第3章

「先生、今日の朝なに食べた?」

「焼き鮭と卵焼きとお味噌汁」

「うわ、嘘っぽーい」

「健康的でいいでしょ?」

 いつかこんな風に他愛もない話で笑えたらって、ずっと願っていた。ご飯が美味しいと感じるたびに、私は昔ばなしを思い出す。

 高校生の頃、嫌いな先生がいた。遅刻をしたり、忘れ物をする人がいても怒らない。完璧にこだわらない、変わった先生だった。

 美術担当だが、水泳部とサッカー部の顧問を掛け持ちしている。お昼の時間になると体育館のステージでおにぎりを二つ食べる。学生の時、シャトルランで表彰されたという話を年三回する。居眠りをするには時計の音がうるさいと言い、デジタル時計に変えた。

 これは、私が知っている先生の生態。

 そんな先生は、私のことを名字でも名前でもなく「少女A」と呼んだ。朝美愛という名前が苦手だと言って。

 試験プリントに溢されたコーヒーの香りが好きだった。何度も落としてヒビの入った眼鏡が好きだった。生まれ変わったら、人体模型になりたいと夢見る先生が好きだった。

 しかし、私の先生は泡沫のように消えた。「少女A、先生に向いてる」と言って。


 今日も僕は夢を見た。でも、それは厄介なやつだ。肝心な内容が抜き取られ、怖いという感情だけが僕の中に残る。同じ夢を繰り返し見るのは、なにか理由があるのだろうか。

 そんなことを考えながら、僕は職員室の前で地味な格好をして雑談する海の横を通る。

 ああ、今日は本当に憂鬱な朝だ。

「おはよう!」

「あ、おはよー」

「海斗は今日の朝なに食べた?」

「言いたくない、言わない」

「なんかあったのか?」

「別になんにもないよ」

 キラキラな爪も派手なバックも高いヒールも、今の海にはない。ほんと別人のようで、むしろ誰かと入れ変わっていた方がいいのかもしれない。僕の好きな海はもう見られないのだろうか。

「そういえば、今日の時間割に体育あったんだけど……って、ん、こうちゃん?」

 僕の隣りにいたはずのこうちゃんはいつの間にか振り返った先にいた。

「先生おはようございます!」

「おはよ!今日も元気ね」

「あの放課後のことで……」

 こうちゃんは僕に見せたことないぎこちない笑顔で、満開な笑顔で、海と話している。

「なにあれ」

「あー、海斗悪りぃ!先行ってて!」

 僕だけが時間の流れについていけないように、周りがぼやけて二人だけがはっきりと見える。木に止まった夏の象徴が迷惑なほどに騒ぎ、職員室の名札にぶら下がる風鈴が揺れ動く。

「僕の心は夏のようだ」

 2人とそれ以外かのように雑に一線を引かれた気がして、機嫌が悪くなった僕はわざと大きめの舌打ちをした。会話に夢中の2人に聞こえるはずないけどさ。

 ああ、今日は早退しよう。

「ねぇ、海斗くんもう帰っちゃうの?」

「退屈だからね」

「えー、そんなこと言わないでよ。寂しいじゃんね?」

「うんうん。それに一時間目美術だよ?」

「え?……あ、そうなの?」

 僕の耳元で誘ってくるこの人たちをいつもは無視するのだが、今回は感謝しよう。クーラーが効きお昼寝に最適なこの部屋で、おじいちゃん先生が用意した飴玉を自由に食べることができるこの時間は楽しいから。

