第4話 彼女の事情
九月二日、金曜日。
「……ふわぁあ〜」
カーテンの隙間から容赦なく眩しい太陽の光が差し込み、わたしはしぶしぶベッドから起き上がった。
瞼をこすり、メガネを掛け、スタンド鏡を覗き込む。
寝汗で髪がベトベト。
寝癖もひどい。身体も何だか怠い。
「今日も暑くなりそう……」
わたしこと、
支度をし終え、一階のリビングに降りると、勤勉なサラリーマンであるお父さんは、早々と出勤していて、
「──って、お母さん、お弁当頂戴っ!」
と、現れたわたしを華麗にスルーし、サイドテールに結った髪を揺らしながら中二の妹、
ちなみに澪は、高二である姉のわたしよりも無駄に高い身長を生かし、バスケ部に所属している。そのため毎朝登校が早い。何でもレギュラーになれるかどうかの瀬戸際だそうだ。ま、頑張ってくれ。
それに引き換えわたしは、スポーツもとい、文系その他もろもろ部活に属していないので、まだまだ家を出るまで時間がある。
だからゆっくりとテーブルに着き、冷めたトーストをモソモソ、砂糖とミルクたっぷりのコーヒーをチビチビとすすりながら、何気に朝の情報番組を眺めていると、不意に見知った地名が告げられた。
わたしの住む街だ。全国放送でこんな田舎町の地名がニュースに流れることはごく稀なことであった。
津々とテレビ画面に注目する。
どうせ大した事件では無いだろう、とタカを括っていたのだが、画面越しのレポーターが伝える内容は実にハードだった。
何でもこの街の大きな公園で何匹ものネコの惨殺死体が発見されたらしい。ちなみにその公園は割と近辺で、わたしも小学生のときに妹と何度か遊びに行った記憶がある。
とにかく警察が捜査していて、近辺の住人には不審者の注意を呼びかけているらしい。
「──怖いわよね。あんたも気をつけなさい」
わたしがやるせない気持ちでニュースを聞き入っていると、お弁当の包みをテーブルの上に置いたお母さんが、ここぞとばかりこちらに詰め寄ってきた。
「ところで音羽。あんた本当に大丈夫なの? 身体は何ともないの?」
「大丈夫だよ。入院中の検査だって、まったく異常なかったでしよ」
で、顔さえ向けずにわたしは応える。心の中で「またかよ〜」とぼやきながら。
というのも、ここ最近のお母さんは、何かとつけて、一字一句同じ質問を投げかけてくるので、こちらとしては堪ったもんじゃない。
最初こそ真面目に答えてきたけど、今ではそれも億劫となり、こっちも毎度一字一句同じ台詞を返すことにしている。
「……ならいいんだけど」と、これまた毎度毎度怪訝がるお母さんから顔を背けたまま、わたしは無意識に『事故』の後に新調されたメガネのブリッジを指で押し上げる。
(……もう、わざわざ思い出させないでよ!)
わたしは、一ヶ月ほど前、事故に遭った。それもあろうことか、夏休み初日、浮き足気分で街にショピングへと出向いた矢先に交差点で車に跳ねられてしまったのだ。
当然、我が桐野家は大騒ぎ。特に知らせを受けたお父さんなんか半狂乱だったらしい。
……けど。
わたしは無事だった。
聞くところによると、事故直後のわたしは、心肺停止、いわば仮死状態だったらしい。が幸いにも現場での救命活動により、何とか息を吹き返したそうだ。
そうじゃなかったら、今頃我が家でわたしの遺影が微笑み、新学期早々、教室の自席に菊の花が飾られていただろう。そう思うと、自分を死の淵から救ってくれた救急隊員の皆様に対し、本当に感謝しきれない。
こうして九死に一生的な生還を果たしたわたしは、その後大きな病院に搬送されたらしい。
当然だ。
むしろそこで更なる奇跡が起こる。
かすり傷程度の軽症。
仮にも軽じゃない普通乗用車に跳ねられたのだ。それなのに、脳挫傷、内臓破裂はおろか、骨折のひとつもしていないというわたしを、駆けつけた家族はもちろん、その診断を下した医師本人ですら、心底不思議がっていたらしい。
車に轢かれた際、神がかった受身をとった。
所持していたバッグ(ワゴンセールで買ったビニール製)が衝撃を抑えるクッションとなった──そんなありとあらゆる偶然が重なった奇跡、ってことで、なかば無理やり結論づけたらしいが……。
それでも大事をとって、とりあえず入院はしたけど、それも検査だけで終了。たった数日で退院となった。
とまあ、こんな感じで、晴れてわたしは日常生活に復帰したのだった。
──が。
色は黒。
それに何故か綺麗な円(直径三センチほど)を描いており、その中心には、何だかよくわからない不思議な模様。更にそれを囲むかのようにいくつものの点……良くよく見ると、細かい文字に見えないこともない。それもアルファベッドを丸く崩したような意味不明な文字。
と、こんな感じのヘンテコな形をしたアザが事故の傷跡として、今でもわたしの身体、左胸の鎖骨付近に残っているのが、現状悩みのタネだったりする。
とはいえ病院では、それは事故によって一時的に出来た傷であって特に問題はない。時間とともに徐々に消えるのでは? とのこと。
ちなみにその不可思議な形については、一切何もふれなかった。
ま、医学的観点では、その診断がすべてであり、たとえその形が変であろうがなかろうが、そんなのどうでも良いのだろう。それにお医者さんがそう言うのなら、この変なアザはそのうち無くなるでしょ。
と、その時は楽観視したわたしだったけど、あれから一ヶ月以上たった今でも、この胸元に出来たアザは、無くなるどころか、薄くなる気配すらない。
となると、場所が場所なだけに日に日に心配になってくる。もしかして一生消えないのではなかろうか? だとしたら近い将来(多分)、絶対に困る。
ただでさえハンデを背負っているのに──
「ふう……」
ため息がこぼれた。
「──羽、顔が赤いわよ。……やっぱりどこか悪いんじゃ──」
と、いつの間にか訝しげな面持ちでお母さんがわたしの額に手を当てている。
「だ、大丈夫だって!」
否定しつつ、自己嫌悪。
そういえばそろそろ時間だ。早々にコーヒーを飲み終え、お弁当をカバンに詰める。
「それじゃ、学校に行ってくる」
「体調が悪くなったら、先生に言うのよー」
何やかんや事故の後、お母さんが妙に優しくなったんだよね。
ふと思いつつ、わたしは自宅を後にした。
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