26.今の俺たちなら対処できるだろう
馬に乗っての旅は想像以上に快適だ。俺は馬上で大きく伸びをする。
ムシラ王国に入って五日目。
不可侵条約の結ばれている町をスルーし、馬の乗り方を教わりながら野営を繰り返して先へ進む。最初はぎこちなかった手綱さばきも、ガンボラさんの指導のもと少しずつ上達してきた。馬の背に乗っているだけで前へ進んでいく感覚はたまらない。
これまでも馬車に乗ったり、二人乗りさせてもらったりしたが、ひとりで馬に乗っている気分は今までにないものだった。
念のため俺たちは森の香りがする香水を毎日着けているが、危険度の高い魔物に出くわすことはなく、馬を少し走らせれば逃げ切れる相手ばかりだった。
また、五日も経つと馬もある程度乗れるようになる。
ガンボラさんみたいに手足のごとく使いこなすことはできないが、走らせる、歩かせる、止まる、方向を変えるなど、ぎこちないながら最低限のことはできるようになった。
馬の様子も機嫌がいいのか悪いのか、元気なのか疲れているのか、少しずつ察することができるようになってきている。地球で見ていた馬と比べると体形はほぼ同じではあるものの、羊にやや寄せたような顔、サイズは一回り大きくスタミナもある。俺はこの世界の馬が気に入った。今まで怖がっていたのがもったいないくらいだった。
ヒカリも同様らしく、馬を相当気に入ったようだ。自分の愛馬に「シチュー」と名付けてよく話しかけている。体色がシチューの色にそっくりだから命名したらしい。
馬上からの景色も非常にいい。視点の高さによるものなのか、景色が拓けて見える。
ガンボラさんのことも少しずつわかってきた。
怖いのは相変わらずだが、義理堅く規律を重んじる性格のようだ。肉が好きなこと、国を守るため自ら兵士に志願したこと、本国に妻がいることなど。
妻がいるのにこうして旅に出るのはどうかと思ったが、妻からは好きにしていいと言われているそうだ。妻の立場だったら不安だろうに、できた嫁さんだ。
ヒカリといい関係になろうとか考えてないことがわかってほっとしたのは内緒である。そんなヒカリが俺に話しかけてきた。
「ねえ、近くに町はないの? そろそろ荷物の見直ししたいなー」
「西へ向かう道からは外れるが、あと半日くらい進むと南への道があるはず。そこから南へさらに丸一日くらい行けば、アブジャって町があるみたいだ。ただ大雑把な地図だからな。俺もどこかでムシラの細かい地図を買いたい。寄ってみるか」
「そうだねー。アブジャって名前もかわいいし、行ってみたい。ガンボラさんはどう?」
「任せる」
ガンボラさんは相変わらずぶっきらぼうで怖いが、こういう人なのだ。少しずつ慣れてきた気がする。ヒカリの言うアブジャって名前がかわいいかどうかはわからない。
「ならムシラで最初に寄る町はアブジャに決定だ。明日には着けるよう、今日のうちに進めるだけ進んでおこう」
俺たちの旅は順調に進む。
はずだった。
周囲がオレンジ色に染まりだす夕暮れ時。南へ続く道を見つけた。T字路になっていて、巨石に文字が彫られている。どうやら行き先を示しているらしい。
西方面にはジョス、南方面はアブジャと書かれていた。地図を見る限り、ジョスの町はまだまだ距離がある。やはりアブジャに寄っておくべきだろう。
俺たちは南へと進路を転換して馬を進めていく。そろそろどこかで野営をしたいところだ。周囲は草原で、膝丈くらいの高さの草が生えている。ところどころ背の高い木が生えているが、それほどの数ではない。
見晴らしがいい。
魔物も見当たらない。
遠くには夕日を反射した湖も見える。
悪くない立地のはずだ。
しかし。
「ハクヤあ、ヒカリい。何か変な空気だ。うまく言えねえが嫌な予感がするぜえ」
ガンボラさんが背負っていた弓矢を手に持った。俺のせいで腕を怪我したらしいが、弓矢は扱えそうな様子だ。周囲を見渡している。
「確かに何かが変ですね」
俺も同感だった。何かが見えているわけではない。だが、何かがおかしい。
言いようのない不安が俺の心を満たしていく。嫌な気配だ。原因はわからない。
戻るべきか。
いや、危険なものは見当たらない。もちろん地中を進む魔物もいるから、見えるものがすべてではないことくらい理解している。ただ、それを考慮に入れてもこの嫌な空気は異常だった。
地球でアニメを観ていたとき、「嫌な気配とかそんなのわかるわけなくね?」などと思っていたものだが、独特の雰囲気を感じ取ることができてしまっているこの現実に驚いている。
では考えてみよう。見晴らしのいいこの場所で、何か危険なことが起こり得るのか。
膝丈ほどの草だ。人間が匍匐前進していたら確かに視界には入らないだろう。
ではそんなことをする人間がいるだろうか。おそらくいない。見晴らしがいいということは、裏を返せば何もないということだ。盗賊や山賊であれば、もっと手前の森林地帯で襲い掛かった方がいい。