「それにしても、こうちゃんって多才だねー」

「そうか?上手い人を真似してるだけだよ」

「その真似ができないんだよ。ほら、僕はこんな直線も書けない」

「一回で書こうとするからだろ?こうやって、薄い鉛筆で下書きを書いてからだと、ほらできた」

「すごっ。やってみよー。あ、ぐねった。こうちゃん消しゴム貸して?」

「はいはい」

「ありがとー」

 絶妙にズレたカバーのせいで、滑る粉が多かったせいで。丸裸になったこうちゃんの消しゴムには「海」という文字が書いてあった。

「え、海?」

「あっ……いや、違くて……海、俺も好きなんだよなーって?……うん、ごめん。お願いだから忘れて」

「わかった」

 新品の消しゴムに好きな人の名前を書くと恋が叶うというおまじない。小学校の頃に流行っていたらしい。前にエピソード付きで母さんが話してくれたことがある。

 うみ、うみ、海、海。僕がつけた名前。僕の海。さすがに違うよね。僕が海のことばっか考えてるからだよね。

「ねぇねぇ早く帰ろー」

「あっもう行く!じゃあ海斗くん、また明日ねっ」

「うん、また」

 結局、僕は心のモヤモヤが消えなくて放課後というものを過ごした。誰もいない教室で誰かを待つというのは青春じゃないか。

「青春だったなーって、大人になったら言えるのかな」

 今日は会議だとかなんとか言ってたけど、こんなに長くやるものなのか。短針が僕の圧に負けずいつも通り一周した頃、こうちゃんの足音がだんだんと聞こえてきた。

「おう海斗。残ってんの珍しいな」

「いや、こうちゃんと一緒に帰ろーっと思って」

「え、そうなの?……あー、待ってもらったとこ悪いんだけど、俺今日補修あるんだよね」

「ふーん、そっか。ならしょうがないね。じゃあ、先帰ってるね」

「うん、また明日なー」

 この時期に補修なんてないはずなのに。え、嘘つかれたのか。そういえば、この前のテスト返しの時にこうちゃんは「百点だー」って喜んでいた。ああ、厄介なこの感情を今日のうちに消化したい。

 そう思った僕は図書室に身を潜ませ、日直の掃除が終わる頃に教室前の廊下へと移動した。そっとドアに耳を当てると微かに声が聞こえた。

「バレたらどーするの?」

「バレないように……嘘ついたんです。大丈夫なので、はやくやりましょ?」

「これからも海斗くんと仲良くしてくれる?」

「もちろんしますよ」

「あぁ…………そっか、そうなんだ……」

 まるで灼熱地獄のようだった。僕は海にも、こうちゃんにも裏切られたんだ。

 なんでだよ、なんで、なんで。ひどいよ。またか。また僕は一人か。気持ち悪い、気持ち悪いし。ムカつく、ムカつく。全部消えればいい。みんな消えればいい。

 そうだよ、簡単なことだ。

「ママ、人を〇〇したいって思った時はどうすればいい?」

 僕の普通では考えられない質問に、母さんは第一関節くらいのタバコを灰皿に置いてじーっと僕の目を見た。

「だれを〇〇したいの?」

「こうちゃん」

「なんで仲の良いお友達を〇〇したいって思うの?」

「海が好きなんだ。海も僕のこと好きで、海は騙されてる。はやく助けないと、守るって誓ったんだ」

 真っ黒な波が眼の前まで来ている。息がしずらくて、頭が悲鳴を上げる。

「嫌だ、嫌だよ。僕の海がいなくなっちゃう。ああ嫌だよ!」

「海?……海斗、今日はもう寝なさい。で、明日になって、もしまだその気持ちが変わらないようだったら。その時はママ考えるから」

 母さんは僕の手を握ってそう言ってくれた。そんな母さんの目はいつもより潤んで輝いていたように見えた。

 こうちゃんと出会ったのは十四歳の時だ。いわゆる優等生で変わり者だった僕には友達がいなかった。けれど、ある日ラムネのビー玉を一つくれた。「これは俺たちの繋がりだ」と言って。そして、ここから覗けばこの海も綺麗に見えると教えてくれた。それから僕は海が少しずつ好きになった。

 まさかこうちゃんがそんなことするはずないと思うたびに、そう自分に言い聞かせているようで苦しくなる。僕は心の黒ずみを削り取るようにノートに感情の全てを綴った。台風が接近するときのように胸が詰まった。心がザワザワして、僕の目に光が宿る。手が黒く染まり、一冊のノートが埋まった時、自然と体が軽くなったような気がした。


 朝の校内放送で目が覚めた僕は尋常じゃない量の汗をかいていた。机の上に開かれていた一冊のノートには攻撃的な文字が並び、濁った重い液体のような淀みを心に感じる。破かれたカーテン、折られた鉛筆、ひびが入った鏡。散乱しているこの部屋を時間をかけて目に通した時、僕の中に新しい命が送り込まれた気がした。飲みきれずに放置していたであろう水で口を洗う。これから僕は戦へ向かう。

