第12話黒い日記帳
証拠物件として保管されていた鍵と日記帳の鍵穴は、果たして完全に合致した。
しかし、中身を読むことは出来なかった。
初めの一ページを除いた残り全てのページが、マジックで黒く塗りつぶされていたのだ。
唯一塗られていない場所には文字は書かれておらず、何か思い出の品なのだろうか? 消えかけてうっすらと女の子だと分かるイラスト入りの古ぼけた絆創膏が貼り付けられているだけ。
「あー、これはやっぱり捨てようと思ってゴミ捨て場に置いていったんだね」
覗き込んだ門田は、うぅーんとうなり声をあげる。
「あぁ、いくら鍵付きとはいえ日記帳を捨てたらシュレッダーにかける前に読まれてしまう危険性は考えなかったのかなって思ってはいたんですけど、ちゃんと対策していたんですね。そりゃそうか」
証拠物件とはいえ、少女の書いた日記帳を読もうなどと考えてしまった私が悪かったのだろうか? そうため息を吐きそうになっていた時、貫井の脳裏にはたとある言葉が思い浮かんだ。
「塗りつぶされたメモとかって読めないと思うじゃない、でもねちょっとした裏技があるんだ」
鑑識課の先輩が教えてくれたその裏技を実践しようと、貫井は門田にあるものを借りようとする。
「門田さん、ちょっと鉛筆貸してください。なるべく濃いやつがいいんですけど」
「へっ、鉛筆? これでいいかな」
「はいっ、充分です」
胸ポケットから取り出した門田の鉛筆は濃いめで芯のやわらかい2B、それを使って黒く塗られたページの文字の裏を塗りつぶしてゆく。
すると、元々書いてあった文字の跡が浮き出てくるのだ。
元に書かれている文章が鉛筆書きだった場合は、よほど筆圧が高い場合を除けば役に立たない手法だが、指でなぞった時にボールペンで書かれていることは確認できた。
これなら、早田柚葉、彼女が何を書き残していたのか。
そして、あの日に自転車を運転していた真田疾風とどんなトラブルがあったのか知ることが出来るかもしれない。
そんな期待に満ちた目で浮き上がった文章を確かめようとした貫井の目は、たちまち曇ってしまった。
当たり前のことだが、普通日記帳は紙の両面に書き記すものだ。
したがって、文字が裏表で重なってしまってうまく読み取ることができないのだ。
かろうじてはっきり読み取ることが出来るのは、日記が書かれた最後のページ。
しかし、そこに記されていたのはきちんとした文章ではなく、元々あったであろう罫線に沿ってもいない乱雑に書かれたメモ書きのようなものだった。
【臓器移植法六条の二】
その文字を最後に早田柚葉は日記を書くことをやめ、全ての文字は黒く塗りつぶされた。
「貫井ちん、それ何て書いてあるの?」
そっと日記を閉じ、考え込んだ貫井に門田は業を煮やして問いかけた。
「あ、臓器移植法六条の二って書いてあります……」
「あー、それって親族に優先的に自分の臓器を移植してもらうとかそういうやつだったね」
「あっ、そうなんですか? 詳しいですね」
門田のその言葉を聞いた貫井はふと頭をよぎった自分の考えにゾッとして、へなへなと崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。
「あの……」
「何だい。貫井ちん」
「あの坂の上の総合病院って……」
「あぁ、移植センターがあるよね」
「じゃあ、これってひょっとして、早田蓮花に心臓をあげたいために」
「計画された無理心中ってこと?」
「しかし、あの二人は交際していたんじゃないかと花竹幸助君は言っていたよね。横にいない時も真田君は早田柚葉さんを熱いまなざして見つめていたと」
「それは……彼女の心臓を見ていたのかも……そもそも真田君は蓮花さんの方と親しくしていたんですよね」
「あぁ、心臓目当ての二股交際と」
「いや、そこまでは言ってないんですけど、そもそもこの日記は柚葉さんのものだし」
「うーん、どうなんだろうね。さっきの臓器移植法の六条の二の親族っていうのにはね、いとこは含まれないんだよね」
