一章

第2話 彼女はただのクラスメイト

 百合の花。


 六枚の大きな花びらから形成されるユリ科の植物。


 その見た目の可憐さからなのか、はたまた見るものにとって美しい印象を与えるゆえか、古今東西、今も昔も日本の女性の名に多々流用されている名としても有名な花だ。


 そのまま、ユリさん。


 ちょっとしたアレンジで、(ユリ)コさん、さ(ユリ)さん──ま、今の若年層からしてみれば、少々古風な響きだが、それは未だ根強い人気を誇っている名だと言えるだろう。


 たしかに初めて女子からの自己紹介で「小百合です」と「リカだよ」とでは、どうしても前者の方が、どこかおしとやかなイメージを抱いてしまう。たとえ目の前の本人が全然そうじゃなくてもだ。


 これはあくまで清楚系押しである僕の偏見ともいえるけど……。


 とはいえ、少なからず自分にとって女子から告げられた名に〝百合〟という単語が入っている=好印象、という方程式が成立する、と思いきや、それが必ずしもそうではないことが、今まさに身を持って知った。


 私の名は、黒百合くろゆり──


 僕には、その名が不気味で不吉な響きに聞こえたから──



 ◇


 九月一日、木曜日。


「はぁ……」


 学校に向かう道中、思わず長いため息がこぼれた。


 ふと空を仰げば、朝にも関わらず強烈な日差しがまぶたを襲う。久しぶりに袖を通した制服のワイシャツは、もう既に汗でうっすらと透けている。


 額に浮かぶ汗を手で拭いながら、僕こと──希木成也ききなりやは、ゆらりと歩を進めていた。ちなみに体調も気分とともに最悪である。


 というのも、本日は二学期初日。


 高二の男子らしいリア充イベントもなく、それこそあっという間に夏休みが過ぎ去ってしまい、今日からまたあの憂鬱な学校生活を送らなければならないのだ。


 それに加えこの暑さときた。八月を過ぎたというのに気温が一向に下がらない。今朝の予報によると本日も三十度をゆうに超えるらしい。


 夏休みで堕落しきった身体には苦痛この上もない。ただでさえ気が重いつうのに……。


「──ったくう。アチい〜かったりぃ〜」


 そんなこんなで悪態をつきながら、気だるい足取りで住宅街を抜け、通い慣れたバス停の前に差し掛かる。


「あれ?」


 と、そこで僕はふと足を止める。


 目線の先、バスを待つ列の最後尾にちょこんと並ぶ、見知った女子の制服姿を垣間見たからだ。


 桐野音羽きりのおとは


 彼女は僕が通う高校のクラスメイト。

 白いブラウスの襟元で揃えたショートボブと眼鏡が似合う──いわゆるメガネっ子だ。


 その野暮ったい黒縁メガネの奥に隠された素顔は、目鼻筋が整った天然素材の美少女──とまではいかないが、丸顔で小柄、それでいてどこか愛くるしい小動物系女子でもある。


 まあ、彼女自身あまり目立つ存在ではないけど。


 が、しかしだ。


 今から遡ること、1ヶ月と少し前、それは夏休み初日のことだった。


 その日、普段はあまり話題に上がることの無い桐野さんが、休み中にも関わらずクラス中の注目の的となった。


 何故なら、その日彼女は交差点を横断中にクルマと接触──いわゆる交通事故にあってしまったから。


 それからというもの「意識不明の重体」「ピンピンしてる」「鋼鉄の女」──さまざまな噂が飛び交って心配してたけど……まぁ、何はともあれ、今こうして元気な桐野さんの姿が見れて一安心だ。


(──つうか、まさか桐野さんと同じバスだったとは……だとしたら、これからも度々一緒になるかも)


「──ょっと何、人のことジロジロと見て……ええと、希木君、だよね?」


 その声でふと我に返ると、防御力が薄そうな胸の辺りをカバンで押さえながら、僕の顔を不信げに睨んでいる桐野さんの姿があった。


「ご、ごめんっ」


 あれから偶然を装い、その背後に並んだ、までは良かったのだが、そこから彼女とナチュラルに朝の挨拶を交わすつもりが──どうやら僕は、そのタイミングを完全に逃したみたいだ。


「で、でも桐野さん、ホント災難だったよね。だけど思ったより元気そうで安心したよ」


 それでも当初の予定通り、しどろもどろながらも真っ先に告げたかった言葉を紡ぐ。

 もっと気の利いた台詞のひとつでも言えたら良かったけど、これが今の僕には精一杯だ。


「……あはは」


 対し桐野さんは、乾いた笑いとともに、あからさまにそんな僕から目を逸らす。


「ええっと……桐野さ、」


 そのまま俯き、黙り込んでしまった彼女にいたたまれなくなり声をかけた、その時。


 僕の台詞を遮るかのよう、プップ〜とクラクションを鳴らしバスが到着。すると彼女はバッと顔を上げ、我先に乗車口に駆け込んで行ってしまい、その後ろ姿を慌てて追うが……ときすでに遅かった。


 見れば、桐野さんはちゃっかり女子集団の輪に身を潜めており──つまりそれは「こっちにこないで」と、彼女からの意思表示であり……


 ──ま、それでも、桐野さんと僕は、ただのクラスメイトであって、それ以上でもそれ以下でもないわけで、というか、今までクラスでもほとんど接点がなかったのに、我ながらキモかったかもしれない──


 とか思っているうちに、気づけばあっという間に時間が過ぎ、夜が来て、寝た。


 ……つうか、ふて寝した。


 ……ハズ、なんだけど──







「──あ、あのぉ……」

「……」

「こ、この状況を説明して欲しい、です」

「……」


 言葉を投げかけるも、僕の正面に立つ人物はてんで無視だ。あくまで始終無言である。


「ええっと……、」

「……」


(──つうか、ここどこだよっ!?)

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