第10話 恐怖の根源
いつしか時刻は17時を回っていた。
あれから九条さんは、ひたすら僕に質問を投げかけては沈黙。時折、室内をぐるぐる徘徊して、何かを早々とノートにメモる──その繰り返し、ただ時間だけが過ぎていった。
ちなみに部室の隅っこで置物化していた月島さんは、いつの間にや行方知らず。あんなに積み上げられた本類も、これまた一体いつ片付けたのか、彼女と同様、キレイさっぱりと消えている。
てことで、先程月島さんが言った僕のイシキタイがどうたらこうたらの謎発言は、結局分からずじまいか……ま、仕方ない。多分僕には理解不能だし。そもそも彼女とコミュニケーションが可能かどうかも分からない。
となると、またもや僕はここから何をするでもなく、ただただ壁掛け時計とにらめっこするハメとなり、しかもそろそろタイムアップだ。未だに何の解決策もないまま、もう少しで下校時間が近づいている。九条さんは相変わらずだし……いや、不敵な笑みを浮かべながらテーブルから乗り出していた。和風美人の顔が笑った狐のお面みたいになっている。かなり怖い。
「あ、あのなんでしょうか……九条さん」
椅子を若干引き気味にし、いつでも逃げれる体制を維持した。
「あ、ごめんね! 今のウ、わ、私の顔って、かなりヤバいことになってるよね? でもあまり気にしないで欲しい、かな」
「そ、そうなんですかっ、それに気にするも何も、今の九条さんの顔、全然全く怖くないですよ?」
「うっ、やっぱり怖いのか……ちょっとショックかも……」
と、はにかんだ九条さんの方がちょっとかわいいかもと思った。この人、普通に笑顔が不気味なんだよな。ヒーロー物の腹黒い悪の女幹部が笑っているような雰囲気。いかにも何かを企んでいそうな感じ。ホント残念な美人さんだ。
「まぁ、いいか。それよりも、そろそろ私のことを「九条さん」って、呼ぶのやめて欲しいかな?」
今度は急に眉をひそめる九条さん。どういうこと?
「……じゃあ、僕は九条さんのことをこれからどう呼べば?」
すると九条さんは椅子から立ち上がり、どんと大きな胸を揺らす。
「これから私のことは、葉月センパイとお呼びなさい」
今更ながら夏服の破壊力と、「お呼びなさい、って、どこの悪役令嬢だよ!」と、彼女へのツッコミを内に押し留め、僕は素直に「はい」と頷く。
「はい、よろしい。あ、そういえばもうじき下校時刻だよね。ここは戸締まりして、そろそろ出ようか……ええと、危機一髪、君?」
「違いますっ、希木成也、です。希木、ですよ。出来ればちゃんと覚えてください。ええっと……は、葉月センパイ」
「うん。ごめんごめん。うち……私、人の名前を覚えるの苦手で……希木成也君ね。うん。今しっかりと脳裏に焼きつけたよ」
そう言って葉月センパイは顔をニンマリさせた。意外とその笑顔は悪くない……いや、ちょっと怖い。この人絶対に何か企んでるって!
そして、僕と葉月センパイは旧校舎を後にする。
(……あれ、結局僕はここに一体何しに来たんだ?)