「おはよ」

「おはよう」

「どーすればいい?」

 化粧を終え、二十代の顔になった母は口角をぐいっと上げてこう言った。

「今からママ質問するから、嘘だけはつかないでね」

「うん」

「海さん?のことは好きなの?」

「好き?……あー、まあ」

「どうせならさ、たくさん時間をかけて苦しめてからのほうがいいよ」

 足の指を鳴らしながらそう笑う母の首から上は、いつも以上にキラキラしていた。

「ちょっとママに着いてきて?」

 それから、母に連れてこられたのは周りに溶け込んだ翠色のパイプテントだった。

「この村の警察官はね、よくここで仕事をサボってるの。まずは仲良くなって信頼関係を築くこと。できたらママに言って?」

「そんなに時間かけるんだ」

「楽しくなってくるから、大丈夫」

 二十分後、母の話の通り一人の警察官が涼みに来た。

「こんにちは」

「こんにちは、君は高校生かな?」

「はい」

「あれ?学校は?」

「……あの、そのことで少し相談したいことがあって。今お時間大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ。俺にできることがあったらなんでもするし」

 顔色を窺い、言葉と表情を絶妙なタイミングで駆使すれば簡単だった。

「僕はお兄さんみたいなかっこいい大人になりたいです」

「嬉しいこと言ってくれるねー。君のこと気に入ったよ」

「信頼できる大人の人が周りにいないので、お兄さんだけが頼りなんです」

「俺はもう君の味方だ。また、なにか酷いことをされたらすぐに言うんだぞ」

 この戦は信頼という感情を少しでも引き出せれば僕の勝ちだった。

「できたと思うけど」

「じゃあママについてきて?」

 水分不足のまま母の足跡を辿っていくと、見慣れた景色が夜バージョンで現れた。

「あのさ、ここって学校だよ?」

「うん、こんな夜中だーれもいないから大丈夫。海斗って二組だよね?」

「たしか、そうだけど……なにするの?」

 その質問に母は答えてくれなかった。仄かな光が教室に流れる。締め忘れの窓から、彩度がマイナスの樹葉が様子を見に来る。母はクラスメイトの荷物を物色し、派手にばら撒いた。そして、めちゃくちゃにした。

「ストレス溜まってるの?」

「うん。ママはね、海斗が楽しそうじゃないのがストレスなのよ」

「じゃあさ、クラスメイトの教科書破る僕は楽しそうに見える?」

「見える。すっごーい楽しそう」

「正解」

「ちょん切っちゃえ!」

 世間から見れば、この親子は異常であり非難されるだろう。だが、それは泥水のように濁った性格をうまく誤魔化し、自分のプライドとイメージを気にした人の言葉だ。僕たちはなんのダメージも受けない。


 だから、僕は今日も当たり前のように学校へ向かった。昨日使ったハサミをお守りのようにポケットに入れ、何事もなかったようにこうちゃんに声をかけた。

「こうちゃん、おはよ」

「おはよー。なあ、なんか今日騒がしくね?」

「そうかな?いつも通りじゃない?」

「おい浩介!お前なにしてんだよ!」

「マジでムカつくわ。ふざけんじゃねーよ!」

 下駄箱から階段に向かう途中で、合流したばかりの僕らは大勢に囲まれた。見たことあるような顔がずらりと並んでいたが、名前まではわからなかった。

「いきなりなんだよ、なんで俺責められてんだよ」

「俺らの物めちゃくちゃにしたの浩介だろ?」

「は?なにそれ」

 僕はそんな言葉に惹きつけられるように速歩きで教室へ向かうと、そこは大きなゴミ箱のようだった。教科書やノート、手提げ袋に課題プリントがシュレッダーにかけたように切り裂かれていた。

「お前がそういうやつだとは思わなかったわ」

「は?なんで俺が犯人なんだよ」

「いや、この状況でお前以外に誰がいるんだよ」

 なぜ、こうちゃんがこんなにも犯人扱いされているのかというと、こうちゃんの物は全て綺麗なままだったから。あと、もう一つ。

「お前が犯人じゃないって言うなら、これはなんだよ。説明しろよ!」

 黒板に書かれた荒々しい字。

「本望浩介。僕は一人の人間を殺した」

 この後、すぐに緊急の職員会議が行われ、こうちゃんが犯人だという断言はできないとし、全校生徒に注意喚起をして終わった。


「海」

「盛大にやってくれたね、少年くんよ」

「僕なにかしましたか?」

「ねぇ、あたしのせい?」

「ちょっとわかんないんですよね、なんか最近ちょっと色々あって……」

 あの日「好きにならないでね」っていう約束と一緒に無理矢理にでも指切りをしておけば、こうはならなかったのかもしれない。いや、違う。あの日、私の過去を見せなかったら。私の体温を共有しなかったら。

