第2話羊羹刑事とあんパン刑事

「あのー、事件性があったらこっちからちゃんと連絡しますんで……そろそろ」

「あー、すまんね。じゃあよろしくねー」

 シッシッと追い立てられるようにして並んで坂を降りながら、門田はぐるぐるとコンビニ袋を振り回す。

「あのー、それって」

「うん、勿の論あんパンと牛乳だ」

 門田は満面の笑顔で袋の中からむぎゅっと握りしめたあんパンを取り出した。

 やっぱりね……貫井は視線を外して、ほおっとまたため息を吐く。あんパンに牛乳、これは門田が張り込み中の軽食に選ぶいつものメニューだ。子供のころ夢中になってテレビで観ていた刑事ドラマの影響らしいが、現実はおろかドラマでも貫井はそんな刑事を見たことが無い。いや、無かった。今は目の前にその通りの人物がいるのだから。

「貫井ちんも食べたいかい? 半分分けてやろうか」

 あんパンと見分けがつかない様なまん丸の薄茶色の顔が、少し歪んだ笑顔を作る。

「いえ、私は別に用意してあるので結構です」

「あー、そう。すごく美味しいから残念だなぁ」

 口とは裏腹に、歪んだ口元は一気に満面の笑みに変わる。

(いらんし! つーか、あげるのがそこまで惜しいなら最初から言うなよな)

 門田があんパンをすすめ、貫井が断るというのはこれが初めてのことではない。刑事課長からある捜査でコンビを組むように言われてから数日、顔を合わせるたびに言われるルーティンのようになっているのだ。

 初めは断ったら悪いと思い、「じゃあ少しだけ」と受け取ろうとしたら門田の眉はみるみる下がり、餌をお預けされた犬のようになっていった。

 面倒くせぇなぁと思った貫井は帰り際にスーパーの菓子売り場でミニ羊羹を購入し、翌日からスーツの胸ポケットに忍ばせるようになっていた。

 自分で用意すると言った後、門田からはしつこくあんパンと牛乳が栄養があって一番腹持ちがいいよと勧められたが、いちいち買いに行きたくもないし持っているとかさばる。   

 それにこれから夏に向けて気温も上がってくるのに、牛乳を持ち歩いていたら悪くなってしまってお腹を壊し捜査に影響があるかもしれないではないか。

 そんなわけでかさばらず日持ちもするミニ羊羹を選んだわけだが、まだ門田の前でそれを出したことはない。

 刑事になって日も浅く気が張っているせいか、そこまで腹の減るような状況になったことがないのだ。

 一方の門田はといえば、捜査の進行具合に関わらずコンビニに寄っては買って早々にパクパクとあんパンを食い、ストローでチュウチュウずずずーと500ミリ牛乳を一気飲みしているのだが。悪くなる、などという発想はこと彼に関しては全く杞憂するようなものではないのだ。

「ところでさー、貫井ちんが用意してる軽食って一体何なのかな? コンビニでもいつも外で待ってて何も買わないし、鞄もぺっちゃんこなのにさ」

 坂道をおり切った先にある公園で、ブランコにぎゅうぎゅうと大きな尻を押し込めてキコキコ揺らしながらあんパンと牛乳を平らげた後、好奇心でビカビカと光る門田の小豆のようなつぶらな瞳は、貫井をじいいと見つめて来た。

 とうとう来たか! 貫井は肩をすくめながら、すっと胸ポケットからミニ羊羹を取り出しサッと門田の目の前で振ってから元に戻した。

 別におかしなものでもないし秘密にしていたわけでもないのだが、反応を受けるのが何となく面倒に思えたのでわざわざ見せたくはなかったのだ。

 小腹が空いたときにでも適当に出して食べればいいと思っていたのだが、その機会がなかったがために結局こうして大袈裟に披露させられる羽目になってしまったが。

「ほーほー、羊羹、そりゃいいね。頭を使うと糖分が必要だし腹持ちもしそうだ」

「はぁ、そうですね」

 門田がそう頭を使っているようにも見えないし、ぽっこりと突き出た腹は羊羹数百個分もの栄養と糖分が詰まっていそうだと思いつつ、貫井は気のない返事をする。

「うーん、それならこれから貫井ちんのこと羊羹って呼ぼうかな。貫井ちんすらっと背が高くてその羊羹とシルエットも似ているしね。コードネーム羊羹デカだ!」

 これも何かの刑事ドラマの影響なのだろうか? 斜め上の提案に貫井のこめかみからはじっとりと脂汗がにじみ出て来た。

(冗談じゃない! そんな珍妙なコードネームで呼ばれてたまるか! 刑事課の先輩たちにもバカにしたような苦笑いで生暖かく反応されそうじゃないか。貫井ちんとか呼ばれるのは本当は嫌なのに我慢しているってのに、大先輩だと思ってこっちが気を使って下手に出てりゃあ調子こきやがってこいつめ!)

