第10話新たな事件
「貫井ちん、やっぱりあの事故のことまだ気になっていたんだね」
卜部の送致の後、門田は貫井に新品の羊羹を差し出しながらいつになく真面目な顔で話しかけた。
「あぁ、事件性は低いって聞いてはいるんですけど、何だか頭から離れなくて」
「ふむ、そんなに気になるなら平ちゃんにちょっと相談してみようか? 刑事の勘ってヤツが働いたのかもしれないしさ」
「えっ、でも私まだぺーぺーの刑事なのに、そんなものあるんでしょうか」
「あるってあるってー、私がまだ交番勤務だったころに楽しみにしていたドラマがあるんだけどね。新人のパチンコデカが各地のパチンコ店巡りをしながら、ピンときた事件を解決していくんだ! 面白かったのに、六回で突然終わってしまって残念だったなぁ。ちなみにパチンコデカのパチンコはゴムパチンコの方なんだよ。子供がびょーんって遊ぶ方ね」
自身の経験談かと思えばまたドラマ……しかも打ち切り……大きなため息を吐きつつも貫井の胸には、ぽっと小さな明かりが灯っていた。
頭から離れてはくれないあの事故について、自分でしっかり捜査することが出来るかもしれないのだ。
もし事件であるなら絶対にこのまま風化させてはいけないし、完全に事故なのだと自分自身でも証明できるならそれはそれでスッキリと納得することができるだろう。
これはただの自己満足なのだろうか、自分が気になってしかないから調べさせて欲しいだなんて。
けれど、万が一あれが事件だった場合は、そう思うと胸がざわついて居ても立っても居られないような気持ちになってしまうのだ。
(よし! やるだけやってみよう。ぐじぐじと考え込んでいたって、何も動かない。刑事課長に調べさせてもらうように、しっかり頼んでみるんだ。)
門田に貰ったコーヒー味の羊羹を一齧りした貫井は、気合を入れるように自分の頬をぴしゃりと叩いた。
「うーん、この前のあの男子高生と女子高生の自転車事故ね。不審な点は無かったとは聞いてはいるけれども、気になるなら調べてみるといいよ。でも、二人には他に頼みたい捜査もあるから、そっち優先で合間にって感じでやってもらってもいいかな」
門田と貫井から捜査したいと希望を聞いた後、刑事課長は年季の入った湯飲みからもうもうと湯気を出す梅昆布茶をぐびりと一口飲んで「あちっ」と梅干しのように顔をしかめてから一応の許可を出してくれた。
「門ちゃんの刑事の勘ってヤツはたまーに当たるからねぇ、放ってはおけないよ」
「何だよぉー平ちゃんたまーにってさぁ」
「はっはっは、だってそうだろう。五年前のあの時、一人暮らしの女子大生のベランダを狙った連続下着ドロの時さぁ、あれは動物園から逃げ出した猿が犯人に違いないとか言っちゃってさ」
「またあれを持ち出すか! 実際猿は食い物を盗んでいただろう」
「そうそう、動物園じゃなくて、山から来た猿だったけどさ。通報が来る前に猿ってピンと来てさ。実際に一件は猿がお菓子を盗むついでに引っ張って遊んで隣の部屋のベランダに散乱していたんだよな」
「ほーら、私の勘は当たるだろう」
「はっはっはは」
ぽっちゃり親父と湯気で曇った銀縁メガネの横分け痩せ親父のいちゃいちゃした様子を見せつけられて、貫井はどんな顔をしたらいいのやらほとほと困り果てていた。
(捜査していいと許可を貰えたのは良かったけど、もうひとつの捜査って一体何なんだろう? 合間に他の捜査ができるようなものなんだろうか……訊きたいけど、何か二人の世界になっちゃってるし、ここで口を挟んで良いものなのか)
困惑する貫井の視線にやっと気づいたのか、門田はパンっと手を打って思い出話を切り上げて、刑事課長の背中をさすった。
「そういえば平ちゃん、今度の勘は私のじゃないんだよ。ここにいる貫井ちんのなのさ、彼女は中々の切れ者でね。この若さで羊羹が大の好物だという渋さなんだよ。張り込み中にも持って来ているんだよ」
「ほほう、貫井さんそりゃ渋いじゃないの。じゃあ、好きな飲み物も玉露とかかな」
ちげーし、好物ってわけじゃねえし! 大きさがちょうどいいから選んだだけだし。貫井は親父たちの間で勝手に作り上げられてゆく自分のイメージにまたしても困惑する。
「い、いえ……もちろん味はどちらかといえば好きではありますが、そこまですごく好きというわけではなくて。スーパーで携帯できる軽食を探していたらたまたま目について、日持ちもいいですし。はぁ、玉露……緑茶も嫌いではないですが」
