32.単に俺が貧弱なだけかもしれないが
目を開けるとヒカリが顔を覗き込んでいる、とばかり思っていた俺は「うおお!」と大声を上げてしまった。
「なんだよハクヤあ。だいぶ元気そうじゃねえか」
眉毛も髪の毛もなく、睨むだけで相手にダメージを与えられそうなほど鋭い眼光を持つ男、ガンボラさんがそこにいた。弓矢などは背負っておらず、ラフな格好だ。
身体を起こして周囲を見てみると、どこかの室内だった。木製テーブルと椅子があり、テーブルの上にはいくつかのビンと筒状の魔道具が置かれている。魔道具からは細いホースが伸びており、先端は針のように尖っていた。
俺自身はベッドに寝かされていたようだ。隣には同じベッドが三つ並んでいたが、いずれも人はいなかった。
「ここは、どこですか?」
ガンボラさんに尋ねる。何で寝ていたのか思い出せない。
「アブジャだ。俺たちが元々目指していた町だよ。そこの宿屋なんだが」
「あ、ちょっと思い出してきた。そうか、俺は魔王の幹部と戦ったんですよね」
ガンボラさんは俺の言葉を聞いたあと、笑顔になった。
邪悪な笑顔だ。このまま生き埋めにされてもおかしくない、そんな表情をしている。実際にはただ笑っているだけなんだろうけど。
「戦ったって、おめえはひたすら逃げ回ってただけじゃねえか。まあハクヤにとって逃げるのを戦いって呼ぶなら、それでいいがよ。まあ何にしろ」ガンボラさんは俺の肩に手を置いた。「よくアローロから無事に逃げ切れたなあ。俺もあんなとんでもない速度で飛ぶ魔物なんて初めて見たぜえ」
破片だらけの記憶が一気に形作られる。
そうだ。アブジャの町へ向かう途中で、魔王討伐パーティーが全滅していた。そこにいたのが魔王三幹部のひとりで、俺だけが転移者として狙われることになって、ガンボラさんとヒカリが注意を引き付けてくれて……。
「そういえば、ガンボラさんは無事だったんですね」
「まあな。もちろんヒカリも無事だあ」
「あの、足止めしてくれてありがとうございます。ガンボラさんがあいつの羽を貫いてくれてなかったら、俺は殺されてたかもしれません」
「ハクヤあ、勘違いすんなよ。別に助けたわけじゃねえ。魔王の幹部をぶち殺すいいチャンスだと思っただけだ。
まああいつは俺もヒカリも殺す気なかったみたいだから、悔しいが手加減してたんだろうなあ。本気になった瞬間に俺たちは気絶させられたからな。情けねえよ」
そんなこと言って。あのときに俺に逃げろと叫んでくれたの、忘れてませんよ。
こういうところは素直じゃないんだな、このツンデレハゲが。
思わず顔が綻んでしまう。
「この町の墓地が近くにあるんだが、ハクヤあ。埋まってくるかあ?」
「何ですかいきなり」
「てめえがにやにやしてやがるから嫌な予感がしただけだ」
鋭いなこの人。だいぶ心を許したつもりだったがやっぱり怖い。気を付けよう。
「ヒカリは?」
「あいつなら買い出しに行ってる。まだ金には余裕があるようだからな。食料や野営の道具を揃えてくるそうだぜ」
「そうですか。二人ともケガとかは大丈夫なんですか?」
「気絶させられただけだからな。五日も経てばもう何ともねえに決まってんだろ。俺もヒカリも万全の体調だぜえ」
「なら安心です……って五日? 五日って何ですか?」
二人がやはり気絶させられただけだったのは事実だった。あれで二人が殺されていた可能性もあることを考えると、この旅の過酷さを改めて知る。薄氷の上を歩くような行き当たりばったりの考えはやめないといけない。
それより問題は五日経っているというガンボラさんのセリフだ。まさか俺もマンガのキャラみたいに五日も寝ていたってことか?
「決まってんだろうがよお。あの化け物に襲われてから五日が経ってるってことだ。おめえは五日間ずっと寝てたんだよ。出血量がやばかったからな。無理もねえよ」
マジだった。
本当に五日間も目を覚まさなかったらしい。
俺は自分の左手を見る。包帯で傷口はぐるぐる巻きにされているが、手首から先はないのがわかった。自分で切り落としたから当然なのだが、こんな異世界だし、元に戻っていてもいいと思う気持ちも拭いきれない。
ガンボラさんがその後の顛末を語る。
「あのガキをひたすら弓で狙ってたんだがよお、腹立つことにあいつにとっては大して効果がなかったみてえだな。羽を広げたと思った次の瞬間には俺のそばにいやがった。そこで俺もヒカリもあっさりと昏倒させられちまったようだ。
先に目が覚めたのはヒカリだった。俺を起こしてくれて、おめえを探すことにした。とは言っても難しいことはない。湖に近い小屋の屋根が吹き飛んでいたし、魔道具を使ったらしい不気味な植物の蔓が大量にあったからな。
俺とヒカリで暗くなった湖岸を歩いていると、お前が倒れてた。全身ずぶぬれで、左手には袋が結ばれている。おまけに袋からは血が流れだしていた。こりゃ普通じゃねえと思って、袋を取り外したら手首から先がねえじゃねえか! 驚いたがアローロ相手に無傷とはいかねえよなって思い直して、俺はとりあえず応急処置をした。
といっても俺は治癒魔法なんて使えねえからな。兵士たちが習う手当の方法だ。
そのあとは馬を捕まえ、荷物をまとめ、お前をヒカリのバッグにぶち込んで、この町へ向かって夜通し馬を走らせた。お前の馬も俺が連れてきてやったから感謝していいぜえ。
明け方このアブジャに到着して、治癒魔法をかけてもらった。どの町にも大体一人は治癒魔法が得意な奴がいるからな。
ああ、勘違いすんなよ? 再生魔法が使えるのは転移者と魔物だけだ。この世界の人間だって、一度なくなった手が生えてくるなんてことはねえ。ちゃんとした止血と、傷口の治療だけだ。だが、ここでできる最大の治療をしたことだけは保証してやる。
ただ、左手の傷口はふさがったが、失った血は戻らねえ。そればっかりは魔道具で補充するしかねえんだ。ヒカリは『魔法でユケツするってすごいねえ』って言ってたが、俺にはユケツってのが何なのかわからねえ。
とにかく魔道具をお前に毎日ぶっ刺して血を増やして、ようやく今ハクヤのお目覚めってことよ」
俺はテーブルに乗っている魔道具を見る。あれは輸血用の魔道具だったのか。加えて自分が思った以上に命の危機に瀕していたことも驚きであった。腕が切れるって割とマンガでは見るシーンだっただけに、意外だった。腕を失ったキャラクターって案外元気に動き回っていたような気がするんだが、フィクションはフィクションです、ということか。
単に俺が貧弱なだけかもしれないが。
それはともかく、魔王の幹部と接触して三人とも無事である。まずはみんなが生きていることに安堵した。素直にお礼を述べる。
「なんにせよ、命を救ってもらったわけです。ありがとうございます」
「ヒカリがマジックバッグで迅速に運んでくれた。治療してくれるこの町のおばちゃんがたまたま手が空いていた。感謝するならそっちにしろや」
ガンボラさんは照れくさそうにしている。やはりツンデレハゲ。
今度は表情に出さないように注意してガンボラさんを見る。
「ハクヤあ、俺の弓の練習に付き合え。お前が的な」
「なぜ!?」
「なんかお前から不快な波動を感じたんだよお」
やはり怖い。弓兵よりメンタリストのほうが向いてそうだ。
しかし、こんな会話をしていることそのものが危機を脱した証明でもある。張りつめていた緊張がようやく解けていくような心地よさを感じた。
「ガンボラさん、買ってきたよー。旅の準備だけじゃなくて、ついでに今日の食事も買っておいたから。お、ハクヤも目覚めてるねえ。おはよう!」
扉を開けながらうるさいくらいの音量で喋るヒカリが戻ってきた。五日間も眠っていた俺としては涙を流してヒカリが抱きついてくるシーンを想像していたんだが、やはりというかなんというか、そんなことはなくあっさりとしたものだった。
「おう! 買い物ご苦労さん。ハクヤはちょうど今さっき起きたところだ。腹減ってるだろうからここでみんなで飯にしとくか」
「いいねえ。私午前中ずっと歩き回ってたからお腹空いたよ」
手ぶらで帰ってきたヒカリが昼食のパンと肉、コーヒーのような飲み物を出す。それ以外に買った旅の道具や食料などを手際よく並べていく。今回は傷薬や包帯の量も増えた。これは俺を気遣ってのことかもしれない。
特に食料は圧巻である。三人で二十日分くらいはありそうなほどの量が部屋いっぱいに並べられた。保存食が多いため、味はそれほどでもない品々なのだが、現地で食料を調達できない場合に重宝する。
俺たちはヒカリが買ってきたものの説明を聞いたり、他愛もない話をしたりしながら昼食を摂った。
穏やかな時間が流れる。こんなひとときは久しぶりのような気がする。そもそもちゃんとした町に滞在したのは、ムシラ王国に来てから初めてのことだった。
「それで、このあとはどうする?」食事を終え、買い物をバッグに収納したヒカリが尋ねてくる。「私はハクヤがもう少し元気になってからのがいいと思うけど」
「そうだな、俺も町を見て回りたいし、身体もほぐしておきたい。明日、明後日はこの町に滞在して、三日後に出発でどうかな?」
急ぐ旅ではあるが、魔王の幹部はあまりに強かった。今までより入念な準備が必要だということを痛感したばかりだ。
魔王討伐パーティーがさっさと魔王メックエイルを倒してしまうのでは、と考えていたが、果たして本当に倒せるだろうか。全滅していたメンバー以外に、他にももう一組魔王討伐に向かっているパーティーがいるらしいが、そんなに簡単にいくとは思えなかった。
ココナさんやマツヒデさんのパーティーもそんなに早く進むことはないように思う。
とりあえず魔道具はほしい。アローロから逃げるために、主要な魔道具を使ってしまった。まだいくつか残っているはずだが、備えはできる限りしておきたい。
あとは地図や情報だ。ムシラ王国の詳細な地図と情報がほしい。ある程度細かい道や町の場所などがわかるものがいいだろう。
何より俺を治療してくれた人にも感謝を伝えたい。もしかしたら俺は死んでいたかもしれないことを考えると、いくらお礼をしても足りないくらいだ。
しばらく談笑したのち、俺は町へ出かけることにした。
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