第5話狙われたあんパン、はたして犯人は……

 ごわごわとしてハリネズミかタワシかというようないかにも硬そうなその髪質と天然パーマのせいで今までわからなかったが、濡れそぼった門田の毛髪は意外と薄く、目の粗いざるのようにちらほらと頭皮が見え隠れしている。 見下ろすような貫井の視線に気づいたのか、門田は後ろ手に持っていた千鳥柄のハンチングをぱっと頭に乗せた。

 しかしどう見てもサイズが合っておらず、頭の上でぽこっと浮き上がっているように見える。

(これは……指摘した方がいいのだろうか、でもさっきも頭の薄い部分を見ていると思われちゃったみたいだし、いや、実際見てることはみてたんだけど、私は別に門田さんがフサフサだろうがうすうすだろうが別にどうでもいいんだけど……うーん)

 一瞬考えた後、貫井はそれを告げることをやめることにした。

 薄毛を気にする門田に追い打ちをかけるのはやめておこうという優しさからではない。ただ単にどうやって当たり障りなく教えてあげたらいいのか言葉を選ぶことが面倒くさかったからだ。

 そして、帽子を乗せて臨戦態勢のまま道の先に視線を投げる門田の前に、待ちに待ったものがやって来た。

 細道にぐぐっと入り込んで慣れた調子できゅっとバイクを止めた中年の女性、後ろの赤い籠から取り出された段ボールの中身は、門田が胸を躍らせて楽しみにしていたあの高級あんパンだ。

「えーっと、ここは門田十三さんのお宅ですよね。お荷物お届けに参りました」

 扉の前に突っ立っている男女二人に少々動揺した様子の配達員の女性は、揉み手で待ち構えている門田に話しかけた。

「えぇえぇ、私がその門田十三です! いやいや、早いお越しでどうもありがとぉ存じますー」

「は、はぁ、では認印かサインを……」

「はいはいっ」

 伝票にポケットから取り出した既に朱肉付きの判を押し、そわそわと引っ手繰るように段ボールを受け取り門田にさしものプロの配達人もうろたえ、「で、では、ありがとうございます」とか細い声を残し逃げるようにしてバイクにまたがりとっとと去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら(ご愁傷様です。お気持ちわかります)と貫井は共感しながら手を合わせ、門田はちらりとも見ずにガムテープをバリバリ剥がして、上品な薄紫色の紙袋にぎっしりと詰められたあんパンを覗いてホクホク顔だ。

「あぁ、あんパンちゃん。会いたかったー。でも今日は君たちを危険にさらさなければいけなくなってしまったんだ。あぁそうだね、怖いよね。私も本意ではないのだよ……でも、仕事なんだ。わかってくれとは言わないけれど、私は身を挺してでも、きっと君を守ってみせるよ」

(キモッ、あんパンに話しかけてやがるよ。キモすぎるわーさっきちょっとでも好きなものがあって羨ましいとか思ってしまった自分を消してしまいたいよ。でも、ここまであからさまに大事にしてるって分かれば、引ったくりの目につけば必ず狙って来るはずだ)

 キモいと萎える気持ちを捜査の進展、犯人確保へと気持ちを切り替え、貫井は未だあんパンに話しかけ続ける門田の背中をぽんっと軽く押した。

「あー、門田さん、あんパンとの会話はそれぐらいにしてそろそろ駅前に戻りましょう。もう昼近いですし」

「わぁつ、貫井ちん。急に背中叩いてびっくりするじゃない! あんパン落としたらどうするのさ」

 押したとはいっても、上司の背中、力なんてこめていないし軽く触れた程度だ。叩いたなんて言われるいわれは無い、そんな逆パワハラのようなことをするなんてあろうはずがないのだ。

「いや、叩いてないですよ!」

「えー、私随分とびっくりしたんだよ」

 ちっ、面倒くせぇ。貫井は舌打ちをしながら、「はーい、門田さんが叩いたと思われたならひょっとしたらそういうことも無くはないのかもしれないってこともあるかもですねー。じゃあ行きましょうか」口をへの字に曲げて不満たらたらに認めているようで決して認めてはいない返事をして、先へ行くようにと門田を急かした。

「あぁ、うん。でも全部持っていくのは心配だし、半分、いや三分の、うーん四分の一は家に置いて来ていいだろうか」

 門田はもごもごとまたしても面倒なことを言い始めた。そんなことを認めてしまったら、出かける前にせめて一口齧ってから、いやもう一口などとあんパンパーティーが始まってしまって捜査に支障をきたすのは目に見えている。

「ダメですっ! もう昼近いんですよ。ほら、段ボールは邪魔にならないように玄関横に置いて、袋持ってさっさと行きましょう!」

「でもさぁ……」

 ぐずぐずする門田の腕を引っ張り、やっと駅までの道を戻り始めた門田と貫井、そんな二人の前に予期せぬ危険が迫っていた。

 国道沿いをてくてく歩き駅が目前に迫っていたその時、門田が大事そうに胸にぎゅっと抱きしめているあんパンの紙袋目掛け、するどいものがびゅっと猛スピードで向かってくる。

「門田さんっ、危ないっ」

 思わず突き飛ばした貫井の頬をその鋭いもの、尖った嘴がかすめた。そう、烏があんパンの匂いを嗅ぎつけたのか門田の紙袋を狙ってきたのだ。

「やめてくれぇぇぇ……」

 悲壮感たっぷりに鬼気迫る悲鳴を上げ、亀の子のように丸まってあんパンを守る門田、

 その頭の上にちょこんと乗ったハンチング帽の白と黒の千鳥格子の柄が段々牛の模様のように見えてくる。

(あぁ、これは亀の子というより牛だな、丸々太った……)

 貫井が一瞬目を離した拍子に、烏はまた門田に近寄り背中の上に乗って紙袋を奪うチャンスを伺っているようだ。

 子供のころ、土曜日の昼下がりにテレビでやっていた映画を思い出す。一匹ではなく大量の鳥が人間に襲い掛かる様子が怖すぎて最後まで観ることができなかった。

 あれと同じような恐怖を感じる場面のはずなのに、丸まった牛おじさんとその背に乗る烏の光景はどう見てもユーモラスだ。

 ぷぷっと吹き出しながらも、貫井は道路に落ちていた太い木の枝をサッと拾い上げると、烏に向かって突きの構えを取り、直に当たらぬように気を付けながらその体すれすれに棒を突き始めた。

 正直、門田があんパンをとられたときにどんな情けない状態になるのかに興味はあったが、あれはおとり捜査に使う重要な品だ。みすみす烏に盗られてしまうわけにはいかないのだ。

「さぁさぁ、烏ちゃん。早く逃げないとうっかり当たっちゃうかもよー」

 空をビッと切り裂くように鋭く自分の羽すれすれに何度も何度も襲ってくる木の棒、流石に身の危険を感じたのか、「ギェェェェ」と叫びながら烏は飛び去ったが、門田はまだ丸まったままだ。

「かーどたさんっ、もう烏逃げましたからそろそろ起きてくださいよ」

 貫井の言葉にも安心できないのか、門田はぎゅうっとあんパンの袋を抱き締めたまま顔だけを起こし周囲を見回した。

「貫井ちん、本当に大丈夫だろうね。捜査に必要だから泣く泣く持ってきたというのに、ここであっさり奪われたら私は死んでも死に切れんよ」

 何を大袈裟なことを言っているのかこのおっさんは、と言わんばかりに貫井は首を振りやれやれと両手を広げた。

「もー、万が一そんなことがあってもまた買えばいいでしょ。いつでも売ってるものなんですから」

 貫井のその言葉に、すっくと立ちあがった門田は軽く帽子を被りなおした後、ふんと鼻息荒く反論してきた。

「いや、違う違う! 同じ材料で同じ人が作ったあんパンでも、その時々の出会いで味の感じ方が違うんだよ。今日のこのあんパンは、今この時にしか出会えないものなんだよ」

「はいはいわっかりましたぁー、じゃああんパンも無事でしたしおとり捜査そろそろ始めましょうよ。私は駅前まで一緒に行かなくていいんですよね」

「そうそう、このひったくり犯は一人歩きの人しか狙わないからね。貫井ちんは犯人の逃げる方向で待機して、この可愛いあんパンちゃんが攫われてしまったら、すぐさま取り返してくれればいいってわけよ」

