第12話 永遠に。

 ──それは一瞬の出来事たった。


 狭い路地の中、彼女──【彼女】が、ゆらりと一歩前に踏み出した途端、僕の周りを取り囲む三人の輩が声も上げずにバタバタと足元に転がった。


 一体何が起きた? しかも目の前には日本刀らしき凶器を腰に携えた制服姿の【彼女】が真っ直ぐ僕を見据えている異質な状況──まるで理解が及ばず頭の中が混乱している。


「……殺し、たの?」


 ゴクリと息を飲み込み、やっとの思いで言葉を吐き出す。しかし口の中がカラカラで後の台詞が繋がらない。


 すると【彼女】は、掛けていたメガネをそっと外し、鋭く冷たい眼差しで「いいえ」とだけ呟く。


 確かに三人とも身体をピクピクと痙攣けいれんはしているけど、見る限りそれぞれが五体満足で特段命に別状はないようにみえる。


 そして、その時。


「────」


 前触れもなく【彼女】は右手をすうっと前に差し出した。


 僕は何かに誘われるようにその小さなてのひらを自分の右手に重ね合わせる。


 てのひらに冷たい指の感触が伝わり──






 







 ────真っ白な世界。


 そうか……また僕は、夢を見てるのか──


 不意に。


 ゴボッ、ゴボッ──


 激しい嘔吐が喉元を襲う。


 ……………………血?


 僕が……吐いた、のか? 

 そうか、僕は……


『僕』は──


 このまま、死ぬのか……

 でも……まだ、死にたくない……まだ、死ねない……


 




「──このぉおおおお死にぞこない野郎ぉおおっ! とっととくたばりやがれぇえええっ!」


 罵声とともに怒りくるった男がふすまを蹴破り、僕の目の前へと迫る。


「────っ!」


 キィイイイイイイイイイン──


 金属が交わる鋭い音が鳴り響く。両腕が軋む。そして、


「ぐぅわわわわわああ──」


 男の断末と共鳴り、真っ赤な霧吹きが僕の全身に降り注いだ。


「はあ、はあ、はあ────」


 呼吸が荒い。

 一気に力が抜ける。

 真っ赤に染まった獲物──愛刀を畳に差し、片膝をつく。


 その時、足元に転がる頭と目が合う。


 気づけば、辺りにおびただしい数のむくろが人形のように散乱していた。あの真新しかった畳や障子でさえ、今はその返り血で染め、見る影もない。


 刹那──


 僕の背に柔らかな感触が絡みつく。


 上下に鼓動する息遣い。やがて伝わる雪のような冷たさが、僕の狂気と絶望に侵されている心を少しだけ落ち着かせた。


「……早く、ここから逃げなきゃ駄目じゃないか、」

「嫌です!」


 僕の背中にしがみついたまま髪を振り乱す、長い黒髪の少女。その甘い髪の香りが辺りを漂う血の匂いと混ざり合う。


「後生、わたくしは覚悟を決めております」

「■■■……」




 天下泰平と呼ばれた世がいつになく終わりを告げて、動乱の兆しが訪れたこの時代。幼き頃からサムライに憧れた僕は、誠の旗の下、日々剣術の修練に明け暮れ、実践に置いては、ときに生身の人間さえも殺めていた。


 されど、近藤さん──江戸幕府公認の京治安部隊『新撰組』の近藤局長、副長の土方さん曰く、誠のための人斬りは必然であり、それは武士にとって当たり前の所業。だから僕は悪とみなせば誰であろうと問答無用──即座に切り捨てた。その数はもう計り知れない。


 そんなさなか、隊員を従え夜回りと出向いていた僕は、ふと要人が住む屋敷の塀をよじ登ろうとする賊を発見した。すぐさま斬り捨てようと追っている内に仲間とはぐれ、いつしか深い森の奥へと入り込んでしまう。


 迷った挙げ句、疲れ果て、川原の近くで腰を据えた、その時だった。じゃぶりと水を掻き分ける音。刀を携え周囲に目を凝らすと、川面に一人の女……いや、女と呼ぶにはまだ幼い、年の頃は、十五、六の少女が垣間見れた。


 そのしなやかな白い肌には月の光を帯びた水の雫が滴り、腰まで伸びた艷やかな黒髪が螺旋らせん状に絡みつき──あろうことかその年端も行かぬ少女は一糸纏わぬ裸身。僕は不覚にもその美しい姿に翻弄ほんろうされてしまっていた。


 だが次の瞬間、少女がこちらに気づき振り向く。無論、呆然とその水浴び姿に見とれていた僕は、慌てて視線を逸らすが時既に遅し、激昂した少女から大量の水を浴びさせられる事となる。それが彼女──■■■との出会い。


 思えば僕は、これまで女性に対し一切の興味を抱いておらず、付き合いで足を運んだ祇園に置いても、女中に対しぞんざいな態度を取り、それを見た隊員の間では、密かに男色とほのめかされるほどの無関心ぶりだった。