流石に刑事課長には門田にするように言い返すわけにも行かず、もごもごと大の好物説のみを否定した。
「んでさー平ちゃん。我々に任せたい捜査って何だい」
同期とはいえ上司である刑事課長に対し、門田はまるで気を遣わず学生時代の友達相手のように気軽に接する。
「あぁ、それはね。君たちが卜部の取り調べをしている間に発生した学校の部室棟や女子生徒の自宅への連続空き巣事案なんだよ」
「ほう、寺さんが言っていた。あの」
「そうそう、女生徒の持ち物、それも制汗スプレーと薬用リップクリームばかりを狙っていてね。卜部と似たような妙な嗜好の持ち主なんじゃないかと思ってね。うむ、これは君らにピッタリでしょ」
いつの間にか門田と貫井のコンビは、フェテッシュ犯罪専門係のような扱いにされてしまったようだ。
「よっしゃー! 我々あんこコンビニお任せあれ!」
「はぁ……」
どーんとぽよんぽよんした胸を叩く門田と、意気消沈したような貫井の表情は対照的だ。
「うんうん、任せた任せた。そっちの捜査の合間に、時間があれば君らのやりたい捜査もやっといてよ」
貫井の机の上に放置されすっかり冷めた梅昆布茶の残りを一気に飲み干すと、刑事課長はくるりと背を向けて軽やかな足取りで自分の机へと戻って行った。
「じゃあ、昼めし食ったら早速近くの学校へ行ってみよう。貫井ちん出前と店で食うのどっちがいい?」
「はぁ、じゃあ出前で」
「ほいほーい、じゃあ蜂金軒のソースかつ丼と山森亭のカツカレーどっちがいいかい? 今日はどーんっと私が奢ってあげよう」
どうやら門田は、卜部の供述に影響されてカツで頭がいっぱいになっていたらしい。
「じゃあ、鴨葱そばで」
しかし、貫井にはそれは通じておらず、メニュー表で三番目に値段の高い鴨葱そばを即決で注文した。
「ちわーっす、蜂金軒です。親子丼と鴨葱そばお持ちしましたー!」
結局門田もかつ丼を頼まず、向かい合わせでそばと親子丼を食べた後、門田は食後のあんパン、貫井はほうじ茶を啜り食休みをすることなくあけび山署から一番近い学校であり、まだ被害の報告のないあけび山市立第二中学校へと向かったのだった。
春休み中の中学校は実に静かで、生徒の姿は一人も見当たらない。
ひと昔前、貫井がまだ学生だった頃は休み中でも部活動にいそしむ生徒らで賑わっていたものだが、教職員の休日労働や子供への接し方に厳しくなったこのご時世、あけび山市においてはそんな光景は過去の遺物になってしまったようだ。
「じゃあ、用務員さんに鍵を開けてもらって部室をざっと見て見ようか」
「そうですね」
連続空き巣事件の最初の被害は、月見ヶ丘上奏学園から報告された。
在学中の生徒二名の事故から始まり、卜部、空き巣と続く負の連鎖、【この学園は呪われている】ネットのタウン掲示板ではそんな書き込みが飛び交っていた。
中には在校生らしき書き込みもちらほらみられ、【あいつキモかったよなー。女子のことじろじろねっとり見ててさ】【何かやるんじゃないかって思ってたよー】卜部へのあざけりの言葉に紛れ、事故の少年少女への言及もあった。
【あれってさー、卜部が追いかけまわして事故ったんじゃねーの】【あー、あいつらが下校するのじろじろ見てんの目撃したことあるわ。でもアイツが見てたんはさー】自分たちの素性が公になるのを恐れたためか、事情をよく知るらしい在校生たちの書き込みはそこで唐突に途切れていた。
タウン掲示板の管理人に協力要請はしたが、数日たった今もまだ情報は開示されていない。
事故の日、嵐が来る前のポツポツとした小雨を避けた卜部はその日の獲物を探すのを諦め、帰宅してネットゲームに興じていた。
近隣住民の目撃情報により、卜部が帰宅したこととその日自転車が自宅の駐輪場に置いたままであったことは確認されており、所有するPCの履歴からゲームにログインし複数のプレイヤーと通話していたことも分かっている。
生徒たちが噂していたように、自転車で追いかけまわしたというのは考え難い。
しかし、事故について何らかの疑義を持っていそうな生徒らの証言は是非聞いてみたい。
部室のパトロールをしながら、貫井は時折スマホでタウン掲示板をちらちら見て見たが、新たな情報は何も書き込まれていなかった。
「貫井ちん、どうやら今日は何もなさそうな気がするねぇ」
美術部に文芸部、手芸部にクッキングクラブに囲碁部、校舎内にある文科系の部室をざっと見回ってから、門田はふわぁーっと大きな欠伸をした。
