第8話 【彼女】の恋文②

 その日の放課後。

 僕、希木成也は職員室に呼ばれた。授業中に突然教室を飛び出した挙げ句、そのまま午後の授業をボイコットしたことについての事情聴取にだ。

 理由として「授業中に突然お腹が痛くなってしまい、そのままずっとトイレに立てこもっていました」と若干無理がある言い訳をしたが、案外それがあっさりと受け入れられて、今回は「次からは一言いってから退室するように──」と注意されただけで事なきを得た。



「──失礼しました」


 やっと職員室から開放され、いざ廊下を歩き出すと、ちょっとよろけて廊下の壁に激突してしまった。何やってんだか、とそのまま壁に背中を預け、廊下の高い天井を見上げる。


(……流石にあの手紙はマズかったよな──)


 あの不思議な体験は『夢』だったかもしれないし、『夢』ではなかったかもしれない──


 僕が彼女──桐野音羽きりのおとはに拉致監禁されたあの夜の出来事──あれは僕が見た『夢』だ……と思う。

 ま、普通に考えれば、あんな不可思議空間に何故か寝巻き姿の僕がいて、それも身動きが取れない監禁状態であって、自分を拉致監禁した相手が黒猫のお面を被った見るからに変質者だったりして、しかもその正体がクラスメイトの女子であり、挙句の果て僕に日本刀を突きつけながら愛の告白? その後直ぐに、僕は自室のベッドでカバッと目覚めた──と、古今東西あらゆる媒体で使い古された、いわゆる『夢』オチ展開なのだが……実際なところ、僕も目覚めた当初、今の今まで体験した恐怖は『夢』の出来事だった、と心底安心したし、リアルに感じたあらゆる体感も、いざ目覚めてみれば、それすら虚ろに感じた。

 現実、僕の部屋は何一つ荒らされた様子もなく、眠る前に読んでいたラノベも枕元に置いたままだった。だから僕は、


「……夢? だよな! 良かった夢で──」


 と、安堵したのだが、それもつかの間、何とその時、まるでタイミングを見図ったように突然スマホが鳴った。

 メール。

 液晶の表示は『桐野音羽』だった。

 ちなみに僕のスマホには、彼女のアカウントなんて登録されておらず、まして、アドレス交換などするほどフレンドリーな関係でもない。

 なのに何故?


 ──今生は、貴方と。


 液晶に表示された簡潔な一文を見た瞬間、全身に悪寒が走った。スマホを放り投げ、ベッドに潜りブルブル震えながら考える。あれは本当に──『夢』だった、のか、と……。

 現状、僕は桐野さんがくれたメールにどう返事を返せば良いか迷いに迷った──結果、メールではなく、手紙で応えることに。手書きの文章の方が何となく誠意が伝わると思ったから。

 その結果があれだ。

 思えば、午前中はともかく、午後からの桐野さんは明らかに様子が変だった。普段とまるで違う。まぁ何となくだが、佇まい、というか、雰囲気が違うとか、そもそもメガネを掛けていない事自体おかしい。そしてなによりあの目、僕を見据えた冷たい眼差しが、あの夢の【彼女】を思い出させる。あれは桐野さんじゃない。断じて違う。誰か違う別の誰かだ。

 だとすれば──


 あの『夢』は、『夢』ではない?