「えっ、そうなんですか?」
「そうそう、確か父母や子と配偶者だったね。それと自殺した場合はその優先提供は無効にされちゃうんじゃなかったかな」
「あぁ、随分詳しいんですね」
「あー、昔ね。そういう事案があってねぇ、その時に移植法が改正されたりしたのを新聞であれこれ読んでいたんだよ」
「はぁ、私勉強不足でした」
「いやいや、これで知れたんだし、別にいいじゃない」
「うーん、だとすると本当にただの事故……移植センターの坂道で……」
「そのことなんだけどね、実は私昨日の帰りにちょっとあけび山総合病院によって調べたんだけどあの事故の日、三月二十八日にね、早田蓮花さんは重篤な状態に陥っていたそうなんだ」
「あっ、それで急いでいた」
門田とは別に、花竹邸からの帰り道で別れた後、貫井も駅前のバス停付近で独自に聞き込みをしていた。
そして、バス停のベンチに座っていた老婦人、手前のコンビニの従業員から同じような証言を聞いていたのだ。
「病院行きのバスはもう行ってしまいましたか?」
自転車を押している少年、その横を歩く少女は二人にそう訊いてきた。
「あぁ、ほんの五分前に行ってしまいましたよ」
そう答えると、肩を落として日が暮れかけた駅前大通りを坂の方面へ向かっていったという。
急いでいた。一刻も早く大切ないとこに、友人、もしくは恋人に会いたかった。
だから急いで坂を上った。
嵐が来ても構わずに、危険な二人乗りをして。
こう考えれば、全てが丸く収まるのだ。
彼女のためにそのいとこを犠牲にして、心臓を提供しようとする。
優先的に提供できる親族では無いというのに、そんなことをしようとするだろうか。
そんな考えよりは、こちらの方がよっぽど理に適うだろう。
あれは不幸な事故であると。
けれど、貫井の胸の奥にはまだ引っかかっている。
鋭い棘のような疑義が。
花竹喜朗が目撃した事故前日の公園での喧嘩も気になる。
「どうして、どうして」
泣きじゃくりながら、早田柚葉を木に打ち付けていた真田疾風。
おそらく彼は、そんなことをしたくは無かったのだろう。
でも、何故そんなことをやったのか、やらざるを得なかったのか。
そこに何か、この事故の本質を紐解くヒントがあるような気がする。
帰宅する前に、今一度日記帳をまじまじと見つめてみる。
すると、日記のそこかしこに同じ文字が見え隠れしていることが分かった。
【蓮花、蓮花、蓮花】
その文字から狂おしい想いが伝わってくるほどに、何度も何度も書かれた名前。
早田柚葉は、いとこをそこまで心配していたのか。
貫井は早田柚葉と早田蓮花の関係性について、もっと調べる必要があるのかもしれないと思い立ち、翌朝その自宅へと連絡してみたのだが電話はずっと留守電で話をすることは出来なかった。
そして、地元テレビのニュースでその日二件の移植手術があったことが報じられた。
一件は十七歳少女、もう一件は六十七歳の男性、臓器提供者は五日前に自転車事故で頭部を損傷しその後脳死状態となっていた十代少年、もう一人はその二日後にバイク事故で全脳の機能が停止してしまった同じく十代の少年。
門田の調べで、早田蓮花が移植リストの最上位に載っていることは貫井も知っていた。
十七歳の少女とは、彼女で間違いないだろう。
だから、早田家には電話が通じなかったのだ。
早田蓮花と早田柚葉、二人は互いの母親の実家で同居していた。
祖父母は既に他界していたが、地元では名士である早田家に蓮花の父親が婿養子として入って家を継ぎ、柚葉の母親は離婚して実家に戻って来ていたのだ。
そんな環境から、柚葉と蓮花はいとこを越えてまるで双子のように仲が良くなったのかもしれない。
姪の移植、そんな忙しない時に亡くなったばかりの娘の事故についてあれやこれや聞くのも忍びない。
貫井はその日の電話を諦めることにした。
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