 ああ、タラレバを順番に並べても消えてなくなることはないのに。

「浩介くんの好きなものも海だった。少年くんだけのものじゃないの」

「海は僕のものですよ。だって僕はこうちゃんよりも――」

「好きになったの後だよね。浩介くんが教えてくれたんじゃないの?」

「どうしてそれを知ってるんですか?」

「抱いてないよ。少年くんみたいな関係じゃない」

「急にどうしたんですか?」

「ねぇ、もし……だったら……」

「え?」

「……ったらさ、私もね……するから」

 目が乾き、視界がぼやけていく。文字を受け入れられないほど、頭がぼーっとする。

「ねぇ、少年くん聞いてる?」

「……あー、はい」

「もし、私がそうだったら……どうする?」

「あ、すいません。もう一回言って下さい。なんかぼーっとしてたみたいで」

「やっぱり、だからね………痛っ!」

「え、大丈夫ですか?お腹が痛いんですか?汗、すごいですよ」

「ううん、大丈夫だから」

「救急車呼びますか?」

「いいから……はぁ……今日はちょっと、もう早退するね」

 逃げたんだと思った。僕が海の秘密に気がついたから。でも、いい判断だと思うよ。さすが先生だ。僕に教える必要のないことは教えない。そういうところはちゃんとしてるんだね。

 ねぇ先生。僕に近づいたのは単なる暇つぶし?

 もし、そうだとしたら、どうして僕が危険だと疑わなかったの?

 これから僕がどうアクションを起こすのか、必死に考えてもわからないだろう。だって、今ならなににでもなれる気がするからね。


 薄い藍色の花瓶に咲いた綺麗な菊の花は避けられた机を華やかする。二時間目の予鈴が鳴っても、こうちゃんが僕たちの前に姿を現すことはなかった。

「おーい、お前ら浩介に喋りかけんなよ!」

「わかってるよ。あんな酷いことしたもんねー」

 悲鳴を上げる椅子を揺らしながら、僕はそんな会話を耳に入れる。

 モノが壊れる瞬間ってやっぱりこんな感じだよね。当たり前のように繋いでいた手が一本でも離れていくと、今度は掴む方が難しくなる。

 ああ、しんどいな。もう、しんどいよ。

 今日はあんなことがあったせいか、二時間目以降の授業はなくなり、すぐに下校するよう呼びかけられた。

 けれど、僕はそのまま帰る気にもなれず、帰るふりをして問題の犯人に会いに行くことにした。

「……って、やっぱりここか」

 こうちゃんは裏門の近くにある大きなゴミ箱の前に立っていた。このビー玉で覗けば、まるで孤立を表した絵画のようだ。

「友情って思っているよりずっと脆いんだよ」

「え?」

「心のどこかでは貶して、欠点を見つけては嘲笑って」

「海斗?」

「でも、僕は味方だから。僕だけはずっと友達だって信じていいから」

「……そっか、ありがとな」

 そう嬉しそうに微笑む君を見ると、もっと尽くしたくなるんだよ。

「ちょっとついてきてくれないかな?見せたいものがあるんだ」

 僕はこうちゃんの手を取って校舎裏へ向かった。入学式の次の日に行われる校内探検の後に来る人はほとんどいないため、緑が生い茂るこの場所は空気が淀んでいた。放置されている残酷さが独特な匂いで伝わる。そんな救いようのないものが僕は好きだ。

「サプラーイズ!」

 僕は油でコーティングさせておいたうさぎ小屋に思いっきりライターを投げた。中途半端な優しさよりも爆発的な怒りのほうが美しく感じるから。ラメは入ってないけど、ゆらゆらと燃え盛る赤が僕の心臓を表してくれた。

 さあ、こうちゃんは喜んでくれるかな?

「海斗…………お前なにやってんだよ!」

「なにって火をつけたんだよ。見ればわかるだろ」

「お前なにしてるかわかってんのか!早く火を消せ!」

「うさぎって危険を感じると、こうして後ろ足で地面を叩くんだ」

「なにがあったんだよ」

「この世界は残酷だからね。みんなで傷つけあって生きていくしかないんだよ」

「嫌なことがあったなら話聞くから!」

「見てよ!こうちゃんがくれたこのビー玉で覗けば芸術作品が作り出される!」

「やめろって!なにがしたいんだよ!」

「でも、こんな玩具はもういらない」

「……お前おかしいって」

「僕の変化にまだ気づけないとは、僕たちの友情も脆かったってことだね」

「海斗?」

 海の底に沈んでいく大きな船を見て、世間は生ぬるい声で「泣ける」と言う。最愛の人を思い浮かべながら、全てが終わっていく瞬間に涙する。新しい朝が迎えに来ても、影響を受けたままの世間は丁寧に一日を過ごそうと心がける。

