゃっ、あなた誰!」
「はいー、結構です」
短いセリフながら、真恋の演技は完璧だった。
妹の部屋に急に訪ね、ベッドの中に丸まってすやすや寝息を立てていた見ず知らずのうさぴょ子を発見してしまった驚きをつぶさに表現している。
とら丸にべったりで猫なで声のちょっと抜けた姿ばかり見ていたからすっかり忘れていたけど、やっぱりこの人はなるべくして売れっ子の声優になったんだ。
私も七海も食い入るようにモニターを見つめ、食べかけのバニラキッフェルンもレモネードもいつの間にかその手から離れていた。
その後はあまり有名どころは来ず、つい先日までのウチらのような養成所の子たちが延々と続いた。
「うーん、こりゃ柊に決定だろうね」
七海の言葉通り、真恋の演技はずば抜けていて、結果を聞かずとも配役は決定したも同然だった。
そして、続いては近所のお兄さん(役名同じ)。
こちらも養成所在籍中の初々しい子たちが中心で、ときどき小劇団の俳優が混じっている。
これといって目立った人もいないまま終盤へと向かってゆき最後に出てきたのもまた舞台を中心としながら時折声の仕事もやっている小劇団の俳優。
一見ボヤッとした印象でありながら長い前髪から覗く目じりの吊り上がった細い目は、鋭くギラリと光っている。
私はこの目を知っている。
彼の名は如月リュージ、本名向坂洋二、うどん屋で出会った私の元カレ。
意外な顔をモニター越しに見つけ、私の顔は少し青ざめていたのかもしれない。
七海が心配そうな顔をして、肩にそっと手を置いてきた。
「みな葉、気分でも悪いのかい、少しソファーで横になるかい?」
「ううん、大丈夫、ちょっと疲れただけ」
いつか一緒に仕事ができたらいいね。
付き合っていた短い時間、何度かそう語り合ったこともある。
でも、今、その機会が訪れようとは思ってもみなかった。
このことは、七海に知られてはいけない。
言ったらきっと戸惑ってしまうに違いないし。
真恋のときと違って、洋二、リュージは飛びぬけて上手いわけでもない。
さすがにいくつもの吹き替えをこなしてきただけあって養成所から来た初仕事すらまだの子たちよりは、頭一つ抜けているけど。
他の劇団の俳優たちとは、どんぐりの背比べといった感じだ。
そうだよね、受かると決まったわけではないんだから。
ウチらに審査を左右するような権限はないけど、みんなが気まずくなるようなことを、私が今言うべきじゃないんだ。
そう思いつつも、私はどうか別の人に決まってくださいと願わずにはいられなかった。
二週間後、【うさぴょ子にゃみ美プレゼンツゆるゆる百合的新婚生活】の追加キャストが発表された。
柴咲ミャオ恵 柊真恋
近所のお兄さん 如月リュージ
恐れていたことが、現実になってしまった。
私と洋二は別に憎しみ合って別れたわけじゃない。
ただの自然消滅だ。
そもそも、私たちは熱烈に惹かれ合って付き合い始めたわけじゃない。
真恋のような強烈な一目ぼれなんかでもない。
近場にいたフリー同士でただなんとなく付き合って、なんとなく別れた。
何もかもあっさりしすぎていて、憎しみ合うまでの情なんてなかったんだ。
それでもやっぱり、こんな形で再会するのは気まずい。
いきさつ上七海には相談できないし、そこまで親しいわけじゃない真恋にも無理、とら丸には相談するだけ無駄だ。
養成所時代の友人、はいない……
上京してから友人と呼べる間柄になったのは、告ってくる前の七海だけだったし。
いっそのこと洋二本人に連絡して、元カレということには決して触れずにただの昔の知り合いということにしてもらおうかとも思ったけど、結局連絡しなかった。
番号がわからなかったからとかではない。
電話帳からその名はとっくに消えていたけれど、スマホが止まってしまったときに養成所の公衆電話から何度もかけたその番号は、まだ指先が覚えている。
でも、私たちは元カレ元カノとして再会するわけじゃないんだ。
プロ同士として、共演者として対峙するんだから。
じっと眺めた指先で、私は気合を入れるように自分の頬をぴしゃっと叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます