第7話てんやわんやのイヤイヤ初デート開始
待ち合わせ場所の駅前のきのこの銅像前、七海はもちろん先に到着してどーんと待ち構えていた。
「あっ、みな葉―! 約束の時刻の五分も前に来てくれたのだね、ありがとうなのだよ!」
おいおい目の前にいるってのに、そんなにブンブンブンブン手を振り回すなよ。
ハズいったらないよ。
それにしても眠い、あーっ欠伸でそう。
「ふぁぁぁぁぁ……」
「あれっ、みな葉寝不足かい? もしかして今日のデートが楽しみ過ぎて眠れなかったのかな? ぶうぇっへっへっ」
ちげーよ! 遠足前の小学生じゃねーんだから。
誰のせいで眠れなかったと、夢にまで出てきやがって。
しかし、七海はお肌つやっつやだな、どんだけ寝たんだ。
こっちは目の下にクマがくっきりだってのに。
「ボクはねー、ワクワクしすぎて十二時間も寝てしまったのだよ! 夢の中でぴょこぴょこみな葉とにゃんにゃんラブラブしてたんだぁ。同じ夢を見ようねって指切りなぞもしてさ」
うー! あんなうなされる夢を見させられたのは、コイツの仕業か!
生霊でも飛ばしたんじゃあるまいか。
しかも半日も寝てやがったのか。
「はぁー、そりゃ結構ですね。じゃあこれからどこまで行くの?」
こんなデート……クソハードミッションはさっさとクリアして家に帰ってお風呂入って寝よう。
もちろん今日は、カモミールの入浴剤で。
「うんとねー、最初の場所はついてののお楽しみなのだよ。今日は君を思う存分一日中楽しませるから覚悟しておくれね!」
一日中とか勘弁してよー。
もうすでに気持ちが、へっとへとに疲れてるってのに。
うつむいてため息をつく私のだらりと力なく下がった手を、七海はいきなりグイッと引っ張って自分の指を絡めてきた。
「はぁっ!?」
いきなりのことで驚いて払おうとするのに、力が強くて振りほどけない。
「ほらー、やっぱり忘れているではないか、手つなぎデエト」
七海にパチンとウインクされ、すっかり忘れていたオプションのことを思い出した。
そうだった。
この苦行も待ち構えていたのだった。
うぅ、でもこれも円滑に仕事をるため、そうすべてはアニメのために。
私は修行僧のような気持ちになって、絡められた七海の指を軽く握った。
倍以上の力強さで握り返されても心の中で念仏のように「アニメ、アニメ、主演主演」と唱えて無の境地を作ろうとした。
それから目的地に着くまでの数分間が、まるで延々のように長く感じたのは言うまでもない。
「じゃじゃーん、ラブラブデートのスタートはここここー、ボクたちの運命の始まりの場所なのだよー」
そこは、クリームソーダを飲みながらVTuberに誘われたあの喫茶店しろたえだった。
「あのときはスタジオからだったけど、今日はメインがここだったから一番近い駅で待ち合わせたのだよ。路線も違っているしみな葉にはなじみのない駅だったでしょう」
あー、だからあそこだったんだ。
まぁあのスタジオに行ったのもあのときが最初で最後の一回こっきりだったから、もしあの日の駅でと言われても行き方よく覚えてなかったけど。
「で、どうすんの? またここでクリームソーダでも飲むの?」
私にとってのここは、思い描いていたのとはちょっと違うけれどまばゆい夢への懸け橋がかかったのと現在進行形のドタバタな悪夢への入り口がぱっくりと口を開いた人生を変えるような出来事が起こった場所。
若干微妙な気持ちにもなってしまうけど、実際あのクリームソーダは絶品だったし、もう一度飲みたいと思わなかったといえば嘘になる。
「ううん、つい先日おばちゃんがぎっくり腰をやってしまってね、今はここ休業中なのだよ」
「へーそうなんだ、大変だね」
「うん、クリームソーダはおばちゃんの担当だからね、あの絶妙なバランスはおばちゃんにしか調整できないようなのだよ」
意外だ、あの不愛想なおばさんウエイトレスが。
職人技であの絶品クリームソーダを。
「でもね、折角の君とのデートだから、ここには是非とも来たかったのだよ。後ねおじちゃんのナポリタンもザクザク玉ねぎとベーコンでほっぺが落ちちゃうくらいの至高の逸品なのだよ!」
「へー、食べてみたい」
ぽろっと口から出てしまった言葉にハッとする。
これは失言だ、ヤバい。
「うんうん、じゃあおばちゃんが復帰したらまた一緒に来ようかー」
ほら来た。
「デートじゃなくてもいいのだからさ」
私の一瞬しかめた顔に気づいたのか、ふわりとしたスカートのすそを翻しくるりとターンした七海の笑顔は、少しだけさみしそうに見えて、私は無言でコクコク何度もうなずいた。
「ぶうぇっへっへっ、約束なのだよ、ほらっ指切り!」
差し出された小指に自分の指を絡めたときは、シクった!