「お前はもう必要ない。今すぐ消えろよ」

 君がいなければ、僕の人生は一瞬にして終わった。君のせいで、僕は明日を迎えないといけなくなった。上を向くと灰色の天井から雷が鳴り、僕たちを包むように雨が降った。足元にできた水たまりの世界はキラキラしている。しかし、こうちゃんの顔は退色していた。

 それでも僕は、呼吸が荒くなった君を置いて真っ直ぐ家に帰った。

「ねぇこうちゃん。はやく僕の前から消えてよ」


「昨日のやばくない?」

「誰がやったんだろーね」

 あの後、天気が力を貸してくれることはなく僕のやったことは問題になった。

 湿ったコンクリートを列になって歩く。みにくいアヒルの子の僕は一人、世界の外側を見ている。

 チャイムが鳴ったのを合図にワックスを掛けたばかりの体育館で全校集会が開かれた。

「皆さんの中にはすでに知っている人もいるかと思いますが、昨夜うさぎ小屋で火事があり、残念ながら三匹ととも亡くなってしまいました。原因はまだはっきりとわかっていません。なにか知っている人はこの後私に知らせてください」

「あの警察が来たって聞いたんですけど!」

「はい。放火の可能性もあるので、念のため捜査をしていただいています……皆さん、このようなことはあってはならないことです。これからの学校生活を安心して安全に過ごせるように、より一層気を引き締めて行動してください。私からは以上です」

「次に警察署の方からのお話です」

「昨夜の出来事は大変ショックだと思います。気持ちが不安定になってしまうことは普通のことです。なので、なにか知っている子は一人で抱えず、僕や先生方に相談してください。どんなことでも、些細なことでも構いませんから」

 上履きを床に擦ってキュキュっと音を鳴らす。そんな僕をみんな見向きもしない。

「犯人、この中にいるのかな。海斗くんはどう思う?」

「いるかもね、犯人」

「嘘っ、なんか怖くなってきた」

 元の状況より超えるなにかがないと人目を集めることもなにかを変えることもできない。けれど、ここにいる教師はそれよりも漢字の書き順を教えている。

 焦る生徒を落ち着かせる先生。興味津々の子供に注意をする大人。いろんな顔が見ることのできるこの時間は楽しかった。

「海斗、わかってるよな?」

 けれど、こうちゃんは楽しくないようだ。こうちゃんのその小さな黒目は僕を捕らえるように動かなかった。この長い集会が終わっても、鋭い矢で僕を脅しながらなにか目的を果たそうと変に緊張していた。

「ちょっと来い」

「え?どこ行くの?」

「昨日のこと正直に話すぞ」

 今なら、リードに繋がれたトイプードルの気持ちがよくわかる。こうちゃんは僕の腕を握力計のように強く握り、校長室の重いドアを開けた。

「あの、お話があります」

「どうしましたか?」

「昨日の件でお伝えしたいことがあって。あの、うさぎ小屋に火をつけたのは――」

「ごめん!僕、やっぱり嘘はつけない」

「……は?」

「こうちゃんが火をつけたんだよね?昨日たまたまそれを僕が見ちゃって、他の子がやったってことにしようって言ってたじゃん」

「それは本当ですか?」

「俺はやってない、お前なにいってんだよ!」

「自分の罪を人に擦り付けるのはよくないよ。こうちゃんのこと友達だって思ってるけど、嘘はよくない」

「なんで、なんでだよ!なんなんだよ!お前昨日からおかしいって!」

「君!ちょっとこっちへ来なさい。これから私と一緒に警察署の方へ行ってもらいます。まだ暴れるなら、もっと刑が重くなるからな」

 全校生徒が授業そっちのけで窓に張り付いてこっちを見ている。こうちゃんが大人しく黒い軽自動車に乗り込むと、ワールドカップで優勝したくらいの歓声が起きた。

 ああ、今日は日暈が出て空気が美味しく感じるな。

「海斗くん、正直に話してくれてありがとな。ほんとに君はいい子だ」

「あの、こうちゃんは捕まりますか?」

「規模が小さいし、まだ未成年だからなー。それにこんな村はよっぽどのことがない限り捕まるっていうのはないよ」

「なら、少年院とかに連れて行かれるとか」

「多分それはないし、大丈夫だよ。きっとすぐに反省して落ち着くさ。気持ちが不安定になって勢いでしてしまったことだと思うから」

「……そうですか」

 

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