 されど■■■と出会った瞬間、何故か無性に心が揺るぎ、そして胸が傷んだ──。

 


 その後、僕は■■■との再会を願い、二度三度と森へ足を運んだ。やがて見つけた彼女の住まいは、森の奥にひっそりと建つ小さな納屋だった。


 そこは若い娘が住むには物騒この上もなく、だから見回り──いや、ただ■■■と会いたいがために、僕は惜しげもなくそこに何度も出向いた。それこそ最初は怪訝した彼女も、いつになくそのような自分を快く出向いてくれるようになる。


 あの時の■■■は僕が語るつたない都の与太話にいつも興味津々で、時折笑顔さえも浮かべてくれた。だが素性について尋ねれば彼女は一転、その口を頑なに閉ざしてしまう。


 そのころ僕は意を決していた──■■■に都で共に暮らさないか、と、彼女は迷いながらも承諾してくれ、そのことを近藤局長に報告すると、僕ら二人の馴れ初めに驚きつつも祝福してくれた。


 僕と■■■は夫婦めおととなった。有り難いことに二人の新居は近藤さんが用意してくれた。己には身分不相応な武家屋敷だったが、僕らの新しい門出に相応しい住まいとなった。それでも住む京の都は何かと物騒だ。


 僕はこれから一生をかけて彼女を守ることを心に誓う。


 やがて数ヶ月が過ぎた頃、ついに反幕府派の勢力により、長きに渡ってこの国を治めていた徳川幕府が倒れる。


 幕府の後ろ盾を失った新撰組は一時の勢いも失せた。一気に新しい時代の波に飲まれた。


 そして僕も一転、反政府の逆賊となった──





 プスッ──


「──■■さん、」


 それは唐突だった。■■■の全身が痙攣けいれんした。


「……えっ?」


 見ると彼女の左胸に赤黒い刃の先端──やじりが覗いている。羽織る着物の白百合模様が赤黒く──まるで黒百合のように染め上がっていく。


「く、■■■──っ!」


 僕はその小さな肩を揺さぶる。


「────、」


 ■■■が伸ばすてのひらを両手で握りしめた。彼女は僕に向かって小さく微笑んだ。


「テメェええっ! 新撰組の時代はとっくに終わったんだぜぇえええっ!」

「…………黙れよ」

「はあ! 聞こえねえなあ?」


「黙れぇええええええええええええええっ!」


 理性を失い、サムライの群れに飛び込む。赤い鮮血が顔に降り注ぐ。


「おぉおおおおおおおお───っ!」


 斬る。

 斬る。斬る。

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る─────


 鍔迫つばせり合う。背中に衝撃が走った。視界がぶれる。脇腹が熱い──構わない。目の前の首を飛ばした。


 ブスッ。

 ──ブスッ。ブスッ。ブスッ。


「ぐっ……」


 全身を襲う浮遊感。


「……く、」


 意識が。


「……ろ、ゆ──」


 感覚が遮断される。


「こ、この野郎、てこずらさせやがっ、」


 ボォオオオオッ──


 刹那、半ば閉じつつあるまぶたを覆う熱気。片膝を立て、顔を上げた。


「…………っ!」


 直後、両目が見開く。

 正面に立つサムライが刀を振りかざしたまま燃えていた。


 言葉の比喩ひゆではない。その大柄な体躯が青白く燃え盛る炎によって包まれている。


 次の瞬間、炎の激しさが増した。男は声も上げず、今まさに業火と化した火柱の渦へと跡形もなく消えていった。


 それを目の当たりにして、失いかけていた意識を振るう。左肩に刺さる数本の矢を無理やり引き抜き四方を見渡す。いつしか周辺は、激しく燃え盛る青い火柱が幾つも立ち昇っている。


 その時だった。


 揺らめく青い陽炎の中にぼんやりと揺らぐ人影に気づく。


 そして、まさに己の目を疑う。


「……くろ、■■……なのか」


 姿形からは、狐の尻尾のように見えた。


 朧気に佇む少女、■■■の背に渦巻く無数の尾。それはまるで主を守るかのようにそのしなやかな肢体を取り囲んでいる。


「────」


 そして、■■■は微笑んでいた。

 僕を見据えて。

 優しく──、


 ピキッ。


 それが。


 パリッ、ピキッ──


 ひび割れていく……壊れていく。


「……あ、あ。あぁああああああっ」


 己の全身があえぐ。火の粉が次々と降り注ぎ、火柱と黒煙が視界を埋め尽くす。それでも僕は、握る刀を畳に突き立て四肢を引きずり、■■■の元へ向う。


「僕は君を失いたくない僕は永遠に君と離れない君といつまでも君とい、」



 ──はい。わたくしは、永遠に貴方のおそばにいます。



 パリンッ──


 次の瞬間。

 

 ■■■は、真っ赤な炎で全身を焼き尽くされた──

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