「えっ、犯人の確保よりそっちが優先なんですか?」

「いやいや、勿論そっちが優先、うん優先だよ。でも、あんパンちゃんもよろしくね」

 眉を顰め、思わず呆れた表情を浮かべた貫井に、門田は慌てて言い訳をする。

 いい加減もうこのあんパンネタも飽きて来た。早くひったくり犯の確保をして、このコントとおさらばしたい。

 貫井の胸は熱く滾った。

 そして、駅前商店街の外れ、防犯カメラに映った逃げて行く犯人の姿が途切れた交差路で貫井は門田と別れ、パン屋と文房具屋の間にある門田は到底入れないであろう小さな隙間に身をひそめ、待機した。

 駅前広場からここまで数百メートル、行ったり来たりを繰り返す門田、あの烏との格闘の間に新たな被害が出たとの報告は無い。もし今回のおとり捜査がスカであったら、またしてもあんパンを危険にさらさなければならなくなるかもしれない。

 門田もまた貫井とは別の溢れかえるような熱い思いで、犯人確保を願った。

 そして、商店街を抜け、くるりと裏を抜けて駅前広場へと戻る門田の前に疾風のようにその自転車は現れた。

 しかし、その細い腕が狙ったのは門田がいかにも大事そうに抱えているあんパン入りの紙袋ではなく、頭の上にちょこんと乗ったハンチング帽だった。

 どうやら強い風が吹いたときに門田が帽子を押さえこんだ様子を見て、それが大事なものであると勘違いしたらしい。

 意外にも帽子を奪われた門田は、薄毛を気にするよりも先にあんパンが無事であったことに心を捕らわれてしまい、貫井と決めていた「ぎゃー引ったくり―」という合図の叫び声を出すのが一瞬遅れてしまった。

 引ったくり犯もその様子をちらりと確認し、門田の大事なものはこれではないと気付くやいなやハンチング帽を投げ捨て、きゅっと自転車のタイヤを回し、また門田の元へと猛スピードで戻り紙袋を引っ手繰った。

 門田は迫真の演技、いや本心から抵抗するも本来の目的である犯人確保のため一瞬力を抜こうとし、また思い直してぎゅっと紙袋に縋りついた。

 その時、思いがけない、いや想像すべきであった出来事が門田を襲った。

 紙袋がベリリと裂け、その裂け目からあんパンが二つころころと道に転がってしまったのだ。

「うわぁ、あんパンがぁ」

 門田の断末魔のような叫びにぎょっとした引ったくり犯は、残りのあんパンが詰まった紙袋を自転車の前かごに入れると、そのまま大通りへと逃げ込もうとペダルに力を込めて漕ぎ始めた。

 貫井はその瞬間を見のがさなかった。

 勢いよく猛ダッシュで店と店のすき間から飛び出すと、烏を追い払ってから何気なく携行していた木の棒を引ったくり犯の自転車の前輪めがけて突き刺して停止させ、慌てふためきながらよたよたと逃げようとする痩せぎすの小柄な犯人の体を警察学校で剣道の代わりに選んだ合気道の技で素早く腕を掴んで抑え込んだ。

「折角ずっと剣道をやって来たのに、何故合気道を?」散々聞かれつつも、こちらを選んでおいて助かった。

 いくら軽量級とはいえ男性である。ジタバタと暴れるところを木の棒だけで格闘していたら一苦労だっただろう。汗を拭きながら抑え込んでいると、どたどたと荒い足取りで走って来た門田が追い付いてきた。

「貫井ちん、後は私に任せて!」

 今度は柔道式の抑え込みで門田に重しになってもらい、手錠をかける。

「すびばせぇーん……もうしませぇーん。ゆるしてぇ……」

 転がったあんパンの恨みで一層重量感の増した門田の圧に屈した引ったくり犯は、情けない声を上げながらしくしくと泣き始めた。

 こうして、あけび山市を震撼させた大事なもの引ったくり犯はあんパンの餌に食いつきあっさりとその身柄を確保されたのであった。

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