またヤラれた! って、うっすら後悔し始めてたけど。
次に向かった場所は、デートの王道である水族館だ。
喫茶店の前で一度離れた手と手はまたがっちりつながれて、しかもやっぱり指を絡めた恋人つなぎ。
若い女性同士だから、周りの人にも別に変には見えていないかもしれないけど、私にとっては恥ずか死ぬほどの出来事だ。
だって、手をつないで歩き回るなんてさ、幼稚園以来だもん。
じんわり手汗もかいてきちゃってるってのに、七海はべたべたして嫌じゃないんだろうか。
「あのさー、私の手汗かいてべとべとしてない?」
「えっ、しっとりなめらかクリーミーで最高の握り心地だよっ! じゅるるっ」
うわっ、よだれすすりつつのきらっきらの笑顔全開! 後頭部に水槽のライトがちょうど当たって照らされた亜麻色の髪がゆらゆら揺らめいて何だか発光してるみたい、つーか後光が差してるみたいになってるし!
コイツったら、もう何なんだ!
目に入るきらきらの光景と耳から入る煩悩丸出しの声の情報が、ミスマッチ過ぎて混乱しそう。
手汗の感想がアレとかさー。
もうっ、めっちゃハズい! ハズ過ぎる!
やっぱ聞かなきゃよかった。
こういうこと平気で言っちゃうヤツだって、分かりきってたはずなのに。
あぁ、私も懲りないなぁ。
こんなことは今日だけの辛抱なんだし、もう手のことは意識の外に追いやって、お魚ちゃん鑑賞を楽しんじゃおっと。
ほらほら、あそこの水槽、サンゴ礁の周りにちらちら見え隠れする可愛いのは!
「あっ、カクレクマノミだー! 生で見たの初めてー、うわー、ホントにオレンジと白の縞々だー可愛いよぉー」
つながれた手をすっかり忘れて、その手を引っ張るようにして水槽に張り付いた私の横で、七海はじいいっとガラス越しの小さな縞々の魚を凝視して、眉間にしわを寄せつつ「はぁぁー」と深いため息をついた。
「えっ、何? ふてくされちゃってさ、七海ってカクレクマノミ嫌いなの?」
一緒に「可愛い、可愛い」ときゃっきゃと喜ぶわけでもなく、つまらなそうな七海の態度にちょっと驚いた私は、思わず気持ちをそのまま声に出してしまった。
「ううん、素敵な生き物だと思うよ。クマノミっていうのはさぁ、生まれたときは性別がないのだよねぇ」
またしても予想外の返事と共に、七海のクマノミうんちくが始まった。
「そんで一番大きく育った子がメスになってさぁ、その次の子がオスになるのだよ。なんか自由なのだよねぇ、性別の垣根すら簡単に超えてしまうのだから」
むむむむ、これはまた気まずい雰囲気になってきちゃったぞ。
払え払え、このもさっとした空気。
「いやいやいや、その大きい子がメスになりたいかわかんないしさ、そうでもないかもよー」
「でもぉ、ボクらがクマノミだったらば、ボクはせっせと君にご飯を運んで、自分でもいっぱい食べて、群れで一番と二番の大きさになってさ、ペアになって二人でずっと末永くぅ」
うわぁ、もやを気軽に払おうとしたら、強烈なサーブがばびゅんと飛んできやがった!
「いやー、でもウチらはほら人間だしね、クマノミにはなれないしね。ほらほらあっちでペンギンショーやるってよ!」
「クマノミみな葉ぁ」
「うわー、ペンギンっ、ペンギンっ」
情けないへなへな声を出し、腰の引けた七海を引っ張っていって観たペンギンショーは、全くショーらしくなかった。
飼育員さんの指示をすべて無視し、バケツに入った餌の魚をつまみ食いしながら自由勝手にぺたぺたよちよちと歩き回るペンギンたち。
めちゃくちゃ愛らしくて、絶対楽しいはずなのに、私はへこんだ様子の七海が気になってちらちらちらちら横目で見てしまい、あんまり集中して観ることができなかった。
仕方ないなぁ、ちょっとだけサービスしてやるか、どーんと出血大サービスなんだからね。
少し力の抜けていた握られた手に、ほんのちょっとだけきゅっと力を込めてみる。
すると七海はペンギンを見ずに床に向いていた顔をガバッと上げて私の顔を二度見して、それから痛いぐらいにぎゅーっと私の手を握り締めて、形のいい小さな歯を丸出しにしてニカッと笑った。
あーもう、ほんっと現金なヤツ。
でも、こんなの今日だけなんだからねっ。
呆れつつも何だか笑いがこみあげてきて、滑りそうで何とか踏ん張った小柄なペンギンのユーモラスな様子に観客のみんなが笑いだしたのに紛れるようにして、私は七海から顔をそらしてアハハと笑った。
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