第3話 白と黒の境界
見渡す限りすべて白色。
遥か遠く、どこまでも続く地平線。
ただ今の僕、希木成也の視界には、語彙少なめ、てか、まごうなくそうとしか表現出来ない真っ白な世界が広がっていた。
俗にいう『異界』ってやつだ。
(──って、異世界転生キターっ! って、伝説の勇者となってチート無双? そんでもって美少女ハーレムライフ! ……なわけ、ねーよな──)
なんせこの時、何故か自分が訳わからぬまま地面の上に置かれた古ぼけたパイプ椅子に座らされている──ってのは、まあ百歩譲って良しとしよう。
加えて見る周りの景色すべてが、白白白──なので、今の自分がその椅子ごと宙に浮いてるような錯覚に陥っていることも、まあ今更だ。一万歩ぐらい譲って妥協する。
だが至って問題なのは、今この瞬間、現時点の自分が置かれた状況についてだ。
両手首は後ろで固定。
加えて両足首もがっちりと拘束され、しかも腹ごと椅子に括り付けられている──といった状況下の自分が、立ち上がる、ましてや自由に歩くことさえ困難でいることだ。
ちなみに縛りの拘束具が縄なんかじゃなく、ブヨブヨなゴムというかスライム状で、これが幾ら力を込めて引っ張ろうが足掻こうが、まるでビクともしない。
まさに詰み。
「……」
そして何より問題なのが、今まさに目の前にいる、ここにきて終始無言の人物──〝女〟だったりする。
とはいえ、もしこの女が奇麗なドレスを身にまとったお姫さまとかだったら、異世界召喚、願わくはチートハーレム路線がかろうじて成り立つのだが……正面に立ち、まるで拘束したスパイを尋問するかみたいに僕を見下ろしているのは、これまたなんとも言えない奇妙な女だった。
背丈は百五十数センチほど。
純色の黒いシックなワンピース姿。その長いスカートと黒のショートブーツの間から垣間見れる黒いストッキングに包まれた細い足が妙に艶かしい。
だがしかし。
肝心の顔が一切謎である。
なぜなら、この女は仮面……いや、お面をつけていて素顔を晒していないのだ。
ちなみにそれは、ネコのお面、黒猫だったりする。その格好も相まってかなりシュールだ。
つうか、見た目から女と判断しているだけに実際はどうだか解らない。もしかしてお面を取ったら、実は男の娘、だった、との可能性も十分あり得る。それはそれで地獄であるが……
──って、この際そんなことはどうでもいい。ほんの些細なことである。
今注目すべきは、女の手にしっかりと握られている禍々しい凶器の存在だ。
ちなみにそれはナイフや包丁といった生易しいものではない。それこそゲームや時代劇でしか実物を見たことのない、かといえ、誰もが知る由緒正しき伝統の武器──日本刀。
その刀身は、女の身体と相まってゆうに1メートルを越えている。
つまり。
気がつけば僕は、こんな訳のわからない場所に拘束されていて、尚且つその犯人らしき人物が今まさに目の前にいて、それが見るからにヤバそうな女で、しかもそいつは、殺傷力カンストの日本刀を装備している。
改めて言う。
完全に詰んだ……。
かと言って今は、せめてここに至るまでの経緯を知りたい。いかにヤバ気な女とはいえ、少なくともこの状況を把握しているハズだ。つうか、こんなカオスな状況をもたらした犯人なら尚更だ。
もっとも普段からコミュ障を自負する僕にとって、非常に高難易度の相手ではあるが、致し方ない。
てか、そもそも僕は、自室のベッドで寝てたハズだよな? その証拠に今の格好といえば、くたびれたTシャツにハーフパンツ、つまり部屋着兼寝巻きだ。
となると、今のこの状況は、たんなる夢……
に決まっている!
「あははっ! そ、そうだよな。これは夢、夢の出来ご、」
と無理やり結論づけた僕が、思わず声を荒らげた、その時だった。
──シュッ!
あろうことか、この奇妙な女は、なんの予備動作もなく握る刀の先端を僕の顔眼の前に突きつけた。それは当然の如く抜身の日本刀でだ。
つまり現時点で僕の瞼の数センチ先には、青光りする鋭利な刃の突先がある訳で……。
ここで少しでも僕が顔を動かそうものなら、死。加え、とち狂った女がこのまま刺してきても死。どっちに転んでも僕は死、ぬ。
「あ、あひひ──」
言葉にならない声が出た。
同時に涙や鼻水、挙げ句の果てパンツも湿ってきた。そのリアルな感触、不快感が『夢の出来事』という僕の現実逃避を否定する。
「……」
そんな見るも耐えない無様な僕の様子を目の辺りにしても彼女は様子は変わらない。情け無用、あくまで非情に徹するようだ。
「……貴方は、」
いや、この状況下、ここで初めて彼女が声を上げた。か細く柔らかな声質。それでも女子特有の高めの声だった。依然として刃を突きつけられたままだが、続く言葉の先に、僕は一介の希望を抱く。
もしかして、自分が助かる道が、条件があるのではないかと──、
──私を愛していますか?
「……はひ?」
思考停止。
続く思いがけない彼女の言葉に対し、僕のあらゆる感情が一瞬で消し飛んだ。
「──愛しい」
そんな自分をよそに彼女は、何がどう愛しいのか、言葉を聞く限り、何だか喜んでるようにもみえた。ただお面を被っているので、その表情は不明だが……。
「……ええっと、」
幾分、冷静さを取り戻した僕は、再度彼女と会話を試みることにした。とはいえ依然として状況は芳しくない。
「──愛している、貴方は私にそう告げてくれました」
「へ?」
「私も誓いましょう──」
「あのぉ……」
「貴方と悠久に──」
駄目だ。まるで会話が成り立たない。彼女は独り言を呟くように、僕? に対しての想いを紡いでいく。
つうか、絶対誰かと勘違いしているに違いない。一体誰だよそいつは!?
「──、」
と、ここでやっと彼女は僕の瞼に向けていた刀をゆっくりと下げた。そして流れる仕草でいつ取り出したのか、不思議な模様が描かれた立派な鞘にしまう。
安堵した。
……ああ、濡れたパンツが気持ち悪い、と今更ながら思い出してしまうほどに。
それで今やっと硬直状態だった顔を楽にし、ふと視線を上げた、その時だった。
「添い遂げることを──」
その言葉と共に彼女は顔を覆っているお面をゆっくりと外した。
「────っ?!」
そして、その素顔が露わとなる。
「き、ききき──」
それは、僕が知っている顔だった。
だから、
桐野、音羽──
思わず、彼女のフルネームを呼んでいた。
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