ピエロの恋

くーくー

第1話

「さぁさぁいらっしゃい、今夜はサーカスだよ!!」

 団長自らラッパを吹き、トレーラーでぼろのテント小屋を曳きながら片田舎の街から街へとめぐる。

 小さな小さなサーカス団。


 動物もいない、出し物はピエロの下手な大道芸と少年少女の空中ブランコのみ。


「ピエロさん、衣装の裾引っ掛けちゃったの繕ってくれたのね、いつもありがとう」

 ピエロに、空中ブランコの少女がふんわりと笑いかける。

 ピエロはコクコクと何度も頷く。


 口の利けないピエロは浮浪児をしていた頃に団長に拾われ、それからサーカスの雑用係をしていたが、一番人気のあった玉乗りをするクマが死んだのをきっかけに団員が一人減り二人減り、ついには団長親子と小さなころから団長の息子とペアを組む空中ブランコ乗りの少女だけになってしまい、数年前から見様見真似で玉乗りやパントマイムをしている。


「ピエロさん、玉から落っこちて残念だったわね、でもお客さん楽しそうに笑っていたわ! 良かったわね」

 少女はいつもピエロに優しかった。

 ピエロは少女の笑顔が大好きだった。


「あー、君、ここに居たのかい? そろそろ練習をしないかい? 今夜はきっと満員だ! 盛り上がるに違いないぞ」

「ごめんなさい、待たせてしまったわね、直ぐ行くわ!」

 少年の声に振り返る少女は、匂い立つ満開の花のような鮮やかで美しい笑顔になった。


 少女は少年に恋しているのだ。

 ピエロはそれを知っていた。

 そして、彼女の幸せな笑顔を見るのが何よりも好きだった。


 その晩の公演は、少年が予言した通り満員になった。

 娯楽に飢えた農村のお年寄りや子供たち、皆の笑顔が待ち構えていて、ピエロは少し緊張しながら玉乗りをし、テントの天井から空いた穴からポツポツと漏れた雨水で足を滑らせ、ズデンと玉から転げ落ちた。

「あっはっは!」

「ぷぷぷぷー」

 しこたま打ち付けた尻は痛かったが、大きな笑い声を聞いていると、舞台裏の少女の微笑みが浮かんできて、ピエロは頬を緩めながら観客に丁寧にお辞儀をした。


 露払いのピエロの芸が終わり、団長のラッパの演奏を挟んでいよいよお待ちかねのサーカスの花形空中ブランコ


 一旦落ちた照明がビカッと光り、ピエロの刺しゅうした桃色の花の衣装を着て紐にぶら下がった少女が照らされ

 わーっと観客が大歓声を上げる。


 しばし一人でくるくる回り、勢いをつけた少女は反対側の紐から手を伸ばす少年に軽やかに飛びつき、二人のひと時の空中ダンスが始まる。

 その姿は幻想的で、優雅で、まるで宙を自由に泳いでいるようだ。

 二人の可憐なひと時の夢は互いの紐に移り合うところで終わりをつげ、いつものように観客が酔いしれたままショーは終わるはずだった…


 テントの大きな穴から差した稲光が…少年の目を眩ませなければ…


 ぐしゃり…


「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 少女の空気を切り裂くような悲鳴…

 続々と去っていく観客…


 少年と少女を乗せたバンが雨の中を走り去っていく音を聞きながら‥‥

 がらんとしたテントでピエロは呆然と立ち尽くしていた‥‥


 何故、何故、私の時に稲光が光らなかったのだ‥‥

 少女はひどく泣いていた。

 少年の代わりに私が‥‥私だったなら‥‥


 あぁ神様、どうか少年をお助け下さい。

 彼がいなければ少女は笑えないのです。

 少女の泣き顔など、見たくはないのです‥‥


 声にならない声でピエロは祈った。


「お前のその願い叶えてやろう‥‥」

 ピエロは黒い煙に包まれ、地を這うような稲妻のような鳴り響く声を内に聞いた。

「しかし、それなりの代償はもらうぞ‥‥」

 ピエロの願いにひかれて来たのは、神ではなく悪魔だった。

 しかし、ピエロにはそんなことはどうでも良かった。


 必死で何度も何度も頷くピエロに悪魔は囁く。


「あの男は舌を噛み切ってしまった、お前の舌をあの男にやろう」

 口の利けない自分に舌は必要ない…ピエロは頷き、ピエロの口から舌が消えた。


「代償に右の耳を貰うぞ」

 少女の声が聞こえなくなる‥‥

 でも泣き顔を止められるなら、自分などどうなっても構いやしないのだ。


 ピエロは頷く。


「あの男の心臓は破裂した。」

 ピエロの胸から鼓動が消えた‥‥


 そうしてついには、ピエロの体は右の目玉だけになってしまった。


 泥まみれのテントの床に転がって、それでもピエロは嬉しかった。

 少年の悪い部分は全て治ったのだ。

 これで少女はまた笑える‥‥


 そして、自分には目が残った。


 これで、この目さえあれば…あの人の笑顔が見られる。

 大好きなあの笑顔が。

 良かった、あぁ良かった。

 自分はなんて幸せ者なのだろう。


 泥まみれの乾涸びた目玉から、一筋の涙が零れた。




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