隣のあの子
くーくー
第1話
チュンチュンチュン
窓の外では小鳥の囀る声。
小さなワンルームの一部屋にいつものように朝が来て、この部屋の住人である彼が目を覚ます。
薄い布団から起き出した彼は、もう朝が来たということを知っている。
しかしぴっちりと閉じられた分厚いカーテンを決して開けようとはしない。
大学進学を機に上京し新しい生活をスタートさせた彼の身に突如として降りかかった災難‥‥
重度の日光アレルギーの発症だった。
結局大学には一度も通えず、今後の行く末を決めるまでの間新生活用だったこの部屋で療養生活を送ることになった。
外はさんさんと太陽が降り注いでいるだろうに電灯の明かりをつけて部屋の中を照らす気にもなれず、彼は唯息をひそめて暗がりの中日々を過ごしていた。
そんなある日、壁に凭れ掛かり座り込んでいた彼の耳に何かが聴こえてきた。
壁に耳を近づけると‥‥
それは讃美歌のような歌だった。
薄い壁越しに聴こえるその歌声は清らかで澄んでいてとても美しく彼の両の目からは何時の間にかぽろぽろと涙が零れだしていた。
その時彼は、自分でも信じられないような行動に出た。
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素敵な歌
子供のころ凝っていたモールス信号で壁を叩いたのだ。
すると、しばらく音は聞こえず…
彼は壁に耳を付けたまま頭を抱えた。
マズい、マズい…隣のあの素敵な歌声のあの子に…うるさいって壁叩いたと思われちゃったかも…
しかし数分経ってから
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ありがとうございます
と返事が来た。
彼の胸は熱いもので一杯になり、何故かまた少し涙ぐんだ。
それから彼と隣のあの子のモールス信号での壁越しの交流が始まった。
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君のあの歌綺麗だね讃美歌なの?
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そうよ讃美歌320番よ
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そうなんだ覚えておくよ
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僕は病気で療養中なんだ
太陽の下を歩けない
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私も実はそうなの
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なんて奇遇なんだろう
一度も顔を合わさないまま、歌声しか知らないまま、二人の距離はどんどん近づいていった。
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ねぇ今日も歌って
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勿論よ
隣のあの子は、彼ひとりのためだけに連日讃美歌320番を歌い続けた。
壁にピッタリと耳を付けてあの子の歌声を聞いていると、彼の気持ちはやすらぎ心に巣食う不安な気持ちは何処かへと消し飛んでしまう。
彼の心はあの子によって明るく照らされ、あの子への気持ちは深く深くなり燃え上がるような高まりが胸中を熱く占めていった。
あの子もきっと同じ気持ちに違いない
彼には何故か強い確信があった。
壁を叩くあの音に何かを感じていたのだ。
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君に会いたい
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私もあなたに会いたい
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いつか二人で夜の散歩をしよう
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星空の下で
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星空の下で
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手を繋いで
そう約束した翌日の宵の刻‥‥
ピンポーン
彼の部屋のチャイムが鳴った。
ひょっとしたら…あの子かもしれない
いよいよ会えるんだ!
ドギマギしながらドアを開けると、見知らぬ年配の女性がさっと菓子を差し出した。
「あの、夜分にすみませんね、本日隣に越してきたものです、つまらないものですがよろしければ召し上がってくださいな」
えっ…引っ越してきたって…じゃあ、あの子は…
「あ、あの…今までお隣に住んでいた方は引っ越されたんですか?」
「えっ‥‥大家さんにはこの三ケ月空き室だったと聞きましたがね‥‥」
女性は怪訝そうな顔をして眉をひそめた。
「あっ、すみません‥‥反対側の隣と勘違いしちゃって‥‥」
彼は慌てて弁解し、菓子の礼を言って女性を見送った。
それからしばらくの日々が流れたが
今でも彼は隣の女性が出掛ける物音が聞こえると、壁を叩く。
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君はどこにいるの?
あの子の歌はもう聴こえない。
隣のあの子 くーくー @mimimi0120
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