第6話 【彼女】の恋文

『桐野音羽様。突然のお手紙で失礼します。本当は直接会って話したかったけど、あえて手紙で伝えます。桐野さんの気持ちは嬉しかったけど、僕はあなたの想いに応えることが出来ません。僕はあなたの相手に相応しくありません。だから丁重にお断りします。

 追伸。

 きっと桐野さんだったら、僕なんかよりもっと素敵な相手が見つかると思うよ。だから僕のことなんて早く忘れて幸せになってください。

               希木成也 』


「…………は?」


 昼休み。


 校舎四階。女子トイレの個室にて、わたし、桐野音羽は開封した手紙の中身を読んで、思わず言葉を失った。


 朝、わたしの下駄箱に投函されていた手紙。


 その内容とは、ラブレターどころか、むしろお断りの手紙だった。


(はい? わたしが希木君に告白した!?

 ないない。それは絶対にあり得ない! 彼はただのクラスメイトだし、そもそもわたしはこれっぽっちも希木君に興味がない。

 それなのにいつの間にかわたしが告白したことになってるし、それに何だかわたしフラれてるし!

 もう訳がわからな──


 あれ……?

 何だか……わたし……

 変、だ……

 …………)



 ◇


 昼休みが終わり、教室では午後の授業が始まった。


 黒板からお経のように聴こえてくる枕草子の詩をBGMに、僕──希木成也ききなりやは、教科書を盾に、教室の左側、窓際の席に座る彼女──桐野音羽さんの後ろ姿をそっと盗み見ていた。


 そんな彼女は、教科書を広げたまま、机に肩ひじをつき、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 今のところ特に変わった様子は見受けられない。でも油断禁物だ。常に予防線を怠ってはならない。


 桐野さんは午前の授業が終るや否や教室から出ていった。そして午後のチャイムと同時に戻ってきた──となると、その間に僕が下駄箱に忍ばせた手紙の中身を彼女が確認した可能性が大だ。


 普段の桐野さんは昼休みになると、教室で女子数人と席を囲んで昼食を取っている。それが今日に限って教室に居なかったとなると──うん、間違いなく僕が出した手紙の中身を読んだと思われる。


「──では、この第二百七十五段の『恋文』の一節を誰かに読んでもらおうと思う。うーん。そうだな、桐野、お前が読んでみろ。窓の外を見ていて、それはそれはさぞかし余裕だろうからな」


 この時、男性教諭の唐突な名指しに、一瞬、クラスがざわめく。そりゃそうだ。今の彼女、桐野さんといえば『交通事故にあってしまった不幸なクラスメイト』という認識であり、皆が気遣う立場である。


 周りの生徒としては、まさに腫れ物扱い、という感じだろう。


「はい」


 そんな最中、彼女は静かに立ち上がった。

 その時一瞬で教室の空気が喧騒から静寂へと変わる。


 そして彼女──【彼女】は、ゆっくりとした……いや、洗練された動作で教科書を開き、


「またの日、音もせねば、さすがに──」


『枕草子』を歌う。


 ゾワゾワ──


 僕の全身に悪寒が駆け巡る。


(──あの時の声、だ……)


 確かに声質自体は桐野さんそのものだ。それ自体は間違いない。だけど、今まさに聞こえてくる〝彼女〟の声は、直接耳ではなく、まるで頭の中に響いてくるような錯覚を抱いてしまう。


 そして、【彼女】は振り向く、氷のような冷たい表情で。



 無下に思ひ絶えにけり──アナタニステラレタ、

 


「うわぁぁぁあああ──っ!」


 【彼女】の視線が僕を射抜くと同時、僕は教室から逃げ出してしまっていた──

 

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