「──君、大丈夫?」


 その声でふと我に返り、伏せていた視線を上げると、見知らぬ女子が僕の顔を覗き込んでいた。

 女子としては少し高めの身長に黒髪ロングストレートが似合うクールビューティーさんだ。


「気分が悪いようだったら、一緒に保健室に行く?」


 そんな可愛いと言うより美人と呼べる彼女が眉を寄せて言うものだから、僕は慌てて寄りかかっていた廊下の壁から、瞬時に背筋を伸ばし、彼女に頭を下げた。


「い、いえ、僕は大丈夫です」

「そう。でも……ま、気をつけてね」


 彼女、おそらく上級生の先輩は、僕に優しく微笑み、一旦はその場から立ち去ろうとするがすぐに振り返り、


「君、名前は?」

「え? あ、はい。二年の希木です」

「そう。希木君ね。私は三年の九条、九条葉月くじょうはづきよ。ミステリー研の会長をしているの。よろしくね」


 再び微笑んだ。今度は何だか妖艶な笑みを浮かべて。


「あ、は、はい」

「それと君、最近『心霊スポット』とか、行ったりした?」

「い、いえ……行ってないですけど」


 すると彼女、九条さんはぐぐっと僕に迫ってきて、


「本当は言わないでおこうかと思ったのだけれど──」

「な、何ですか?」


「──君、何かに取り憑かれてるよ」


「へ?」


 とんでもない事を口走った。


「とにかく何かあったらミス研に来て」

「ぜ、ぜひ、今っ、今お願いします」


 心当たりが有りまくりの僕にとって願ったり叶ったりだ。


「うーん。今すぐには、無理かな。色々と準備があるし……だったら君、明日学校に来れるかな?」

「はい。もちろん!」


 明日は土曜日で学校は休みだけど、そんなの今の僕には関係ない。


「じゃあ決まりね。明日の九時にミス研の部室に来て、それまでくれぐれも軽はずみな事をしないこと」


 それだけ言い残して九条さんは、今度こそ僕の前からそそくさと去っていった。

 ところで軽はずみな事とはどのような事を指すのだろう? ……手紙。あれは確かに軽はずみだった。事の真意も定かなのに、そもそも桐野さんが僕が見た『夢』と何も繋がりがなかったかも知れない。あのメール自体只の偶然で、僕は彼女に熱烈な告白をされた、ということもある。……ま、それはあくまで可能生の話だけれど。

 気がつけば、周りに生徒の人だかりが出来ていた。あんな美人の九条さんのことだ、さぞかし有名人なんだろう。そんな彼女が冴えない下級生と話し込んでいたのなら、それは目立つよな。そんな時、意図せず一人の女子生徒の視線が合ってしまった。すると彼女は「ひっ!?」と一声叫び、あからさまに僕から逃げ出してしまった。

 また、それが合図かのように皆が一斉に僕の前からバタバタと消え去っていく。

 すっかり静かになった廊下に一人残されながら考える。

 

(──自分、何をしでかした!?)


 その後、僕は教室には戻らず、そのまま学校から出ようと昇降口へと向かう。

 カバンは置いたままだが、教室に取りに帰ると桐野さんと鉢合わせする確率が大だ。サイフとスマホは持ち歩いてたし、最悪、後でゆっくりとカバンだけを回収に戻ればいい。とにかく今は学校から一刻も早く去らねばならない。

 急ぎ靴を履き替え、グランドをまたぎ、裏口玄関に向かった。校門では彼女に待ち伏せされている危険性がある。


「────っ!?」


 返ってそれが裏目となった。

 裏口の門。その出口の真ん中で彼女──桐野さんが僕の退路を閉ざすかのように佇んでいた。当然ながら僕の姿は彼女から丸見えだ。

 やがて桐野さんは、一歩一歩、静かな足取りで正面で棒立ちとなる僕に向かって歩み寄ってくる。

 そして。


「お忘れ物です」


 語彙も少なく端的に、静かな動作で右手に持つカバンを僕に差し出す。

「あ、ありがとう」

 只々僕はそれを素直に受け取った。自分が知る桐野さんからではなく、今目の前で微笑を浮かべる彼女──【彼女】から。


 身体中に悪寒が走った。

 額から冷たい汗が流れてくる。

 今更ながら思う。あ、そうか。あれはやはり『夢』ではなかったのだと。

 そして、本能が語る。


 ──あれは、人間ではない。


 別の『何か』だ。

 

「そ、それじゃ、僕は行くから──」


 この場を何とかやり過ごそうと、さりげなく【彼女】の横を通過しようとした、その時、


「貴方は、私のことが、


 ──お嫌いですか?」


「ひぃっ」


 一瞬だった。


 ──私をお嫌い、ですか?


【彼女】は懐に音もなく忍び寄り、僕の胸元を細い指で弄り、最初は優しく囁やき──


「嫌いなのですかっ嫌いなのですかっ嫌いなのですかっ嫌い嫌いなのですかっ嫌いなのですかっ嫌いなのですかっ嫌い──」


 だんだんと語尾を荒らげ、


「も、もう、やめてくれ、お願いやめて──」


 たまらず【彼女】を突き放し、その場で頭を抱えしゃがみ込み、叫んだ。

 その時、だった──


「そう。貴方は、私をお嫌いなのですね」


【彼女】は、僕に、薄い笑みを見せ、右の指先を、その細い首元に掲げ、


 シュッ──、


 喉を切り裂いた。



「え……?」


 瞬間、僕の中で何かが弾けた。

 一体目の前で何が起こったのか、まるで分からない。分かりたくもない。


 視界が真っ赤な霧に染まる。

 それが彼女の首元から吹き出した血潮だと頭が理解出来ない。


「──何卒、愚かな私を、

 

 どうか、お許し下さい──」


 その声を最期に、


 彼女は、


 バタンと、


 崩れ落ち、た──

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