 むかむかとした苦い怒りが腹の底からこみ上げてきて、貫井は思わずキッと門田の丸い顔を睨みつけた。

「じゃあ、門田さんはあんパンデカですね! 顔もあんパンそっくりですしね!」

 口から飛び出した言葉に思わずハッとして目を伏せる。

 これは少々言い過ぎだったかもしれない。刑事課長に言いつけられたら叱られる、ひょっとしたら交番勤務に戻されちゃうかも。

 貫井のこめかみからは今度は冷や汗がたらりと流れ落ちたが、それを吹き飛ばすように下からはガハガハと大きな笑い声が響いてきた。

「ぶわっはっは、そりゃいいなぁ。じゃあ今日から私はあんパンデカ、そっちは羊羹デカであんこコンビってわけか」

 嫌味が全く通じていない……貫井は「ハハハ、そりゃ甘そうだ」と乾いた笑いを零すしかなかった。

 そして、その瞬間、貫井の腹はぎゅるぎゅると音を鳴らした。巡査部長になった機会に長年とどまって主のようになってしまっていた女子寮を出たはいいが、自炊をちゃんとする気力もなくここのところおにぎりやゼリー飲料で済ませてばかりできちんとした食事をとっていなかった。

 体が資本だと頭では分かっているのに、どうにも食欲がわかなかったのだ。それがちょっと笑っただけで、急に食欲が戻ってくるとは。

 貫井は無言のまま羊羹をそっと口にし、門田は窮屈そうに挟まった尻をもぞもぞと動かしながらブランコを漕いでその様子をにこにこと見つめる。

 貫井には不本意ながら、ここに名実ともにあんこコンビが誕生してしまった。

「おーい、羊羹デカ、甘いもの食った後は喉が乾かないかい? 実は牛乳もう一本あるんだけど」

 さっきのコンビニ袋ではなくスーツの胸元からミニサイズの牛乳パックを取り出した門田は短い腕をぴーンと張って、貫井へと牛乳を渡そうとする。

(はぁ! そんな人肌に温まったいつ買ったかもしれないようなモン飲めるわけがないだろ!)

 忙しいこめかみに青筋を立てながら首をブンブン振り、貫井は少し離れた水飲み場に向かいジャージャーと噴射する水をぐびぐび一気に飲みほした。

 こんな風にして水を飲むのは道場の稽古で真夏に裸足で走り込みをし、へとへとになって彗と共に途中で抜けて水分を求めた中学生の時以来だ。

 あれからもう十年以上の月日が流れてしまった。大人になった彗は、どこで何をしているのだろう。

 警察官に替わる新たな夢は見つかったのだろうか。降るような星空を見上げながら思いを馳せていると、ブランコからぎぃいぎぃいと妙な音が聞こえて来た。

 まだブランコ遊びをしているのか。いくら夜で子供がいないとはいえ、五十過ぎのいい大人が……呆れながら振り返ると、門田は尻を右に左に動かしながら必死で足を踏ん張っている。その顔は険しく歪められ、茹で上がったタコのように真っ赤になっている。

「ゔゔゔ……すまんが羊羹デカ助けてくれぇ、どうやら尻が嵌って抜けなくなってしまったようだー」

 あんパン、もとい丸々と太った茹でダコに助けを求められ、貫井はしぶしぶ重い足取りでブランコに向かいパンパンに肉の詰まった重量感のあるスーツの腕を必死で引っ張った。

「もー、座る前に自分のお尻がちゃんと収まるサイズなのか考えてくださいよ! こんな救助バカバカしすぎて特別手当をもらいたいくらいですっ」

「すまーん、帰りにあんパン驕るからさー」

「あんパンはいりませんっ!」

 格闘して十数分、すっぽりと抜けた門田の大きな尻と共に貫井は大きく尻もちをついてしまった。

「痛いっ!」

「すまんすまん、私も尻が痛いよーパンパンに腫れあがっているかも。これじゃあ二つに割れちゃってもいるかもしれないな」

「それはそっちう自業自得だし、お尻は元々割れてるんだからっ!」

 敬語を使うのも忘れ、貫井は目尻をつり上げた。

「いやいや、そんじゃあ今日はもう遅いから帰ろうか。明日は朝から張り込みだぞ! 駅前に集合でいいな! じゃあぐっすり眠ってがんばろー! えいえいおー」

 門田の呑気な勝鬨に呼応するわけもなく、貫井はますます目じりをつり上げる。

「もうっ、すっかり時間を無駄にしちゃいましたよ! 睡眠不足になったらどうしてくれるんですか」

 細長羊羹新人デカにころころベテランあんパンデカ、凸凹あんこコンビの初捜査はまだ全く進展していない。糸口すら掴めていないのだ。

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