葉月センパイとは校門を出てからその後別れた。正直、何も進展はなかったけど、僕の置かれた奇妙な状況を第三者の立場から分析してもらっただけでも自分としては御の字だった。それと葉月センパイとアドレスを交換したので、これから何かと彼女に相談出来るのは頼もしい限りだ。
時刻は18時を過ぎている。夕暮れ時とはいえ外はまだ明るい。このまま真っ直ぐに家に帰るべきか悩むところだけど、夕飯のこともあるし、それに何よりも今は早く帰って休みたい。
そう思い最寄りのバス停まで急ぎ足で歩いて、丁度良いタイミングで到着したバスに飛び乗った。以外にも中は混雑しておらず、疲れがピークに達していた僕は、適当に空いていた席に座った。
そしてバスが発車し、何気に視線を正面に向けると、
「あ……、」
「ん? ────っ!」
向かい側の席にスクールカバンを膝に乗せ、座っていた女子──桐野音羽さんと目が合ってしまった。しかも未だ僕らは顔を見合わせていて、
(ど、どうするどうする!? ……こうなったら次の停留所で降りるか……いやいや、それはかえって印象を悪くしてしまう。一体、どうすれば──)
と、ぐるぐる思考を巡らせている僕に対し、彼女はニコリと笑顔をはにかませた。
「希木君、今帰り? 結構遅くまで学校に残ってたんだね。ええと……部活?」
「へ……? あ、そそ、そうそう部活っていえばそうかな……」
「へぇー、そうなんだ。ちなみに何部?」
「ええ、ええと……そ、そう、ミス研。今日は体験入部というか……あれ、あそこ同好会だったっけ? ま、そんな感じ……で」
「えー、以外、希木君、ミステリ好きなんだ」
あれ? これ全然普通の会話だよな。しかも特に親しくもない相手と偶然帰りのバスで出くわしちゃって、仕方なく場をもたせるだけの会話というか社交辞令? それに「それじゃ」といって桐野さんはイヤホンで音楽を聴き出してるし、わたしはあなたとこれ以上おしゃべりはしたくありません的アピールを感じる。
(……あれ、これって僕のことをどうでも良く思ってる?)
「あはは……」
思わず乾いた笑いが込み上げてくる。
今まで悩んでいたのが嘘みたいだ。桐野さんは僕のことなんて好きでも何でもないじゃないか。すべてが勘違い。あのメールだって、偶然タイミング良く何かの弾みで誤送信されただけであって──これですべての辻褄が合う。
その証拠に突然笑い出した僕を見て「何コイツ?」って感じで顔をしかめてるし──もうこれでおしまい。元々彼女と僕の関係は、ただのクラスメイト、それ以上でもそれ以下でもなかったのだから──
「それじゃまた学校で」
丁度バスが止まったことだし、とりあえず僕はここで下車することにした。一応向かいに座る桐野さんにも軽く挨拶をしたし、彼女も会釈で返してくれたので、もうすべてが完璧に物事が運んでいる。
──と、気を緩めたのがマズかった。
「テメェ、どこに目をつけてやがるっ!」
「あ、す、すみません」
バスを降りようとした際、よりによっていかにもヤバめな他校の男子数人に絡まれてしまった。ちょっとよろけて、その一人に軽く肩が触れただけなのに、とんだ災難だ。そして僕はテンプレなごとくそいつらに囲まれながらの強制下車。ちなみに周りは誰も助けてくれない。バスの運転手でさえ無視。そして桐野さんは──
(あれ、な、何で?)
気づけば、僕らの後をそのまま歩いてついてきている。
「おい、テメェどこ見てんだっ、ああ!」
後ろに向けてた頭をグイっと戻された。男らはしきりに恫喝してくるが、僕はもうそれどころではなかった。何だかとても嫌な予感がしてならない。
これからの自分は当然ながら、コイツらの身にも危険が……。
「オラッ、こっちにこいよ!」
「わ、分かりました」
やはりというか、男らの言うこっちとは、掃き溜めの路地裏。ここは街灯の明かりも乏しく周りに店も少ないため、悪者にとって弱者に対する絶好の狩り場である。
そして僕を取り囲んでいる相手は三人。もはや絶望的危険な状況である。サイフの中身だけですめば、むしろラッキーで、身ぐるみ剥がされた挙げ句、完膚なきまでにボコられるのは最悪のアンラッキーだ。完全に強盗。見つかればコイツら余裕で少年院行きだろな。こいつら皆バカそうだから、そんな後のことを考えて行動してなさそうだけど。
とはいえ、むしろ今はコイツらのことなんてどうでもいい。こんなのごくありふれた日常の災難にすぎないのだから──
「へへ、なんだこのチビ女? 俺たちに何かようか」
僕はその声で顔を上げた。ちなみに現時点で顔面に一発、お腹に蹴り二発。まだ軽症だ。
だけど、今後どうなるか分からない。
何故ならすぐそこに【彼女】がいるから。
この全身に悪寒が走る感じは、これで三度目だった。恐怖で足元がガタガタ震える。この連中に絡まれたときとは訳が違う。
「何か言えよっ!」「よぉ、舐めてるのか」「女だからって容赦しないぞ」
おい、【彼女】を刺激するなよ……
(それより、さっさと逃げろ。にげ──)
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