巨大な蛇の魔物という可能性はどうだろう。
俺の知識ではこの地域にそんな魔物は生息していないはずだが、もしもの可能性はあるかもしれない。しかし、蛇の行動は基本的に「奇襲」である。こんなアホみたいに禍々しい気配を放っていたら、仕留められるものも仕留められなくなってしまうだろう。
あとは呪いとか残留思念とかオカルトチックなやつくらいだ。
ただこれも確率としては低い。ここはムシラの人間ならだれでも通る有名な道。嫌な気配を感じるだけならまだしも、現実に被害が出ていれば必ず噂になる。被害の大きさによっては国家で対処することもあるかもしれないほどだ。
そう考えると特に問題はないのかもしれない。ここまで来たのであれば早くアブジャという町に着きたいし、宿でゆっくり休みたい。
仮に何かあっても今の俺たちなら対処できるだろう。
「とりあえずこのまま進もう。異常があれば引き返すけど、なければあの湖のそばで野営しよう」
異論はないようだった。ヒカリは「どこにも何にも見えないもんね」と暢気に答え、ガンボラさんも「お前が決めたことなら構わねえ」と同意してくれた。まだ弓矢を両手に持っているあたり警戒は解いてないようだが、それもまた頼もしい。
馬を進めていく。
何となく馬も先へ進むことに抵抗がありそうだが、暴れるほどではない。
さらに進む。
草のせいで道そのものは見えないが、どうやら左にカーブしているようだ。そのまま行けば湖の近くを通ることになる。遠くから見たときは気付かなかったが、湖のほとりに小屋が三件ほど建てられていた。冒険者や商人の野営用の小屋だろう。
小屋を使わせてもらうのが一番だな。
俺を先頭に左へカーブした道を進もうとしたとき。
自分の心臓が大きく跳ねた。
「なんだよ、これ」
道に人が倒れていた。
しかも離れたところにも血だまりができている。二、三、四、合計四人だ。
全員息絶えているだろうことは一目見てわかった。
四人とも道を真っ赤に染めるほどの出血があったからだ。しかもまだ赤みが残っているということは、死んでから間もないということだ。血は多少時間が経つと黒ずんでいく。俺たちがこの草原に来る少し前にやられたのだろう。
俺は立ちすくんだまま動けなかった。
追いついてきたヒカリとガンボラさんも同じ光景を目にした。
「なんだあこいつらは! こんな何もねえところでずいぶん派手に切り裂かれてるじゃねえか」
「うわーー、酷いねえ、って、ん? あれ?」
ヒカリが何かに気付いたようだが、俺には聞き返す余裕すらなかった。ヒカリの横にいたガンボラさんが代わりに尋ねる。
「おう、ヒカリい。何か気になることでもあんのかあ?」
「気になるっていうか、私、この四人組を知ってる」
「なんだって?」
「間違いなく、ディムヤットの町で見たことあるよ」
「はーんなるほどねえ。てえことはこいつら四人組の冒険者ってことかあ。冒険の移動中に襲われたわけだな」
「そうそう。でもそれだけじゃないよ。この四人って超有名人だし。最近さ、魔王討伐に二組のパーティーが出発したってニュース知ってるでしょ? その二組のうちの片方だよ。つまり能力を持った転移者ってこと。
黒い服の人は糸使いでしょ、グレーの道着を着ているのは格闘家で、サングラスの男は身体から生物を溶かす液を出せる能力を持ってたはずで、青いドレスの女は魅了の力を使いこなすんだったかな。血だらけだけど、全員服装は一致しているし、黒い服の糸を使う人とはしゃべったこともあるから顔も覚えてるし。
間違いなくいえる。この人たち魔王討伐パーティーのうちの一組だよ」
「おいおい、そんな立派なパーティー様が、ムシラ王国入ってすぐに全滅とか大丈夫かよお。転移者が自信満々に出発してこのザマじゃ……いや」
ガンボラさんは何か思い当たる節があるらしく、俺の背中をばんっと叩く。
惨い死体に呆然としていた俺はそれで我に返った。
「おい、ぼーっとしてんじゃねえぞおハクヤあ。さっさと引き返した方がいい。多分こいつらが弱いわけじゃねえ、逆だ。とんでもなく強い敵に当たったんだ。そして俺たちはその強いやつを見ていねえ。おそらくだけどよお」
声を潜めていつもよりさらに低い声を出す。
「いるぜえ。この近くに」
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TIPS
総合的な技術力はムシラ王国より転移者の多いエイジフット王国の方が上ですが、一部ムシラの方が優秀なものもあります。例えば鎧。鉱山の多い国の特徴を活かして技術革新が進み、エイジフットのものより軽くて頑丈な鎧の量産に成功しています。他に敵うものは多くありませんが、戦争関連の技術においてムシラ王国は互角以上の技術を持っています。
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