「あー、今までの空き巣って午前中から午後にかけてですもんね。用務員さんが見回りしている隙にむしろいない場所を狙って荒らされてしまったって」
「そうそう、深夜とかじゃないんだよねー」
「あの、じゃあ、市内にある月見ヶ丘上奏学園の女生徒の家をパトロールで回りながら、あの事故の二人について聞き込みしてもいいですか?」
貫井のその提案に、門田は目をカッと見開いてうんうんと頷いた。
「そうだー、貫井ちんナイスアイディアじゃないの。それなら一石二鳥だね」
「はいっ、でも私たちがいなくなってからこの学校に何かあってはいけないので、交番の巡査たちにもパトロールを多めにするように頼んでおきましょう」
「はいっ、了解っ」
大袈裟に敬礼をする門田に苦笑しながら、貫井は自分のスマホに来たメッセージをちらりと確認する。
それはタウン掲示板の管理人からの返信だった。
【お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。あの書き込みは実は自分の弟とその友達が書いたものだったのです……怖くなって両親に相談したところ、直ぐに返事をしなさいと言われて連絡しました。弟はふざけて書いただけだと言っています。どうか捕まえないでください。 花竹喜朗】
相手を威嚇しないようになるべく丁寧な言葉で協力を要請したつもりだったが、どうやら必要以上の不安を与えてしまったらしい。
そこまで要望していなかったのに、ご丁寧に自宅の住所まで記載されている。
貫井は自分の額をげんこつでコツンとやりつつ、横にいる門田にスマホの画面を見せた。
老眼のせいか顔を少し後ろにのけぞらせてメッセージを読んだ門田は、ふむふむと頷きながらパッと視線を貫井に移した。
「よし、貫井ちん! これからこの子の家に行ってみよう」
「えっ、でも弟だから男子生徒ですよ」
「しかし、掲示板の内容から彼らとはある程度近しい間柄のようだったし、空き巣犯も今は女生徒のものだけだが、男子生徒のものを狙いたくならないとも限らんよ。これは必要なパトロール兼聞き込みだよ。貫井ちん」
「は、はぁ……」
いつの間にか自分よりもあの事故についての捜査に熱心になっていた門田に呆気にとられるようにして、貫井は言われるがままに花竹喜朗の自宅へと向かうことになった。
中学校を出る前に電話で訪問を連絡し、玄関先のチャイムを鳴らすとメッセージの差出人である大学生の花竹喜朗が直ぐに出迎えてくれた。
「両親は仕事で留守にしていて、お茶菓子とか何も用意できてないんですが」
「いえいえ、お構いなく。こちらこそ突然お邪魔しまして」
赤毛に銀のメッシュが入った髪に、唇の端にはピアスというまるでロックバンドのメンバーのような派手ないで立ちでありながら、花竹喜朗は実にきちんとした若者だった。
その後ろに隠れるようにしてちらちらと門田と貫井を盗み見る小柄な少年が、あの書き込みをした弟なのであろうか。
「あっ、こっちは弟です。人見知りなもので、ご挨拶もせず済みません、ほら、幸助刑事さんに挨拶しな」
「あ、あの、花竹幸助です……す、すみませんでした!」
幸助はぶるぶると震えながら、唐突に頭を下げた。
電話の際に書き込みの件を問題にして来訪するわけではなく、話を聞きたいとだけ告げておいたのだが、普通の高校生にとっては刑事が家に話を聞きにやってくるという事実だけで怯えてしまう出来事のようだ。
「そんなそんな、君が頭を下げる必要なんて何も無いんだよ。私たちは幸助君に私たちを助けて欲しい。話を聞かせて欲しいと思ってこちらに伺わせてもらったんだからね。むしろ教えてやるぞ、えっへんって胸を張っていて欲しいくらいだよ」
あんパン顔のぽっちゃり刑事がえへんと胸を張る様子を見て、幸助の顔の強張りは少し緩まり、口元にはうっすらとした笑みも浮かんでいるように見える。
想像していた強面の屈強な刑事と全く違って、ほっとしたのだろう。
(こんな時には門田のもっさい、いや親しみやすい容姿は実に役に立つなぁ、良くやったぞあんパンデカよ。)
二度と口にはしないと決めているコードネームを使って胸の内で偉そうに褒めたたえると、「玄関先ではなんですから、どうぞ中へ」と招き入れてくれた喜朗の後について貫井は花竹家のリビングへと足を踏み入れた。
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